第二話 ヒカリ
ヒカリ本人はアルに忠誠を誓い、アルを陰から援護する守護者を自任している。しかし常にアルと交代で店番に出ていると、アルの近くにいられる時間がないのが不満だった。
「アル様、今夜はもう店を閉めたので夕食の支度を致しますが」
「すまん、食事はもう済んだので休んでいいぞ」
アルは新しい魔道具造りに夢中で、ヒカリを見ようともしない。
「アル様、お疲れのようなので、お茶と甘いお菓子を用意いたしました」
「ああ、ありがとう。後で食べるからテーブルに置いておいてくれ」
「アル様……」
「ヒカリ、もう用はないから休んでいいぞ」
「……」
だがヒカリはアルの傍を離れず、じっとその作業を見守っている。
「ヒカリ、いいから自分の部屋へ帰れ」
「嫌です!」
「何がしたいんだ、お前は」
「我はアル様の護衛として、ここにおりますので」
「あのな、この迷宮の底まで誰が来るって言うんだ。外にはオレオンがいるし、護衛は不要だ」
「アル様は、我が不要と……」
ヒカリは目を見開いて、硬直する。
「い、いや、そういう意味ではなくて、とにかく気が散るから今日は一人にしてくれ」
アルの声は小さくなる。
ヒカリはそのストーカー紛いの行為を咎められて、アルから余計なことはするなと常に注意されているのが不満だった。
生まれた当初より、主にアルの代理として冒険者マットの姿で行動することが多い。
迷宮村で店番をする約半分は、ヒカリが担当していた。
一人で店番をするには正しい鑑定眼と道具屋としての技術を身に着け、普段のマットと変わらぬ接客ができなければならない。
猛特訓のおかげで十分な知識と技術を習得し、アルの分身としてマット・レザクの姿で人前に出ても誰からも疑問を持たれるようなことはなくなった。
迷宮王であるアルに仕えるために生み出されたヒカリにとって自分の命よりアルが大切で、アルなしでは自分の存在価値がない。
そう思えば思うほど、主のアルから冷たい言葉で注意を受けるのは実に不本意であった。
アルが厄介な魔物を生み出してしまったと本気で後悔するのは、もう少し先のことである。
マットが店を始めて毎日のように村にいるようになると、ファロストの誓いの二人もますますクレンツ村へ入り浸るようになる。
「まあ、この美しい湖を守るために、巡回を強化しないといけないからね」
「そうよ。環境保護の観点からは、マナーの悪い冒険者を教育することも大事だわ」
「うん。ギルドの方針だから、これは仕方がないよね」
「ほんと、面倒だけどね。でもこれは、私たちSランク冒険者の義務だから」
そんなことを言いつつ、ちょくちょく二人はやって来る。
罪悪感を心に秘めるアルは二人が来ると逃げるように最下層の工房へ移動してしまう。そんな訳で彼女たちが会うマットは、最近では半分以上がヒカリの化けた偽物なのだが、彼女たちは全く気付いていない。
一つは、ヒカリが普通の魔物と根本的に違う出自のせいでもある。
ヒカリの体には、普通の魔物が持つ大きなコアが存在しない。代わりに無数の微細なコアが全身に散らばっている。
アルが迷宮の監視用に生み出した小さな虫たちと同じサイズの、小さな小さなコアだ。それが、全身に分散している。
だから魔力感知能力の強い人間を相手にしても、魔物の気配を感じさせず人のように自然にふるまうことが可能だ。
コアが無数にあるので肉体の一部が欠損しても死なないし、魔力さえあれば簡単に肉体の欠損を復元できる。
姉のコダマよりも器用に、その姿を変えることが可能だった。
例えば髪の毛の先を小さな羽虫に変えて、偵察に飛ばしたりすることができる。
一番の驚きは、魔物の気配を隠したまま人と偽り、迷宮の外へ出ることが可能になっていた。
女性の姿のまま幾度かマットに扮したアルとともに迷宮を出たことがあるが、誰からも気付かれることはなかった。
ただし、迷宮を出て長期間瘴気のないところで活動をすれば体内にある魔力が尽きて、行動不能になる。その場合、頼みの綱はアルからの魔力補充だ。
緊急時には魔道具などに使われている魔力を取り込むことも可能だが、そんな微弱な魔力では僅かな力しか生まない。
強力な魔物の持つ魔力とは、それほどまでに桁違いのもので、アルの持つ魔力もまた同様だった。
マットの店で扱っている物やサービスは、意外と種類が多い。
ヒカリが頭を悩ませるのも、当然の事だ。
・武器防具の保守と修理、それに伴う中古品の買い取りと販売
(ギルド認定の鑑定資格は取得していない)
・魔道具、魔法薬類の製造販売
(多くのオリジナル品を製造販売。買い取りはしない)
・その他不要になった雑貨類の買い取りと販売
(娯楽小説の買い取り大歓迎)
出店にあたってはギルドから権利を買って、小屋は自分で建てた。店の奥には工房と生活スペースがある。
クレンツ村はまだ訪れる冒険者も少ないため権利金は安かったし、おかげで村への滞在に必要な宿泊費がかからなくなった。
まだ競合する店も少ないので訪れる冒険者からは頼りにされていて、それなりに繁盛している。
迷宮攻略の最前線基地なので、客は高ランクの冒険者ばかりである。
十五層のようなごろつきは少なく、金払いもいいし、治安も悪くない。
冒険者たちはまだ知らぬが、この先の下層にはこのように広大な安全地帯は存在しない。
部分的に魔物の出ないエリアは点在するが、基本的には狭い穴倉の奥だ。
下層へ行けば魔物が強くなるので、組織的に防衛することが必要な場所ばかりになる。
当分の間は、極めて限定的な強者でないと中層より下へ行くことは難しいだろう。
個人の能力で言うと、SSSランクだったアントンでさえ単独で三十層までしか到達していなかった。
この先四十層のエリアボスの討伐が可能になるのは、いったい何年後か?
