第九話 留守宅
攻略の日、メリッサはいつも通りギルドへ出勤し、落ち着きなく定時連絡を待っていた。今回の本体は一気に三十層まで駆け降りる予定で、朝早くに攻略隊は迷宮へ入っている。
夕方になって攻略成功の一報がギルドへ届き、ギルドは歓声に包まれた。
留守番をしていた皆が抱き合って喜び祝杯を上げるための誘いを断り、メリッサは早々に一人で家へ帰った。
夕食は簡単に済ませようと途中の露店で適当なものを買って、持ち帰る。ただ、家に待つ人もいないので、薄暗くなる道をのんびりと歩いていた。
ギルドからは、ほんの数百メートルの距離だ。
家へ帰ると厳重に戸締りを確認して、シャワーを浴びてからそろそろ夕食にしようと思ったところで、誰もいない筈の二階から、幽かな物音が聞こえた。
愛用の剣を握り恐る恐る二階へ上がると、扉が少しだけ開いている部屋がある。
そこは、以前アルが使っていた部屋だった。
しかも、部屋の中から廊下へ明かりが漏れている。
「誰ですか?」
剣を鞘から抜いて扉を大きく開けると、そこにアルが立っていた。
「やあ、メリッサ。久しぶり」
メリッサは剣を取り落とし、茫然と立ちすくむ。
「あ、アルさん」
そのまま涙が滝のように流れる。
「ごめん、驚かせちゃったね?」
アルが歩み寄り、床に落ちた剣を拾って鞘に納める。
「アルさん、やっぱり生きていたんですね。アントンの言う通りでした……」
「うん、大丈夫、アンデッドじゃないから」
メリッサはアルに抱き着いて、更に泣き続ける。
「よかった、よかった……」
何度もメリッサがそう口に出して、アルの頭を撫でる。
母の胸に抱かれたようで、その一声一声が、アルの心へ突き刺さった。
「メリッサ、話があるんだ。いやその、ちょっと相談に乗ってほしいことがあって……アントンや姉ちゃんたちがいないときじゃないと話せないので、今日来たんだ」
「わかりました。下の食堂へ行きましょう。お茶を入れます」
二人が下へ降りると、食堂には若い女性が二人待っていた。
「この人たちは?」
「俺の仲間です。一緒に話を聞いてくれますか?」
メリッサは涙を拭いながら台所へ消えると、四人分のお茶の支度をして戻ってきた。
「あなたは、アルと学園で同期だったリサさんね。覚えているわ」
「我はヒカリ。アル様とリサを守るためここにいる」
ヒカリはメリッサと同年配に見える、大人の女の姿をしている。
「まあそういうわけで、今はこの二人と一緒に暮らしているんだ」
アルが二人の女性と暮らしていると聞いて、メリッサは一瞬目を細める。しかし何か深い事情がありそうだと考えて、口を閉ざした。
そこから、リサが話し始めた。
「最近迷宮の中で偶然、アルを見つけたんです。あれからずっと、迷宮の中に隠れ住んでいたらしいのですよ。このヒカリも、アルの協力者です」
「よかった。怪我もなく元気そうで。アントンは、アル君は迷宮王だから簡単に死ぬわけがないなどと言っていましたけど、私には何も分からなくて」
「今夜メリッサさんに相談したいのは、アルのこれからの事なんです。ほら、あんな事があって、今更平気な顔をして出て来たら、また世間が大騒ぎになるでしょ」
メリッサは、大筋を理解した。
「私のために戦ってくれたアルさんのお願いなら、何でもするつもりでいます。でもその前に、もう一度アルさんにはお礼と謝罪の両方を言っておかねばなりません。ナタリアとケイティ、そして私の三人はアルさんに助けられて今があるけれど、そのせいでアルさんに非常に辛い思いをさせてしまいました。結局それが原因で、アルさんはまた迷宮に戻ってしまったのですから。本当にありがとうございます。そしてごめんなさい」
アルが戦いに巻き込まれたのは主にアントンの責任であり、逆に今までメリッサに心配をかけて申し訳なかったと恐縮している。
「いや、俺が戻れなかった理由はそれだけじゃなくて、他にもいろいろあるんです。そもそも何かと余計なことをするあのハゲが、みんな悪いんですよ」
「つまり、アルさんは再び地上へ出たいけれど、これ以上街を騒がせたくはないということですね。アントンやギルドは確かにアルさんの事情を考えもせず、再び何かに利用しようとするでしょう。それに今でもナタリアとケイティはアルさんの家臣を自認して、第二夫人の座を争っていますしね。リサちゃんは、大丈夫?」
リサは慌てる。
「……は、はい。わたしは負けませんから」
「あれ、これは言っちゃいけないことだったかしら?」
「大丈夫です。アルから大体の事情は聞いていますから……」
「そう、よかった。ちなみに、私は第三でも第四でも構わないからね」
ぶっ、とアルが飲みかけのお茶を噴いた。
「リサちゃんには悪いけどね、本当は、この子は私の方が先に唾をつけているのよ」
「勘弁して下さいよ、メリッサ……」
どこまでが冗談なのか、動揺する二人を見て無邪気に笑っているメリッサの表情からは、その本意が伝わらない。
