第六話 毒
リサは初めてアルの孤独な心に触れて、涙を流した。
「だからリサたちが、無事三十二層へ辿り着いてくれて嬉しかった」
「ここまで、結構危なかったけどね。でも学園の仲間がいたから」
「頼むから、無理をしないでくれ」
実を言えば、リサは相当な無理をして大急ぎでクレンツ村までやって来たのだった。
「うん。アルにだけ言うけれどね、今でも魔物と戦うときには怖くて足が震えるんだよ」
それは本当だった。初めて魔物に対し剣を振るい、切り裂き魔の悪名を轟かせたあの時からずっと、リサは魔物と戦うのが怖くて仕方がない。
「それでいいんだ。怖がらない奴は、早死にをする……俺だって怖いさ」
「本当に?」
「ああ。オレオンと最後に一人で戦った時には、俺も足が震えていた」
「でも勝ったじゃない」
「もうこれ以上、仲間を失いたくない」
「うん」
「本当のことを言えば、迷宮の魔物だって失いたくないんだ」
「そうなのか……」
「俺は、人として暮らしていけるのだろうか?」
アルは今でも、時々はマットとして街に出ている。それでも、もう一度迷宮の外で暮らす自信がない。
「大丈夫。私はずっとアルの側にいるよ。もう離れない」
「ありがとう……」
「だから、アルも今度みたいに一人で消えちゃだめだよ」
「ああ、約束する」
「本当だよ。みんなを守るために一人で先に行っちゃだめだからね……」
「わかった」
「アルは一人じゃないんだよ」
しかし、リサの言葉はアルの心の奥深くまでは届いていない。本当に、これでいいのだろうか。アルにはまだ確信が持てず、リサへの返答もどこか口の中で上滑りしている。
翌朝早く、リサはクレンツ村の宿泊先へ一度戻り、荷物をまとめてチェックアウトした。
『急用ができたので、一人で先に街へ戻る。心配は無用。帰路の補給はマットの店がお勧め』
パーティのメンバーには書置きを残して、再びマットの店からアルの待つ最下層へと戻る。
チーム〈アル〉の皆とも会いたいのはやまやまだが、こういう事情ではアルが再び冒険者仲間と迷宮の探索を続けるのは難しいだろう。
リサもそれを理解して、再びアル・オルセンが外の世界に出るためにはどうするのが一番良いのかを、一緒に考えることにする。
その前に、アルはリサと一緒にマットの姿で最下層から一気に迷宮入口近くへ転移し、二人は別々に迷宮の外へ出た。
リサは街の常宿に立ち寄り預けてあった自分の持ち物を引き取り、そのまま歩いて街から出た。
一人で道を歩いていると、いつの間にやら隣にアルが歩いていて、びっくりした。
「えっ、いつ来たの?」
「門を出たところから、ずっといたのに」
「うそ~、全然気付かなかった」
「どうするの、これから?」
「向こうの森の中に、迷宮へ入れる場所がある」
「うへー、またあの穴倉に戻るのね」
「仕方がないだろ、他に行く場所がないんだ」
「まあね。でもこんなにいいお天気だから、どこか遠くまで旅してみたい気もするね」
「ああ、旅か。いつか行けるといいなぁ」
「大丈夫。今の問題を解決して、二人でどこか遠い町へ旅をしよう!」
「よし、決めた」
二人は遠い旅路を思いながら、森の小道へ足を運んだ。
「どう考えても、一度ギルマスに会う必要があると思うんだけど……」
再び戻った迷宮王の間で、リサは言う。
二人で旅に出るのはいいが、今のアルに必要なのは信頼のできる仲間を増やすことだろう。
残念ながらリサの率いたチーム〈アル〉では、どう考えても役不足だ。
「そうだよなぁ」
「嫌なの?」
「気が進まない」
「どうして?」
「あのじじいと関わると、色々面倒ごとに巻き込まれる可能性が高い」
「そうなの?」
「ああ、自分が楽をするために俺をどう利用しようかといつも考えている腹黒いじじいだ」
「ほかの三人は?」
それを聞かれると、アルの言葉は途端に歯切れが悪くなる。
「うーん、あの姉ちゃんたちは、正直に言うと、怖い」
「ギルマスの秘書さんは知らないけど、あの二人の先生は本当にいい人たちだと思うけど。わたしの憧れで、目標だもの」
「うーん、俺が言うのも何だが、連中は嘘か誠か第二夫人、第三夫人の座を狙っているらしい」
「で、第一夫人は誰なの?」
「さ、さぁ、誰だろうな?」
「他人事みたいに言うけど、その辺の話はそのうちしっかりと聞かせてもらうからね!」
リサは、魔物を狩るときのような凄みのある笑いを浮かべた。
アントンと同居する彼女たち三人の個人的な事情も含めて大体のところはリサも聞いた。だが、それでも納得はできず、もやもやした気持ちは消えない。
それに加えて、この場所にはもう一人ややこしい奴がいる。
「アル様、お食事の支度が出来ました」
ヒカリが二人分の昼食を用意して、テーブルに並べている。
「どうしてお前が、ここにいるんだ?」
ヒカリには、クレンツ村の店番を任せていた。
「只今の時間は昼休みの休憩時間で、店も閉めております。我がどこで何をしようが、アル様にお叱りを受けるいわれはございません」
「こら、何で急にギルド職員みたいなことを言う?」
「うわぁ、なにこれ、おいしそう!」
だが、テーブルに並んだ皿を前に、リサは興奮している。
「我が主の厳しい教えによる錬金術をアレンジした魔物料理の数々を、どうぞご賞味あれ」
「おいヒカリ、見た目はいいけど、本当に大丈夫なんだろうな、これ」
