第1.5話 地獄の特訓~母からの愛の鞭、そして疑惑の味覚~
精霊式を迎え新しい学年が始まるまでの間、父と母から特訓という名の教育が始まった。
メリル「お兄ちゃん、もう疲れたよ…。」
泣き言を言ってくる妹にクムサスは、ぶつくさ言う。
クムサス「仕方ないだろ…。お前、それじゃ学年10位以内どころか、下から数えた方がいいくらいの剣術だ。」
メリル「でも、手に豆ができたし、血も出て来たから痛いよ…。」
クムサス「治してやるから、ほら、手を出して…ヒーリング…。」
自分の体を自分で治すのは斬新だ、とクムサスは思いながら治癒魔法をかける。
しかし、その頭上へ容赦のない平手が飛んでくる。バシッ!
クムサス「いてっ!母上、なんで…ちゃんと回復しているのに…。」
文句を言ってくる息子へ母メリルは言う。
メリル「実は……、気づいたことがあります。ギュストも聞いてほしいの。」
ギュスト「ん?…あぁ。」
油断をするとギュストにも飛んでくる平手に一瞬身を竦めながら返事をする。夫に向き、メリルは続ける。
メリル「クムサスは回復呪文の詠唱が遅いわ。詠唱速度はどれだけ呪文を正確に理解し、間違いなく諳んじるかというもの。
クムサスは騎士科で努力していただけに怪我をしないことには長けています。だからこそ回復魔法を軽んじているのね。
ただ、リアナの身体になってからはよく躓くことに気づいているでしょう…。」
クムサス「…うん。」
ギュスト「あぁ。反対にリアナはクムサスになった割に回復魔法は上手いな。ただ、身体がやはりついて行っていないのはクムサスの体躯に慣れてないからだと思っているが…。」
メリル「いいえ。普段のメリルに比べればずっと身体が機敏に動いているし、コケる回数も少ないわ。」
ギュスト「あ?…え?」
ギュストは普段、常に仕事に追われている。リアナに構うのは夜の寝る間際で、本を読む時くらいだ。対してほぼ毎日稽古をつけているクムサスの身体の事はよく分かる。
メリル「クムサスの筋力や運動神経に、リアナが依存しているのでしょう…。」
ギュスト「とすると、クムサスが回復魔法での回復量が多いのも…。」
メリル「リアナの身体の魔法力に依存してるのでしょうね。記憶…と言いますか。」
ギュスト「………これは厄介だな。これで元の身体に戻ったら…。」
メリル「どちらも中途半端…という事に、なりそうです。」
ギュスト「だなぁ…。これじゃぁ精神や身体に引っ張らて、元に戻った時の方がよっぽど大変になりそうだ。」
とすると…。とギュストはついに腹を括る。
メリル「担当を分けましょう。私が勉強と魔法。」
ギュスト「オレが領地に詳しいから歴史、数学、後は剣術と弓術、馬術と言ったところか。ふむ…。」
メリル「勉強も騎士学もクムサスと同じ水準にしておかないと。ギュスト、お仕事で忙しいと思うのですけど時間は取れそうかしら?」
ギュスト「勉強は正直、元の身体に戻ればいいが…リアナが勉強の順位を上げそうだし、いきなり順位が下がると不自然だからクムサスも同程度の学習が必要ってことか…。」
メリル「あら…。ギュスト、ダンスも男女パート両方、女子は裁縫学や料理と家政科もありますのよ。ホホホ…。」
これは大変だと、そろりと逃げ出そうとする子供たち2人の前にメリルが立ちはだかる。
顔を上げると、目の座った笑みを浮かべる両親に兄妹は「う…っ!」とうめき声をあげる。
リアナ「父様も母様も忙しいし、休みがないのはよくないと思うの…。」
クムサス「そ、そうだよ。リアナが疲れちゃうし…。(リアナに勉強で負けるのは嫌だし…。)」
メリル「えぇ!今日からビシバシ教育しないといけないわね。覚悟なさい!特にギュスト!…と言いたいところだけどクムサスッ!」
クムサス「な、なんで僕?!ちゃんと勉強も、ま、まぁ家政科も頑張るよ…。」
それよりそろそろ休憩しませんか…と続けるクムサスを無視して、ギュストを見るメリル。「ギュスト、違うのよ…。」と頬に手を当てながらメリルは続ける、
