11、鈴の音
昨日のパーティーほどではないが、松田の家にはそれなりに人が集まっていて、四郎がやってくるころには、にぎやかな雰囲気になっていた。
「おー、来たか。座れ座れ」
すでにそれなりに酔っていた松田が四郎を捕まえて、隣に座らせた。
「おら、遠慮せずに飲め飲め」
「あほ、未成年に何言っとんのじゃ」
松田の隣には厳しい女房がいて、四郎に酒を勧める松田の頭を叩いた。
ちょうど四郎の隣には鈴音の姿もあった。向かいには優一の姿もあり、熱心に英単語帳に向かい合っていた。
鈴音の祖母である鈴夜の姿は見えなかった。
それに気づいた梅津が尋ねた。
「ありゃ、鈴夜先生は来られてないんけ?」
「神社行っとるて」
老父の一人が言った。
「こんな時間までご苦労様じゃて、うちらも手伝おう言うけど、鈴夜先生は絶対いらん言うからね」
誰かがそう言った。
「まあ、信心のねえもんが神社でうるさくしたら野暮だろ」
松田が言った。
四郎は鈴夜の姿を思い浮かべた。
四郎が神社に足を踏み入れたときも開口一番に「出ていけ」と言われた。
鈴夜は神聖な場所にふさわしくない者の干渉を許さなかった。
ゆえに、町の人が神社の管理の手伝いに出ることはなかった。
市役所も鈴夜の頑固には頭を悩ませているようだった。
猫神神社を正式に「神社」として登録すれば、土地の固定資産税や修繕費が税金から一部支給されるようになるのだという。
しかし、鈴夜はそれを頑なに嫌った。
今でも、鈴夜は自分の稼ぎのほとんどを神社のために使っているという。
鈴夜は意外にも司法書士の資格を持っていて、80を過ぎた今でも定期的に仕事に出ているという。
そして、たった一人で神社を支えていた。
「しかし、鈴夜先生が亡くなったら、さすがに役所の世話にならんといかんだろな」
「あんたがいらん心配せんでも、あんたより鈴夜先生のほうがずっと長生きするさね」
「違いねえ。ははははは」
笑いが起こって、この話はうやむやになったが、鈴夜の後を継ぐ者の問題は真剣に考える必要があった。
四郎はちらりと鈴音のほうに目を向けた。
鈴音が神社を継げばその問題は解決する。
鈴音はスッと刺すような視線を返してきた。
四郎は目をそらした。
話によると、鈴音は高校を出ると、都会に出る予定だという。
すれば、猫神神社は鈴夜の代で、本来の姿を失ってしまう。
それは幸か不幸か、どちらとも言えない。
市役所の援助が入れば、パンフレットや地図にも神社のことが記載され、場合によっては町をあげた祭りを開催するなどで、今より手厚い資金で神社を運営することができるようになる。
しかし、鈴夜が今日までその援助を断っていたのには理由があるのだろう。
それは四郎が出会った奇跡と関係しているのかもしれない。
四郎は他人事とは思えなかった。
鈴夜の猫神神社にかける思いをこのまま終わらせたくないと思った。
しかし、自分に何ができるのか。しょせんはよそ者。できることなどなかった。
◇◇◇
夕食も佳境に入って、松田をはじめ幾人かの老人たちが酔い潰れていびきをかきはじめていた。
「ほんまに男どもはだらしないね」
松田の女房が松田を蹴飛ばしたが、松田は起きなかった。
「片付けはこっちがしますんで、気遣わんでええから」
「いえ、手伝います」
田舎の人たちの結束は硬いので、残った女性陣が後片付けを始めた。
「僕も手伝います」
「偉いねえ、四郎君は」
四郎も手伝いに入った。
缶ビールがあちらこちらに転がっていたので、すべてを回収した。
「缶は玄関口に出しといて」
「はい」
四郎は玄関口から外に出た。
外の空気が触れるとひんやりとした。そして、あちらこちらから虫とカエルの鳴き声が聞こえて来た。
次に聞こえたのは鈴の音だった。
その音のほうに視線を向けると、闇の中に鈴音の姿があった。
食事の途中で抜け出した鈴音は闇の中に身をひそめていた。おそらく、あまり人付き合いが好きではないのだろう。それは彼女の雰囲気からも理解できた。
