第二十二話 嵐の前
そしてついに、二十九層の本格的な攻略が始まる。迷路のような洞窟から、辿るべきルートが示された。
ここは、突破することが課題ではない。本体の安全で迅速な移動と、補給線の確保が目的である。
可能な限り安全なルートを開拓し、いかに資材と保有戦力を消耗せずに三十層のボス戦へ繋げられるかが勝負だ。
それには、以前二十九層で攻略パーティが全滅しかかった時に撤退した、裏ルートが選ばれた。アルが安全なルートへ逃げるようモンスターを使って誘導した、暗く湿気の多い洞窟である。
それを逆に辿り、三十層までの比較的安全なルートを確保した。ベテラン冒険者が先に立って制圧したルートの補給線を、学園の教師と生徒たちが中心になって維持する。
あとはそこから、三十層へと降りる道の確保である。
この周辺の階層で厄介なのは、以前もパーティが襲われていたアイアンビークと呼ばれる褐色の飛べない鳥だ。
人間の背丈ほどもある巨大な鳥だが、空は飛べない。
その代わりに、筋肉質の足で素早く地を駆け、跳躍する。
黒い頭部は巨大な嘴ばかりが目立ち、ハンマーのようにこれを振るって敵を打ち砕き、強力な顎で噛みついて引きちぎる、凶暴な魔物だ。
これが一頭だけなら、待ち伏せして弱点の足を狙って削ることができる。だが群れを作り接近されると、かなり厳しい。
そこで、新たな攻撃手段が発案された。
足が速く動きが素早いので遠距離攻撃も当たりにくいのだが、アルのもたらした新兵器により、遠方からの狙撃が有効になった。
それには、弓矢の矢じりの代わりに取り付ける、特殊な魔石を使用する。
この魔石は魔物のコアから加工される魔道具の一つで、当たると激しく爆発を起こして半径一から二メートル程度の範囲に大打撃を与える。
見通しの良い場所なら、索敵の得意な者と弓の名手が組んで遠距離から敵を発見し、パーティに近寄る前に狙撃すれば、効果は抜群だ。
特に、強靭な筋力を秘めたビークの二本の脚は竜の如く鱗に覆われ、その鋭い鉤爪を振るえば人の体など簡単に切り裂く武器となる。だが逆に、重い頭部を支えるその脚こそが、最大の弱点ともなりえる。
魔石の矢の利点は、無理して矢を直接体に当てる必要がないことだ。上手く足元へ打ち込めば、その爆発により脚を痛めて、動きを封じられる確率が高い。
それをすり抜けてパーティに近付く個体は、騎士と剣士の連携で撃破する。
重装備の騎士が動きを止めて、軽装の剣士が弱点の足を切り裂く。
支援魔法で打撃耐性や素早さを上げておけば、勝利の確率は上がる。
最初の数日で二十九層の制圧はほぼ目途がついたので、学園の生徒はお役御免となり一旦引き上げた。
学生は次の三十層ボス戦までの間、短い休息とファロストの誓いの指導による地道な訓練、それに加えてアルの考案した魔法薬や魔法道具の製作に明け暮れた。
魔石の矢は危険なので、安全な輸送方法も考案しなければならい。まだ解決すべき小さな課題は数多い。
迷宮に残るベテラン冒険者は、徹底的に三十層までのルート上の魔物を排除する作業に没頭し、激しい戦闘が続いた。
二週間もすると二十九層の主だった危険な魔物は個体数を減らし、今後の通行の障害となる要素はとことん排除された。
その間に斥候部隊は三十層の偵察を繰り返し行い、どこでボスを迎え撃つかの議論を重ねた。
緊張の高まる中、アルはギルドからの召集を受けた。今度はギルド長の孫として、正式な呼び出しだった。
入学式で着たきりの学園の制服に袖を通し、嫌々ながらギルドへ向かう。
アルは待ち構えていたギルド職員に案内されて、すぐにギルド長の執務室に隣接した会議室へ通された。
部屋の中にいたのはギルド長と秘書のメリッサ、それに三人の軍服姿の男だった。
「来たか」
振り向いたメリッサとアントンが立ち上がる。
アルが入室すると、軍服姿の男たちも立ち上がる。
「孫の、アルだ」
アルは会議机を避けて、三人の男へ近寄る。
「アル・オルセンです。ようこそ迷宮都市テネレへ」
中央にいた背の高い男が、一歩前へ出た。
「帝国軍アムンゼウス方面部隊副司令官のウィリス・リーだ。君の祖父殿には、いつも妹のメリッサが世話になっている」
そう言って右手を差し出した。メリッサに似た浅黒い肌と彫りの深い顔の美男である。
力強い握手の後、両側の男たちも自己紹介して握手を交わした。
挨拶を終えてアルが一歩後ろへ下がったその時、背後にいたアントンがアルの背中に突然、貫手を放った。殺気の込められたその鋭い一撃は、普通の人間なら背中から手刀が貫通して胸まで抜けていたであろう威力を持っていた。
アルは瞬間的に増強した魔力で背中をガードしながら体をひねり、左手でその手首を掴んで止めた。
「なっ、何を……」
三人の軍人の顔が、一瞬にして蒼白になる。
「うむ。よくこの一撃を躱したな、アルよ」
