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第十五話 涙

 


 昨日とは打って変わって上機嫌のナタリアが、朝食の支度ができたとアルの部屋まで告げに来た。


 ただ顔を赤くして立ち尽くすアルにするすると近寄り、黙ってその手を掴んで引いて行く。


 食事の後、アントンと秘書のメリッサは迷宮入口にある冒険者ギルドへと出勤した。


 残る家事を終えて昨日来た時のように居間に座って三人でお茶を飲んでいると、相変わらず機嫌の良いナタリアがアルとケイティに二人で本屋にでも行ってくれば、などと言う。


「私は、まだ少しやっておきたいことがあるから」

 そう言って食器を片付けて台所へ行った。


 それからしばらくしてアルとケイティは、二人で連れ立ってケイティお勧めの書店と貸本屋を何件か回った。


 アルはこの休暇用に何冊か本を借りて、更に休暇の後の楽しみに、新しい本も何冊か買い貯めた。


 アルはお礼にとケイティに新しい短編集を一冊プレゼントし、昼食の支度が面倒だから二人で何か食べて来な、というナタリアの言葉に甘えて、これもケイティお勧めのレストランで楽しいランチタイムを過ごした。


 夜はギルドから仕事を終えて帰宅した二人が上等なワインを買って来て気分良く酔い、今夜はゆっくり寝られると安心しているところへまたアルの寝室へ忍び込む影があった。



 今夜もナタリアが来たのだろうと油断していたアルは、服を脱いでベッドに入ってきた人物を見て驚かされた。

「ケイティ、君か」


「そうよ、ナタリアじゃなくてごめんなさい」

 アルの胸に埋めた顔を上げて、ケイティが震える。


「いや、そういう意味じゃなくて……」


「私たちのこと、ナタリアから聞いたんでしょ」

「ああ」


「ナタリアはもう乗り越えて元気になったけど、私はまだダメなの」

「怖いのか?」


「でも、こうしているとナタリアの言うように、強い力を感じる。すぐ近くに恐ろしい魔物の気配がして本当は恐い筈なのに、でもその力に心を寄せて触れてみると何故か安心する……」

 ケイティの震えが、収まっている。


「どうして、あなたは誰なの?」

「……」

 アルには答えられない。


「お願い、もっと教えて」

「いや、これ以上はダメですよ」


「私が昨日、ナタリアの邪魔をしたから?」

「そうじゃなくって……」


 だが、すぐに扉の近くに人の気配が。

「あれ、こんな夜中に部屋の中から話し声が……」

 メリッサの声に、ケイティの体が強張る。


 アルはその隙に、ケイティより先にベッドから抜け出す。危うく、甲高い悲鳴を上げるところであった。



 翌日、アルは地下室の入口から迷宮へ入り、久しぶりに仮面の冒険者として十五層の迷宮村、イグナトを訪れていた。


 村では妙な野ブタ狩りブームが起きていて、露店で焼いた豚の肉をつまみに昼間から酒を飲んでいる冒険者が多かった。

 ちょっと異様な雰囲気である。


 こんな調子では、あっという間に野ブタも狩り尽くされてしまうだろう。


 商売上手な迷宮の住民が次にどうするのか、ちょっと見ものだとアルは楽しみになる。

 野豚はイグナトから逃げて勝手に増えたので原価がゼロのようなものだが、村の家畜はここまで連れて来るのも大変で、しかも餌をやったり世話をしたりと元手が結構かかっている。


 家畜は、やたらとその辺へ放し飼いにできるものではない。だから、今いる野ブタを狩り尽くせばおしまいで、このままでは自然と鎮静化するのは間違いない。


 ただ、今のところ、その豚を目当てにやってくる客が多すぎて、いつも静かなイグナトが祭りのような騒ぎとなっている。


 豚なら地上でいくらでも食べられるのに、物好きは多い。困ったものだ。

 村では落ち着いて本を読むこともできず、結局アルは早々に退散した。


 せっかくなので最下層まで降りて、久しぶりにレッドドラゴンのオレオンと思い切り体を動かして手合わせをする。ついでに九十層のホワイトドラゴンも呼び寄せて、三つ巴の戦いを演じた。


