009.エレオニカ
エレオニカ。18歳。女性。パーナム王国南、リーグス伯爵領に存在するノース村の出身であり、現冒険者ギルド受付嬢。
エレオニカが知能を発現させたのは5歳の夏であった。いつも通り、エレオニカの母、アクリルと、父、オーレが開催する村内言語塾という言葉を教えてもらえる塾にて。その他の子供から頭一つ抜けた成績を叩き出した。それだけではない。他にも教える算術、多言語、生物学。全てを頭に吸収していくのだ。
自身の娘が才女だと分かると、二人はエレオニカの将来を考え始めた。
アクリルとオーレの過去の職業は特殊だ。アクリルは国のお膝元で真偽官として、オーレは文官として職務に励んでいた。これは二人の身分が導いたことで、二人自身が望んだわけではない。なるべくして、という言い方が正しい。そんな人生を歩んだからか、二人はあんな多忙な仕事、自身の娘に経験させたくないと二人の意見は一致した。
しかし、それに待ったを掛けたのがエレオニカ本人である。なんと、自分から学校に行きたいと懇願したのだ。二人は当然、理由を聞く。これに、エレオニカは「将来楽したい」と真顔で答えた。その言葉に二人は暫く呆然としたが、二人は大笑いしてエレオニカを応援した。
そうして8歳。エレオニカは王都の庶民向けの初等学校へと入学した。それからエレオニカは成績上位で学校を卒業し、12歳で中等学校へと入学。見事留年することなく15歳で中等学校を卒業した。
その後、エレオニカは就職先として冒険者ギルドの受付嬢として就職。おおよそ3年、恙無く仕事をこなしてきた。
これがエレオニカという女性の歩んだ道であった。
* * *
夕刻。緑と白で統一された制服を着こなし、トートバッグを持ったエレオニカは一人、業務にて共鳴の方舟のギルドホームへと向かっていた。その業務とは当然、今朝方先輩であるシャイナに頼まれた護衛依頼の達成書の配達である。
クランホームに向かう途中、エレオニカはエンバーのことを考える。一昨日、生顔を見るため覗いていたジョブの設定。その際にチラリと見えたが、エンバーはテイマー(ファイター)のジョブを授かっていた。自身で性格が悪いことを自覚しながら、心の中でガッツポーズをする。即ち、「こんなジョブであれば冒険者など出来ない。村に帰る」というシナリオを考えていたのだ。
ギルドカードを受け取ってからの動向として、ゴードンと行動を共にしているということは知っているが、それ以外は分からなかった。極論、この町中で遭遇しても不思議ではない。
そう思うと、エレオニカは視線を気に始めた。辺りをキョロキョロしながら歩いている姿は完全にお上りである。
エレオニカは極力人に見つからないよう隅を歩く。路地裏に繋がる道は一度確認し、それから早足で通過する。
辺りにいる人から「騎士に通報した方が……?」やら「あのおねーちゃん」「こら、見ちゃいけません!」などと聞こえてくるが、そんなことは今のエレオニカにとっては些細なことである。
やがてクランハウスにたどり着いたのはギルドを出てから一時間ほど経ってしまった頃だった。
エレオニカは息を整えてクランハウスのドアフォンを押す。すると、「ジリリリリリリ」という音が鳴るのが聞こえる。
エレオニカは人が来るのを待つ間、これから毎日、こんなことをしなければならないのかなどとゲンナリする。いっそ、見つかった方が楽か? などと自暴自棄気味の答えを出すが、そんな答えをすぐさま頭から消し払う。
「……こない?」
ドアフォンを押して数十秒。なかなか来ないことに珍しさを覚えつつ、再度ドアフォンを鳴らす。すると中から、「はーい、いま開けまーす」などと聞こえてきた。
この時。あれ? 聞いたことある声? などと思うが、考えてみれば共鳴の方舟はこの町では有名だし、当たり前か。などと考えたが、ここで隠れていたら、もう少し違う未来があったかもしれない。
再度ドアフォンを鳴らし、声が聞こえてから数瞬、ドアがガチャリと開く。
ドアが開いてそこにいたのは黒髪の少年であった。身長差故に顔は見えないが、十歳ほどの身長をしている。
「(……ん?)」
この時点で、嫌な予感はしていた。
だが、心の中ではそれを固く否定する。何せ、彼のジョブは超不遇と言われるものである。ここはこの町でもトップスリーに入るレベルのクラン。そんな場所に、そんな少年が入れるのか。答えは否であろう。
ドアから出てきた少年は顔を上げる。見覚えのある蒼色の瞳。幼い割に整った顔立ち。間違いない。エンバーである。
「……あれ?」
「え……?」
二人の視線が交差する。
エンバーはキョトンとした顔でエレオニカと目を合わせる。
この時、エレオニカは一筋の希望を抱いた。もしかして、私のこと知らないんじゃね?という一筋の光を。
