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7、歓迎

 四郎は背後に気配を感じて振り返った。


 鬼の形相が四郎をにらみつけていた。

 四郎は背筋が冷たくなるのを感じた。


 そこにいたのは老婆だった。

 背は低く、160センチに満たない。

 しかし、その厳めしい面は鬼というしかないものだった。


 鬼の老婆の後ろには美少女が立っていた。

 美少女は鬼の老婆のような厳めしい面とは対称的に、とてもおとなしい顔つきだった。


 どちらにも共通していたことは、四郎を歓迎していないということだった。


 風が吹き、鈴の音が鳴った。

 鬼の老婆の後ろにいた美少女が髪飾りにつけていた鈴の音だったようである。

 その音はまぎれもなく、かつての四郎が最期の時に聞いたものだった。


「お前は誰だ?」


 鬼の老婆が強い睥睨をぶつけてきた。


「僕は……えっと……この地のことを知りたくて神奈川のほうから来た者です。特に怪しい者ではありません」

「ふん」


 鬼の老婆は四郎を完全に怪しい者として見ていた。


「ここはよそ者が入っていい場所ではない。この聖域から出てゆけ」

「あ、はい」

「早く出てゆけ!」

「すみません」


 鬼の老婆の怒鳴り声が響いた。猫の地蔵の裏側にあった雑木林から数羽の鳥が飛び立っていった。

 四郎は慌てて、地蔵のある場所から道路のほうに出た。


 四郎が出てゆくと、鬼の老婆と美少女は地蔵の前に腰を下ろした。

 持参していた花を手向け、手を合わせていた。


 この地に伝わる宗教みたいなものだろうと思った。二人はその宗教の狂信者なのだろう。

 四郎はしばらく二人の背中を見ていた。

 すると、美少女が振り返り、横目から鋭い視線を向けて来た。


 四郎はそそくさとその場を離れた。

 宗教関係者というのは気難しいから、あまり関わらないほうがいいだろうと考えた。

 四郎は梅津の家を目指して歩き出した。


 その後、もう一度だけ鈴の音を聞いた。

 関わらないほうがいいと思っていたが、あの鈴の音だけはどうしても気になった。

 あの鈴の音は自分をこの世界に導いた響きそのものだったから。


 ◇◇◇


 四郎は梅津の家に到着した。

 インターホンを鳴らすと、「はーい」と穏やかな声の後に、梅津が出て来た。


「こんにちは、豊川四郎です」

「いらっしゃい、楽しみに待っとったよ。さあさ、入りな、お茶が冷えてるよ」

「お邪魔します」


 梅津は先ほどの鬼の老婆とは正反対に、朗らかな面をしていた。ニコニコとほほ笑んで四郎を歓迎した。

 この世界には色々な人がいるのだという当たり前のことを改めて理解した。


「気を付けておくれ。ここの床はね、穴が空いてるところがあってな、ほれ、ここじゃ。ガムテープで修理しても猫がひっかいてしまって、きりがないんじゃよ」


 梅津はとても優しい老人だった。

 梅津はいま一人暮らしだが、同居人はあまたの数いる。


 同居人――梅津の家には猫がたくさん住んでいた。


 四郎が見ただけで5匹はいた。

 2階の階段から2匹が顔をのぞかせている。

 居間に続く戸の隙間にも1匹。


 振り返ると、玄関口から四郎について2匹の猫が歩いていた。

 いずれの猫も人に懐いていて、可愛い顔をしていた。


 居間に案内されるともう1匹の猫がいた。

 その猫は他の5匹とは違っていた。


 ムスッとした顔をした猫が座布団の上に座っている。

 その猫はやってきた四郎に歓迎のない視線を向けた。


 どこか先ほどの宗教の狂信者たちと同じ様子だった。よそ者の四郎に対して冷たい態度を示した。


「ゴン、お客さんじゃから、悪いけど座布団を貸してな」

「……」


 ゴンと呼ばれた猫は仕方なくという感じに座布団の上を離れた。

 ゴンはすぐに四郎に嫌な目を向けた。


 四郎はゴンに座布団を返したが、ゴンの機嫌が戻ることはなかった。


 梅津は四郎のために冷たい麦茶と茶菓子を用意してくれた。


「どうぞ、粗末なものしかないけどね」

「いえ、ありがとうございます」


 四郎は喉が渇いていたので、冷えた麦茶はとてもありがたかった。


「梅津さん、これ道中にいただいたものなのですが、梅津さんに届けてくださいと」


 四郎は道中で農夫からもらったスイカなどの農作物を差し出した。


