第1話 入れ違っちゃった
7、8人ぐらいだろうか。ポネルの町で集められた子供たちは雪流の月を迎え、大事な式典で厳かに話を聞いている。
神官長「13歳、今日という日を迎えられたことを嬉しく思うことでしょう。神々の力により私たちの生命…及び世界は……美しい星々に照らされ…。」
リアナ「ねぇ、クムサス。」
横でツンツンとクムサスをつつくのは、彼の1つ違いの妹のリアナだ。
クムサス「………なんだよ、真面目に聞かないと怒られるぞ。」
コソコソと隣で話しかけてくる妹を注意するクムサス。
リアナ「だって、飽きちゃったんだもの。」
クムサスは今年14歳を迎え、本来なら昨年この精霊式に参加する予定だったが、風邪で熱を出し精霊式が受けられなかった。
クムサス「いい子にしてろよ。神官長様に叱られたら、後で父上や母上の耳にも入っちゃうだろ。」
クムサスとリアナの両親、キャロス夫妻は敬虔なる信徒でよく神殿へ足を運んでいる。もし、神官長に睨まれでもしたら後で両親の耳に入ることは必至だ。
そんな話をしていると、そうなるもので、
神官長「…、……。こら、キャロス弟妹。精霊式の最中ですよ、ちゃんと話を聞きなさい。」
クムサス&リアナ「…はい。申し訳ありません。」
クムサス「だから言ったじゃないか。」
リアナにそう文句を言うと、クムサスは神官長にちらりと視線を送られ、目で叱られた。
クムサス(………ちぇっ。リアナのせいで……。)
長い精霊式の中で、聖典の神と星々の話を聞いた後は、神殿の奥にある聖室まで行き神への祝詞を唱え戻ってくる。
双子であった場合や、兄弟で同日に精霊式を受けるものは一緒に聖室まで入る事が多い。クムサスとリアナは一緒に進むことを望んだ。
カツ……。カツン……。
リアナ「お兄ちゃん、暗くて怖いよぉ。」
クムサス「お前、昔から暗いところを怖がるもんな。今日はおねしょでもするんじゃないか?」
クムサスがリアナをからかうと、リアナはそんなことない!と怒る。
聖室までは長い通路を通っていく。精霊式の時だけは神官も聖室とその通路には立ち入らない。子供たちだけで神へ祈りをささげることが試練になるためだ。
クムサス「やっと着いた。結構長いんだよな、この通路。」
水に浮かぶこの神殿では奥へ進むと滝が流れており、その手前までが通路になっている。
滝と言っても、神殿まで滝から流れる水を引き、聖室の階段状になっている壁面へ滝の水が流れ込む仕組みになっている。
ここは北の大陸、ウラシア大陸の南部中央に位置するここグイオッド国。一年を通じて雪が多く、常に涼しい気候だ。今の季節は春ではあるが聖室を流れる水のせいで更に寒く感じる。
ザァーザァー…。
リアナ「寒いよ、お兄ちゃん…。」
はぁ……と、リアナは、かじかんだ手に息を吹きかける。
クムサスは「ほら…。」と妹に右手を差し出し、彼女の反対の手を掴む。
クムサス「はぁ………。寒い、暗いし、こんな精霊式で一体何が変わるんだろう。」
クムサスは実はリアナ以上に暗いところが苦手だ。お兄ちゃんである手前、妹に格好をつけるために強がってはいるが、過去に闇の精霊に追いかけられて以来、暗いところが苦手になった。
手が震えるのを寒いせいだとリアナに言い訳するが、内心、妹の手の温もりにホッとしている。
祭壇前まで進むと、一際大きく水の流れる音が感じられる。2人は祭壇前で膝をつき、胸の前で手を組む。
クムサス&リアナ「水の精霊ウンディーネ、雪の精霊スノウィング、風の精霊シルフ。そして我らが守護神なるウィンディア様。この度、私達は13歳を迎え…。」
精霊ウンディーネ「あ、ねぇこの子たちって。」
精霊シルフ「あ、ホントだこの子たちだ。ちょっといたずらしちゃおうか。」
精霊スノウィング「だめだめっ!そんなことしちゃ怒られちゃうんだから!」
精霊シルフ「だぁって…この子昔に…、…。」
