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第六話 決壊

 


 元々の四十九層は、針葉樹が茂る森林地帯だったようだ。

 そこを蛇行して流れる川が氾濫して多くの地面を覆い、茶色い濁流が森を覆っている。


 本来水など苦にしない水生の魔物が、必死に木に登り濁流から逃れている。しかもその水が幽かな光を放っているので、幻想的な光景となっていた。


「まさかこれが全て、聖なる水なのか?」

 セシリアの驚きも無理はない。これは、迷宮が外部から破壊されている現場にしか見えなかった。


「これほどの規模で聖なる水が迷宮へ流れ込んでいるというのは、いったい……」


 普通なら迷宮の修復作用により一時的な流れができても、ここまでの事態になることはない。

 アルの生まれた聖なる湖のような場所でも、災害で一時的に外から大量の水が流れ込むことはあっても、水量は一定に保たれていた。


「迷宮の修復力が弱っているのか?」

 しかし、淡い光を放つほどに聖なる力が強い水など、自然界では極めて珍しい。

 どうしてそんなものが、迷宮内部に溢れているのか?



 アルはセシリアを抱えたまま見晴らしの良い高い木の上に降りると、光と水の魔法で周辺の木の枝を成長させて簡単なツリーハウスのようなシェルターを作った。迷宮内の植生は、地上に比べて魔力の影響を受けやすい。


 土魔法で作った平らな床を密度の高い針葉樹の葉が何重にも取り囲み、複数の樹木が周囲から延ばした枝でそれを支えている。多少揺れるが安定感は悪くない。


「ここにいてください。動かなければ安全です」

「お主、何でもありだな……」


 地上の魔物もここまでは来ないし、空を飛ぶ魔物は上の階層へ逃げようと競うように飛んでいる。念のために認識疎外の魔法でシェルターを隠すと、呆れ果てるセシリアを残してアルは水がこの階層へ流れ込んでいる源を探すために飛び出した。



