第十八話 逃避
「ああ、いい汗かいた……」
魔物の血にまみれた剣を拭いすっきりした表情を浮かべるリサを見ると、やはり冒険者というのはまともな神経ではないと、アルも思わざるを得ない。
恐らくリサも、あのナタリアやケイティのような強い女になっていくのだろうと思うと、内心穏やかではない。
ただ、それはアル自身も、アルが一緒に暮らしていた村人たちも、基本的に同じだった。
生きるために魔物を殺すことは当然と考えるのが、普通の人間の感情だ。それは、自分たちの命や暮らしを守るための、自然な本能でもある。だが無暗な殺生を躊躇うのも、また人の本能であろう。
地上の猟師が獣を狩るように、魔物を狩ることで生計を立てるのが冒険者だ。だが自分の獲物に対する畏れや敬意は、迷宮村に生きた村人たちと同様、冒険者たちにも少なからずある。
人は、魔物のように躊躇せず獲物を殺すことが、難しい生き物だ。アルは思い直す。
人殺しの罪を背負って苦しむメリッサのような女性のことを思えば、迷宮の王としての自分には、もっと比較にならぬほどの大きな罪がある。
今でも多くの冒険者が毎日のように迷宮の中で傷を負い、結果として命を落としている。極端な話をすれば、もし自分が命じれば、あるいはもう二度と迷宮で一人も人が命を落とさずに済むのかもしれない。
だがそれは、この世界における自然の摂理に反することだ。
魔物を生み出す瘴気は、遥か昔、この高原台地の地下深くで生まれた。その理由は分からない。
それは果てしない時間の中で迷宮を形作りながら、地上に接触した。その目的は、この地上全てを瘴気で満たし、魔物で埋め尽くすことなのだろうか。
それとも、魔物とはただ単に瘴気をエネルギー源とする、地上とは別の生態を持つ自然の一つのプロセスに過ぎないのだろうか。
地上の生き物にとって、瘴気を身に宿した魔物を倒し、その瘴気を無害化することを迷宮攻略の目的とする者もいる。特に教会の考え方は、それに近い。
だがそれは、人間側から見た考え方に過ぎないのではないか。
魔物側に立つアルには、そう感じる。
人も魔物も自然の一部としてこの世界にいる以上、共存の道はある筈だ。アルが迷宮王になったのは、迷宮が人類を取り込む第一歩だったのか?
人と魔物を繋ぐ何かとして、自分が迷宮から必要とされた。それならば、人間の自分が迷宮の王になれた理由が少しは理解できる。
何故か、迷宮下層の強力な魔物たちは一気に迷宮の外へ出て街を襲い、そこに住む人を滅ぼそうとはしない。基本的に、魔物は瘴気が無ければ生きられず、そこから離れるのを嫌うのだ。
だが地下の瘴気は強く、放っておけばいつか増えすぎた魔物は、迷宮から外へ溢れ出るだろう。
そのために人は迷宮へ入り、魔物と闘う。それともこれは、異物を排除しようとする、単なる人間の本能なのだろうか。
迷宮王にも、まだその辺はよく分からなかった。
地上へ戻り、ギルドでシャワーを浴びて、遅い昼食にする。
お金はたっぷり稼いだし、それなりに疲れたので、いつものように二人でのんびりと食事をしようと話す。
二人は、ギルドの食堂へやって来た。祭りの時期なので空いているのではないかと思ったのだ。アントンに出くわすのではないかとアルは嫌な予感がしたが、もう昼過ぎの遅い時間なので、きっとギルマスも秘書も午後の仕事中だろうと、嫌な考えを振り切る。
確かにいつもはむさくるしい冒険者で満員の食堂に、ぱらぱらとしか人影がない。
「やった。今日はやっと迷宮定食が食べられるよ!」
リサは拳を握りしめて喜ぶ。リサはシャワーを浴びた後で、魔物の血に汚れた服を着替えて、明るい色のワンピース姿になっている。剣や防具はギルドに預けた。
リサの格好はギルドの中では異質の存在で、浮きまくっている。ただ幸いに、今日はそれを見ている人もまた非常に少ない。
ギルドの食堂で評判の迷宮定食は毎日すぐに売り切れてしまうので、週に一回しか休みのない養成学園の生徒には、幻のような存在だ。
空腹の二人は、噂の迷宮定食を大盛で注文した。メニューには、本日の定食の説明書きがある。
「なんだか期待してたのと違うなぁ~」
リサの嘆きはもう遅い。
本日の迷宮定食:マンドラゴラの薬膳スープ、二層森林産・麦の木の実のロールパン、二層草原産・ハートベリーのジャム、メインは九層ヌマネズミのソテー、付け合わせは三層ストロングクレソンとウォーキングキャロット、デザートは、フルーツバットの目玉の砂糖漬け。
これで本当に大丈夫かと思う濃い内容なのだが、いざ食べてみれば、納得のボリュームと美味しさだった。
「いや、ほっとしたよ。野営料理より酷いのが出てくるかと思った……」
リサは大盛を残さず平らげて、満足げに食後のお茶を飲んでいた。