リアナ「………、…。くしゅんっ!」
クムサス「大丈夫か?リアナ。あと少しだから頑張ろう。」
リアナ「お兄ちゃん…何か声が聞こえる。」
クムサス「怖いこと言うなよ…。でも確かにさっきから聞こえるな。ここは神様や精霊の祭壇だから聞こえるのも当たり前なのかもしれないな。」
リアナ「うん。そうだね…ごめん、お兄ちゃん。続けよう。」
クムサスとリアナはかじかむ手を前に組みなおし、祝詞を続ける。
精霊スノウィング「やばい…。さっきのくしゃみでビックリして逆にしちゃった。」
精霊ウンディーネ「えっ?!ホントだ、大変急がなくちゃ。」
慌てる精霊たちの前にグイオッド国の祭神、守護神ウィンディアが現れる。精霊たちはウィンディアが現れるとぴたりと騒ぐのをやめ、静かにした。
守護神ウィンディア「そろそろかのぉ。可愛い我らが子供たちに幸いあれっ!」
守護神ウィンディアがそう唱えると、クムサスとリアナの目の前が一瞬だけ眩く光り、そして白い雪の様な光の粒がふわふわと舞い降りた。
リアナ「わぁ…綺麗。」
クムサス「そうだな。」
リアナ「なんだか一緒に見れてよかったね。」
クムサス「うん。じゃぁ家に帰ろうか。」
聖室を出た後は、長い通路の向かって右脇に小さな扉がある。そこをくぐり抜けて精霊式は終わりとなる。
小さな扉を抜けて神殿脇の外廊下を通り、大きな正面扉付近まで来ると神官が一人立っている。
神官「お疲れ様でした。今日は寄り道せずに家に帰るのですよ。御父上や御母上に無事に精霊式が終わったことを報告しなさい。」
にこりと優しく微笑む若い男性の神官へ「ありがとうございました。」と2人は会釈し、神殿を後にする。
手をつないで帰り道を急ぐ2人はこの時、不思議と違和感を感じていなかった。
サク…サク…サクッ。春先にも拘わらずまだまだ寒い。
家路を急ぐ二人の頭上にちらりちらりと雪が降り始める。
クムサス「わっ、雪が降り始めた。」
リアナ「本当だ!お兄ちゃん、早く帰ろうよ。」
先ほどまでは感じなかった違和感が一気に押し寄せる。
クムサス&リアナ「えっ?!」
二人はお互いの顔を見合わせて更に驚く。「なんで入れ替わっているの?」と。
雪がちらつく薄暗い空の下、幼い兄妹は足取りも重く悩んでいた。
リアナ「お兄ちゃん…。なんで……。」
クムサス「知るかよっ。リアナが祭壇前でくしゃみなんかするから…。それに、聖典の話の時だって、お前おしゃべりするし…。」
リアナ「なんでそんな意地悪いうの。私のせいなの?!うぇぇえ~…ごめんなさい~。」
クムサスが怒ると、一つ年下の妹はすぐに泣き始める。そんな泣き虫の妹は甘え上手で両親からも可愛がられていて、クムサスはいつもズルいと思うのだ。
クムサス「なんで、なんでこんな事に。お前、リアナだよな?どうして…こんなの有り得ないだろ。」
目の前で泣いている少年は自分とそっくりな姿。だけど、しゃべる口調はいつも見ている妹のリアナ。精霊式を終えた後、クムサスとリアナは身体が入れ替わってしまった。
クムサス「父上と母上に何て言ったらいいんだ…。身体が入れ違っちゃうなんて。」
リアナ「お兄ちゃん、待ってよ…。」
泣きべそをかきながらついてくる自分の姿にますますどうしていいか分からなくなるクムサス。
クムサス「だって…!!気持ちが悪いじゃないかっ!泣きべそかいてるのが自分の姿で、お兄ちゃんなんて呼ぶんだぞっ!」
こぶしにぐっと力を込めて投げ出したい気持ちをこらえるクムサス。だけど妹にそう言い放った彼もまた目に涙を浮かべている。
リアナ「私がちゃんとしなかったから、入れ違っちゃったんだ…。…ひっく、ひっく。」
一層強く拒絶すると妹のリアナはしゃくりあげて泣き始めた。
「はぁ………。」と一つ溜息をつくとクムサスは、いつものように「ほら。」と手を差し出す。
