第十二話 戦闘狂の詩
「アル様、あのリサという娘、いったい何者か?」
「どうしたんだ、ヒカリ」
その日、アルが最下層の自宅へ帰ると二人の訓練は終わっていて、リサは浴室にいた。
「我がリサの稽古をつけ始めてまだほんのひと月にも満たぬのに、あの娘の上達ぶりは常軌を逸しております。魔物であれば、この場所の濃い瘴気を吸い強くなるのもわかりますが。あれは、本当に人間か?」
確かにアルも、学園時代にその片鱗を感じてはいた。
抜群の剣技と、稚拙すぎる魔法の技術。
魔力の少ない者であれば仕方がないと割り切れるが、リサの持つ魔力は決して低くない。潜在能力は、確かに高かった。
それにしても、自ら迷宮最強をうそぶくヒカリに、ここまで言わせるとは意外である。
これまでアルは、リサに対してそこまでの強さを感じたことがない。
あくまでも、人間レベルでの比較だ。
「では明日は早く店を閉めて帰るので、三人で稽古をしてみるか」
そうして予告通り翌日は店を早仕舞いしてアルが戻ってみると、相当に疲れた表情の二人がいた。
「いや、二人ともずいぶんとお疲れのようで……」
何となく、空気が重い。
「ほら、お土産を持ってきたからみんなで食べよう」
アルがものすごく気を使ってしまうほど、二人の反応が薄い。
アルが迷宮村で買ってきたスイーツの包みを広げ、お茶の支度をして戻ってくると、いくらか表情が緩んでいた。
「すごいね。クレンツでもこんなのが売られるようになったんだ。それともイグナトまで行ったの?」
リサが目を丸くする。
アルの土産は最近クレンツに集まる冒険者たちの評判になっている、迷宮産の果実をたっぷり使ったタルトだった。
それにしても、二人の元気がない。
「どうしたの?」
「いえ、今日はマスターが日ごろの鍛錬の成果をご覧になるというので朝から張り切りすぎて、まさかの展開で今日は我も危うくリサに切り刻まれるところでありました」
「何言ってんのよ。勝手に張り切っていたのはあんただけでしょ。おかげでわたしは今日も何回死にかけたか……あんたなんて切り刻まれたって死なないんだから、少しくらいはいいじゃないの」
それにしても、二人はいったいどんな稽古をしていたのか?
気になってアルが迷宮の記憶を覗いてみると、これがとんでもない激闘の連続である。
もはや鍛錬の域を超えた死闘、と言ってもいいだろう。
こんなことを一日中やっていれば、そりゃ目が虚ろになるはずだ。
特にリサの集中力は凄まじい。普通なら本当に何回も死んでいるような場面の連続に、過去の記録を覗いただけで背中を冷たい汗が落ちる。
すぐに死なないまでも、かなり危険な傷を何度も負っているが、その度にヒカリの治癒魔法とアルの魔法薬で傷を癒して何事もなかったように再び立ち上がって続けるそのメンタリティに感心する。というか、恐怖すら感じる。
厳しい迷宮暮らしを送ってきたアルでさえ、少し頭がおかしいのではないかと思うような狂った鍛錬だった。
本当にいざというときのためのとっておきの魔法薬も用意してはいるのだが、それでもこれは酷い。
「まあ、とにかくおやつを食べて少し休もう」
「はい」
「うん」
言葉少なくこうして素直に言うことを聞いてくれるのなら、ずっとこのまま毎日二人でくたくたになるまで死闘を演じていてくれるのも悪くない、とアルは不謹慎なことを考える。
回復力も人並み外れていて、少し飲んで食べるだけで、みるみるリサの顔色が良くなった。
「それにしても、ちょっとやり過ぎなのでは?」
アルが迷宮で訓練に励んでいたころには、さすがにここまで追い込むような修業はなかった。
