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第十四話 傷

 


 二人の目の前に、一つ目の巨人、サイクロプスがじっとこちらを見て佇んでいる。


 アントンはまだ知らないが、迷宮五十から六十層付近では巨大な鉄の棍棒を持ってうろついている魔物である。それが、ここでは凶悪な輝きを見せる分厚い青龍刀を担いで立っていた。


「この部屋は拳ほどの大きさの通路で辛うじて迷宮と繋がっているだけだ。普通のサイズの人間も魔物も、ここから迷宮へ入ることも、迷宮から外に出ることもできない」


 拳より大きなものは、アルの転移以外では出入りできないようになっている。迷宮の王専用の出入口と、その門番である。


「そこの通路を出れば、街の南門の外にある、森の中だ」


 僅かに迷宮から立ち上ぼる瘴気により、サイクロプスはいつまでもここで門番の仕事を続けられる。


「万が一ここを強引に通ろうとする者がいれば、このサイクロプスが立ちはだかる。まあ、迷宮六十層より下へ行ける実力がないと、こいつは倒せないと思うがな」


 アントンは緊張を緩めて、大きく息を吐いた。


「俺の許可なくここから外へ出ようとする魔物はいない。これなら問題あるまい?」


 仮にサイクロプスを倒してここから下層へ向かう強者がいたとしても、その下の七十層にはより強力なエリア主がいる。ある意味では迷宮最強とも呼べる、死神が。


「それとも、試しにサイクロプスと闘ってみるか?」


「御免だわ。間抜けな人間が入り込んでサイクロプスに殺されないように、しっかり入口を偽装しておけよ」


「あんたの家の地下室よりは、まともな魔法で鍵をかけてあるさ」


「ああ、そうかい。わかったからさっさと帰ろ、帰ろ」

 次の瞬間には、二人は屋敷の地下へ続く空洞にいた。


「全く、迷宮の王ってのは、本当に理不尽で非常識な存在だと思い知ったわ……」

 青ざめた顔でギルド長がぶつぶつ呟くので、アルは大声で笑った。


「こら、お前の苛つくのはそういうところだぞ!」

 アントンは怒ってさっさと先に歩いて、地下室へ戻った。


 アルはゆっくり追いかけて、地下室の鍵を全て元に戻して一階で追いついた。


「一度見ただけでこの高度な魔法の仕掛けを全て理解したのか?」

「なに、単純な魔法だ」


「……その単純な魔法を扱える人間は、この街に何人もいないのだがなぁ……」

 アントンは、それ以上考えるのを止めた。



 二人は再び居間へ戻り、もう一度熱い紅茶を飲んで心を落ち着けた。


 未だかつて人類が経験したことのない、とんでもない地下旅行をして来たアントンもそうだが、若い女性の前に出て再び硬直しているアルにも、一杯の熱いお茶が必要だった。


 お茶を飲み終わるのを待って、護衛の一人ナタリアがアルの使う部屋になる二階の明るい一室へ案内した。


「まさかギルド長にこんな素敵なお孫さんがいるとは、知りませんでした」

 にこやかにそんなことを言われて、アルはどう答えていいのかわからずただ下を向いて赤面した。


 ナタリアは部屋の明かりを点ける魔道具や部屋着の入ったワードローブなどを開けて説明し、机の上に水差しを置いた。


「何かわからないことがあれば、遠慮せずに呼んでくださいね」

 そう言って部屋から出て行った。


 アルは少ない荷物を整理して、椅子に座って持参した小説を読み始めた。


 しばらくすると昼食の支度ができたともう一人の護衛、ケイティが部屋の扉の外から声をかけた。


 返事がないので、アルさん起きてますか、とノックもせずにケイティは扉を開けると、アルは椅子に座って小説を広げたまま、うつらうつらしていた。


 ケイティは後ろからそっと近寄り、その横顔を覗き込む。


 間近に見るアルの顔は不安定に揺れていて無防備で、しかし眠っているのに隙が全く見当たらない鉄壁の強さを感じた。


「なんだろう、この感じ……」

