20、僕のいる世界
梅津の家は裏山から崩れ落ちて来た土砂によって半壊していた。
ちょうど、一階部分は大きな柱がへし折れ、上部から押しつぶされたようになっていた。
「梅ばあちゃん!」
すぐさま、優一が半壊した梅津の家に走り寄った。
周囲は恐ろしい光景だった。裏山のほうからは、今でもミシミシと大木がへし折れるような音がしていた。
二次災害もある危険な状態だった。
それでも、優一は梅津の姿を探した。
一階部分が完全に崩壊した状態だったので、梅津の生存は絶望的かと思われたが、梅津は生きていた。
梅津は優一の声を聞いて、ぼんやりと目を開いた。
足に痛みを覚えた。
足は倒れて来た柱とタンスによって圧迫されていた。右足の感覚はほとんどなかった。
「信じられん、まだ生きておるのか……」
梅津はすっかり原型を失ってしまった家の様子を見て、自分の命がまだあることを不思議に思った。
梅津は奇跡的に助かっていた。
梅津の頭部を押しつぶそうと倒れて来た柱を2つの要素が妨害していた。
1つは梅津の家に一台だけ置かれていた丈夫なテーブル。四郎がやってきたことに加え、優一や鈴音もたびたび家にやってきていたから、奥の部屋に仕舞っていたものを居間に持ってきていた。それが柱を阻止していた。
しかし、それだけでは力不足。もう1つの要素があった。
四郎がお守りとして持ってきていたエニグマがちょうどテーブルの上に置かれていて、柱はちょうどエニグマを真っ二つに斬るように倒れて来た。エニグマはそれをクッションで受け止めていた。
何か特別な力があるかのように柱を受け止めていた。エニグマのクッションがなければ、梅津は柱で頭を殴打して命がなかったかもしれなかった。
「梅ばあちゃん、聞こえるか?」
柱の間から優一が声をあげた。
「優一君か?」
「おれだ。意識はあるのか? 良かった。いま助けるぜ」
優一はすぐに梅津を助けようと体を柱の間に入れようとしたが、うまく入らなかった。それに無理やり力を加えると、かろうじて梅津の生存空間を作っているバランスが壊れるかもしれない。
「くそ、これが邪魔だ。これさえなければ」
優一は行く手を阻む重たい柱を強い握力で掴んだ。
「優一君、早う逃げ。ワシはええから」
「は? 何言ってんだよ」
「また土砂が来るかもしれん。早う逃げ!」
梅津は懸命にそう訴えた。
「バカ、梅ばあちゃんを置いて行けるわけないだろ」
「ワシはもう年寄りじゃ。優一君は未来があるじゃろ。じゃから、早う……」
梅津は余す体力を優一への忠告に使った。自分が助かるつもりはとうにないようだった。
「優一君はまだ死んだらあかん。な? 大学行くんやろ?」
「大学なんてどうでもいい。梅ばあちゃんこそ死んだらあかん」
優一はそう言うと、進行を阻んでいた柱に手をかけて力を加えた。
しかし、びくともしない。柱の上に乗っかる天井がもろに重量を水増ししていた。優一の力だけではどうにもならなかった。
それでも、優一は力をこめた。優一の手に血がにじんだ。
「くそ、おれの力なんてこんなものかよ」
優一は自分の無力さを痛感しながらも再び力を込めた。
「無理や、じゃから早う逃げ、優一君!」
「嫌だ。絶対助ける!」
優一は梅津を助け出すまではここを離れない覚悟を示した。
「梅ばあちゃんがいなきゃダメなんだ。梅ばあちゃん、おれがグレて馬鹿やってたときにカレーライス作ってくれたろ? おれ、あのときめっちゃ嬉しかった。あれなかったら、おれもっと馬鹿ガキになってた。だから、梅ばあちゃんは絶対に生きなだめなんだよ!」
優一はそう叫ぶと、限界を超えたような力を発揮した。柱がわずかに浮いた。
「梅ばあちゃん、今のうちに出てこい!」
わずかに柱が浮いたことで、梅津の足にスペースができた。
頑張れば抜け出せる可能性があった。
しかし、そのためには匍匐前進しなければならない。老齢でかつ体力を大部分奪われている梅津は前に進むことができなかった。
「ダメじゃ……」
「ダメじゃない。頑張れ!」
優一は叫んだが、うまくいかなかった。
優一は力尽きて、後ろにしりもちをついた。
「くそ!」
優一の叫びは天にこだました。しかし、それが神というものに届くことはなかった。
遅れて、四郎がやってきた。
道に侵入した泥のせいでなかなか前に進めなかった。
四郎の目の前には呆然と跪いている優一の姿があった。