「あや、こりゃ松ちゃんだね。松ちゃんたらね、私と同い年なのにすごく元気なのよ。昔は飛行機に乗ってラバウルの空でドンパチやってたって。すごい人なのよ」


 四郎は農夫の顔を思い出した。

 たしかに元気いっぱいの老父だった。強さと優しさを兼ねそろえたような顔をしていたが、あれは積み上げた人生の賜物だったのだろう。


「梅津さんもすごく元気ですね。まだピアノを弾かれていると聞いてましたが」

「私なんて全然よ。最近は指もたんと動かなくなってね。思い出の曲も忘れることが多くなったのよ」


 梅津はそう言いながらも、楽しそうにほほ笑んだ。


「そうじゃ。せっかく四郎君が来てくれたんじゃ。今夜は歓迎パーティーを開くとしましょう」


 梅津はそう言って、もう一度楽しそうに笑った。

 四郎はその笑顔を見て、かつての自分はそれを失くしていたのだということに気づいた。

 いったいどこで失くしてしまったのだろう。都会暮らしの積み重ねの間に、四郎はたしかに笑顔を失っていた。


 ◇◇◇


 四郎のために、町の人たちが歓迎会を開いてくれることになった。

 最初はささやかな規模が想定されていたが、しばらくしてやってきた松田がことを大きくした。


「よっしゃ! やるなら盛大にやろう。町中の連中を連れてくる」


 松田はパーティーを取り仕切って、張り切り出した。


 彼は松田優作まつだゆうさく


 梅津と同じ82歳になるという。

 しかし、都会の標準的な若者よりもずっと活き活きとしていた。


 お邪魔しっぱなしでは悪いと思ったので、四郎もパーティーの手伝いをすることにした。


「若いもん、来い。黒毛和牛の買い出しだ」


 松田は軽トラックを用意して、運転席から四郎を呼んだ。


「よっしゃ、行くぞ」


 松田はこの歳になっても、バリバリに車の運転をこなしていた。

 エンジンがかかると、大音量で演歌が流れ出した。

 松田はメロディーに合わせて歌い出した。


 四郎も知っている曲だった。

 30年後も歌われる名曲が次々と流れた。


 軽トラックは前方の山々に向けて進んだ。

 都会にはない景色が広がっている。

 思えば、このような場所に身を置く経験はこれまでになかった。


 ずっと都会暮らしを続け、就職後は仕事と適当な暇つぶしの繰り返しだった。

 文明という牢獄に閉じ込められて、大きな世界を見失っていた。


 こうして窓から見る景色は、四郎が知っている文明の世界の100倍、いや1000倍以上の大きさを持っていた。


 ◇◇◇


 食材を仕入れると、あちこちからやってきた梅津の友人らが料理を作り始めた。

 この町の住民はみな友好的で、四郎を歓迎の意を持って迎え入れてくれた。


 笑顔の質が違うと思った。


 この町の老人たちが持っている笑顔は達人の笑顔とでも言うかのように洗練されていた。

 およそ、都会の人のつくる新米の笑顔とは比較にならない。


 本当の笑顔は他者をみな笑顔にしてしまう。

 余計な悩みも不安もすべて消し去ってくれる特効薬のようであった。


 しかし、四郎を歓迎しない者も一部あった。

 四郎はその歓迎しないものと向かい合った。


 四郎は怖い顔を作った。


「にゃー!」


 歓迎しない猫、ゴンはひるまず、四郎に威嚇を返した。


「ほら、これが欲しいかい?」


 四郎は小魚を宙でひらひらとさせた。


「笑ってごらん」

「……」


 ゴンは絶対に笑わなかった。

 ゴンを除く猫はいずれも四郎に懐いてくれた。

 今も魚をねだって、一匹の猫が背中によじ登って来た。


「にゃー!」

「ダメですね、懐いてくれません」


 ゴンは四郎と敵対する立場を取り続けた。

 そんなゴンも梅津には良く懐いていた。


 梅津が来ると、ゴンはそのほうに歩いて行った。


「ほっほ、ゴンは懐いてくれんか?」

「ずっと警戒されっぱなしです」


 梅津はゴンを抱え上げた。


「この子は捨て猫だったんじゃよ。色々辛いことがあったのかもしれんな」


 梅津はゴンの頭を優しくなでた。

 四郎はゴンの様子を見つめた。自分のことを歓迎してくれなかったが、嫌いにはなれなかった。

 ふと、四郎は今日出会った老婆と美少女のことを思い出した。


 彼らも自分を歓迎してくれなかったが、同じように嫌な気分にはならなかった。

 もう一度、あの鈴の音を聞きたいと思った。

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