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第七話 セシリアの苦悩

 


 アルが朝湯を浴びている頃、セシリアは一人悩んでいた。


 アルと二人で行くことになった四十九層で見た光景は、明らかにティリアの迷宮が抱える大きな問題の一つに過ぎない。


 あの階層での異変が玉突き状態となり、上層の魔物の異常な移動をもたらしたことは間違いないだろう。

 だが迷宮自身の修復機能の低下に対する影響は、これだけで収まるまい。


 これまでの出来事すら上司のシュピーゲルに報告していない自分が、これ以上迷宮の下層に関わることに何の意味があるのだろうか。無力感と共に、深い疲労に襲われる。


 だが、それとは別に一人の冒険者として、いやひとりの女としても、アルがこれからどうするのか見届けたいという思いが膨らむ。

 自分の拙い能力では叶うことがないのは、身に沁みてわかった。


 あの滅茶苦茶なヒカリやリサのような力を身につけない限り、これ以上の介入は不可能だ。

 せめてあと十年、いや五年若ければ、と歯ぎしりをする。


 そもそも自分の能力では、あの人間を超えた異常な力を求めても到底叶わないだろう。


 とりあえずこれで一旦は、上層の混乱は収まるかもしれない。

 しかし、根本的な解決はあの三人が更に下層を目指すまで終わらないだろう。


 あとは、何も知らぬふりをして、せめてできる限りの援護をしよう。

 セシリアは可愛らしいヒカリとリサにも限りない愛情を注ぎたいと思う。


 こんな気持ちになったのは何年ぶりだろう。

 九年前にティリアの改革を目指したあの時を、懐かしく思い出す。



 セシリアはティリア近くの農村で生まれた。

 夏の間は畑を耕し、雪に閉ざされる冬には出稼ぎの冒険者となる父と兄を見送り、母と二人で留守番をしていた。


 しかし歳の離れた妹が生まれてからは、自分も迷宮都市へ行きたいと言い続けた。

 十歳の冬に初めて親から許され、父と二人の兄と一緒にティリアへやって来た。


 父と兄は冒険者として迷宮へ入り、セシリアは冬の間家族が寝泊まりする共同宿泊所の手伝いをすることになった。


 周辺の村ごとに建物を借りて、自炊生活をする。それは夏の間は農作物の集積所として使われている建物の一つで、多くの村がティリアの商業ギルドと共同で運営していた。


 セシリアはその年から宿泊所の手伝いを毎冬続け、暇な時間に冒険者に必要な技術を教わり十五歳で念願の冒険者養成学園に入学したときには、既にベテラン冒険者顔負けの強さと技術を身に着けていた。


 持ち前の明るさと格闘センスですぐに頭角を現し、一年後には世代のリーダー的な存在として学園を卒業した。


 それからは村へ帰らず専業の冒険者として前線で活躍するようになり、順調にランクを上げていった。


 転機が訪れたのは冒険者となって三度目の春を前に、家族で一番強かった下の兄が迷宮で大怪我をして片足を失ってからだ。


 治療のため夏もティリアの街へ残った兄の看病をしながら、冒険者として生活を支えた。それと同時に、兄の今後の暮らしについても一緒に思案した。片足で農家の仕事を続けるのは辛いので、街で何とか仕事を探そうとしていた。



 冒険者ギルドは一流の冒険者だった兄に養成学園講師のポストを用意してくれたが、話下手の兄に教師は無理だった。


 ちょうどそのころ迷宮上層で始められた迷宮農園の仕事を手伝い始めていたセシリアは、その事業を拡大するために奔走した。


 二人は元々農家の息子と娘である。迷宮内部にも詳しく、上層レベルの魔物なら義足を着けた兄が遅れを取ることもない。


 迷宮産の珍しい植物や動物を育てる新しい事業は、二人の参加により急発展した。

 結局セシリアはそれからも村に戻ることなく、フルシーズンを迷宮農園の拡張と下層の攻略とにのめり込んだ。


 冬にティリアの迷宮へ来る農民は本職の冒険者ではなく、周囲の村に家族を残して来ている。彼らに無理をさせず死者や怪我人を出さないようにと考えたのが、上層の安全地帯を広げて農園を造ることだった。


