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6、帰ってきた終末の地

 四郎は猫神市に向かうために、朝から慌ただしく準備をしていた。

 衣服やタオルをリュックサックに詰め込んで、その上に、千尋から譲り受けたぬいぐるみ「エニグマ」を置いた。

 入りきらず、リュックの間からエニグマの顔が覗いた。


「これでよし」


 四郎はリュックを背負って玄関口に立った。


「なんか変なのが出てるよ。何だい、これは」


 母親がリュックの間から出ていたエニグマの耳を掴んだ。


「守り神の猫です。きっと無事に戻って来られると思います」

「向こうであんまり迷惑かけるんじゃないよ」

「はい、では行ってきます」


 四郎は母親に頭を下げると、長い旅路へと出た。

 母親は今になっても人格の変化した息子の様子に馴染めていなかった。


 今回の旅行は7泊8日で予定を立てた。

 猫神市在住の梅津がその間泊めてくれるという話に決まっていた。


 四郎はその間に、自分がここにいる理由を見つけたいと思っていた。

 猫神市は四郎にとって終末の地。同時に始まりの地でもある。


 四郎は最寄り駅から特急に乗り込んだ。

 自殺のために猫神市に向かった30年後の時と少しだけ路線が違っていた。

 四郎はそれを確認してから特急に乗った。


 しばらくは電車に揺られる旅。

 ちょうど30年後もこうして終末旅行に出かけたものだった。

 あの時と気分は違っていた。あの時は終わりを迎えるための道だったが、今回は生きる道を切り開くための道だ。


 周囲の様子もあの時と違っていた。

 あの時は多くの乗客がスマホを片手に電車に揺られていたが、30年前の現在はスマホのない世界。

 みなが対人でコミュニケーションを取っていた。

 四郎には、それが健全な姿に見えた。文明の利器は人類を正しく導かなかったのかもしれない。闇の先へ引きずり込む悪魔の手のように思えた。


 関東を離れると、乗客はごっそりと減った。


 路線を入れ替えて地方電鉄に乗り換えると、あたりは一面の田舎景色になった。どうしても乗客は減ってしまう。

 それでも、四郎の周りには数人の乗客が残った。30年後の時は四郎ただ一人だけだった。


 四郎は猫神中央駅で降車した。

 四郎以外に降りる者はおらず、駅に駅員は一人もいなかった。降りる際は運転手に切符を確認してもらった。


 人はいなかったが、猫が出迎えてくれた。それは30年後も同じだった。


「変わっていませんね、あの時と」


 四郎は30年後と同じ景色を見ていた。

 あまり手入れのなされていないベンチに猫が寝そべっている。

 いずれの猫もあまり四郎を歓迎していなかった。

 ちょうど、30年後もこの光景があった。


 駅を出ると、そこには猫神市の田舎景色が広がっている。


「懐かしい感じがします」


 四郎は30年後とほとんど変わらない景色を見て、懐かしい気持ちになった。

 四郎が感じた懐かしさはとても特別なものだ。過去を思うものではなく、未来を思うものだったから。


 四郎にとって遠くにある思い出はいずれも未来だった。

 四郎はいま未来という名の過去をめがけて進んでいる最中だった。


 しばらく歩いたが、人とは遭遇しなかった。

 30年後は消滅してしまう市だが、一応現時点では2400人が住んでいるはず。

 それでも、人気を感じることはなかった。田舎とはそういうものなのかもしれない。田舎暮らしの経験のない四郎にはピンと来なかった。


 しばらく歩いて、ようやく畑仕事をしている老夫婦を見つけた。

 四郎は声をかけた。


「こんにちは」

「おんや、見かけん顔じゃな。おめえさん、どっから来なすった?」


 老父が大きな声を出した。都会の老人と比べて一回り若く感じた。


「横浜から来ました。この地のことを勉強させていただきたくて。よろしくお願いします」

「アメリカ? そりゃあ、遠くから来なすったな。日本語は分かるか?」

「はい」


 老父は四郎を外国人と思ったらしい。

 田舎の人にとって都会は外国のようなものなのかもしれない。


「よっしゃ、おめえさん、いいもんやるから待っとれ」


 老父は袋に詰めた野菜を持って四郎のもとにやってきた。


「我が畑の宝だ。うまいぞ」

「ど、どうもありがとうございます」


 ずしりと重たい差し入れに四郎は思わず腰を落とした。

 袋の中にはスイカとなすびが入っていた。


「これから梅津敏子さんのところを訪れようと思っているのですが、この先ですか?」

「梅ちゃんとこに行くのか。そりゃあちょうどいい。そんならこれも持ってけ」


 老父は追加の差し入れを四郎に渡した。重量は7キロ近くに達した。


「仕事終わったらおれも行く。おれの自慢話を聞かせてやっから楽しみにしとんな」

「あ、はい」


 老父はとても元気が良かった。若人の四郎よりもずっと元気に働いていた。

 これが本当の日本人の姿なのかもしれない。四郎は気づかないうちに自分が外国人になってしまっていたのかもしれないと思った。


 ◇◇◇


 四郎は農夫から受け取った差し入れを両手に坂道を上った。

 重たい荷物を持つ習慣がなかったので、十分に体に堪えた。汗が噴き出てくる。


 そんな四郎は道中に地蔵を見つけた。

 珍しい地蔵だった。


 猫の姿をした地蔵が5つ並んでいるが、その中央の地蔵は赤石で作られた一回り大きな赤い猫だった。

 赤い猫は2つの尾を持ち、妖々しい姿をしていた。


 四郎はしばらくその猫の地蔵を見つめた。

 どこかで見たことがあるような気がしたが、はっきりしない。


 そのとき。


 四郎は鈴の音を聞いた。


 耳に触れたその優しい音色にも聞き覚えがあった。

 それはちょうど終末の刻に、たしかに自分が触れた光景だった。

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