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第六話 再出発

 


「兄貴、マットの兄貴じゃねえか!」

 ギルドでロイドと別れてぼんやりと街を歩いていると、後ろから大きな声をかけられた。


 振り向けば、いつぞやの詐欺師の姉ちゃんが手を振っている。


 いつから奴の兄貴分になったのかと疑問に思うが、理由を聞きたいとも思わない。

 無視して歩き始めると、後ろから走って追いかけて来る。


「待ってくだせぇよ、兄貴。イグナトで世話になったケトルですよ」

 往来で大声を出して呼び止められ、アルは仕方なく足を止める。


「あんたの名前は、今初めて聞いたな」

「えっ、そうでしたっけ?」

 兄貴と持ち上げられていても、所詮それだけの付き合いである。


「すみません、あの時は大変お世話になりました」

 ケトルと名乗る女は、低く頭を下げる。


「あの時に借りた金は、必ずお返ししますんで、もうしばらく待っていただきたいと……」

 更にもう一度頭を下げる。


「八百屋をやっている亭主は、どうしたんだ?」

「いや、あれもその場の方便ていうかなんというか……ははは」

 女はきまり悪そうに頭を掻きながら、笑ってごまかそうとする。


「そうだ、せめて今日の昼飯くらいは驕らせてくださいよ、ね、いいでしょ?」

「……」

 アルは面倒になり、無言で歩き出した。


「待ってくださいよ、兄貴!」

 ケトルと名乗る女は、アルの後をついて宿屋までやって来た。


 一階の食堂では、ラモンが一人で飯を食っている。アルはそこへ行き、今日のランク認定試験のあらましを報告する。立って話すのも何なのでラモンの向かいに座り昼食を注文すると、アルの隣にケトルも腰を下ろす。


「兄貴、ランクアップしたんすね、すげえや」

「いいから黙ってろ」

 アルが止めるが、そう簡単にこの女が黙るわけがない。


「初めまして、マットの兄貴の舎弟で、ケトルと言いやす。まだEランクのケチな冒険者ですが、以後お見知りおきを……」

 ケトルは挨拶を終えると、アルと同じ食事を注文する。


「おい、オヤジ、このテーブルの代金は全部あたしが持つから、大盛で頼むぜ」

 などと景気の良いことを言い出す。


「おい、お前、大丈夫なんだろうな?」

 アルは心配そうにケトルを見る。確かに迷宮で見た時より日焼けの色は褪せて、精悍な目つきをしている。身なりも普通の冒険者に見えた。


「兄貴に助けられてからあたしは真面目に迷宮に潜り、駆け出しの冒険者として暮らし始めたんでさぁ。それもこれも、兄貴のお陰。この街のやばい連中に借金を返して、きれいな体になりました。今日はこんな小汚い店の昼飯しかご馳走できませんが、いつか見ていてくだせぇ」


 後ろで宿屋のオヤジが睨んでいるのにも気付かず、ケトルは一人でしゃべる。


 なんだかんだとそれから無口なラモンが天真爛漫なケトルを娘のように気に入ってしまい、ロイドに紹介してパーティのサポーターをやらせようかという話になった。興奮したケトルはマットに抱きつき、手を握って涙ぐむような場面となる。


 アルは困惑して固まり、何もできなかった。


 ケトルはテネレの生まれで、生前のマットとは何の面識もなかったようだ。

 アルに語ったマットとの逸話は、例によってその場の出まかせだったらしい。


 しかしマットと同じ年に生まれた二十二歳ということだから、五年前にはこの街のどこかで、十七歳のマットとすれ違っていたのかもしれない。

 そう考えると、ケトルが今も元気に暮らしているのはアルにとっても喜ばしいことだ。



 とりあえず地上への進出を果たしたアルだが、いつまでも身元を偽り顔を隠して暮らすのは本意でない。


 これを手掛かりとして、十五歳の本当のアル・オルセンとしてこの街で暮らせる道を探らねばならない。

 だがその前に、無事地上進出を果たしたアルにとって、次の目標は念願の読書である。できることなら、迷宮の中で繰り返し読んだ物語の続きが読みたい。


 先ずは迷宮村イグナトと同じく、宿のおかみさんに聞いてみた。

「ああ、そこの棚の本は部屋に持って行っていいから、好きなだけ読みなよ。他に欲しい本があるなら、近所に本屋もあるわよ」


 喜んで宿屋の食堂の隅の棚を見ると、シリーズで揃っている小説本がいくらかと、お馴染み迷宮の魔物図鑑のようなものが何種類か置いてあった。これは幸先がいい。


 その本を読み始める前に、教えてもらった書店へ行ってみた。

 狭い店内には様々な本が置かれているのだが、アルが知っているタイトルはまるでない。


「すまん、古い小説だが、『南風の届かない場所』という本を知っているか?」

「うーん、知らないな」

 さすがに、七十年以上前の小説の続きは読めそうにない。


 それにしても、十五層のイグナトで見たタイトルすら、ここの店にはない。


「ならば、『朝日の色』とか、『死の山の麓』とか……」

「ああ、それは十年以上前に流行った物語だね。でも今は古いから、うちには置いてないな。貸本屋にでも行ってみたらどうだい?」


 アルはそうして、教えてもらった貸本屋へ行ってみた。


 そこは先の書店よりも多くの品揃えがあり、期待が持てた。

 さすがに七十年前の本の続きはなかったものの、イグナトで読んだ本のタイトルはある。しかしよく見ると、きちんと全巻が揃っているわけではない。


「この途中の巻がないのは、貸し出し中ってことか?」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 店番の兄ちゃんが記録を調べてくれる。


