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第十六話 包囲

 


 アントンの家へ来て四日目。

 寝不足気味のアルは、疲れ切っている。


 肉体はまだまだ元気なのだが、精神的にはかなり追い込まれていた。


 朝食の時にアントンがニヤニヤとアルを見て、「若いっていうのは羨ましいねぇー」などと訳知り顔で言われるのも、苦痛でしかない。いったいどこまで知っているのだろう。怖くてそれ以上話ができない。


 アルの休暇は、まだ十日以上もある。

 この家の女性たちは何故か街の秋祭りにはまるで興味がなく普通に仕事をしているので、昼間はそれなりにアルも時間が取れる。


 アル自身も人込みは苦手なので、お祭り自体には感心が薄かった。


 このままこの家を出て、数日間は迷宮の中で過ごそうかとも思うのだが、事前に雰囲気を察知したケイティに、先に言われてしまう。


「仔羊のいいお肉が手に入ったので、今夜はアルさんの食べたがっていた岩塩包み焼きをしますよ、出かけても早く帰ってくださいね」

 などと皆に声をかけられてしまった。


 今夜は帰らないとは言い出せない。

 おまけにアントンからは、「お前は学生なのだから、保護者の許可なく外泊などしたらすぐに退学だ」などと脅される始末だ。


 学園の話題が出たのでアルは思い出して、朝食の後で暇つぶしに学園の寮へ行き、誰か暇そうな人間が残っていないかと覗いてみた。


 昼食は外でとるから、とナタリアに言って出てきたので、とりあえず夕食までは自由を謳歌できる。最悪でも寮の自分のベッドで昼寝ができれば充分だ。


 とりあえず、寮の自分の部屋へ行ってみたが、誰もいなかった。

 しかし隣の部屋には二人の生徒がいて、カードゲームで賭けをしていた。


 彼らの話では、今朝まではまだ他に三人の生徒が寮に残っていて、朝食は一緒に食べた、ということだ。残っていた女性はリサだけで、食事の支度もリサが中心にやってくれていたという。