 北の山から流れる雪解け水が地下水となり、水脈としてティリア盆地を潤している。その地下水が何らかの理由で流れを変えて、迷宮内部へ大量に流れ込んでいると推測する。


 クレンツ村が迷宮へ入ることになったのも、水害と地震が原因だったと聞いている。

 確かにここの水量は異常に多く、瘴気のない冷たく清らかな水だ。しかし本来なら迷宮の力で簡単に流れを変え、防いでいたはずだ。


「まずは、流れ込む水を止めなくては」


 階層の上部にできた壁の割れ目から勢いよく流れ込んでいる地下水は冷たく透き通り、まさに聖なる水の雰囲気を持つ。

 地上へ滝のように降り注ぐ水が本来の谷川の流れを超えて土を抉り、茶色い濁流となって広い森を覆っていた。


 しかもその茶色い濁流となっても尚、淡い光を放っている。アルは流れ込む水源をじっくりと観察した。


 壁面の割れ目を塞ぐ前に、激しい流水に向かって冷却魔法を放ってみる。

 穴の周辺部から水が凍り始めて、巨大な氷柱が下に幾筋も伸びる。 

 そのまま根気よく魔力を放ち続けると、最後には全ての水流が凍りついて流れが止まった。



 アルは割れ目に近付き、氷の奥の水源に意識を集める。

 迷宮の壁を作る厚い岩盤を縦に引き裂き貫いて、水流は無理やり内部に浸入していた。


 岩盤の奥には破砕された土砂が堆積している。

 アルは土魔法で迷宮内部の地形を変えて、割れ目から内部へ流れが入らぬように少しずつ盛り上げていく。


 内部へ入ろうとする水圧を魔力で押しのけ、水を逃がす新たな道筋を穴の奥に向けて穿ち、地中の奥へ奥へと誘導した。


 最後に本来の迷宮内の川に流れていたほんの僅かな水流だけを残して、土魔法で壁の穴をきっちりと塞いだ。


 次に、元々迷宮から川が流れ出ていた場所へ移動する。

 元々この階層に滲み出した僅かな流れは迷宮の瘴気の中をゆっくり流れるうちに聖なる力を失い、魔物が生息する穏やかな流れに変わっていたのだろう。


 階層に溢れた聖なる水を排水するために、一度大きく排水口を広げた。

 溢れていた水は少しずつ水位を下げて、元の狭く蛇行する小川へ戻りつつある。


 水が引くと、バシリスクやコカトリスの住処だった低い岩山も姿を現して、上層へ逃げようとしていたグリフォンも樹上へ降り立った。


 排水口を元の大きさへ戻すと、アルはシェルターで待つセシリアの元へと戻った。

 僅か二時間と少しの間の出来事である。



 シェルターから顔を出してアルの土木工事を眺めていたセシリアも、復旧作業の迅速さに驚き呆れている。


「すみません、遅くなりました。思った以上に水流が強く手間取りまして……」

「おい、自分が何をしたのかわかっているのか? 全く非常識にもほどがあるぞ」


 シェルターで一息つくとアルは重要なことを思い出して、使えなくなっていた魔法の収納鞄に手を入れた。


 アルがテネレの迷宮内で使っていた魔法陣と、アントンが自宅の地下室で使っていた魔法陣の融合した姿を思い浮かべながら、鞄の中の魔法陣を模索してその場で改良している。


「それは、何をしておるのだ?」

「ああ、ちょっと鞄の内部の改良を」


 ナタリアやケイティの剣に施した刻印魔法をかなり複雑にしたようなものを、新しく描いていく。

 集中して試行錯誤を繰り返すうちに、不意に魔法が起動して鞄の中が亜空間へと繋がった。


 忘れぬうちにその刻印を光の魔法で鞄の内側へと焼き付ける。

 アル自身の魔力にしか反応しないように、念入りに識別コードを加えておくことも忘れない。


 アクセスが復活した鞄の中には、最近保管しておいた数多くの魔法薬が揃っていた。



「セシリアさん、お待たせしました」

 そう言ってアルは石化した足へ小瓶の中の液体を振りかける。

 すぐに、足の表面の石化が解けた。


「まだ違和感があるな」

「ではもう一度強い治癒魔法を使いましょう」

 アルはセシリアの足を慎重に撫でながら、治癒魔法を内部へ浸透させた。


「ああ、いい気持だ」

 軽く痙攣しながら陶酔するセシリアを前に、アルが慌てて魔力を止める。ヒカリの時を思い出してしまった。

「まさかな……」


「さて、石化も治ったので、あとは自分の足で歩いて帰れますよね」

 そう言って背中を向けるアルの手を、セシリアが慌てて掴む。

「こら。こんなところからどうやって帰れと……」


「冗談ですって」

「そういうことをするから、アントンにそっくりだと言われるんだぞ」


「ああ……それは反省します。ごめんなさい」

 さすがにアルも疲労を感じて、座り込んだ。



「そういえば、いいものがある」

