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第五話 地上へ

 


 探索の初期から迷宮へ潜るベテランの冒険者、マット・レザクとしてアルは村に受け入れられて、冒険者の間で話題に上るようになった。

 アルの次の目標は、いよいよ地上だ。


 迷宮村の宿で借りた本は長い物語の一部でしかなく、読めば読むほどその前後の話が気になって仕方がない。その代わり地上にある迷宮都市テネレの簡素なガイドブックを見つけ、アルは部屋へ持ち込み何度も繰り返し読んだ。


 これはやはり地上へ出て行くしかないと、アルはついに心を決めたのだった。


 スパークウルフの一件以降、マットは評判となった腕を見込まれてパーティへ誘われることも多くなった。さすがに毎度毎度断るのも気が引けて、ついに幾度か小さな遠征に参加した。


 そんな中、マットという男の評判も少々変わる。


「何しろマットという男、腕はいいが無口のモンスターオタクの引きこもりで、人間の友達もいない。迷宮に住む奇人だな」

「もう何年もギルドへ顔を出すこともなく、迷宮内をうろつく闇の換金屋で魔物のコアを金に換えて暮らしているような世捨て人だって話だ」

「ところがまぁ、奴に悪意はない。単に飛びきりの人見知りであるというだけだった」と冒険者たちは笑う。

「マスクで顔を隠しているのにも、きっと何か特別な事情があるのだろう」

「腕はいいが、恐れることはない。決して悪人ではない」と。


 その中で、彼のことを親身になって心配する冒険者もいた。

 その男は、ロイド・スプーナーといった。


 浅黒い筋肉質で精悍な顔つきの大柄な男で、迷宮村イグナトで最初にマットを誘ったパーティのリーダーだった。


 二十六歳のCランク冒険者であるロイドは、初めて見た時からマットに何かを感じたようで、誘いを断られても顔を見るたびに何度も声をかけ、やがてマットが初めて同行することになった合同クエストのリーダーでもあった。


 迷宮村イグナトにもギルドの出先機関があって、ここでしか受けられないクエストの依頼も幾つかある。


 迷宮で装備を失いまとまった金の欲しい冒険者などは、そういったクエストを受けるためにその場で特別なパーティを組んで、束の間の宿代に当てたりしていた。


 その時も、ロイドのパーティメンバーの一人が病で動けなくなり、イグナトで寝込んでいた。ロイドは少し無理をしてでも新たなクエストを受けて、薬代と宿代を稼がねばならなかった。そこで村にいた腕自慢と共に、マットへも声をかけたのだ。