 無垢な獣が自然体で眠っているような……しかも、うっかり起こせば邪悪な魔物が目覚めそうな、凶悪なイメージも消せない。


 かといって決して怖くはなく、自分の力では逆立ちしても敵わないような力強さに圧倒されて、逆に魂が吸い込まれるように魅入られてしまう……。


 思わず凝視してからケイティは頬を染めて、椅子の背に回るとそっと後ろから両手でアルの肩を叩いた。


「アルさん、お昼の支度ができましたよ」

 突然背中から聞こえたケイティの言葉に、アルは飛び起きた。


 アルは照れ笑いをして、すみません、と言いながら本を閉じ立ち上がる。


 小柄な子供と思っていたアルの背が自分よりも高いのを知り、ケイティはまた頬を赤らめる。


「小説、好きなんですか」

「はい」


「その本、わたしも読みました。面白いですよね」


「そうですか。これは寮の同じ部屋の友人に借りたのですが、読み終わるのがもったいないような楽しさですね……」

 アルは自然に言葉が出てくるのが不思議で、かえって戸惑っている。


「あ、そうだ。俺は田舎者だから最近街で流行っている本をよく知らないんですが、何かお勧めの小説はありますか?」

 こんな長文を、自分がスムーズに口に出せるとは思わなかった。


 にこやかに話しながら、二人は階下の食堂へと歩いた。


 自然に二人が会話している姿を見て、アントンは衝撃を受ける。

「さすがにワシの孫だけある。普段あれほど不愛想な男なのに、若い女性が相手だとこんなに楽しそうに会話ができるのだな……呆れたもんだ」


「嫌だなあ、おじいさんとだって、いつも話しているじゃないかぁ」

 棒読みでそう言って、アルは爽やかに笑って見せた。


「ううっ、気持ち悪っ!」

 アントンは胸を押さえて下を向いた。


 アルもアントンのおかげで慣れない会話が途切れて、実はほっとしていた。


 何気なく力を抜いて話をしているように見えたのは、実はたまたまである。

 内心ではドキドキで緊張して、やや声が震えていたのに気付かれずにすんだ。


 ダイニングでは、ナタリアが甲斐甲斐しく食事の支度をしている。

 この家では人が少ないので、全員が一緒に食事をする決まりになっているらしい。


 アントンがそんな説明をして、五人がテーブルについて、昼食を食べ始めた。


「そういえば、昨日まで迷宮に行っていたのだったな」

 アントンが祖父らしく、アルの学園での話題を振った。


「はい。十五層にある迷宮村の近くで野営をして、野ブタを沢山狩りました」

「野ブタだと?」


「丸々太って、とても美味しかったですよ」

「何と迷宮で豚狩りとは、珍しい経験をしたな」


「ええ、なかなか楽しい体験でした」

「だから疲れて居眠りをしていたんですね」

 ケイティが言うと、アルは真っ赤になった。


 それを見て、ケイティもごめんなさいと言って頬を染める。

 僅かな時間で二人が仲良くしているのを見て、ナタリアは不服そうに頬を膨らませた。


 メリッサはナタリアの表情を見て、くすくすと笑う。


「もう、メリッサまで、なんで笑うの!」

 ナタリアは更に不機嫌そうに口を尖らせる。


 つられてアントンも、心の底から嬉しそうに笑う。

 こんな風に笑うのは久しぶりだ、とギルド長はしみじみと思った。



 その夜、誰もが寝静まった深夜に、アルの部屋の扉が静かに開いた。

 部屋に忍び込んだ人物は、アルが眠るベッドに近付く。


 だがその人影の更に後ろから、動くな、と低い声が掛かる。


 人影はその声を無視して慌てたように振り返った。

 振り向いたその細い首を、アルの手が掴む。


「わ・た・し・ナタリアよ」

 微かな声が震える。


 アルの手が慌てて引かれた。

「どうして、ナタリアさんが……」


「ああ、もうこっちだってどうしてって聞きたいわよ」

 ナタリアは、アルの胸元を指差して近付く。


「こう見えても私だってAランク冒険者なのよ。それなのに養成学園の生徒にこんな簡単に見つかるなんて、自信を無くすわ」

