第五話 旧友
今日リサと出会ったあの湖の畔に、昔のクレンツ村もあった。
三十二層には魔物もいないし、気候も安定して雨風の心配もない。
湖には魚が泳いでいるし、その周囲には様々な地上の植物が育っていて、地上と変わらない。
冒険者の集まる今の村にはプライバシーや防犯上の観点から、きちんとした屋根と壁のある家が並んでいる。
だがアルの生まれ育った村は、もっと開放的な場所だった。
何しろ全員が家族のような暮らしであったし、大人たちの多くは既に下層の攻略にかかりっきりで、ほとんど村には戻らなかった。
一番多い時には、百人ほどの村人がいたと聞く。だがアルが子供のころには、その半分以下に減っていた。
だからいつも村にいたのは、アルの祖父のような年配者と、妊婦や幼い子供が中心だった。
その子供たちも病に倒れたり魔物との戦いで亡くなったりと数を減らし、アルの幼馴染と呼べるような年齢の子供は、アルを含めてたったの三人しか残らなかった。
アルには年の離れた兄と姉が四人いて、姉の一人は病気で亡くなり、他の三人は既に下層で魔物と戦っていた。
村の子供はだいたい十歳前後で村より上層の魔物を全て一対一で討伐できるほどの力を身に着けて、それ以降は下層へ進んで迷宮攻略の最前線を目指すことになる。
アルも三十層のストーンゴーレムを倒すことにより一人前と認められ、下層への挑戦権を得た。しかしアルには同じ年頃の二人の幼馴染がいて、常に三人は一緒に行動していた。
一歳下のレンは大人しい娘で、同い年のモーリスはアルよりも大きな体で力も強かった。
三人は生まれた時から兄弟のように一緒に育ったが、他にも子供がいなかったわけではない。
だだ気が付いてみれば、生き残っていたのはアルを含めてこの三人だけだった。
そのころには大人たちも階層深くへ潜って戦うことが常態化し、迷宮深部の濃厚な瘴気の影響で体を壊して村へ戻る者も多かった。
その影響か、生まれる子供も健康に問題のある場合が多くなり、二、三歳のうちに亡くなることが多くなっている。
迷宮の攻略は、いよいよ時間との戦いになっていた。
そんな中で三人は、村の最後の希望だった。
アルが六歳の時、ついに子供三人だけのパーティでストーンゴーレムに勝つことができた。
それから数か月後、今度はモーリスが一人で復活したゴーレムに挑んだ。
モーリスは体が大きく魔力も強かったので、その戦い方は力任せになる強引な部分があった。自慢の強力な一撃で相手を圧倒する戦闘を好んで、正に物語の英雄のように華やかな戦い方だった。
だがその分だけ、防御力の高いゴーレムに対しては、やや相性が悪かった。
結局あと一歩まで追い詰めたが及ばず、疲れ果てて反撃を食らったところを、遠巻きに見ていたアルとレンに助けられた。
「惜しかった」
「うん、すごかったよ、モーリス」
「勝てなければ、意味がない」
モーリスは、自分の力不足を恥じている。
数日後、モーリスとの戦いから完全に復活したゴーレムに、今度はアルが一人で挑み、見事に仕留めてみせた。
モーリスと対照的に体も小さく非力なアルは、その敏捷性で敵の攻撃を悉く躱し、じっくりと慎重に敵の体力を削って時を待ち、止めを刺す。時間はかかるが、確実に敵を仕留める堅実な戦い方だ。
だが、アルはそんな戦い方を好んでいたのではない。本当はモーリスのように、物語の英雄のような華々しい戦い方をしたかった。
でも非力な子供であるアルが生き残る方法が、それ以外に見つからなかっただけだ。
そのとき、アルとモーリスは七歳だった。
アルにとっては、一対一で正面から戦うモーリスの奮闘を間近で見ていた経験が、自分の闘いに生きた。
そしてモーリスもまた、自分の倒せなかったゴーレムを一方的に追い詰め葬ったアルの戦い方から多くを学んでいた。
それから三十層のゴーレムが不在の間、三人は自分の庭のごとく、迷宮の上層を駆けまわった。
大人たちは、誰一人として三十二層より上に興味を持つ余裕がない。
そんな中で、迷宮上層には三人より強い魔物はおらず、三人が揃って行動して油断をしなければ、我が物顔に暴れまわることができた。
一日中遊んで獲物を持って村へ帰ると、祖父を含めた優しい老人たちが笑顔で迎えてくれる。
冷たい湖で汗を流し、夕食を食べながら一日の武勇伝を語ると村人たちから狩りの成果を褒められて、いい気分で眠り翌朝を迎える。
そんな毎日が、楽しくて仕方がなかった。
モーリスは悔しがって、何度もアルと手合わせをしながらストーンゴーレムの復活を待つ。
そして次にストーンゴーレムが復活したときには、見事に雪辱を果たした。
一年後には、レンも単独でゴーレムを倒した。それから三人で揃って、下層の攻略に加わった。
思えばそれまでの間が、アルの一番幸せな少年時代だった。