 アルはそのことを知り、今度だけは断れないと覚悟して依頼を受けた。元より、最初にパーティを組むならこの男たち、と思っていた気のいい連中だ。


 その時は他にも二名の冒険者が加わり、ニ十層のジャングル地帯にいるポイズンスネークがドロップする特殊アイテム、「ポイズンリムーバー」を手に入れるために奮闘した。


 それからマットは十五層で依頼されるやや困難なクエストの助っ人として何度かパーティに加わるようになり、冒険者仲間の信頼も厚くなった。


 しかし、ロイドはそんなマットを心配して、声をかけてくれる。

「おい、お前はいつまでそのEランクの冒険者証で仕事をしている気だ」


 そう言われても、アルは冒険者ギルドの基本的な決まりもほぼ知らぬまま、こうして冒険者の活動を始めている。今更、人に聞く事もできない。


 中級冒険者の集まるこの迷宮村では、冒険者ギルドという組織の基本的な説明が書かれているような案内書は見たことがない。

「これでは、ダメなのか?」


「当たり前だ。一人でこんな場所へ出入りするEランクなんているものか。そのうちギルドに目を付けられて、取り上げられるぞ。そうなりゃもう迷宮に入れなくなる」


「そうなのか……」

 まさかそんな極端なことはあるまいともアルは思うが、面倒事に巻き込まれるのは御免だ。


 信頼するロイドから、一度地上へ出てランクアップの認定を受ける必要があると言われれば、従うしかない。


 いくらここで腕を見込まれても、確かにマットの公式ランクは五年前のEランクのままだった。

 アルがいずれ素顔をさらして冒険者登録をする日のためにも、ギルドとの関わりを経験しておくのは良いことだろう。


 アルは今回二十二層を目指すロイドのパーティに臨時で加わり、そのまま遠征を終えて地上の街へ同行することにした。いよいよ、初の地上である。


 パーティは迷宮の門を出てそのままギルドで魔物のコアを換金し、五人のメンバーで金を山分けした。

 そしてそのままギルド近くの酒場で、軽い打ち上げの酒盛りとなる。


 迷宮の上に立つギルドの建物を出て酒場へ至る短い道すがら、平然を装い歩いているマットだが、これが生まれて初めて目にする憧れの地上世界なのだ。


 既に日が暮れて、空には月と星が輝いている。


 九歳まで地上で暮らしていた祖父から、何度も話には聞いていた。

 繰り返し擦り切れるほど読んだ、貴重な書物からの知識もある。だがどこまでも続く空というものが、これ程大きく広いものだとは。


 初めて見る星空の美しさに見とれる暇もなく、薄暗い酒場へと連れて行かれた。


「おいマット、お前地上に出るのは何年ぶりだ?」

「い、一年程になるか……」

「そうか。ラモンと同じ宿へ泊るといい」


 無口なマットは、騒ぐこともなく黙って話を聞いていた。内心は極度の緊張と興奮で、極度に張りつめている。


 マット以外は、久しぶりの街へ戻って笑顔でくつろいでいた。


 パーティのメンバーは飲み過ぎることもなく宴を終え、家のあるものは自宅へ、ないものは馴染みの宿屋へと帰る。


 その一人ラモンに連れられて、マットは小さな宿屋の一室へ入った。

 ラモンは濃い茶色の肌で彫りの深い顔立ちに青い目をした中年男で、真っ直ぐな黒い髪は長いが、やや額が広くなっているのを気にしていた。ロイドの信頼する寡黙で腕のいい魔法剣士だった。


 ラモンが定宿にしている宿屋は古いが安くて清潔で、迷宮村の宿に比べると非常に快適だった。


 アルはやっと一人になると部屋の窓を開け、空を見上げる。


「なんという美しさ、これが本物の夜空なのか……」


 夜更けまで何時間も、アルは星空と、そこへ浮かぶ欠けた黄色い月を見続けた。


 翌朝も、アルは夜明け前に起きて、宿屋の二階の部屋から朝日の昇るのを見た。

 生まれて初めて見る太陽の強烈な明るさに、驚愕する。


 太陽が昇り、空の色が刻々と移り変わるのを見ていると、自然と頬が濡れる。長い間身じろぎもせず、ただ空を見続けていた。


 アルと迷宮との繋がりは、まだ完全に切れてはいない。ただ、細い糸で繋がり、迷宮の中のように自由に転移したり魔物を操ったりということまではできない。回線が一本だけ残っているようなものだ。


 やがて、街には朝の香りが漂い始める。

 あちこちの家で、朝食の支度が始まったようだ。その匂いは、迷宮村と変わらない。

 宿の一階の食堂で朝食を取った後、マットはギルドへやって来た。


 Cランク冒険者であるパーティリーダーのロイドが推薦してくれて、一緒にマットのランクアップの申請を行う。


 その後認定者二人による、書類審査と面接がある。


「顔の傷を隠すために仮面を着けていると聞いたが、この場にいる審査員の前だけでも、それを外してもらえるかね?」


「ああ、もちろんだ」

 アルは素直にマスクを外す。


「その傷は?」

「以前、魔物との戦闘で不覚を取った……」

 そう言いながら、目を伏せる。


 マスクの下には、幻惑魔法により醜い傷が浮き出ている。


 戦闘中、目前の敵に一瞬の幻を見せる幻惑魔法の応用なのだが、恐らくアルの生まれたクレンツ村のオリジナルなのだろう。ごく僅かな魔力で一瞬の隙をつき敵から逃れるのに役立つので、幼い子供の頃から徹底的に仕込まれた。