クムサスは女の子になった自分の手を見る。差出した手を握り返してくるのは、自分の手で。奇妙な気持ちを抱えながら2人はつぶやく。
クムサス&リアナ「どう説明したらいいんだろう…。」
鈍色の空を見上げると降り積もる雪重くは重く冷たく、深々と心に降り積もってくるように感じられた。
唐突だがキャロス家は子爵家である。
とは言え王直轄区や中央の公爵家管轄区域の貴族とは違い、ここフォード侯爵管轄区内にある田舎の子爵家であるから、貴族とは言え煌びやかではない。
茶会だの夜会だの貴族の交流がない分、この区域は貴族と平民の分け隔てが少なく平和だ。
そんな片田舎の子爵家の屋敷は執事やメイドなど居はしない。だけど豪華ではないものの、そこそこ大きな家ではある。
家の扉の前で固まる兄妹2人。「はぁ………。」と大きなため息をつく
クムサスが苦々しい表情で扉を開けようとすると、妹のリアナが先にドアノブに手をかける。
リアナ「………私が言う。だって私のせいだから。」
泣いた後の赤い目をしたリアナが震える声で言う。
クムサス「見た目はお前だけど、中身はこれでもお兄ちゃんなんだぞ。大丈夫だ。ほら、どくんだ。…僕が言うから。」
僕が私がと家の前で押し問答していると、玄関の扉ががいきなり開く。
メリル「何を表で言い争ってるの。喧嘩ばかりなんだから…。」
リアナ「母様、あのね…。」
メリル「どうしたのクムサス。母様なんて。リアナみたいよ。」
ギュスト「おぅ、お帰り2人共、精霊式はどうだったんだ?ちゃんといい子に終えたか?」
いつもの穏やかな笑みで言う父ギュスト。堪えきれなくなったリアナがギュストに抱きつき、わっ!と泣き始める。
リアナ「父様、ごめんなさい~!!私がおしゃべりしたから…!くしゃみしたから…っ!」
メリル「えっ?えっ?どういうことなの?!」
流石というべきなのか、異変にすぐに気づいたのは、日頃子供たちの様子を細かにみている母メリルの方だった。
ギュスト「お?どうしたクムサス。小さい頃に戻ったみたいだなっ!」
リアナ「違うのっ、違うのっ。私はリアナなの!!」
ギュスト「どうした。弟妹で入れ替わりの遊びでも始めたのか?」
父の言葉を聞いて、ギュッと口を唇をかみしめ俯くクムサス。「今日はリアナがおとなしいな。まるでクムサスみたいだ。」
わははっと泣きついてきた子供たちを見ながら茶化すように笑う夫。それを見ながら、この異変が深刻なことを察したメリル。
メリル「ギュスト…。もしかしたら、とても困ったことになっているかもしれないわ。」
ギュスト「ん?うん…。」
自体が呑み込めないフリをしていたギュストも、子供たちの異変に気づいており神妙な顔つきになる。
ギュスト「2人共、とりあえず家の中に入りなさい。ここは寒い。」
メリル「………そうね。身体が冷えているわ、暖かいミルクを作ってあげる。いらっしゃい。」
普段はあまり泣かないクムサス、両親によく甘えてくる泣き虫なリアナ。なのに、今日は二人がちぐはぐで。
てっきり2人で入れ替わりをして悪戯でもしてきたのかと思っていたのだが、まるで本当に入れ替わったように思う両親だった。
13歳なのでそろそろ部屋を分けてもいいが、クムサスとリアナは2人で一部屋に寝かされている。リアナが特に暗闇を怖がるからだ。
兄妹が小さい頃は、夜な夜な忍び込むリアナを仕方なく両親の部屋に寝させていたが、それをクムサスが羨ましがり寂しそうにするので結局家族みんなで寝ていた。
だが2年前にクムサスが学舎に通うようになり、いずれ独り立ちすることを意識し始めると、クムサスは今日から一人で寝ると突如言い出し、自分の部屋のベッドで寝るようになった。
すると何故かリアナは「お兄ちゃんと一緒の部屋がいい。」と言い始めた。
不思議に思っていた両親だが、クムサスがいいのなら一緒でもいいと先に言い始めたのは父ギュスト。
