12、月の下
四郎は鈴音と約束した時間に約束した場所にやってきた。
特に緊張することもなかった。
四郎はいま人間の身を遠く離れた感覚にあった。
そんな感覚で見るこの世界はとても特別なものに映った。
月の光がとても神々しく感じられた。
木々を揺らす風はどこかから渡って来た生き物のように感じられた。
鈴の音が響いた。
闇夜の中に、静かに響いた音色は神の導きのようであった。
四郎の視線の先に鈴音が現れた。
いつもとはまったく違う姿の鈴音がそこにいた。
月明かりに照らし出された彼女は人間を超えた存在だった。
四郎はしばらく鈴音の姿に見とれていた。
彼女の身にまとっている真紅の着物は、かつて四郎が最後に見た紅の猫を思わせた。
猫神として、この地に祀られている姿そのものだった。
鈴音は猫神そのものなのかもしれない。
四郎も猫神については自分なりに調べてみた。
正式な記録は残っていなかった。鈴夜は詳しい伝説を知っているかもしれないが、おそらく尋ねても教えてはくれないだろう。
四郎は近所の老人宅を巡って、できる限りの情報を集めた。
現時点でわかっていることは以下の3つ。
1、猫神は人間と神の一生を輪廻転生により繰り返し、この世界の調律を担っている存在。
2、猫神は少なくとも日本国の興りの時から、この町の一族によって崇拝されていたということ。
3、猫神の導きを受けた者は最も美しい世界を構築する責務を担うということ。
こんなものはしょせん伝説。日本昔話と変わらないものだ。
しかし、実際に四郎が経験した奇跡はその伝説が真実であるとしなければ説明がつかなかった。
四郎は自分が猫神の導きを受けた者なのかもしれないと考えるようになった。
そんな自分が背負った責務とは何か。今、四郎はそれを追いかけていた。
そんな四郎のもとに鈴音が現れた。
彼女が何者なのかはわからない。伝説にある猫神の生まれ変わりなのか、まったく関係ない一人の少女なのか。
四郎が見とれていると、鈴音が近くまでやってきた。
「きれいでしょ?」
鈴音の問いに、四郎は無言でうなずいた。
「これ1200万円もしたんだって。おばあちゃんいわくだから、本当かわからないけど」
「鈴夜先生から受け継いだのですか?」
「違うよ。3年前に作ってもらったんだよ。おばあちゃんがね、岡山のずっと山奥に住んでいる鶴谷っていう人に依頼したって。まるで鶴の恩返しみたいな話で面白いでしょ」
鈴音はいつもとは違ってよくしゃべった。鈴音が積極的にしゃべる姿は普段ほとんど見ることができなかった。
「でも、私が神社を継がないことになったから、お蔵入りね。1200万もしたのに、もったいない話だけど」
鈴夜は鈴音が神社を継ぐ予定で、この紅の着物を用意したのだろう。
そのために1200万円もつぎ込んだとすると、鈴音が神社を継がないと言ったときはショックも大きかっただろうと思った。
四郎は紅の着物から特別な力を感じていた。着物から織り手の強い想いが伝わってくるようだった。
鶴谷という人がどういう人かはわからない。四郎は鈴夜と同じ風格を持つ存在だと想像した。
「これからどこに行く?」
鈴音が尋ねた。
一応、デートという体裁で鈴音とは会っていた。
四郎はデートの持つ意味をほとんど理解していなかった。デートの経験なんてなかったし、デートに対する思想も何も築いていなかった。
男女が仲を深めるための寄り合いなのか、ただの暇つぶしの娯楽なのか、もう少し特別な意味を持つものなのか。
四郎は特別な意味を持たせたいと思った。
目の前にいる鈴音はあまりに美しい。およそ、現代の普遍的な男女と同じ体で接するのがおこがましい存在に見えた。
しかし、普遍を超えた接し方など何も思いつかなかった。
四郎は言ってみた。
「では月の導くままに」
四郎はそう言って空を見上げた。キザに振舞おうとしたわけではない。本当に空に浮かぶ月は美しかった。その導きならば間違いないと思った。
鈴音も月を見上げた。
「ここにある月はとても美しいです。僕はこの地に来て感動しました」
「月なんてどこでも一緒じゃないの?」
「物理的には、どの場所からでも同じ月を見ているのだと思います。しかし、物理的な現象が僕を突き動かすまでには、いくつもの神秘的な干渉があるとも思っています」
四郎は自然と難しい話をしていた。背伸びをしてみたわけではない。この地で一生を終えて、神秘的な奇跡によって再び戻って来た四郎にとって、神秘という概念は科学と同じぐらいに信頼できるものだった。
「四郎君、君やっぱり面白いね」
鈴音はそう言って笑みを浮かべた。
ドン引きされるかと思ったが、鈴音は真逆の反応をしてくれた。
「じゃあ、月の導きのままに連れてって」
鈴音は手を差し出した。
四郎はその手をゆっくりと取った。鈴音の手を優しく握り締めた。
異性を意識する思いよりも、神秘的な瞬間に立ち会ったのだという思いが先行した。
「月はどっちに行けと言ってるの?」
「こちらへと言っています」
「本当に? 四郎君、月としゃべれるの?」
「いえ、風がこちらに向かっていましたから」
「風? 月じゃなかったの?」
「時にその二つは調和するのではないでしょうか。いまはその時だと確信しています」
四郎は初心な高校生が紡ぐことのない言葉ばかり紡いだ。
鈴音はそれを楽しそうに聞いてくれた。
拒絶されることはなかった。むしろ、鈴音は積極的について来てくれた。
月の導きに特別なことはなかった。
ただ夜道を歩くだけ。
一人でこの夜道を歩くのは度胸がいるだろう。
あたりは、どこから幽霊が出てきてもおかしくないほど人の世から外れた暗がりだった。
そんな世界にあっても、二人が手を取り合っていれば、恐怖心はなくなった。
二人はそんな異世界を歩いた。ずっと永遠の時を歩むようだった。
◇◇◇
四郎は夢うつつのままに目を覚ました。
目を覚ますと、梅津の家の二階にいた。
昨夜、鈴音と会ったことは覚えていた。
二人で手をつないで暗闇を歩いたということも覚えていた。
しかし、それ以降の記憶がなかった。
あれから気が付くと、梅津の家に戻っていた。
四郎は昨夜の出来事は夢だったのだろうかと思った。