 それから九年の月日が流れ、ティリアの迷宮は安定して稼げる場として独特の地位を築いた。

 その中心にいるのが、セシリアであった。



 セシリアは、街にあった冒険者学校を迷宮内へ移した。しかもより低年齢の子供を受け入れ、三学年制とした。


 冒険者ギルドの決まりでは、十五歳にならねば迷宮へ入ることが許されない。その原則を曲げて、上層の農園部分限定で十二歳から十四歳の子供を受け入れるようになった。


 これによって、卒業生は十五歳になってすぐに冒険者として独り立ちが可能となる。

 生徒には農園の世話や武器の手入れ、道具造りなど冒険者に必要なあらゆることを学ばせて、その教師にはリタイアした冒険者を充てた。


 年寄りやけが人だけでなく家族を持ち危険な仕事から遠ざかりたい者、戦闘に不向きな職種全てが迷宮で通年働けるような場所を造り、受け入れた。


 それが今のティリアであり、セシリアの求めた理想の世界だ。

 だが、セシリアができなかったことが一つだけある。

 それは、迷宮下層の攻略であった。


 ティリアでは上層の事業が軌道に乗れば乗るほど、下層へ向かう意識が低くなる。

 安定した暮らしを求める農民とどこまでも未知の領域へ進もうとする冒険者の間で葛藤していたセシリアは、可能な限り迷宮を攻略する人材を育てようとした。


 しかしここの環境に限界を感じた先鋭的な冒険者はティリアを離れて、新天地のテネレへと移って行った。

 それは全て、自分の責任だとセシリアは痛感している。


 だが、アルに会ってその意識は吹っ飛んだ。迷宮下層は、自分ごときの手に負えるものではなかった。

 自分は、自分にできることをやった。それでいいのだ。



 迷宮から戻ったその日、セシリアは眠い目をこすってどうにか一日仕事をして、翌朝には再びアルの宿へ足を運んでいた。


「朝からどうしたんですか?」

「今日は頼みたいことがあって来た」

 セシリアが切り出すと、三人が揃って嫌そうな顔をする。


「なんですか?」

「実は、私も一緒に修行をさせてほしいのだ」

「えっ、セシリアさんもやっぱりファミリー入り? こりゃヤバいな」


「迷宮の騒ぎはいいんですか?」

「ああ、昨日から妙に安定している。何故かは知らぬがな」


「そうか。セシリア殿も我の修業を始めるか。よいぞ。小虫の相手も飽きたところだ。存分に相手をしてやろう」

「待ってよ、大丈夫なの、セシリアさん。あなた副ギルド長なんでしょ。そんなことをしている暇があるの?」


「いや、時間は作る。リサ、ヒカリ、私も今のままで満足している場合ではない。もっと強くなりたいのだ」

「三人がそれでいいのなら、俺は構わないよ」


「セシリア殿はこの小虫が修業を始めた時よりは随分とましな力を持っておるからな」

「そうよね。わたしなんかいまだにCランクだけど、セシリアさんは泣く子も黙るSランク冒険者だもの。アルがいいって言うならねぇ」


「ふん、そこはダメとは言わんだろ、アル」

 セシリアがアルを見る目が妙に艶っぽく感じて、リサは眉間にしわを寄せた。



「何だか怪しい…」

「大丈夫だ。リサを押しのけて本妻に収まるつもりはないからな」

「やっぱりそういうことか、くそっ」


「やっぱりって、俺には意味がわからないんだけど……」

「アルよ、諦めが悪いぞ」


「ほら、ティリアきってのSランク冒険者が仲間になるんだから、わたしが口を出す話じゃないわよ」

「だけど、俺から見てもリサの成長速度は非常識だから、それと比べられてもなぁ」


「確かにこの小虫の異常なことは、修業を始めて僅か一週間ほどでその泣く子も黙るSランクを超える実力を身に着けていたことだ。この虫はきっと半分魔物の血が入っているのだろう。だが我に任せればセシリアもきっとすぐに強くなるであろう」


「ああ……。ヒカリ、殺しちゃだめだからね」

「ふん、そこまでやるのは小虫が相手の時だけだ」

「よし、では早速始めようか」


「まあ、仕方がない、セシリアさんもファミリーの一員だし」

 そう言ってリサが意味ありげにアルを睨む。


 アルは両手を振って、何もないアピールを続ける。

「うむ、セシリア殿も瘴気への耐性を持ち、アル様の魔力の影響も受けておる。十分に伸びしろがあるだろう」


「へぇー、アルの魔力の影響を受けたんだぁ~?」

 もう一度、リサがアルを睨む。


「俺はちょっと出かけてくる」

 アルは、その場を逃げ出した。



 女性の冒険者が異性に対して積極的なのは、男性に負けない力を持っているからだ。冒険者の価値観は、男女を問わずその能力が第一だ。


 アルが迷宮で読んでいた物語に登場するヒロインは昔の貴族や大商人、庄屋や名主の娘など、基本的には裕福な家庭の可憐なお嬢様だった。


 剣や魔法を使う女性が騎士として登場する場合があっても、物語の主人公にはなれない。ましてや冒険者のような一般市民の女性が主役の物語など、当時はありえなかった。


 しかし今アルの周りにいる女性たちは、実力のある冒険者や、幼い頃より軍人として厳しい訓練を受けたメリッサなど、並の男では到底敵わないような強い力、高い能力を秘めていた。

 彼女たちは高い能力を持つが故に、一概に自分よりも能力の高い男性に憧れる傾向がある。

 が、現実問題として、そんな特別な男は少ない。


 逆に言えば、彼女たちが弱者として男に襲われる危険も圧倒的に少ない。

 言葉巧みに言い寄る男は多くても、Cランク以上の冒険者を本気で襲う身の程知らずの男は滅多にいない。


 逆に男性側が余程しっかりしていないと、このクラスの女性に言い寄られても断り切れない場面の方が目立つのではなかろうか。


 実は、魔法という要素を加えると、冒険者における男女間の能力差は女性がやや有利とさえ言える。それは身体能力に頼りがちな男性に対する、女性の魔法能力の高さに由来するものだ。



 


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