十年先か、二十年先だろうか?
アルの村が下層へ進出し、この三十二層から九十三層の最下層まで七十年かかったことを考えると、それより早いということはないだろうと思われる。
迷宮は、ここテネレにあるものだけではない。
一番古い魔の森は発見されてから既に三百年以上の歴史を持つ。それ以前にも魔物の存在は人々に知られていたので、恐らく太古の昔から魔物は存在したのだろう。
他の二か所の地下迷宮も、百年以上の歴史がある。
だがまだ、全貌が明らかにされた迷宮はない。
冒険者ギルド自体は百二十年の歴史があるが、その半分の期間は王侯貴族や農民たちから恐れられる、荒くれ者の集団だった。
帝国が大陸を統一した時に魔の森を管理していたオムーの冒険者ギルドが中心になって帝都を守り、ジメールとティリアのギルドも帝国軍に協力した。
以来冒険者ギルドは市民に認知されて、庶民の人気を得ている。
その長い攻略の歴史を考えれば、発見されてからたったの七年で三十層まで攻略したテネレの攻略スピードは、相当に早いと言っても良いのだろう。
アルの住んでいたクレンツ村は最初の五年で村より上層はすべて探査し終えて更に下層へ向かっていたが、やはり迷宮に住み死に物狂いで毎日戦い続けた村人の強さは、格が違うのだろう。
冒険者ギルドの総力戦で葬った、三十層のストーンゴーレムの復活が近い。
これまでのエリアボスは討伐からおよそ三か月で復活している。これを定期的に狩らねば三十二層への通行が一層困難となる。
冒険者たちの能力の底上げをしたいギルドとしては、何としてでも新たな前線基地となった三十二層への道に突き刺さる太い棘を早く抜いておきたいところである。
ギルドは戦力を再結集して、再戦に備え始めている。
三十二層から下への攻略は、まだ進んでいない。やはり、前回のボス戦のダメージは大きかった。
三十層ボスが不在でも、三十二層まで到達するパーティは限られた精鋭だ。
討伐戦に参加した冒険者であっても、あの時の大パーティであったからこそ三十層まで行かれたレベルの者は多い。最後方にいた学園の生徒たちも、それに含まれる。
強者に引っ張られることなく自力で三十層ボスとの再戦に参加できる冒険者は、まだまだ数少ないのだった。
アントンは気の抜けているSランク冒険者の尻を叩いて、準備を始める。
その戦いに間に合うかどうかの微妙なところに、リサをはじめとしたチーム〈アル〉の面々はいた。
マットが迷宮村に出店した時には、既にあのゴーレム戦から二か月半が過ぎていた。
学園を卒業したチーム〈アル〉が本格的に活動を始めてからは、まだひと月半しか経っていない。
三十二層を目指すパーティの鬼門とも言える二十五層で、リサたちも足止めされている。
二十五層の広大な森林には、薄暗い森と視線を遮る背の高い草の繁った藪のような草原に虫系のモンスターやサンダーウルフのような、大きな群れを作る魔物たちが大量に生息する。
昆虫型には空を飛ぶ魔物も多く、木の上に隠れて不意打ちする物もいる。
そうした立体的な攻撃と遠距離攻撃に加えて、足元には罠を張って待ち構えるたちの悪い魔物も多く、様々な危険に対処する高い能力が求められる。
一度魔物の群れに囲まれると少人数のパーティでは逃げ切れず、ナタリアとケイティもここで大きな挫折を経験した難所である。
「くそ、こいつら遠距離攻撃も得意で近寄ることすらできない!」
うっかり地蜘蛛の巣の近くを通りかかり、子蜘蛛たちから一斉攻撃を受けている。
「長槍を持って来るんだったよ。それにしてもなんて数だ!」
「気をつけろ、でかいのが左に回り込もうとしてるぞ!」
ついに、親蜘蛛も現れた。
前衛で苦戦する二人の男女の叫び声が、途切れずに続く。
チーム〈アル〉、女二人、男三人のパーティに臨時で加わっているのは、レイとリディアの強力な前衛二人だ。
二人は卒業後テネレ最大のパーティにスカウトされたが、すぐに一軍には入れず、こうして地道に他のパーティに助っ人として加わり経験を積んでいる。
二人が加入したパーティ〈不死鳥の卵〉は、有名な冒険者が多くテネレ最大の規模を誇る。チーム単独で階層主を倒すほどの実力を持つが、普段は一軍から三軍までに別れて活動している。新入りの二人は当然三軍に編入されたが、先輩の冒険者は彼らより弱いくせに威張り散らすので嫌になり、気まずい雰囲気に陥っていた。
そこで一軍リーダーの指示により、二人は暫く外部のパーティへ臨時で加わり、実戦経験を積むことになった。
その時に声をかけたのが、チーム〈アル〉であった。
チーム〈アル〉は既に新人離れした活躍をして注目を集めている若手のホープで、既に〈不死鳥の卵〉の二軍と肩を並べるだけの実力を認められていた。
二人も学園で気心の知れた仲間と一緒であれば戦いやすく、リサたちにとっては頼もしい助っ人だった。
二人が加わったチーム〈アル〉は、優秀だった前年度の学園生の中でも最強と言って良いバランスの取れたパーティなのだが、迷宮はそれほど甘くない。
ストーンゴーレム討伐の前にナタリアとケイティが開拓したこの層の新ルートは既に森に飲み込まれ、跡形もない。
ここを自力で突破できない限りは、次回の三十層ボス戦に参加することができない。