 アルは無事に開通した鞄の中に手を入れると、四角い籠を取り出す。中には朝作ったサンドイッチの残りが入っている。


 亜空間に閉じ込められていたサンドイッチはこんな夜中の時間になっても朝作った時のままで、ほんのりとした温もりを感じる。


 野菜と目玉焼きとフライにした黒ナマズを柔らかなパンで挟んだものをセシリアに手渡す。

 二本の瓶には冷たい果実水が入っている。


「朝飯には早いけど、ゆっくり食事をして帰りましょう」

「ああ、だが朝までには帰らねばなんおだろう?」


「大丈夫ですよ、帰りは簡単です。リサとヒカリが目を覚ます前に帰らないと、何かと面倒ですからね」

 食事をすると、急に眠くなる。アルは欠伸をして横になり、手足を伸ばす。


「疲れただろう。少し仮眠をしてもいいぞ。私が後で起こしてやる」

「ああ、それならセシリアさんも横になっていいですよ。このシェルターなら安全ですから」


「そうか。じゃあ遠慮なく」

 セシリアも狭いシェルターの床へ横になる。不安定な床が傾き揺れるので、自然とアルと密着することになる。



「せっかくだから、坊やにはお礼をしておこうか」

「いや、お礼は結構ですので……」


「人との絆や巡り合う人との縁を大切にして、その機会を見逃すな、と死んだ爺さんからよく言われたものだ」

 アルは驚く。

「俺の祖父も、同じ事を言っていました」


「なんだ、あのハゲがそんな気の利いたことを言うか?」

「あのじじいではなく、本当の祖父です」


「そうか。私はこの歳まで縁に恵まれなかったが、これは運命だな、諦めろ。

「いえ、セシリアさんこそ諦めてください」


「そうか、仕方がない。お前は大した奴だ。この街の冒険者が百年かかってもできないことを簡単にやってのける」

「でも、セシリアさんだってこの街の発展の功労者ですから」


「私が冒険者になってもう十年になる。私がここでしたことは、本当にこの街のためになったのだろうか?」

「当然です」


「しかし、私はもうこの街には必要ないのかもしれないな」

 セシリアは寂しそうな顔をアルに向けて呟いてから、恥ずかしそうに顔を逸らす。



「そんなことを言わないでください。俺はどんなに強くなっても、セシリアさんのように皆から必要とされているわけじゃないんですから」


「だが、私がお前を必要としていると言ったら?」

 セシリアは背けた顔を戻してアルの顔に近付ける。


「馬鹿、女に恥をかかせるな。第五夫人にしてくれるんだろ」

「あ、あれはリサの冗談ですからね……」


 ティリア産の柔らかな繊維を使った防護服は武骨な金属を縫い付けたテネレの鎧と違い、体を寄せ合っても不愛想な金属音を立てることもない。

 メリッサほどのとんでもないボリュームではないが、セシリアの柔らかな胸がアルにのしかかる。


 不安定な梢のシェルターはその急な動きに耐え切れず、梢から落下しそうなほどに傾き二人は抱き合ったまま悲鳴を上げた。

「ダメですよ、こんなところで」


「では、どこがいいのだ?」

「どこでもダメです!」



 とても寝ていられないのでアルは起き上がり、外へ出る。

 水の引いた川岸の岩の間に目立たぬような横穴を作り、中に転移用の魔法陣を作った。入口は岩で塞ぎ、魔物が入らぬように魔法でシールドした。


 樹上のシェルターへ、アルが戻った。

「さあ、行きましょう」

「???」


 セシリアの手を引いて岩穴へ入り、アルは光を放ち始めた魔法陣に乗る。

 一瞬にして周囲の風景が変わった。


 そこは、迷宮上層の片隅にある岩屋の中だった。

 再びセシリアの手を引いて外へ出ると、見慣れた光景にセシリアが目を疑う。

「転移、だと?」



 魔法の鞄の刻印魔法を試行錯誤した応用で、今なら迷宮と地上とを直接結ぶ転移魔法陣も作れそうだな、とアルは思う。


 しかし、今はそれをセシリアに見せない方が良いだろう。ギルドは迷宮の入口を命がけで守っている。彼らに余計な不安を与えることはない。


「今日見たことは、くれぐれも内密にお願いしますね」

「誰にも言えるか!」


 テネレでも、アルがここまで大規模な魔法を続けて使うことはなかった。これらの多くは、迷宮王となったアルの拡張された能力の発露である。

 アルの行為は、この迷宮に受け入れられていると感じていた。



 そこからは人の目もあるので正規ルートを歩いて迷宮を出ると、既に空が白み始めている。


 すぐにセシリアと別れて屋敷へ戻り、風呂場で汗を流した。

 さて、今日はこれからどうしよう。

 でもその前に、少しくらいは眠る時間がありそうだ。



 


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