「いや、その辺の古い本は、返却されなくて欠品になっているな」

 アルは絶句する。前半の一冊くらいなら我慢するが、中盤の山場や最後の部分が欠けていれば、とても続きを読もうとは思わない。


 結局アルは宿屋へ戻り、そこに揃っている本を借りて読むのだった。


 晴れてCランク冒険者となった仮面の男マット・レザクは、再び迷宮へ戻る。


 街の住民は忙しく働いていて、宿屋に泊まり毎日遊んでいるのも意外と目立つのだった。

 仕方なく迷宮村へ戻り、ギルドの出張所で仕事を探す日々を送る。


 単独で、あるいは特定のクエストのために臨時のメンバーを募集しているパーティへ加わり、時折迷宮を探索して小銭を稼いだ。


 地上へ出ることにも慣れて、地上と迷宮十五層とを行ったり来たりしながら、迷宮都市での暮らしを満喫し始める。


 十五層にある迷宮村イグナトは、本来的には九十層を超える迷宮全体の、上層の中間地点に過ぎない。しかし、未だ迷宮の全貌を知らぬ冒険者ギルドは便宜的に、十五層以下を中層と呼んでいる。


 つまり、現在攻略中の三十層から下が下層という認識だ。

 この迷宮が九十三層まであることを知ったら、ギルドの連中は腰を抜かすだろう。


 だが現在のところ、十五層より下へ潜れば冒険者にとってはいい稼ぎになる。

 この街の暮らしに慣れるためには冒険者仲間と協力して行動することが手っ取り早いことを知ったアルは、何度か二十層付近まで行くクエストに付き合った。


 目立たぬように行動していたマットだが、ランク認定試験でBランクの推薦を断った男として、既に冒険者の間では噂が広がっている。


 十五層より下を目指す冒険者は、当然のように彼を仲間にしたいと思う。


 何よりも、冒険者は生きて帰るだけではなく、収入を得なければならない。

 安定した収入を得るには、武器や防具の破損、魔道具や薬の損耗、それに少しの怪我でも、その後の暮らしに影を落としかねない。

 だから、強い仲間がいるに越したことはないのだ。


 十五層付近をうろうろしている中級冒険者にとって、Bランク冒険者というのは一つの目標であり、憧れでもある。


 B級冒険者はより下層の攻略へ進む者がほとんどなので、そのクラスの実力を持つメンバーをパーティに加えていれば、自分たちの生還率が相当に上がることを知っているのだ。

 当然、パーティの稼ぎもよくなり暮らしも安定する。


 しかし単独行動を好む変わり者の仮面の男は、なかなか誘いに乗らない。

 元詐欺師のケトルを仲間にしたロイドのパーティは、ケトルの育成のため上層を中心とした探索を行っていて、最近マットとはすっかりご無沙汰である。


 その分、最初に行動を共にしたロイドのように、イグナトに滞在して仮面の男を勧誘しようとする者が増えて、マットはイグナトでの評判も上がっていた。


 目立たぬようにしていても何かと目立つ仮面の男の行動にアルは危機感を感じ始めて、早く仮面を取って本来の姿で活動できるようにと準備を急いだ。



 アルは、迷宮王の力を使い、街の外にある森の中へ新しい迷宮の入口を作った。

 森の中の入口は、魔法により巧妙に偽装し隠されている。

 万が一のために、門番として入口の広間には強力な魔物を配置した。


 入口の広間からは迷宮へ向かって垂直の縦穴が続いているが、それは人や魔物が通れないほど細い。単に空間的に迷宮と繋がれているだけだ。


 しかし迷宮の王であるアルにとっては、それで充分だった。縦穴を介して迷宮の瘴気が届く空間であれば、迷宮の一部とみなされる。アルは迷宮のどこからでも、その新たな広間へ転移できるのだった。


 ギルドの作った迷宮の正門を経由せずに地上への出入りができるようになったのは、アルにとって大きな進歩だ。


 本当は街の中に恒久的な住居を確保して、そこから直接迷宮へ出入りできるようになれば便利なのだが、それにはまだ時間がかかりそうだ。


「十五層の迷宮村から単独で中層へ降りる」そう周囲に告げてマットは迷宮村を出発した。

 そして人目につかぬ場所で一度最下層へ転移してマットの変装を解き、本来のアル・オルセンの姿に戻る。そこから再び新しい森の中の入口へ転移して、一度街の外へ出た。


 入口を作った時には、夜に少しだけ外を覗いて安全を確認しただけだった。

 しかし明るい森を歩いて周囲を見れば、そこには心躍る風景が広がっている。


 たっぷりと太陽の光を浴びて育った樹木は高く太く延びて、緑の枝葉を大きく広げている。木漏れ日が、足元の豊かな草むらに揺れていた。

 薄暗い森を出ると、アルはまばゆい光に包まれて立ち止まる。


「これが畑か。ここがきっと、田園地帯と呼ばれる場所なのだな。広い。なんて広大な大地だ……」


 森から出て街へ向かったアルの前には、見渡す限りの畑が広がる。

 乾いた大地に、高原の爽やかな風が吹き抜ける。


「おお。これこそが、絹のように柔らかな風か。なんて気持ちがいいんだ」

 両手を広げて、空気の流れを全身で感じる。その大袈裟な表現は好きだった小説の一節そのままなのだが、アルにはそれ以外の言葉が浮かばない。


 アルの心に刻まれている言葉は、一つ一つが好きだった物語の名場面に結びつき、懐かしく豊かなイメージが次々と湧き上がる。


 物珍しそうにきょろきょろと周囲を見回すアルの歩みはそのまま田舎者感が丸出しで、街道を行く人々も笑顔でそれを見守る。


 そこから改めて、北の谷の村からやって来た十五歳のアル・オルセンとして、テネレの街へ入った。



 


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


明日もこの続きを投稿する予定です。

よろしければ

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