迷宮で育ったアルにとってはこの程度の料理は当たり前なので、終始満足げに食べていたのだが。
その後は、二人で肩を並べて祭りで賑わう市場をぶらついた。秋の収穫祭なので普段見かけない珍しい食材と、近隣の街から運ばれる珍しい工芸品の数々が、ところ狭しと並ぶ。
商業の中心は旧市街である街の北側で、古いが美しい石造りの町並みの中に、大きな広場が点在する。特に賑わっているのは、旧東門と旧西門を一直線に繋ぐ大通広場で、古道具などを売る蚤の市が名物だ。
旧市街の中心にあるのが中央市場で、街で一番賑わう場所であり、行政の中心でもある。屋台で売っている食べ物もいつもより豪華で、お祭り感が高い。
遥か西のカレーヌという街の名物、ロイヤルチキンのふわふわオムレツの行列に並び、東の村の最高級の絹織物の端材で作った小物入れをアルがリサにプレゼントして、すっかり祭り気分を楽しんでいた。
「ねえ、アル、あれは何?」
そこは、ひときわ人が多く集まる一角で、何やら広い見世物小屋のようだった。
『迷宮の魔物が現る!』と派手なのぼりが立っているが、生きた魔物を迷宮の外に連れ出すのはギルドにより厳しく制限されているので、本物の訳がない。アルの感知能力でも、魔物の気配はない。
でも面白そうなので、二人で行列に並んでみた。アルは看板の絵を見て、期待してしまう。
「あの絵だと、サーベルタイガーかな?」
「そんな危ない魔物が、こんなところにいるわけないよね。牙が長めのイエローキャットじゃない?」
「それじゃぁ小さすぎるよ。本当に生きてるのかなぁ……」
純粋な田舎者の二人は、これだけ大勢の人間が並ぶからには、きっと何か凄いものがあると信じてしまう。でも、こうして並んでいる時間が一番楽しいのだ。
あれこれ話しているうちに、やっと順番が回ってきた。
一度に三十人前後が、まとめて暗い小屋の中へ通される。
入口には、太い角を生やした大きなクマが立ち上がってこちらを見下ろしている。
「さっき私が倒した奴の方が大きいもんねー」
リサが自慢する。
「いやこれ、クマの人形に角を付けただけだろ。本物はもっと鋭い牙と長い凶悪な爪があったし……」
入口を潜ると、もっと雑なモンスターの人形が何体か、それらしく並べてある。
「うーん、なんじゃこりゃ」
「はは、これは飛竜かな」
「うん、ワイバーンの赤ん坊かも」
二人はがっかりした。
「では次の部屋をご案内しますよ」
案内係に誘導されて、奥へ向かう。
そこには暗いステージがあって、手前に頑丈な木の柵で仕切られている。
ステージに明かりが灯ると、袖から一人の冒険者が駆けこんで来た。
左の肩口から血を流し、右手に大きな剣を握っている。
そこへ、サーベルタイガーが後を追って出て来る。
「くそ、逃げ切れないか。ならここで戦うまでだ」
男が剣を構えると、着ぐるみのサーベルタイガーとの死闘が始まる。
冒険者も着ぐるみに入っている人も、それなりの武術経験者のようで、中々の鋭い動きを見せてその場は大いに盛り上がる。
効果音や場を盛り上げる勇壮な音楽も本格的で、意外な迫力だ。
演劇が好きなリサは大興奮で、目を輝かせて冒険者を応援する。
見物客の掛け声も大きくなり、最後に冒険者の剣がサーベルタイガーの腹に突き刺さった時には、会場から大きな拍手が上がる。
「いやー、面白かったね!」
「うん、これは楽しいな!」
二人は、大満足で小屋を出た。
思いもかけない劇を見たり、その後に見たこともない珍しい甘い菓子を食べたりと、この街に来て間もない二人にとって夢のように愉快な時間だった。
そして二人の時間が楽しければ楽しいほど、アルにとってはそれが悩みの種になる。
リサは相変わらずアルの左腕を抱えて込んで、それにぶら下がるようくっついて歩いているが、アルの方は、恥ずかしくてリサの手を握ることすらできない。
一方的に片腕を掴まれて肩を寄せて歩いていても、アルは戸惑うばかりだ。
ついこの間まで話し相手もいない迷宮で、毎日魔物と生きるか死ぬかの戦いを演じていた魔物の国の王子様である。確かに切り裂き姫とはお似合いなのかもしれないが、ちょっと地上に出て来ただけで、そんなに急に普通の人間を演じられるわけがないのだ。
やはり自分は魔物側の人間なのだろうかと、アルはため息をつく。
しかし、そんなアルが発する強烈な異質さが、混沌とした迷宮都市に集まる人間を、特に女性を引き付けているのだとは、本人は露ほども知らない。
一日が終わり家に帰れば、アルにはもう一つの困惑が待ち構えている。何を考えているのかわからぬ、迷宮の怪物よりも怖い女性たちを相手に、逃げることもできない。
そんな天国と地獄が同居したような二週間があっという間に過ぎ去り、アルは再び学園の寮へ戻るのだった。
アルの望む、気楽な街暮らしは遠い。




