第二十話 異変
エジェレから東へ続く険しい山道の途中から、一行はヒカリの変化した黒竜に乗り峠を飛び越えた。二頭の馬も慣れたのか、竜の背でおとなしくしていた。
暗いうちに降り立った森で朝を待ってから、三人はティリアの街に入った。
山間部から下ったやや起伏のある盆地に広がるティリアの街は、狭い石畳の道に沿って尖った屋根の家並みが続く。
人通りも多いので怪我人のアルだけが馬に乗り、二人が手綱を引いてゆっくりと進んで行った。
リサも初めての街なので、とにかく中心部へ向かって下るしかない。
百年前、うねり連なる丘に広がる畑や林に囲まれた小村に、突然迷宮の入口が出現した。その場所を中心にして新たに拡張された街なので、大きく開けた場所が少ない。
無理に丘を削って谷を埋め、使える土地を増やした。そうして少しずつ拡張した迷宮街の道は、いったいどこへ向かうのか。
ぐるぐると小さな丘や林を巡り谷を越えて、小高い丘から行く手にそれらしき石造りの堅牢な要塞が見えた時には、三人揃って安堵のため息をついた。
迷宮の入口を守る冒険者ギルドだと思われる要塞へ近付くと、何やら人の動きが慌ただしい。
武装した冒険者が街の至る所で警戒するように並び、道行く人々だけでなく、建物の上にまで油断のない視線を送っている。
物々しい雰囲気の中、一行は長い城壁に囲まれたギルドの入口まで来ていた。
あまりの大きさに、テネレの内門に該当するのだろうかと三人は思ったが、壁は立派な石造りの建物と一体になっている。これがきっと、雪国の造りなのだろう。
門前に馬を繋ぐ広い屋根付きの厩があるので、この中が全てギルドの敷地らしい。
アルが馬から降りると門の脇に馬を繋いで、三人は屋根付きのピロティを通りギルドの建物へ入った。
ギルドの中も慌ただしい動きがあって、何事かが起こっていることは確実だ。
受付で名乗るとすぐに別室へ案内されて、お茶とお菓子が出されたまま待たされることになる。
長い時間緊張の面持ちで待っていると、一人の初老の男が慌てて部屋へ入って来た。
男は、ギルドの顧問医ヒューバートと名乗った。
「ゼロスから紹介のあった、テネレからのお客様ですな、お待たせして、大変失礼をいたしました」
丁重に謝罪する男の額には、多くの汗が浮いている。
三人が自己紹介すると、テネレの顧問医ゼロスとここのギルド長から話を聞いて、事情はよくわかっておりますと丁寧な返事があった。
事情はよくわかっているというのは、アルの怪我が偽装であることは承知の上、ということだろう。
テネレ三十層でのアルの活躍については、既にヒューバートの耳にも入っている。行方不明と言われていたアルが実は意識不明のまま闘病生活を送っていた。今は目覚めて怪我もかなり癒えたが、地元の喧騒を避けて暫くティリアに滞在したい、と聞かされていた。
「何やら、街の中だけでなく冒険者ギルドまでもが忙しそうな時にお邪魔して、申し訳ありません」
アルの挨拶に答えるヒューバートの話によると、この街が今慌ただしいのは、最近この迷宮でスタンピードの兆候が幾つかあることと、帝都に近い南の魔の森でも、同じように魔物の不穏な動きが警告されていることが主な原因だった。
それに加えてこの数日、夜間に巨大な魔物が空を飛んでいたとの目撃情報があり、大きな騒ぎになっているらしい。
南にある魔の森から出た魔物が、偶然遠くの地まで到達して騒ぎを起こすことがある。
特に空を飛ぶ魔物は移動距離も長く、稀にこの辺りまで飛来して人を襲うような事件も過去にはあったという。
竜が出たと過去に騒ぎになった時も、その多くはドラゴンではなくグリフォンやキメラ、せいぜいヒュドラと言ったところで、本物のドラゴンが民衆に目撃されたという記録はない。
魔の森を飛び出た魔物が、恐らく迷宮の瘴気に引かれてここティリアまでやって来るのだろう。
こんな遠くにまで来るような魔物は、それだけ強大で被害も大きくなりがちだ。
今回も、見たこともない巨大なドラゴンだったとの情報もあって、ギルドは緊張し警戒している。
ここティリアでも、地下迷宮でドラゴンに遭遇したという冒険者はいない。
魔の森に棲んでいたというドラゴンに関する伝説は幾つかあるが、未だ人類は迷宮で本物のドラゴンとは邂逅していないのだ。
テネレでアルがレッドドラゴンのオレオンに会わせたのは、アントンとリサの二人だけである。
迷宮最下層で行われたアントンファミリーの会合のときも、アルの居室の中だけでオレオンのいる広間には案内していない。
ドラゴンという巨大な魔物は、人間には少々刺激が強すぎるのだ。アルの経験がいかに異常なのかが、よくわかる。
地上でドラゴンと対峙できるほどの戦力ともなると、冒険者だけでは手に余る。国の軍を動かしてどうにか追い払うことができるかどうか、という戦いになろう。討伐などは夢物語だ。
目撃されたのは、ヒカリの変化したドラゴンではないかとアルは思うのだが、さすがにそんなことを口には出せない。
とりあえず、療養するための宿舎へご案内しましょうと言って、ヒューバートは席を立った。
一同はその後に続いて一旦ギルドの外へ出て、荷を積んだ馬を引いてヒューバートの後に従い歩いた。
ギルドの堅牢な建物は、北側にある巨大な岩山を背にして建造されている。
岩山と建物は一体化して、その岩山の地下に迷宮の入口があるらしい。