四郎はその姿を見て呆然となった。
「……」
四郎はこのとき、あれから30年前にこの光景があったのだということを悟った。
あのころの四郎はおそらく自室で寝そべって、無気力にゲームをしていた。すべてがかったるくて、あくびをしながら高校3年生の青春を塗りつぶしていた。
そんな都会のよくある一シーンの間に、この地ではこのような光景が広がっていたのだ。
どこかで大きな音がした。山から大量の土砂がなだれ落ちて来た。
あまりの恐ろしさに四郎は体を固めてしまった。
そんなとき、四郎の足元を誰かが叩いた。
「にゃあ!」
四郎の足元を叩いたのは猫だった。
力強い爪の殴打だった。爪が四郎の皮膚にめり込んだ。四郎は痛みを覚えた。
ただの猫ではないと思いながら、四郎は足元に視線を落とした。
「ゴン!」
「にゃあああ」
四郎の足元を叩いたのはゴンだった。
ゴンは四郎を叱咤激励するようにもう一度足元を殴打すると、力強く飛び跳ねて優一のもとに向かっていった。
ゴンはしばらく姿を見せなくなっていた。もしかしたら、その生涯を終えてしまったのだと思っていたが、そうではなかった。
どこかたくましくなったゴンは心強い加勢をした。
ゴンは梅津の姿を見つけると、するりと柱の間に入って行って、梅津のもとまでたどり着いた。
「ゴン……」
「にゃあ」
ゴンはそのまま梅津の上着に噛みつくと、そのまま引っ張った。
力強いゴンの引力が梅津の体にかかった。
しかし、力強いといえどもしょせんは猫の力。梅津の体はびくともしなかった。
しかし、それでも懸命に力むゴンは梅津に力を与えた。
「そうじゃな……弱気になっとったらあかんな。生きなあかんわな」
梅津はこれまでは死を覚悟していた。自分が死んでも、優一には助かってほしいと思っていた。
しかし、心を入れ替えた。
梅津は優一に言った。
「優一君、もう一度持ち上げてくれんか。今度こそ絶対に抜け出してみせるわい!」
梅津の表情に熱がこもった。生気が戻って来た。足の痛みなど感じなくなった。
それを聞いた優一も再び力を得た。
「よし、もう一度だ。行くぜ。うおおおおお!」
優一は傷ついた手を構うことなく全力で柱を持ち上げた。
梅津も懸命に外に出ようとした。
ゴンも全力で梅津を引っ張った。
あと少し、あとほんの少しの力が足りなかった。
あと少しの力によってこの地の運命は変わりそうだったが、もとの運命の力が少しだけ上回り、梅津を外に出さなかった。
梅津の足を潰す柱が全力で梅津の脱出を阻止していた。
四郎はその光景を少し離れた別世界の立場から見ていた。
四郎はこのとき、もとの運命の結末を予期していた。
おそらくもとの運命では、梅津を助けることができず、梅津は亡くなってしまう。
もしかしたら、優一も土砂災害に巻き込まれて還らぬ人になるのかもしれない。
30年後に消えてしまう猫神市。もしかしたら、この瞬間が分水嶺になったのかもしれない。
梅津がいれば、優一がいれば、もしかしたら猫神市は存続したのかもしれない。
四郎が知っている世界は彼らがいない世界。
しかし――。
いま、四郎はそれとは別の世界に立っている。
「ここは……僕のいる世界」
かつての運命では、いまこの瞬間に四郎の姿はなかった。
だが、いまはたしかに四郎がいる。
四郎は走った。
「優一君、加勢します」
四郎の力が優一の力に混ざり合った。
いま2つの世界が融合した瞬間だった。
四郎、優一、ゴン、梅津。
いずれが欠けてもたどり着けなかった新しい世界がたしかにいまこの瞬間現れた。
梅津は柱から抜け出してきた。
「よし!」
優一が梅津の手を取り、抱え上げた。
それと同時に、梅津の家はさらに潰れ、先ほど梅津がいた場所は完全に土砂の下に埋まってしまった。
梅津の背中にはエニグマがいた。腹に穴が空いてしまっていたが、まだその姿は健在だった。
四郎、優一、ゴン、梅津。
それだけでも足りなかった。四郎がもう1つ持ち込んだ要素、「千尋との絆、エニグマ」もあってこの奇跡の世界は生まれた。
ここは四郎があのときに千尋を助けていなければ、見つけることのできなかった世界。
四郎は新しい世界を切り開いたのだということを実感した。
しかし、これで終わったわけではない。
四郎はもう1つ成し遂げなければならない仕事があることを自覚していた。