 そうしてもう一歩前に出る。


「それとも今の学園では、毎晩夜這いの生徒を取り締まる訓練でもしてるっていうの?」

「えっ、夜這いって……」


「そうよ、女に恥をかかさないで」

 そう言ってナタリアはアルの胸に飛び込んだ。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ」

 体を反らして固くなるアルだが、ナタリアはその胸に顔を埋めた。


「ああ、やっぱり」

「な、何がですか」


「あなたからは凶暴な魔物の匂いがするわ」


「そんなわけないです」

 アルは声を硬くする。


「私はずっと怯えていたの」

「……」


「ケイティは今でもまだ怯えているわ」

「何があったんですか?」


「私たちはあなたと同じ冒険者養成学園の第一期生なの」

「はい」


「私たち二人は天才と呼ばれてね、卒業から四年で揃ってAランクに昇格したの」

「凄い」


「でもそこまでだった……」

 ナタリアは、途切れそうになる声を苦しげに少しずつ紡いでいく。


「その後は迷宮攻略の部隊に召集されて、実力不足を嫌って程思い知らされたわ」

 苦しそうなナタリアの声が、続く。


「二十五層であのくそったれのクロウラーの群れに囲まれて、死んだと思った……」

 ナタリアはアルの胸に寄せていた身を起こす。


「ほら、これがその時の傷」

 ナタリアはアルから少し体を離して、暗闇に慣れた目で自分の胸元を見下ろす。


 思わずそこへ眼をやって、アルは更にびくりとして体を固くした。

 胸元に斜めに走る傷は薄いが、確かに見えた。


 しかも、その他諸々と共に。

「あの、色々と丸見えなんですけど……」


「うん、あんたに抱き着く前に脱いだからね」

「へっ?」


「まあ、腰を下ろしなさいよ」

 そう言って無理やりベッドへ腰を下ろしたアルに、もう一度ナタリアがしがみつく。


 変に離れると目のやり場がないし、かといってこのままでは本当に押し倒されそうだ。


「それ以来私たちは地上勤務で、警備とは名ばかりのメイド稼業なの」

 なんとなく、アルにも事情が分かった。


「でも、私はそろそろまた迷宮へ戻ろうと思っているのよ。だけど、まだケイティは……」

 ナタリアは手で顔を覆って下を向く。


「だから、あんたにお願いするんだ。あんたからは微かに魔物の匂いがして、近寄るだけで怖くて足が震えるような時がある。でも、そんなあんたにケイティは平気で近付いている」

 ナタリアは顔を上げ、アルを見上げた。


「どうしてだと思う?」

「いや、昨日迷宮から帰ったばかりだからかな?」


「違う、そういうことじゃない」

 アルの胸にもう一度指を突きつける。


「あんたの中には何かとてつもない獣がいるね」

「いませんよ」


「そう、確かにそれは、獣じゃないのかも。けどこうやって、それをもっと深く感じようとすると、広くて暖かい大地のような、自然の力そのもののような気もする。だからあんたにこうして抱かれていると、わたしももっと大きな力をそこから分けてもらい、強い心で安心して迷宮へ戻れるような気がするの」

 ナタリアの体が熱を帯びる。


「お二人さん、こんな夜中に何をしているのかな?」

 扉の外から、ケイティの声が聞こえた。


 ナタリアが大慌てでベッドから出て、凄い速さで服を身に着け始める。


「あんた、いつからそこに……」

 ナタリアが小さな声で言うと、すぐに廊下から応答がある。


「そんなの、最初からに決まっているでしょ!」

 その声が終わらぬうちに、ナタリアが廊下へ飛び出て行く。


「助かった……しかし、廊下の気配には全く気付かなかったな……」

 アルは顔をしかめて胸を撫で下ろすが、これは始まりに過ぎなかった。




 


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