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第三話 迷宮の村

 


 アルは十五層に潜み、村とそこに出入りする人々をじっくりと観察している。

 村の名はイグナトといった。


 アルは、時には危機に陥ったパーティを陰から救け、荷物を捨てて命からがら逃げ去る者がいれば、残った荷物を集めて所持品を調べた。

 その気になれば魔物をけしかけて追いはぎの真似事もできるが、さすがにそれは気が咎める。


 かと言って、直接冒険者に声を掛けるのは、まだ怖くてできない。


 魔物に襲われた冒険者がその生死に関わらず迷宮内へ残していく武器防具をはじめとした金品も、迷宮が回収して集積されている。

 アルが利用するには充分過ぎる量の物品が、常に迷宮内で所蔵されていた。


 やがて、そんな迷宮に残る遺産の中から選んだ品で、アルは身なりを整える。先ずは、全身を覆う軽めの防具を選んで、身に着けた。


 年齢を悟られないように目と鼻を覆う仮面で顔を半分隠し、フード付きのローブを頭から被る。これで冒険者として、迷宮の村を訪れることに腹を決めた。


「よし、今日から俺は、冒険者マット・レザクだ」


 アルは、人間が入るようになったこの六年間の、迷宮の記憶を辿った。そして、その中から一つの遺品と、悲しい記憶を探り当てる。


 マット・レザクは当時十七歳で、生きていれば今は二十二歳になっていた筈だ。

 迷宮探索の初期に、荷物運びや魔物のコアを回収する役目を担うサポーター役として探索に参加し、魔物に襲われてパーティ全員と一緒に行方不明となった。


 冒険者ランクは最低のEランクで、身寄りのいない孤独な青年だった。彼と一緒に魔物に襲われ全滅したメンバーの記憶の一部は、今もここに当時の迷宮の意識として残されている。


 そしてそれは、迷宮の王たるアルと共に今も生きているのだ。

 アルは、迷宮を通じて生きていた頃のマットの孤独な魂を、感じることができる。


 アルはその青年の遺品である古い冒険者証を使い、マット・レザクの名で活動を始めた。

 マットは今のアルと同じように田舎から出て来た無口な青年で、いつも一人きりだった。


 今でも、パーティを組まず、一人で行動する変わり者は一定数存在する。

 それは極度な人見知り、或いは協調性のない独善的な変人の部類に属するが、大陸中からそんな変人がこぞって迷宮へ集まり来ていると考えれば、アルの偽装もそれほど無茶ではない。


 冒険者ギルドの認定では、十五層の迷宮村イグナトを訪れることができるのは、Cランク以上の冒険者かパーティとなっている。

 数人組のパーティであれば、初心者Eランクのサポーターが荷物持ちとしてやって来ることもある。


 しかし十五歳の少年が単独で十五層へ来るとなると、それは非常に珍しい事件だ。

 慎重を期して正体を隠したアルの行為は、それほど間違ってはいなかった。


 アルは冒険者マットとして何度か昼間の迷宮村に入り、次第に魔物のコアを売ったり食事をしたりと慣らしながら、出入りを増やしていった。


 迷宮内であればどこへでも瞬時に転移可能な迷宮の王にとって、あまりに慎重すぎる行動に見える。しかし、生まれ育った村以外の人間とは会うことも話したこともなかったアルにとっては、重大な決断だった。


 そもそも、村の屋台で買い物をするだけでも、最初は緊張して手も声も震えた。これはアルが人間社会へ踏み出す貴重な第一歩だった。


 単独行動の仮面の男という怪しい設定については自分でもどうかと思ったが、イグナトを出入りする冒険者には、確かにそんな変人も多いようだ。



「よう兄ちゃん。ここ、いいか?」

 いきなり見知らぬ冒険者の女に声をかけられて、アルの心臓は高鳴った。


 初めて村の宿屋に泊まってみようと選んだ、村の一番奥にある小さな宿だった。正直あまり清潔ではないし、いつも客が少ない。その分、酒を飲んで騒ぐ客も少なく静かに過ごせそうに思えた。