城壁沿いに歩いて東側へ回ると、ギルドの通用口と搬入用の大きな門が開いていた。ヒューバートが門番に挨拶をしてその門を潜ると右手にもう一つの石垣と門があり、三人はそこから更に敷地の奥へと入った。
二番目の門は病院棟へ至る入口で、重傷を負った冒険者のリハビリ施設が建つ一角に立派な建造物があり、そこが三人のために用意された離れの部屋だった。
ギルド内は門から入るとすべての建物が屋根のある回廊で繋がっていて、冬に積もる雪への対策なのだろうかと思われた。
屋敷の入口脇に厩があって、馬を繋いでから建物全体を見渡す。かなり大きな屋敷で、造りも凝っている。
「これは、ずいぶんと立派なお屋敷ですね」
アルが声をかけると、元々は迷宮への冒険を体験に来た当時の王族が逗留するために建てられた、離れの屋敷であるという。
ティリアの歴史を感じさせる施設だった。
今ではこの街を訪れるギルド幹部や来客者用の宿舎として利用され、時には緊急時の病棟としても使われると聞いた。
気になって怪物の目撃談について詳しく聞いてみると、目撃情報は複数あって錯綜し、中には明らかにヒカリではないように思える話も混じっている。
本当に魔の森から飛来した魔物が、瘴気を求めてティリアの迷宮へ向かっている可能性も捨てきれない。当分は、このまま警戒が必要だろう。
屋敷には風呂も台所もあり、一通りの日用品や食材も揃っているので自由に使ってくれとのことだった。初めての街なので、非常にありがたい。
今はギルドが緊急体制下なので、客人に構っている時間が無いので勝手にやってくれという事のようだ。アルたちには、その方が都合がいい。
案内してくれたヒューバートと入れ替えに、ギルド長のシュピーゲルと副ギルド長のセシリアがやって来た。
シュピーゲルはややぽっちゃりした愛嬌のある顔をした中年男で、一般的な冒険者のイメージからはかけ離れている。例えば年をとっても筋肉質の肉体を維持しているアントンなどとは好対照だ。セシリアの方も、その意味では冒険者の印象は薄い。
一般的にベテランの女性冒険者は男性的な筋肉質タイプになるか、何故か逆に露出の多い服を着て女の色気を強調したタイプになるかの二つに分かれることが多い。
アルがテネレで見た冒険者は、皆そんな感じであった。
しかしセシリアはギルドの事務員のように地味な服装の若い女性で、聞いていた通りにスタイルは良い。それだけに、逆に迷宮で魔物と闘う姿が想像できず、こちらもまた冒険者には見えない。
帝都から来た役人と言われれば信じてしまいそうな色白で清楚な美人だが、身のこなしの柔らかさはさすがに現役の冒険者であった。
アルはお約束のようにセシリアの胸に見とれてリサの肘で脇腹を強く一突きされた後、気を取り直して挨拶をする。
忙しい中でやっと時間を作って屋敷まで来てくれた二人には深い感謝の意を伝え、今後のティリアでの暮らしへの協力を改めてお願いする。
「こんな時でなければすぐにでも歓迎の宴を催したいところだが、生憎今は非常事態で落ち着かず、何もできずに申し訳ない」
ギルド長シュピーゲルは、人懐こい柔和な笑顔で三人に対する。
二人もアントンとゼロスからの手紙を読んで事情を理解してくれているので、詳しい話は後にして、まずは旅の疲れを癒してほしいと言った。
三人の身の回りの世話をしてくれる女性を用意してくれていたのだが、そんな大層な身分ではないと丁重にお断りをする。
「ティリアへは療養に来たのですから、こんな立派な宿を用意していただいただけで、充分にありがたいことです。どうか、これ以上はお気遣いなく」
アルが丁寧に遠慮を重ねていると、セシリアが身を乗り出した。
「ではシュピーゲル、あとは私に任せてくれ。できる限り、私がここへ様子を見に来るので」
副ギルド長にそう言われれば、これ以上ああだこうだと断るわけにもいかず、アルは曖昧な笑みを浮かべていた。
シュピーゲルは日常の連絡用にと、隣接する病院の詰め所へ直通で繋がる通話装置の使い方を教えてくれた。そこはギルドの医師やスタッフが常駐している場所なので、遠慮せずにいつでも連絡してくれて構わないと言う。
これは風魔法を使った伝声管で、近距離用のインターホンのような役割をする。
通話者の魔力で起動させるため魔法使い専用の装置で、高価な魔導管で装置を繋ぐ必要があるので、ティリアでも特別な場所でしか使われていないという。
二本の細いチューブの中を伝わる風魔法により音声を送り、相互通話をする仕組みらしい。
最新式の魔法通話装置では風魔法自体を細い魔導線に乗せてより遠くまで伝える技術が開発されているそうで、魔石を利用すれば魔法使いでなくても使用でき、途中に増幅装置を置けばより長距離での通話も可能になるそうだ。
そもそもこの屋敷の設備は帝国がこの地を接収する前からあった旧王国時代の古いもので、とシュピーゲルは笑うが、そんな旧式の設備ですら、テネレでは見たこともない高価で貴重な魔道具なのだった。
部屋数も多く広い邸内は三人で使うには勿体ないような贅沢で、正直に言えばこの街の事情に通じた世話係がいてくれた方が、何かと助かる。
しかし三人の抱える秘密を守る上では、余計な者を近くに置くわけにもいかない。面目上はアルの療養の様子を見るために、顧問医のヒューバート自らが毎日顔を出すことになっていたが、それはあくまでも建前だけのことである。
基本的には三人の行動に干渉はしない、との約束がアントンとの間で出来上がっていたようだ。