 だが村では常識だったこの魔法も、ここの冒険者が使っているのを見たことがない。


「なるほど。すまなかった。もういいぞ。今後はギルドでも、仮面の使用を正式に認めよう」

「それは有り難い」


 面接に続く試験は、広い部屋の中で簡単な魔法と剣技の模擬戦を行った。

 結果は良好だった。


「君には、Bランクの実力がある。認めよう」


 相手をした試験官はそこまで言ってくれるが、アルは苦笑して辞退する。

「いや、せっかくの申し出だが、俺はロイドさんの推薦通り、Cランクで結構だ」


 Bランク以上の上級冒険者になると、迷宮深部の探査に同行する義務が生じるとロイドから聞かされていた。


 もちろん遠征メンバーを選ぶのはギルドが出す探索依頼を受けたパーティなのだが、Bランク以上の冒険者は、基本的にこの依頼を断れない。自分のパーティから一時的に抜けて、攻略隊に組み込まれるらしい。


 それが面倒なので、Cランクに留まる者も多いと聞いた。今後、より迷宮の深くへ到達すれば、ギルドもそう言っていられない時代が来るかもしれない。


 しかし今はまだ、人間は三十層にも達していないのだ。


 逆に、ギルドは腕の良い冒険者を積極的にBランクへ上げようとする。


 その時の認定者はSランク冒険者が二人。そのうちの一人は、以前アルが助けた二十九層の探索チームを率いていた男だった。


「この程度の力でSランクとは!」

 アルは内心驚く。


「俺の暮らしていた村では五歳の子供でも、もっと強かった……」



 Sランクの冒険者は、この迷宮都市のギルドに五人しかいない特別な存在だと聞く。

 しかし彼らの実力では、単独で十階層の主を倒すことも難しいだろう。


 二十人の大パーティでも三十層へ辿り着けないのは、仕方がない。

 アルは、愕然とする。


 今の自分の本当の実力が露見すれば、大変なことになるだろう。

 下手をすれば人類全体に敵対する魔物の王のような存在に疑われて、人類対迷宮の全面戦争に突入する。


 確かにアルがその気になれば、この街を滅ぼすことも不可能ではないかもしれない。

 例えアル自身が動かずとも、下層の強力な魔物を何匹か連れてきてそのまま地上へ放てば、その強さは無敵となるだろう。


 この程度のSランク冒険者が何百人束になっても、下層の主には決して勝てまい。

「何故そんな事態になっているのだろう?」


 アルの思いでは、人間はもっと強い筈だった。迷宮で暮らしていた村人たちが強すぎたのだろうか?


 そう考えると、三十二層にあったアルの村が人間に発見されなかったことは、幸運だったのかもしれない。


 迷宮の入口が発見された六年前、恐らく村にはまだ三十人近い人が残っていて、九歳だったアルも既に下層の攻略に加わっていた。


 当時村で一番弱かったアルですら、この街のSランク冒険者よりも遥かに強いような異常な集団を、人々が素直に認めて受け入れただろうか。


 きっと、多くの人は強い怖れを抱き、その存在自体を拒絶しようとするだろう。

 だが、その力を利用しようとする者も多い。


 そうなれば村人の争奪戦が始まる。村人は家族を人質に取られたり毒を盛られたり、あらゆる手段を使って服従を強制され、権力に利用されるか抹殺されるか、どちらにしても悲惨な末路を辿ることになった可能性が高い。


 似たような話を、アルは物語で読んだことがある。

 分断された異能の一族が幾つかの王家に利用され、一族で刃を向け合う悲劇であった。


 アルはこの街の居心地の悪さを感じて、身震いした。

「俺は人間ではなく、もう魔物に近い存在なのだろうか?」

 戦慄と共に、アルは自問する。


 自分以外の村人は長年濃い瘴気に晒されていたせいで、体を壊して死んでいった。

 考えてみれば、祖父と自分だけが瘴気の影響を受けず、逆にこれを効率よく利用して力に変えていたような気もする。


 しかし他の村人も、今の冒険者たちよりは遥かに上手く瘴気に適応し、魔力を身に着け戦う力に変えていた。


「何故地上の人間には、それができないのだろう?」


 世の中にはまだSSやSSSといった、特別に強い力を持つ冒険者が存在するという。

 それがどの程度の実力なのか、早く見てみたいとアルは思う。


 しかし、未だにこの迷宮の三十階層を突破できない冒険者ギルドの能力を考えると、あまり期待はできないだろう。


 どうやら、七十年に及ぶクレンツ村の迷宮生活の中で、アルは人類を超えた異常な力を得てしまったらしい。



 


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


このまま十話くらいまでは、連続投稿できればと思います。

よろしければ

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