「意外とあの切り裂き姫の奴、女らしいところがあるぞ」と笑う。

「リサは家へ帰っていないんだ?」


「ああ。帰らないようなことを言っていたんで、まだ部屋にいるかもな」

 女性の部屋は寮の反対側の端にあり、アルはこの半年間足を踏み入れたことがなかった。

 幸い部屋の前まで行くと、扉が開いていたのでその近くまで行った。


「リサ、いるか?」

 小声で恐る恐る声をかけてみると、中からどたどたと足音がして、茶色の長い髪を振り乱したリサが駆けて来た。


「アル、ひっさしぶり!」

 そう言って手を開いて片手を上げる。


 アルはどぎまぎしながら軽く手を合わせてハイタッチをすると、そのまま上げた右手を掴まれて部屋の中へ引きずり込まれた。


 ノースリーブのワンピースという、普段の戦闘服からかけ離れた服装の彼女は、剥き出しの白い手足が輝いて見えてアルは思わず目を背けて下を向く。


 秋とはいえ一年中気候の良いこの高原では、まだそれなりに暑い日が続いている。

 顔を赤らめていれば、すぐに額から汗が浮かぶ。


「どうしたのさ、ギルマスの家に行ったんだろ?」

「うん」


 学園の生徒たちは、アントンのことをギルドマスター、通称ギルマスと簡単に呼ぶ。

 普段のアルならば、ぶっきら棒に「ああ」などと答えるところだが、この三日間の経験が何かを変えていた。


 アルのそんな変化を敏感に捉えたリサの胸に、小さな喜びと期待が生まれる。

「私はね、昨日の夜に開演した劇団カノープスの新しい劇をどうしても見たくて、それまで待っていたのさ」


「嵐の夜の夢、だったか」

「えっ、アルも知ってたんだ!」

 リサが目を輝かせた。


「最近小説を読んだばかりだ」

 つい一昨日ケイティの勧めで貸本屋から借りて、その時にこの街で開演する芝居の話も聞いていた。何冊か借りた中で、一番に読んだばかりの本だった。


「いやー、昨日のお芝居も良かったよ~」

 うっとりと目を細めるリサは、アルと同じ十五歳の少女そのものに戻っていた。


 予想外の出来事に、アルはうろたえまくっている。

「アントンの家にいても暇なもんで、ちょっと様子を見に来たんだけど……」


「あ、そうなんだ~、嬉しいなぁ」

 リサの反応もいつもと違う。


「リサが寮に残っていると聞いて、謝ろうと思って」


「ええー、謝るくらいなら、これからちょっと訓練に付き合ってよ、どうせ暇なんでしょ」

「はぁ、暇だけど、いいのか?」


「何が?」

「家に帰らないのか?」


「いいのいいの、私の家は遠いから、面倒で。ほら、アルも暇なら毎日私と訓練しよ」


 男が相手なら面倒ごとをきっぱり断れるアルだが、女性に言われると断り切れない優柔不断さを発揮する。しかも目の前にいる碧眼の美少女から頼まれれば、嫌とは言えない。


「じゃ、すぐに着替えるから先に訓練場に行ってて。暑いけど天気がいいから外の方ね」

「あ、ああ、わかった」


 アルはそのまま広場の真ん中の闘技場へ向かう。いつでも迷宮へ入れるようにと、普段と同じ装備を身に着けていた。



「剣への魔力付加はずいぶん上手になって来たな」

 闘技場で魔力の光をきらめかせた剣を振るうリサを見て、アルが目を細める。


「へへ、アルがいない時でも練習してるからね……」

 剣を振る手を止めて照れ笑いを浮かべるリサが眩しくて、アルは少しだけ目を見開く。


「剣に魔力が通るようになって威力は増したんだけど、まだ体の方がついてこないんだよねぇ」

 リサはまだ魔力を使う訓練を始めたばかりだが、みるみるうちに上達している。


 それから昼過ぎまでリサの訓練に付き合い、午後からは街へ出て二人で食事をして、武器屋や道具屋などを冷かして歩いた。



 その夜、ケイティが腕を振るった仔羊の肉を食べていると、アントンがアルの方を見てにやりと笑う。


 アルは嫌な予感がして目を逸らし、全力で仔羊に集中する。

 しかしその努力は、アントンの一言で無残にも破られる。


「アルくん、君は今日可愛い女の子と腕を組んで町を歩いていたそうだね?」

 思わずギクッと体が反応する。


「あ、あれは、リサが勝手に腕にくっついて……」

 思わず出たアルの一言が、火に油を注ぐ。


「ふーん、リサちゃんていうのね、その可愛い子は」

「本当に腕を組んで歩いてたんだ……」

「いいわね、若い子は大胆で」


 三連撃をもろに食らって、アルの精神は大きなダメージを受け思考停止する。


「いや、このモテぶりは、まるでワシの若いころを見ているようだな」

「嘘だっ!」


 三人の女性が左手のフォークをアントンに突きつけ、声を合わせて否定する。おかげで余計に冷たい空気が食卓を覆い、気まずい夕食となった。


 その後、確かに食べた筈の仔羊の味を、アルは何一つ覚えていなかった。



 夜になり、待ってましたとばかりに早い時間から堂々とナタリアがアルの部屋へ押しかけて、昼間の出来事について根掘り葉掘り尋ねまくった。もちろんおしゃべりをする間にもアルの体にまとわりついて離れず、鬱陶しい。


 しかも他の二人の女性が定期的に見回りに来て、不適切な行為に至らぬよう見張っているのだった。


 翌日はケイティで、その翌日はメリッサと、三人で協定が結ばれたようで、抜け駆けを許さぬ見回りも厳重である。


 アルには基本的人権は存在せず、きっと珍しいペットか何かだと思っているのではなかろうか、とアルは思う。それとも、既に動物とは別の、調教すべき魔物枠の中に入っているのだろうか。


 アントンとメリッサが朝食の後に仕事へ出かけた後も、家ですれ違いざま思わせぶりに微笑むナタリアとケイティのおかげで、落ち着く場所もない。


 朝食の後でベッドに横になり居眠りをしていると、隙を見つけて二人のどちらかがアルの部屋に忍び込んで、添い寝を始めたりする。


 結局リサとの約束もあり、昼間は家を出て学園へ行くことが多くなる。

 それから休暇が終わるまで、毎日そんな感じで昼間はリサと二人で過ごすことになるのだった。



 リサの訓練は続く。


 細い片手剣が魔法のきらめきを纏い踊るように振られると、鋭い突きや斬撃が、アルの胸元へ迫る。ナイフで軽く弾くが、二撃目三撃目と息つく間もない連撃が襲う。以前は二撃目以降の魔力付加が不安定で、身体能力の強化も苦手だった。


 元々リサは入学した時から、剣技だけなら学園一の腕前を誇る天才剣士だった。ただ剣技だけに頼り苦手な魔法を軽視していたため、あるレベル以上の魔物には通用しなくなっていた。


 この壁を超えるには、魔力の安定的な使用による身体強化とそれに合わせた体術の習得、武器や防具に付加した魔力の利用など、手札を増やして強化し、その使い分けにより新たな戦略を再構築せねばならない。


 魔力を安定して戦闘で使えれば、Sランク以上の冒険者レベルだと言われる。だがその領域に至る前に、ある程度能力のある冒険者は最低限、自分の得意な技に魔力の強化を取り入れている。


 リサの場合は体の一部のようになっている細剣を強化して、防御と攻撃の力を引き上げる訓練を繰り返していた。


 昼過ぎまで、毎日激しい訓練が続く。

 リサはリサで、この機会に何とかアルに接近しようと一生懸命だ。


 アルとしても、学園で共に学んでいる同世代の美少女との時間を大切にしたいと願うのだが、広いようで狭いこの街では、どこにどんな目や耳が潜んでいるのかわからない。


 迷宮の中で生き残るために村の厳しい掟を守り暮していたアルにとって、地上の人間の価値観や常識がもう一つ理解できない。


 ああしてニコニコ笑っているナタリアたちの頭の中は、いったいどうなっているのだろうか。アルの記憶にある恋愛小説の中には、その答えが見つからない。


 彼女たちが何を考えているのかさっぱりわからないことが恐ろしくて、アルはリサと二人の時間すら心から楽しむ余裕が持てない。


 この上更にリサとの距離を縮めることは、アルには怖くてとても踏み込めない、先の読めない危険な領域に感じている。



 


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