アントンは落ち着いた声で手を引き、何事もなかったように三人の顔に笑顔で語りかける。
「驚かせて申し訳ありませんでした。孫はまだ冒険者養成学園へ通う修行中の身です。その心に生じた隙を突いてみたのですが、なかなか見事に躱されました。我ら冒険者は常に魔物の奇襲に対する心構えを忘れぬよう、時折このような戯れをします。どうかご勘弁を」
アントンが朗らかに笑うと、三人の顔から緊張が解ける。
「さてお遊びはこのくらいにして、本題に入りますか。皆様、席へと戻りましょう」
それから先の本題については、ここまでの迷宮攻略の歴史と三十層のボス戦の計画概要の説明だったが、それにアルが同席する必然性が全くない。アントンが一通り話し終えてから、詳細は別室にて攻略隊の隊長が説明しましょうということになる。
迎えに来たギルド職員と一緒に会議室を出る三人を見送り、ギルド側の三人も退席した。
「じいさん、何のつもりだ、この茶番は」
豪華なギルド長の執務室へ戻ると、アルはアントンに向き直り、抗議する。
「一度、アムンゼウス軍の幹部にお前を会わせておこうと思ってな」
「必要ない」
「だが、メリッサの兄上だぞ。いつか結婚のご挨拶に行く時に緊張しないですむようにしてやろうという、何と細やかな親心……」
「こんな時に、馬鹿なことを言ってるんじゃない!」
アルが机を叩いて途中で話を遮った。
「アルさん、ナタリアとケイティから聞きましたよ。私を第一夫人にしてくれるんじゃないんですか?」
メリッサは、上目遣いにアルを見る。
「妹を傷物にされたと知ったら、あの堅物の兄上はさぞかし怒るだろうなぁ……」
アントンの呟きに、アルは衝撃を受けて後ずさる。
「あんたたちは、な、何を言っているんだ?」
「おい、お前はメリッサがアムンゼウスの将軍の娘と知らなかったわけじゃあるまい? まさか、軽い遊びのつもりだったのか?」
アントンは真剣な眼差しで、大きく見開いたアルの目を見据える。
「では改めて聞くが、お前はどう責任を取るつもりだったのだ? 返答によってはお前、あの兄上どころか、軍から命を狙われるぞ」
アントンの言葉に追い込まれて、アルの顔色がみるみる悪くなる。
「せ、責任とか傷物とか、いったい何の話を……」
アルはそれ以上言葉が出ない。いやいや、メリッサとは何もなかった。それは、ナタリアとケイティも同じで、三人がそれを知らぬはずがない。
ただ三竦みのように互いを牽制し合いながら、夜が更けるまでじゃれ合っていただけの話である。
だが、今会ったばかりのメリッサの兄の精悍な顔が、アルの頭の中に浮かんで身震いをする。
「兄上はまだ何も知らないのか?」
アントンが、メリッサに向いて言う。
だから、何を知っているんだ、じじいは。とアルは心の中で叫ぶ。
「はい。今はこんな時なので、落ち着いてからにしようかと……」
メリッサは蒼白になったアルの顔を見て、幽かに笑う。
「お前も早く覚悟を決めろよ」
目を見開いたまま動かないアルを追い詰めるアントンの鋭い声が、ついに耐えきれず笑い声に変わる。
「冗談よ、アル君。ごめんなさいね。アントンはこういう悪い冗談が好きだから、つい私も……」
メリッサも笑うと、アントンは蒼白な顔をしたアルを指差して大声で笑う。
「お前は本当に面白いな」
蒼白だったアルの顔が、みるみる赤く染まる。
「確かに、こういう種類の本は読んだことがないな」
アルは後ろを向いて、顔を隠しながら呟く。
アルの読んだ小説の中には、貴族の令嬢が喜ぶような純愛小説はあったのだが、百年前にはハーレムやラブコメというジャンルは無かったようだ。
「実はお前、ホントにメリッサ推しだったのか?」
「うるさい、用がないなら帰るぞ!」
アルが睨むと、アントンは両手を上げて謝罪の意思を表明する。
「まあ待て。お前にはまだ、ディープなテネレジョークは早かったようだ。で、真面目な話、お前はあの兄上たちを見て、どう思った?」
「メリッサとは別の種類の人間だな、あれは」
冷静さを取り戻したアルの言葉に、メリッサの目が輝く。
「どうしてそう思う?」
「じじいの放った殺気には、三人とも鋭く反応していた。軍人としてよく鍛えられているのだろう。だが次に俺が放った魔力には全く気付いた気配がない。メリッサのように敏感な魔力感知能力が皆無だ。あれで迷宮に入れば、すぐに死ぬぞ」
アントンは深く頷く。
「それを確かめるために、俺を呼んだのか?」
「まあ、それもあるが、本当に連中をお前に会わせておきたかったのだ。いずれ何かの役に立つかも知れん。さて、本番では八人の軍人が迷宮に入り視察することになる。だから、ワシは連中のお守りとして引っ付いていなければならん。本隊のほうは、お前に任せる」
「やむを得んな……」
「アルさん、よろしくお願いいたします」
アルはまだ動悸が収まらず、頭を下げるメリッサを正面から見ることができなかった。