 ちょうど、宿の前庭に並んだテーブルで一人夕飯を食べ始めたばかりだった。

 アルが返事をするより先に、若い女は向かいの席へ腰を下ろしている。


「オヤジ、私にも同じものをくれ。あと、酒だな。どぶろくと杯を二つだ」

 胡散臭そうに一瞥した宿屋のオヤジは、しかし黙って店の奥へ行く。


「兄ちゃん、見ない顔だな」

 馴れ馴れしく話しかける女の首筋には不自然に肌の色が違う部分があり、これが祖父から聞いた、地上の日焼け跡というものだろうか、とアルは考える。


「あんたの方こそ、迷宮じゃ見ない顔だな」

 迷宮に長く居れば、日焼けなどしない。思いつきでそう言うと、アルの言葉に女は動揺する。


「馬鹿野郎、しばらくぶりに来てみりゃお前のような青二才がでかい面してるんで、少しここのしきたりを教えてやろうってんだ。先輩の話はありがたく聞け」


「ほう」

 アルはそれ以上相手にせず、木の匙で味の薄いスープを掬う。


「ほら、お待ちどうさまよっ」

 オヤジが女の食事と酒を運んできた。

「おう、お前も一杯やんな」

 そう言って、白く濁った酒を注いだ杯をアルへ差し出す。


 仕方なく、アルはそれを受け取り不審な女と杯を合わせる。


「お前、マットってんだってな。実は昔の舎弟に同じ名前の泣き虫野郎がいたんだがよ、ひょっとしてお前がそうなのか?」

 女は仮面の裏側を覗き込むようにテーブルの位置まで顔を下げてアルを見上げる。


「悪いが人違いだ」


「ふーん、そうか。確か数年前に街へ来たばかりのマットって餓鬼に飯を食わせて剣の手ほどきをしたんだがな……」

 これには、アルも驚かされた。


「忘れちまったもんは仕方がねえか。ただ無口で不器用な餓鬼だったもんで、私も気になっていてよ……」

 何気に女はそんなことを言いながら、悠然と酒を飲んで飯を食い始めた。


「まあ、何か思い出したら教えてくれ」

 女は酒をもう一本追加して、あの頃のマットの野郎は口下手で私の口添えがなけりゃ冒険者登録もできない田舎者だったのによ、などと昔話を始めた。


 女に勧められるままに酒を飲んで相手をさせられているうちに、女が袖をまくって腕にある古傷を見せる。


「迷宮でマットの野郎を庇って負った傷だが、今では懐かしいもんだ。奴は今頃どうしてることやらな……」


「ほう、凄い。古傷がこすれて消えかけているぞ?」


「ま、まさか。……んなわけねぇだろ!」

 慌てて腕を隠す女は意外と若く、マットと似たような年齢に見えて、酔うほどによくしゃべった。


「ところで兄ちゃん、私は今少し困ったことになっていてな、ちょっとだけでいいから助けてくれねぇか 」

 女は額に手を当て、考え込むようにして続ける。


「実はここへ来る途中で大事な荷物を失くして、ちょいと懐具合が寂しいのよ。悪いが少し工面してもらえないか。上へ戻ったらすぐに返すから。何、心配いらねえ、私の亭主は街で八百屋をしていてよ、帰ったらたっぷり礼をするぞ」