「ヒカリさんは、立候補していないの?」
メリッサが、更にとんでもないことを言い始めた。
「我はアル様の忠実なる僕なので」
「あらまあ、まるで迷宮の魔物みたいね」
誰も笑えず気まずい沈黙が続いた後、メリッサが話を先に進めた。
「でも、この街で今まで通りのアル・オルセンとして暮らすのは、もう難しいのかもしれないわね」
「やはりそう思いますか?」
「ええ。アルさんは三十層討伐の英雄で、兄たちを救ったおかげで遠くアムンゼウスにまでその名は広まっているわ。今では、ファロストの誓いに並ぶ学園のヒーローだから。それにアントンの孫と偽ったおかげで、この街では当分身動きが取れないでしょう」
「……わたしたちは、これからどうすればいいと思います?」
リサにとっては、今後の大きな動きは本当に予測のつかぬ事態であった。
「そうね。考えられるのは二つ。一つはこの街で別の人間として暮らすこと。もう一つは、この街を出て別の場所へ行く。アムンゼウスに行くのなら父や兄を頼ってくれるといいけど、あそこはお勧めできないわね。そう、アル君たちなら別の迷宮都市へ行くのがいいでしょう」
「別の迷宮都市?」
「そう。この大陸には他に二つの地下迷宮と、魔の森と呼ばれる魔物の住む大森林があります。それくらいはアルさんもご存知ですね。その迷宮を管理する街で冒険者をするのなら、アル・オルセン本人の身分でも何とか大丈夫かも」
「なるほど」
「でもその場合、アントンに協力を求め何かもっともらしい理由を作り、アルさんが無事に生きていたことを正式に発表させる必要があるでしょうね。でも覚えておいて。アントンは、あくまでもこの街のローカルな冒険者ギルド長なの」
アルは、テネレに迷宮の入口が現れた七年前、たまたまこの街で隠居生活をしていたアントンが冒険者ギルド長になった、と聞いている。
そう考えると、後任さえ決まれば再びアントンはギルドを辞めて、隠居するつもりなのかもしれない。
「この国には他に三人の地方ギルド長がいて、それらを束ねるグランドマスターと呼ばれるギルド本部長がいるわ。だから他の三つの迷宮都市へ行けば、少なくともここ程にはアントンの影響が及ばないってこと」
アルにとってはアントンから逃げるようで嫌だが、上手く利用する事は必要だ。
「少しの間テネレを離れてみるのは、いい考えですね」
それは、魅力的な提案であった。
「リサちゃん、あなたも一緒に行くんでしょ?」
「もちろんです」
「三人はどこか、行きたいところはある?」
「うーん、わたしもあまり詳しくないので、改めて教えていただけますか?」
「一番近いのは、ここから西街道を真直ぐ行ったジメール。三つある地下迷宮で一番古く、冒険者ギルド発祥の地ね。現役時代にグランドマスター、つまりギルド本部長だったアントンが引退するまでは、ギルド本部もここにあったの。でもアントンの引退と共に本部は魔の森を管理するオムーへ移された。オムーは帝都インガルに近いので、何か思惑があったのでしょう。そういう政治の世界には、興味ないでしょ?」
「まったくありません」
アルが断言する。
「最後に大陸の北東に位置するティリア。テネレで迷宮が発見されるまでは大陸で一番新しい迷宮だったけど、それでももう百年は経っている。でもそういう歴史を積み重ねて、テネレの迷宮はわずか六年で三十層まで探索できたのよ」
「ギルドは百五十年経っても、まだ最初の迷宮すらクリアできていないってことか。まあ、弱いからな。ジメールはアントンが元いた場所なので、ハゲの影響力が残っていそうで却下だな。帝都に近くてギルド本部があるオムーも面倒そうだ。そうなると、ティリアしかないだろう」
「確かにね。でもティリアは寒いですよね?」
アルも、その程度は知っている。
「はい。他の迷宮都市に比べて北に位置するので、雪も積もるし寒いのは間違いないでしょう。ただ、迷宮の中に入れば関係ないと思いますよ。あと、冒険者ギルドは、そろそろ創立百二十年を迎えます」
「そうだった。学園の授業で、ギルドの創立当初はただの命知らずの集まりだったと言っていた。しかしティリアは百年も前から攻略しているのに、まだ最下層まで到達できない。辺境だから、冒険者も少ないのかな」
「いいえ、他の支部に比べて登録されている冒険者の数が少ないという事はないですね」
「アルはここにいて、他の迷宮については何も感じないの?」
「いや、幽かにその方向から魔力の波動を感じるので、大体の場所は掴んでいる。後は行ってみないとわからないが、拒否されている感じはないな」
「他の迷宮から迷宮王がやって来るなんてことは、普通ないだろうからね。もしかすると迷宮が総がかりで襲ってくるのかも……」
「そんな恐ろしいことにならないといいけれど」
「大丈夫です。我とアル様がいればどこへ行こうと無敵です。それに、それまでには我がリサをもっと鍛え上げますので」