「(もしかして、私のこと知らな--)」
「エレオニカ、さん?」
「(終わったー)」
エレオニカは心の中で安寧という概念にさよならを送る。しかし、心の中のエレオニカは待ったを掛ける。
「(いや、待てよ……?)」
いくら冒険者とは言え、相手は十歳の子供である。もしかしから、誤魔化しが効くのでは?と。エレオニカは考える。とても、村一番の才女とは思えない発想である。
「エレオニカ、ですか? 誰です、それ?」
我ながら、性格悪いなとは思う。
だが、これは自分の安寧の為だと自身に言い聞かせ、尚、出任せを捲し立てる。
「え? 別人、ですか?」
「はい。私はエレオニカではなく、ラ--」
「あれー? エレオニカさんじゃん!」
ビクリ、とエレオニカの身体が跳ねる。
エレオニカは油のささっていない機械のようにギギギギと首を声の方に回す。
そこには、無邪気に、笑顔で手を振るメイナの姿があった。その姿は、端から見れば普通の光景に見えたかもしれないが、エレオニカからすれば悪魔の嗤いに見えた。
* * *
どうしてこうなった。と、自身の中で自分に何度も問いかけるのは、何故か共鳴の方舟のクランホーム内にある対応室に居たエレオニカである。
あの後、訝しむ目で見てくるエンバーに色々と無理のある言い訳をしていると、メイナが話の中に割り込み、二人の関係を無理矢理聞き出された。ここで同郷ということを話せば、絶対に面倒なことをされると考えていたため、仕事だけ済ませてすぐに帰ろうしたが、エンバーがあっさりと同郷だとバラしてしまった。エンバーに対し恨みの視線を送るが、意思返しなのかそっぽを向いたままであった。その後、積もる話しもあるだろうと、半ば無理矢理ギルドホームに入れられたのである。
「ゆっくりしていってねっ!」
と、それだけ言って、達成書にサインをしたメイナは対応室の扉を勢いよく閉めた。満面の笑みで。
はぁ……、とエレオニカはため息をつく。元々避けようとしていた少年と二人きりで一室に籠るなんて、なんたる拷問なのだろうと心の中で悪態をつく。
気まずい空気の中、なにを話せばいいかを考えていると、先にエンバーの口が動いた。
「……まずは、謝罪を。メイナも悪気は無なかったと思いますが、半ば無理矢理連れてくる形になってしまい、すいませんでした」
ペコリ、と頭を下げるエンバー。
それに対し、エレオニカは目を丸くする。暫しの間時が止まるが、何とか再起動したエレオニカがエンバーの頭を上げようとする。
「気にしないで下さい。特に、気を悪くしている訳ではありませんから。それに、ある意味自業自得というか……」
この時のエレオニカは、見た限りではかなり冷静だったが、内心はかなりビックリしていた。ここまで礼儀正しいとは思ってなかったのだ。10歳といえばまだまだ悪ガキほどの年齢だ。実際、冒険者にもそういう者は多い。それなのに、この少年は素直に頭を下げたのだ。この一連の流れで、この少年が共鳴の方舟に相応しいという一面を垣間見た気がするエレオニカである。
最後の方はゴニョゴニョとしていてエンバーには聞こえなかったが、許しが出たと判断し、頭を上げた。
それと同時に、部屋の外から「ワフッ!」という鳴き声が聞こえてくる。エレオニカが何事かと扉を見るのを横目に、その声を聞いたエンバーは席を立ち、扉の前に立つと、ドアノブを捻る。
扉の外にいたのは、フォレストウルフであった。こんなところにいるフォレストウルフなど一体しかいない。エンバーのテイムしたリングである。そんなリングであるが、エレオニカから見て見覚えのあるリュックを口で咥えていた。どこで見たのかと考えれば、過去にエンバーが背負っていたリュックであった。
エンバーはリュックから一枚の写真と思しい物を取り出す。リングに感謝を告げると、扉を閉め、座っていたソファーに腰を掛けた。
「これ、返します」
そういって手渡されたのは、エレオニカが入学当初友達の母親に撮ってもらった全体を写した写真であった。
「それから、アクリルおばさんからの伝言です。『たまにでいいから、顔を見せなさい』だそうです」
エレオニカは写真を見てうつむく。
暫く何かを考えているのか、エレオニカは写真を見たまま微動だにしない。
やがて、エレオニカは顔を上げ、口を開いた。
「ガルって、分かりますか?」
いきなり出てきた名前に首をかしげつつも、村を出た時の彼のことを思い浮かべる。
「ええ、まあ。村長の孫ですよね」
ガル。ガル・ノース。現村長であるノルノス・ノースのたった一人の孫であり、次期村長候補では必ず名前が上がる人物である。その人物像としては、祖父が村長であることからその権力を乱用し、村でかなり好き勝手やっている我が儘小僧。なにか気にくわないことがあれば、村から追い出すだの、迫害するだのを言いふらし、煙たがられている存在である。