 互いに少し気を緩めれば命に関わるような大技の応酬で、緊張感のある立ち合いができて満足した。


 まあ、これは少々危険なスポーツのようなものだ。


 夕方前にこっそり自分の部屋へ戻ると、やっと落ち着いて読書ができた。



 中庭では、ナタリアとケイティが木剣を打ち合う音が響いている。

 二人は、冒険者に復帰する勇気を得たのだろうか。


 しかしよく聞いていると、もう一つ別の剣を振る音がする。

 あのいい加減なじじいが真面目に剣を振るっているとは信じがたい。


 窓から少し身を乗り出して見下ろすと、秘書のメリッサが一緒に木剣を振っていた。


 細い腕に不釣り合いな重量感のある長剣を自在に振っていて、それがなかなか様になっている。


 感心して見ていると、ふと見上げたメリッサと目が合った。

 一瞬驚いた顔をしたメリッサが照れて目を逸らすのを見て、アルも何か悪いことをしたような気になって窓の奥へ引っ込んだ。


 その夜、アントンはギルドの会議とその後の食事会で遅くなるというので、四人で夕飯の食卓を囲んだ。


 アントンが午後から会議に出かけたので、メリッサは早めに帰宅していたようだった。


「メリッサさんは文官だと思ったら、素晴らしい太刀筋でしたね」

 アルが気軽に聞くと、だってお父さんは将軍様だから、とナタリアが言う。


 何でも、メリッサの父親は出身地である南方の大都市に駐留する帝国軍方面部隊のトップを務めている、偉い軍人なのだそうだ。

 メリッサはそのか弱そうな外見と違い、まさに文武両道の人だったのだ。


「メリッサさんは、迷宮へ行かないのですか?」


「行きません」

 アルの気楽な問いに、メリッサが即答する。


 そのただならぬ気配に、アルは触れてはいけない部分に踏み込んでしまったのだと後悔する。


「私の剣は魔物を切る剣ではなく、人同士が殺し合うための、おぞましい剣なのです」

 メリッサの口調は冷ややかだ。だがその矛先は自分自身に向いている。


「だからせめて、今は魔物から都市を守るギルドのお手伝いをさせていただいています」


 アルの目から見れば、地下に潜って何日も魔物と闘い続ける冒険者の方が、遥かにおぞましい剣を振るっているように思うのだが。

 戦で人と人とが切り結ぶ軍隊というところは、自分の想像を絶する何かがあるのだろうと感じられる。


「でも、戦から町を守る軍隊だって、立派な仕事だと思いますが」

 せめてそのくらいは言っておかねば、とアルは思う。


「ありがとう、アルさんは優しいのですね。アントンの言った通りです」

 アルが恒例となった赤面をして絶句するのを、三人の女性は面白そうに見ていた。



 今夜は大丈夫だろうと疲れ切って寝ていたアルは、またもや深夜の訪問客に起こされた。

 アルさん、と呼ぶ声はメリッサだった。


 この家はどうなっているんだと思いながら、アルは寝床から身を起こす。


 その横へ、またしてもメリッサが滑り込んでくる。あの二人とは違い、服を着ているのが救いではあった。


「メリッサさん、これは……」

「ごめんなさいね、こんな年増で」


「いえ、メリッサさんは若くて美しいです。俺みたいなガキには釣り合いません」

「そんなことないの。私は彼女たちより三つも年上だし……」


 メリッサは、アルの手を取る。自然と、アルの手が胸元に誘われる。

 服は着ているのだが、薄い布一枚隔てて当たる柔らかい感触に、アルは気が遠くなる。


「あなたが来てくれたから、ナタリアもケイティも元気になれた。だから少しだけ、お願い、私にもあなたの優しさを分けて」

 そうしてメリッサはアルの手を放して、体を抱き締めた。


 豊かなメリッサの胸に顔をうずめて、アルは幸せな気持ちになった。

 それは意外にも、忘れていた母の腕の中にいるような安心感だった。

 アルは、束の間の幸福感に包まれる。


 だがいつの間にかメリッサは、肩を震わせて泣いていた。

 アルは顔を上げ、その頭を優しく撫でて、引き寄せた。


「ああ、大地の底深くから生まれた魔物の匂いがする。人殺しの私の血を、一滴残らず吸い尽くしてほしい……お願い……」

 メリッサはすすり泣きながら、アルに救いを求めた。


 かつて、メリッサは故郷を離れ一人でこの街を訪れて迷宮へ入り、その身を魔物に捧げようとした。


 それを救ったのが、ギルド長、アントンだった。

 以来メリッサは、アントンの秘書として働くようになった。


 メリッサのすすり泣きは続く。


「あなたの中にいる魔物に、私の命を捧げたい。それでも私は、許されないでしょうけれど」

 泣きながら縋り付くメリッサは、大きく震えていた。


 アルには、それ以上何もできない。ただ緊張して、動けずにいるだけだ。

 そして、メリッサは泣きながら眠ってしまった。


 アルはメリッサを起こさぬよう細心の注意を払いベッドから抜け出すと、廊下へ出た。

 廊下には、心配そうな顔をした二人の女性が手を取り合って立ち尽くしている。


「アル君、メリッサは……」

「泣き疲れてやっと眠ったから、そっとしておいてほしい」


「メリッサを選んだのか……」

「やはり、胸の差か……」

「違います!」


 アルはそのまま家の地下室から迷宮へ入り、最下層の王の間にある寝室でやっと眠りについた。



 


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