ここフォード領は農民にも慕われ、積極的に農地に関わっている領主で地区自体がかなりのどかである。
片田舎とは言え貴族なので男女が同室という事には母メリルも反対していたが、キャロス家もは貴族と言えど平民の暮らしに近いことから、見とがめるメイドもいないしと最終的には折れた。
そしてクムサスは妹に意地悪をしているようでとことん甘い。両親でさえ呆れるほどに甘いのだ。
追い出しても追い出しても朝になれば布団に潜り込んでくるリアナに、いつしかクムサスも何も言わなくなった。
結局、リアナは誰に対しても甘え上手で、それはクムサスにとっても例外ではない。
子供部屋に寝かされた2人にメリルが言う。
メリル「今日はしっかり眠って。明日また考えましょう…。おやすみなさい2人とも。」
チュッとリアナのおでこにキスをする。普段は恥ずかしがるクムサスも今日はおとなしく母のお休みのキスを受け入れる。
クムサス&リアナ「おやすみなさい。」
母親が部屋を出た扉の音を確認した後、兄妹は窓の外をじっと眺めながら言う。
リアナ「明日には戻ってると思う?」
クムサス「どうかな…よく、わからないけど、リアナ。」
「なに?」と寝転がったままクムサスの方へ首を傾けるリアナ。
クムサス「僕はお前がくしゃみをしたから入れ替わったとは思ってないんだぞ。そんな事で守護神ウィンディア様が怒っていたら、この地域のあちこちでみんな入れ替わっちゃうだろ?」
リアナ「こんな寒いところでくしゃみしない子はいないから?」
クムサス「そうだよ。」
リアナ「なにそれ。」
2人は顔を見合わせクスクスと笑う。
「コンコン…。」
扉をノックする音が聞こえる。
ギュスト「そろそろ寝なさい…。それとも、寝れないのか?父様が抱きしめながら本を読んでやろうか?」
心配になったギュストが声を掛けるが、仲の良さそうな2人を見て安心するや揶揄い始める。
リアナ「今日はもう寝る。ありがとう父様。」
ギュスト「…わかった。じゃぁ、風邪をひかないように布団をしっからい被るんだぞ。」
クムサス「おやすみなさい、父上。」
ギュスト「あぁ、おやすみ。」
そして兄妹は目をつむる。…明日起きたら全部夢でした!なんて、そんな明日が来ますように、と。
メリル「子供たちは?」
ギュスト「あぁ、意外に仲良くしていたぞ。」
コト…。と暖かいサルアの飲み物をギュストへ出す。
サルアは柑橘の一種で酸味が強い果実だ。子供たちはしぼり汁に水と蜂蜜を加えて飲むことが多いが、甘いものが苦手なギュストはサルアのしぼり知るだけを水に入れて飲む。
ウイスキーにサルアのしぼり汁を少しだけ混ぜお湯で割って飲むのが、サルア酒。この地方の大人たちの“ツウ”な飲み方だ。
ギュスト「ありがとう。」
ギュストは出されたサルア酒をひとくち口に運ぶ。
ギュスト「はぁ………温まるな。さて…どうしたものか。」
メリル「前例がない事だわ…神官長へ相談しなくては。ギュスト、明日の早くに神殿へ行きましょう。」
ギュスト「子供たちには酷な話になるかもしれない、私たち2人で行こう。」
メリル「ええ、そうね…。明日になれば戻っているかもしれないし。」
もし戻らなかったら…と続けようとするギュストにメリルは、しぃ…と人差し指で合図する。
あぁ。と子供たちがまだ寝ていないことにギュストは気づき、右手でさっと手で覆うしぐさをする。
ギュスト「まいったな。なんだか君の方が肝が据わってる。」
ギュストは苦笑いする。
メリル「そんな事ないのよ。でも一番不安なのはあの子たちだもの。」
不安そうに瞳の奥が揺れるメリル、ギュストは彼女の肩を抱き、優しくさするのだった。
結局朝方まで寝付けなかったクムサスとリアナは、朝日が昇り始めてから眠りはじめ、起きたのは昼の刻を過ぎてからになる。
ぐっすり寝坊した兄妹は、両親から衝撃の知らせが伝えられることをまだ知らない。