 アルは酒で気分がよくなっていたこともあり、その場で女に金を渡し、飯と酒の代金の面倒も見た。


「すまねえな、明日には地上へ戻る予定なんで、今度街へ戻ったらこの店を訪ねてくれ。亭主には上手く言っておくから」


 女は証文代わりに書いた紙きれをアルの手に握らせ、宿屋の部屋へ戻って行った。

 アルは正体が露見せずにすんだことに心底安堵し、今後はなるべくあの女には近付かないようにしようと心に決めた。


 翌朝、朝食をとるために宿屋の一階へ出て来ると、店の前で何やら騒ぎが起きている。


「てめえこの詐欺女、早く金を返しやがれ」

「俺もだ。病気の娘がいるだの嘘ばっかり並べやがって、てめえ地上じゃ有名な詐欺師らしいじゃねえか。何をやらかして、こんなところまで逃げて来やがった?」


 二人のいかつい冒険者に殴られ蹴られているのは、昨夜の若い女であった。

 女はもう抵抗する力もなく地面に倒れ、やられ放題になっていた。


「おい、あんたも奴に騙されたんじゃないのか?」

 アルの隣で、宿屋のオヤジが呟く。


「古い知り合いのようだったから昨日は黙って見てたけどよ、奴に金を貸したりしてないだろうな?」

 そう言ってオヤジは顔をしかめる。


「ああ、大丈夫だ」

 アルは気にしたそぶりを見せないが、内心大きく動揺していた。


「それならいいが、もう奴には関わらねえほうがいいぞ。最近ぶらっとやってきて辺り構わず声をかけては金をせびってやがる。たちの悪い女狐だ」


 だがアルは、地面にはいつくばり体を折り曲げて苦しんでいる女の前に立つ。

「すまん、このくらいで勘弁してやってくれ。これでも俺の古い恩人でな。金なら俺が返す。いくらだ?」


 まだ気が収まらず足蹴にしていた二人の男は、突然割って入るアルの言葉にやっと動きを止めた。


「うるせえぞ、こら。今更金の問題じゃねぇ!」

「おうおう、それじゃぁこっちの気が収まらねぇんだよ。こいつは街まで連れて行ってギルドの裁きを受けてもらう」

 二人の怒りは、容易に収まる気配はない。


「止めるんなら、てめぇが相手になるんだろうな」

 頭に血が上った男は、止めに入ったアルに掴みかかる。


「気取ってんじゃねぇぞ、こら」

 アルの胸ぐらを掴んで捻じり上げるが、動じる気配がないので余計に男はキレる。


「なんだ、こいつは。バカなのか?」

 だが次の瞬間、アルの胸ぐらを掴んでいた男は地面に転がり衝撃にうめき声を上げる。


 もう一人の男が足蹴にしていた女から離れて、アルに殴り掛かった。

 鈍い音がして、アルの頬に男の拳が当たる。


「これで気が済んだか?」

 アルの低い声に挑発されて男が続けてアルの顔や腹を殴り蹴るが、アルは全く意に介さず平然と立っている。

 さすがに二人の男も、正気に返った。


 確かに、上の街に住めなくなった犯罪者が迷宮へ身を隠すような場合も多い。

 冒険者ギルドは民間組織なので、軍や警備隊と違ってその辺は寛容で、魔物を倒す腕さえあれば基本的にどこでも歓迎される。


 ただし、迷宮で命を懸ける冒険者同士の絆は固く、仲間を裏切ったり傷つけたりするような行為には、厳しい制裁が待っている。


 うっかりしたことをすればギルドに手配書が回り、その辺の魔物より強い高ランクの冒険者に追われて、二度と迷宮から出られない羽目になる。


「掟に触れた多くの者が、誰も知らぬうちに行方不明になっている」

 そんな噂は、常に迷宮内で囁かれていた。


 それでも、悪いことを考える者はいる。


 本来この女にアルが肩入れをする理由はない。アル自身も被害者の一人だ。だが、何となく憎めない。


「良ければ、この女の身柄をこれで俺に預からせてほしい」

 アルは懐から小金貨を出して、二人に一枚ずつ握らせる。


「おい待て、こんなに貰っていいのか?」

「構わん」


「まあ、こいつがそんなに大切だってんなら、今日のところは手打ちにしてやろうじゃないか、なあ」

「お、おうよ」

 隣の男も納得したようだ。


「ほら、喧嘩は終わりだ、見世物じゃねえぞ、散った散った!」

 宿屋のオヤジが気を利かせて人払いをしてくれた。


「ほれ、これで顔を拭け」

 オヤジがまだ這いつくばったままの女に濡れた手拭いを渡す。

 アルはそれ以上関わるつもりもなく、離れたテーブル席に座って朝食を注文した。



 


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


明日もこの続きを投稿する予定です。

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