アルは、どうしても不安が拭えない。
確かに道具屋の店番の特訓をしながら料理教室のようなものもしていたし、それによってヒカリの料理の腕前が上がったのも事実だ。だがこいつが頼みもしないのに料理を作るなど、初めてのことだ。
「ちょっと待て」
早速フォークを握るリサの手を掴んで、アルは止める。
「何が狙いだ?」
アルは、ヒカリの顔をまっすぐに見る。
ヒカリが思わず、顔を背けた。
やはり、非常に怪しい。
「リサは俺の大切なパートナーだ。歓迎してくれる気持ちはありがたいが、もし万が一リサの身に何かあったら、お前なんぞはバラバラにして聖なる湖の底へ撒いて魚の餌にしてやるからな」
「そ、それは……」
ヒカリの美しい顔がゆがみ、諦めたように無表情となる。
「リサ殿、大変失礼を致しました。これは後で我が食すつもりだった皿と誤ってしまいました。すぐに代わりの品をお持ちいたしますゆえ、今しばらくお待ちいただけますでしょうか」
「はい、わかりました」
ヒカリは、リサの前に並んだ皿だけを選んで引き上げていった。
「アル、あの人いったいわたしに何を食べさせようとしたの?」
「それは、知らないほうがいい」
「ええ~」
「リサ、あいつには気をつけろ。ああ見えて奴は迷宮で最強レベルに近い魔物だ。アントンが束になっても勝てんぞ」
「それほどなの?」
「ああ、奴の姉はコダマと言って、迷宮七十層を守るエリア主だ。しかも下手をするとあの妹のほうが強いかもしれん」
「大丈夫なの?」
「まあ、俺の忠実な僕だから、俺の言うことだけは聞くようになっている。釘を刺したので、二度とリサには手を出さないと思うが、何かあったらすぐに言え。あいつは目を離すと何をするかわからん」
「だ、大丈夫かなぁ……」
そう言っているうちに、ヒカリが新しい皿を持ってやってきた。
アルは自分の前の皿をリサの方へ押しやり、新しい皿を自分の前に並べさせた。
「では、いただこうか」
アルがヒカリに見向きもせずに目の前の皿に手を出すと、突然ガシャンと大きな音がして足元に水が飛び散った。
ヒカリが、手に持った水差しを床に落としたのだった。
「失礼いたしました、マスター。少し手が滑りました。すぐに片づけます」
言いながら屈んだ拍子にテーブルの角へヒカリの頭がぶつかり、慌てて身を起すとテーブルの端が持ち上がり、全ての皿が床へ滑り落ちた。
「申し訳ありません、マスター」
あまりの惨状に、リサは引きまくる。
アルは全てが床に落ちて散らかった食事を見ながら、冷静に言う。
「で、今度は皿に何を入れて来たんだ?」
「いえ、そのようなものは何も」
「では鑑定してみようか。それともお前の心を読ませてもらうか?」
「マ、マスター。ヒカリは常にアル様をお守りするためにお近くにいなければなりません。それはこのような弱く小さな人間ごときには決して務まらぬ至高の任務かと……」
「よし、わかった。お前にはもっと重要な任務を与えよう。これから三十二層の湖に潜り、昼飯用の魚を捕って来い。そうだな、一メートル以上の迷宮マスをその手で摑まえるまでは、湖から出ることは許さん。さあ、すぐに行け!」
だが、ヒカリは動かない。
「アル様、それではヒカリは二度と湖から上がることができません。その時に、もしアル様の身に何か起こればヒカリにはお助けすることもできませぬ」
ヒカリは真剣な顔でアルを見つめ、その目からは涙が落ちる。
先ほどまでの傲慢な表情がみるみるうちに自信を失い、以前のように体が小さく縮んで同じような黒い服を着た子供の姿になっている。
ヒカリには、アルの身を守ることだけが第一義的な生きる意味として刷り込まれていて、それ以外のことをおろそかにしすぎる傾向がある。
「では、二度と俺が許可した人間以外には、手を出すなよ」
「はい。アル様を害する者と、アル様の許可を得た人物以外には、二度と手を出しませぬ」
「おまえ、リサが俺を害すると思ったのか?」
「違うのですか?」
「どうしてそう思う?」
「リサ殿がこちらへ来てより、我はマスターの近くに置いていただけませぬ。我をマスターから引き離し、その間にアル様に害をなそうという陰謀に違いないと僭越ながら判断いたしました」
「なるほど。だが俺はお前より強いよな」
「もちろんでございます」
「では俺は自分の身は自分で守る。その代わり、お前は弱い人間であるリサを守ってくれ。これがお前の新しい任務だ」
「承知いたしました。わが命に代えて、リサ殿をお守りいたします」
「よし、では片付けて、別の食事の用意をしてくれ」
「はい」
ヒカリは、まだ子供の姿のまま素早く割れた皿や飛び散った料理を片付けて、キッチンへ戻っていく。
「アル、なんだかあの子がかわいそう……もっと優しくしてあげて」
リサは自分が毒殺されかけたことを知ってか知らずかそう言うが、アルは今後が心配でならない。
「いや、俺が子供を虐待しているような感じになってるけど……」
「もしかして、本当にわたしはあの子に殺されかけたの?」
「そうだ。それも、二度続けて」
「うわぁ……」
「今の小さな子供があいつの本来の姿で、精神年齢も似たようなものだと考えるといい。あれはそういう残念な生き物だから、注意深く見守るしかない。本当に、気をつけてくれよ」
「うん、何となくわかった」
そうして、二人で大きなため息をつくのであった。