下層の攻略は、最前線の精鋭組と、村と最前線とのルートを確保する後方支援部隊とに分かれていた。
最前線を担う強者は複数いて、固定メンバーではなくその時々の場面によりローテーションで前線と後方を行ったり来たりしていた。
アルたち三人は、下層の強力な魔物と戦う力を養い前線へ一日でも早く参加しようと、後方支援部隊の中で日々鍛えられていった。
半年後、四十五層でバシリスクの奇襲に会った支援部隊の少人数パーティが半壊し、何人かの村人が犠牲になった。
近くにいたアルの部隊が駆け付け、三体のバシリスクは退治された。だが、既に何人かが手遅れになる深手を負って横たわっていた。
バシリスクは二十層から単体で現れる魔物で、毒の息を吐く。気配を消す術にも長けて、ブレスの射程に入らぬことが対戦の鉄則である。
だが中層から増えるラージバシリスクは、体も大きく射程が長い。しかも石化のブレスも併用して複数で現れるので、中々厄介だった。
補給のため先を急ぐ部隊は一体のラージバシリスクを確認して、迂回しつつ速度を上げた。パーティが速度で振り切れると判断したのだ。しかし、それは罠だった。完全に気配を消した二体の目前へ追い込まれ、部隊は崩壊する。
その中の一人に、レンがいた。
既に半身が石化し、毒に侵されている。
「アル、必ず迷宮王になって……」
最後にそう言ってレンは、アルの腕の中で息絶えた。
テネレの迷宮が発見されるおよそ一年前の事件である。
三人がストーンゴーレムを倒すのがあと一、二年遅かったならば、迷宮の入口が街に開いたときには幼馴染の三人が揃って迷宮の上層を縦横無尽に駆け回っていたかもしれない。
無数にある「もし」の一つだが、アルにとっては残念でならない「もし」の一つだった。
その時から、アルはレンの願いを叶えるために必死で闘った。迷宮を脱出することではなく、迷宮王になる事が目標にすり替わっていた。
アルが女性の願いを容易に断れないのは、それが一因かもしれない。
それまで村の子供たちの中では史上最強と言われた三人であったが、あっけなくレンは逝ってしまった。
アルは、三人の中で突出した能力を何も持たなかった。
モーリスは明らかに肉弾戦の戦闘を得意とする強靭な肉体に加えて優れた攻撃魔法も併せ持ち、敵の弱点を見抜く観察眼にも秀でていた。
そして幼女であったレンも、相手の攻撃を躱す体裁きと防御から攻撃へ転じる見切りを含めた格闘センスが、大人顔負けで図抜けていた。
だから二人が魔物との戦闘で傷つくような場面を、アルはほとんど覚えていない。
一方、当時から何でも器用にこなすアルには、二人のように突出して輝く才能がなかった。常に、迷宮村で一番弱いのが自分だと思いながら戦っていた。
そのころは、ただ幼馴染の二人に置いて行かれぬようにと、必死に食らいついていただけだ。
だから、レンを失ってからのアルは今まで以上に必死に強さを求めた。
もう誰も仲間を失いたくない。
王家の血筋を引いている以上、自分が魔物に負けることは決して許されない。下手をすれば、自分を庇って仲間が死んでいく。
そうならないためには、自分が強くなるしかなかった。
その九歳の出来事から、今に至るアルの急成長が始まった。
アルの両親はアルが生まれてすぐに亡くなり、王家の血を引く者は祖父と兄弟だけになっていた。
その後ついに、七十年にわたる村人全員の願いであり、オルセン一族の悲願でもあり、レンの願いでもあった迷宮王にアルはなったが、結局アルの兄たちもモーリスも、その後の過酷な戦いの中で次々と倒れ、生き残ったのは自分一人だけだった。
「ごめんなさい。辛い話をさせてしまったわね」
リサは涙を隠すように、下を向いた。
「いや、いいんだ。迷宮の記憶は、常にこの場所に残っている」
迷宮で命を落とした人々の記憶は、例えほんの表層の思いだけであったとしてもここへ残り続ける。
迷宮王になったアルは、自分の両親が魔物に殺される場面を振り返ることができる。しかも、襲い掛かる魔物側の視点から。同時に、自分の記憶にはない両親の強く優しい心の断片も、感じる事ができた。
「俺が名前を借りているマット・レザクも、若くして迷宮に散った冒険者だった。」
「彼は、実在の人物だったのね」
「五年前に迷宮で亡くなった、冒険者だった。そして、いつの日か俺たちの大切な何人もの人が、きっと同じようにこの迷宮で帰らぬ人となるだろう。その罪を、俺は背負って生きていくしかない……」
「私にもその罪を、一緒に背負わせて」
下を向いたまま、リサがか細い消え入りそうな声で呟いた。
「幾らなんでも、そんな酷い事は頼めない……」
アルは震える声で囁く。アルが今一番恐れているのは、目の前のこの小さな命を失うことであった。