危険と隣り合わせの迷宮生活では、常にもしもの時の体力を残しておかねばならない。
突然魔物の襲撃を受けた時に、逃げ切れるだけの体力まで削って稽古をすることは珍しかった。
まあ、その分本物の強敵と命ぎりぎりの戦いを演じることは数知れず経験して、本当に死にかけたことが何度もあったのだが……
「では、ちょっとリサと稽古してみるか」
「へへ、以前のわたしとは違うわよ」
リサは、愛用の細剣を右手に持ち不敵に笑う。
その笑いが残るうちに、アルの喉元へノーモーションで鋭い突きが襲う。
首を左へ振って躱すと、途中で軌道を変えた剣がその首を追う。
仕方なく左手の甲で軽く剣の腹を弾いて、アルは前へ出る。
突き出す右手のナイフをリサが左足を上げてその脛当てで防ぐ。足が魔力を帯びていなければ、できない芸当だ。
そんな事を当たり前にできる冒険者を、アルは知らない。
リサはそのまま流れるようにアルの胴へと蹴りを見舞う。その蹴りもただの蹴りではない。魔力が乗った素早い蹴りで、敢えて体で受けてみたアルはその重い威力に思わず動きを止めた。
それを見たリサの攻撃が、加速する。
隙のない自在な動きを見せる連続攻撃に、アルは感心した。
「なかなかやるな」
「でしょ」
そうしてリサは、今までアルが見たこともない剣と魔法と体術による連続攻撃を休まず続け、アルに攻撃させる隙を与えない。それまで剣技だけに頼っていたリサとは思えない、複雑な攻撃のバリエーションだった。
アルが至近距離で放った稲妻も防いだリサの剣先が、再びアルの喉元へ迫る。
捉えたと思ったその瞬間、リサの目前からアルの姿が掻き消えた。
目標を失い動きが止まったところへ、リサの真上に跳んでいたアルが背後へ音もなく着地して、がら空きの両肩をぽん、と叩いた。
「えー、なに今の?」
リサは剣を落とし両手を上げて、降参のポーズをとる。
「強くなったな。驚いた」
「うーん、でもアルには全然歯が立たないや」
「では、次に我が」
ヒカリが立ち上がり、テーブルから距離を取る。
その姿が周囲の色に溶けて、消えていく。
これがヒカリの得意とする戦い方だが、まだリサを相手にここまで見せたことはない。
最近リサも、ヒカリの気配を察知することには慣れた。
だがそれがどんなにすごいことなのかは、毎日相手をしているヒカリだけにしかわかっていない。ここまで気配を殺し姿を消したヒカリを認識できる者は、迷宮では姉のコダマとアル以外にはいない筈だったが、今はリサもそれに近いレベルに達しつつある。
それに合わせるように、アルの姿も消えた。
これはヒカリのように気配を消したのではなく、単純に素早過ぎる動きに感覚が追い付けないだけだ。
ただ魔法を帯びた剣の煌めきと、何かがぶつかり合う音だけが部屋のあちこちからランダムに聞こえる。
いったいどんな動きをしているのか、リサには想像もできない。
少しずつ音の動く範囲が狭くなり、うめき声と共にヒカリが一瞬だけ、その体を空中に現す。
それを追うように、アルの姿も見えた。
もう一度ヒカリが姿を消し、次に何もない空間へアルの蹴りが放たれると鈍い音がして、ヒカリの体が壁に叩き付けられるのが見えた。
すぐに立ち上がりアルへと魔法を放つが、それがアルの姿と一緒に何もなかったように掻き消えて、気付けばリサのときと同じようにヒカリの後ろに立ったアルが鈍く輝く刃をヒカリの喉元へ突きつけていた。
その瞬間緊張していたヒカリの表情が放心状態となり、体が縮んでいつもの幼い子供に変化した。
「おいおい」
ヒカリ自身も、今日の消耗がかなり激しかったようだ。