鈴音は高校を出た後は都会に出る予定にしているが、それもこうした田舎の雰囲気を避けたいという思いが強かったからなのかもしれない。
目が合ったので、四郎は頭を下げて簡単に挨拶した。
「蚊に刺されますよ」
すると、鈴音は上半身を小さく揺らした。その時に彼女の身につけていた鈴が鳴った。
四郎には、その鈴の音がとても心地よかった。
「その鈴は鈴夜先生から授かったのですか?」
四郎がそう尋ねると、少し間を置いてから鈴音が答えた。
「牢獄」
「……?」
「遠くに逃げないように」
鈴音は闇にかき消されそうな声でそうつぶやいた。
鈴音が見下ろした先には一匹の猫がいた。その猫にも鈴がつけられていた。鈴音の持っている鈴とはまた違う音色だった。
鈴音は腰を下ろして、その猫を抱え上げた。人は苦手だが、ネコは好きなようだった。猫も鈴音によく懐いていた。
「その猫は誰かの飼い猫ですか?」
「タマ」
「タマという名前なのですか」
四郎は少しだけ鈴音に近づいた。あまり近づきすぎると、鈴音が嫌がるかもしれないと思ったので、あえて距離を取って様子を見ていた。
「にゃー」
タマは鈴音の手からするりと抜けて、四郎のもとにやってきた。それから四郎のすねに抱きついた。
「ふられた」
「空き缶を持っていたからでしょう。これは食べ物じゃないよ」
四郎はタマを抱え上げた。
しばらくタマを撫でていると、鈴音のほうから四郎のほうに向かって来た。
「良くいられるね、君」
「え?」
「面倒くさいでしょ、大人の人たちって」
鈴音は青春時代を生きる少女とは思えないようなことをつぶやいた。いや、むしろその時代らしいつぶやきだったのかもしれない。
四郎は調子を合わせた。
「たしかに独特の雰囲気ですね」
「面倒くさいってはっきり言えばいいよ」
鈴音は老人たちの集まりを悪く見ていた。
この年頃なら決して珍しいことではなかったので、四郎は特に否定しなかった。
「鈴音さん……とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「いいけど、なんで敬語なの? 都会のしきたり?」
「あ、いえ、そういう風習の中で生きて来たものですから」
鈴音は四郎を奇妙なものを見るかのような目で見ていた。しかし、興味深くも見ていた。
「君、何歳?」
鈴音のその質問には、およそ四郎が自分と同じ年ごろではないという確信が込められていた。
「鈴音さんと同い年ですよ。来年、高校を卒業します」
「……意外」
「そうかもしれませんね。それはよく言われます」
四郎は苦笑した。さすがに30年後の世界からタイムスリップしてきたとは言えなかった。
「ねえ、明日私とデートする?」
唐突に鈴音が言った。その後に、彼女の鈴の音が響いた。
四郎はしばらく状況を解することができなかった。
「デートですか?」
「そう」
「あまりに唐突で、どう答えればいいのやら。僕はそういうことと無縁に生きて来たものですから」
「そうなんだ。都会暮らしなのに?」
「都会のきらびやかな姿はただのイメージでしかありませんからね。実際はここから見る闇よりずっと深い闇の充満した世界でしかありません」
四郎は闇夜を見ながら、ありのままに自分の暮らした世界の様子を表現した。
「そうなんだ。楽しみにしていたけど、怖い場所なのね、都会」
「あ、いえ、鈴音さんならまた違った景色を見つけることができるかもしれません。ただ、私にはただ暗い場所でした。この地に来て、世界は明るかったのだということを知ったのです」
四郎はこの地の闇を明るく見ていた。おそらくは鈴音はこの地の闇を深い闇として見ていた。
「明日の夜の8時にあの木のところに来て」
鈴音が指さした場所に、よく目立つケヤキらしき木があった。ちょうど、猫神神社に通じる道中にある木だった。
「わかりました」
二人の間には、青春時代を生きる男女とは異なる空気が漂っていた。
四郎は何か神様の作為があるような気がした。