「はい。そのガルです。実は、その……五年程前から、彼に、脅迫の手紙を受けていまして……」
「脅迫ですか!?」
思わず目を丸くするエンバー。
エレオニカは再び俯き、「はい」と答えると、ツラツラと自身が村に帰りたくない〝本当〟の理由を話し始める。
「具体的に言えば、俺と結婚しろ、と。でなければ、お前たち一族を村から永久追放するって」
「えぇ……」
無茶苦茶な言い分を聞かされ、そんなバカなとも思うが反面、アレならばそんなことを言っても不思議ではないとも思う。
「で、なんと返したので?」
「いえ、まだなにも。流石に怖くて。最近こそ、支部を知らせていないので手紙は来ませんが、学校に在学中は月一で手紙がくるもので……」
エンバーは目を閉じ腕を組み、考える。
その姿を心配そうに見るエレオニカ。情けない話だが、エレオニカは彼に、10歳の少年に期待してしまっているのだ。今までの子供らしからぬ行動に当てられたのか、妙に期待に胸を膨らませているのだ。
やがて一つの結論に至ったのか、エンバーは目を開いた。
「……貴女のお名前は?」
「……はい?」
いきなり、変なことを言い出すエンバー。頭でも狂ったのか? やはり、10歳なのか? と不安に思うが、正直に再度、自身の名前を口に出す。
「私は、エレオ--」
「貴女のお名前は?」
「……へ?」
自己紹介をぶったぎり、再度名前を聞いてくるエンバー。何が狙いなのかは分からないが、再度名前をいい掛けたところで、エンバーの意図を察した。
「だから、私はエレ--いえ、私はライルです」
「そうですか。ライルさん。実は、自分はエレオニカという人物を探しているんですが、知りませんか?」
「さて。記憶してませんね」
などと、一通りの茶番を演じたところで、ライルもとい、エレオニカが疑問の声を上げる。
「……茶番には乗りましたが、意味あります?」
「ないですね。まあ、口裏を合わせみたいなものですよ、ライルさん。俺が書く手紙には、エレオニカという人物は居なかった、と書いておきますね」
「……助かります」
エレオニカは深々と頭を下げる。
エンバーは困ったように笑う。
「頭を上げてください。ただ、そうそう無いとは思いますが、アイツがこっちまで来たら誤魔化しが効きませんからね。気を付けてくださいよ?」
「ふふ。はい。分かりました。それより、お母さんは--」
そこから先は恙無い話を繰り返した。
アクリルおばさんの様子やオーレさんの様子。村に新しく来た人。残念ながら、村で亡くなった人。結婚した人。子供が産まれた人。沢山話をした。
初めに比べて、笑顔がより華やかになっているのは気のせいではないだろう。安堵し、悲しみ、喜ぶ。明らかに、初めに比べてそれは鮮やかになっていた。
それから一時間ほどが経過。流石に、そろそろ行かなくてはならないらしく、エレオニカはギルドホームの出入口に立つ。
「それじゃ。手紙の件、お願いします」
「ええ。任されました。上手くやっときますよ」
エレオニカはドアノブに手を掛け、扉を開けた。
「本当に送らなくても?」
「大丈夫です。まだ業務もありますし」
何より、一緒になんて先輩たちから何て言われるか……。などと呟くが、エンバーの耳には入らなかった。
「え? 何ていいました?」
「何でもない。それじゃ、またね」
エレオニカは小さく手を振る。
それに対し、エンバーも手を振り、「はい。また後日」とだけいい、扉は閉められた。
エンバーは疲れていたのか一息付く。
そのまま後ろを振り返ると、そこにはニヨニヨとした笑みを浮かべているアイリスの姿があった。
「どうした? そんな気持ち悪い笑みを浮かべて」
「いやいや。なんか、いい感じだなぁ。と、思ってね? もしかして……もしかしたりするのぉ?」
エンバーはため息を付き、エンバーは勘違いをしているアイリスを可愛そうな物を見るような目で言った。
「冒険者にとって、受付嬢とのコミュニケーションは大切だろう? ましてや、エレオニカさんは同郷だからな。仲良くしておいて損はない」
「えぇ……マジィ?」
エンバーは、そんなことよりお腹空いたなぁなどと呟くが、アイリスはエンバーに対し少し呆れていた。十歳だからか、鈍感だからなのか、エレオニカが抱く初めのエンバーに対する印象と、帰り際の印象というのは大きく違っていた。恋する乙女、というほどではないが、明らかに気にかけているのは見てわかった。
だがアイリスはアイリスで、これは黙ってた方が面白そうだなということで、黙って見守ることを静かに誓うのであった。
立った!フラグが立った!
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