アルは縮んだヒカリをソファーへ寝かせると部屋の奥へ歩いて行き、一本の短い剣を持って来る。
「リサは、これを使うといい」
アルから渡された短剣は、リサの愛用する細剣の半分ほどの長さしかない。
「これ、短いんじゃない?」
「いや、これで十分だ。以前迷宮十一層の山中で魔物を狩ったことがあるだろう。あの時はその長い剣が邪魔で、魔物を広い場所へおびき寄せて戦った。けれどこれからは、そんな恵まれた環境ばかりではないと思った方がいい」
そう言ってアルは、もっと短い自分のナイフを見せる。
「俺はこれでゴーレムの胴を2つに割ることができる。どうすると思う?」
「いや、無理だよね」
「こうするんだ」
アルが握っているナイフの刃が白銀に輝いたと思うと、その刃が長く延びる。
「物理的に長い刃は不要だ。必要に応じて魔力で刀身を延長すればよい。アントンもそうしていた」
アントンが両手で操るナイフを受けた時には、アルは素手に魔力を纏って全て弾き返していた。実際には、ナイフすら持たなくてもそう困らないのだ。
魔力による刀身の延長は、熟練すれば瞬間的に変化させることが可能になる。
攻撃の間合いが変わり、相手には非常に避け難い。
それだけでなく、攻撃が当たる瞬間だけ刃を作れば魔力の温存にも繋がる。
さらに高度な技術は魔力を何重にも重ねて補強することで、攻撃にも防御にも利用できる。
性質の違う魔力を重ねることで様々な効果を付加することも可能で、状態異常などの効果を重ね掛けすることも可能だ。
勿論、武器による攻撃力の補正というものはある。特定の強力なボスを倒すために必要な場合は、そういった特別な武器を使う方が効果的だ。
だが幸い迷宮の中では、エリア主以外に想定外の強者に出会う確率は少ない。
いざとなったら大きく邪魔な武器を放り出してでも逃げ帰ることの方が優先されるので、貴重な武器を持ち歩く習慣は、迷宮育ちのアルにはない。
それよりも魔力を研ぎ澄ませて、手数を多く振るう方が遥かに効率は良い。
だから、小さくて高性能なナイフや短剣が重用されるのだった。
「へえ、わたしにもできるかな」
「明日からヒカリに教えてもらえ。旅に出るまでに覚えておくといいぞ。旅装束に長い剣は邪魔だからな」
「うん、わかった。でもさ、アルって迷宮に引きこもっていたんだから、旅に出るのは初めてだよね?」
「うっ……それは……」
「なんか、偉そうに旅装束とか言ってるけどさ」
「いや、死んだ祖父からいろいろ教わったので……」
「本当に?」
「実は、最近入手した小説に書いてあった……」
「やっぱり。店番しながら本ばかり読んでるんだから。わたしが毎日こんなに酷い目に会っているのにさ」
「すまん」
「まあいいか。わたしも好きでやってるんだし」
「ところで、ヒカリもこのひと月でまた一段と強くなっているようだな、驚いた。お前もまだまだ強くなれるはずだ。がんばれよ」
横になっていたヒカリは、迷宮最下層の濃い瘴気のおかげか、もう元の姿に戻っている。
「マスターにそう言っていただけるとは、ありがたき幸せ。ではリサよ、明日からと言わずに今から稽古を始めるか」
「うん、やろう」
「お前たち、本気か?」
「もちろん」
「当然であります」
「今日は、もう止めておけ」
「はっ、どうしてさ?」
「この弱い虫が動くうちは、止めないで下さい」
リサはアルに貰った新しい武器を持ち、鼻歌交じりに歩く。
諦めて、アルは一人で夕飯の支度をするためにキッチンへ向かった。
「バトルジャンキー」
つい、アルが口の中で呟いた。
「えっ、何か言った?」
「いや、何も……」
リサの楽しげな歌声が、迷宮王の間に響く。