メリル「ギュスト…よく聞いてね、なんだかんだで喧嘩もするけど…。クムサスがリアナに一番甘いのよ。」
ギュスト&リアナ「えっ?!」
クムサス「う…っ!(やばい母上、するどい。)」
リアナ「そんなことないと思うの…。母様…、あの…。」
メリル「だから…、ね?いい?二人とも。特にクムサス。リアナを甘やかした時はお仕置きです。」
にっこりとリアナを見るメリル。
メリル「リアナ…。お兄ちゃんは家政科の練習が必要よね。だけど今日はあなたがお菓子を作ってもいいわよ。」
リアナ「………っ!?いいの?私、頑張るっ!」
メリルが嬉しそうに言うと、途端に不自然に慌てだすクムサスに不思議に思うギュストだったが、訳が分からず成り行きをポカンと傍観している。
クムサス「は、母上!僕も手伝います!!ほら、僕、リアナとして家政科をしないといけませんしっ!」
メリル「そうね、クムサス。手伝ってあげるのがいいわね。」
クムサス「はいっ!是非とも手伝わせていただきます!(うっ!母上…っ!!策士だっ!かなわない。)」
リアナ「私一人出来るもん…。お兄ちゃんはすぐに私の作業に口出しするし、自分でやってしまおうとするから一緒は嫌よ…。」
ギュスト「…??どういうことだ?」
こそっと、父ギュストにクムサスは耳打ちする。
クムサス(………父上。たまに酷く不味い料理が出ることがあるでしょう…。)
ギュスト「あ~!あれか!クムサス、お前が作ったんだろう?」
リアナ「そうよ、お兄ちゃんが手伝うと美味しくないのよ。」
メリル「……ね?リアナが料理し始めると、必ずお兄ちゃんはちょっかいかけるものね。不思議だわ…。」
母はわざとらしく困ったように頬に手を当てる。
クムサス(………父上っ!!声に出さずに聞いてください。リアナの味覚はちょっとまずいんですっ!)
ギュスト(え…?)
そう言えば…とギュストは思いふける。クムサスと二人で狩りに行った日、帰ってきて待ち受けていたのは驚異の不味さのクッキーだったことがある。
クッキーと言えば、材料を混ぜ合わせるだけの初心者向けのお菓子。硬いだの甘くないだのありこそすれ、酸っぱい・しょっぱい・苦い・そしてゲロ甘いとあの時の味はギュストも忘れられない味だった。
妻メリルの日頃の料理が美味しいことを思えば、彼女の料理はかなり上手だ。たまに子供たちが作る不味いお菓子も食べられないほどではないから、上手になっともんだと微笑ましく思っていたところだ。
ギュスト「え?!…本当なのか?!」
クムサス「…しぃ~っ!!!父上、ちょっと黙って!」
普段は親にあまり歯向かう事が少ないクムサスなのだが、この時は焦ってギュッと父の腿付近をつねる。
てっきり息子が揶揄って不味くしていると思っていたお菓子だったが、食べられる程度の味に調えられていた事実と、娘の味覚に疑惑を抱き始めショックを受けるギュスト。
クムサス「え~っと!…一緒に作った方が楽しいだろ?な?リアナ。」
勉強も一緒にするから…と続けるクムサスに、ひやりと告げる母メリル。「あなたも淑女教育を学ばないといけないのよ、クムサス。ずっとリアナに構ってはいられないの。」
ギュスト「………大体の事情は分かった。(…あぁ、勉強もクムサスが見ていたのか…これは知らなかった。)」
リアナ「どういうことなの?父様。」
ギュスト「………いや、いいんだ。私ももっと子育てに関わらないといけないな…。」
「そうしていただけると助かります。」と、妻メリルにピシッと言われ、「オレもまだまだ、だなぁ…。」とギュストはつぶやく。
不思議そうにしている、キャロス家のかわいいアイドル、“リアナ”。
クムサス(…心を鬼にして頑張るしかないですね。父上、しっかり思い出してくださいよ、あの味を…!)
青ざめながらごくりと唾を飲む男二人。そして硬い決意を胸に、表情を引き締める。
この日を境に、キャロス家の地獄の様な厳しい教育が、色々な意味で始まる。