18、遺言
鈴夜が亡くなってから、神社は誰一人寄り付かない取り残された地のようになっていた。
こんな雨の日になると、なおさら誰かが寄り付くことはなかった。
鈴音は四郎を連れてそんな猫神神社にやってきた。
二人は契りのない抱擁を重ねた。
それは迷子の猫がたまたま行き着いた場所で、未来を考えることのわずらわしさから解放されるための、酒に酔った勢いよりもずっと漠然としたものだった。
愛しているのかも愛されているのかもわからない時間だった。
その時間の主役はいつまでも雨の音だった。
四郎はずっと雨の音だけを聞いていたような気がした。
気が付くと、鈴音がぐっすりと寝入っていたので、自分の衣服を枕にして、鈴音を横にした。
「そうだ、お昼ご飯を買わないと」
いまになって、四郎は梅津の家を出た目的を思い出した。
四郎は視線を猫神の像のほうに移した。
今になって初めて、神の目の前にいたことに気づいた。
四郎は猫神の像に頭を下げた。
「……」
四郎は猫神の像の前に置かれている台に視線を移した。
そこには、かつて鈴夜から受け取ったおみくじと同じ形式のものが1つ置かれていた。
四郎はふらふらとその前まで歩いていって、おみくじを手に取った。
おみくじを開き中を見た。
おみくじにその形式の書式はなく、鈴夜の達筆によって次のように記されていた。
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神の導きを受けしもの、
始まりか終わりかを選べ、
我が魂、いずれ消える大地に一縷の思い残さん。
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「……」
四郎は視線をあげて、猫神と向かい合った。
像は化身の気を放ち、四郎の心に、そのおみくじに書かれていた文言を放った。
鈴夜と同じ声、同じ調子で四郎の心に刺さって来た。
「始まりか……終わりか……」
そのとき、四郎は猫神の導きによって、終わりの地から始まりの地にやってきたということを悟った。
背後で鈴の音が響いた。
鈴音は目を覚ますと、目をこすった。
「変な夢見てた気がする」
「鈴音さん、戻りましょう」
「あれ、夢じゃなかった……?」
鈴音は少し恥ずかしそうに体を小さくした。
◇◇◇
気象庁は東海地方のいくつかの地域に「大雨洪水警報」を発令した。
数日前から断続的に降り続いた雨の影響で、山間で土砂災害、川の氾濫の可能性が高まっているとした。
猫神市の市議会館には、地方議員たちが集まって悠長に話し合いをしていた。
政権与党の自由統一党の議員が数多くいて、彼らは特に危機感もなく会議をしていた。
市議会のドンである現職衆議院議員の「犬沢高次郎」が大きな体でふてぶてしくソファーを独占していた。
「おい、マスコミはいつ来るんだ? あ?」
犬沢は隣にいた使いの者に尋ねた。
使いの者は電話のやり取りをしていて、ちょうど電話を終えたところだった。
「NHKから警報が出たので、現地入りできないと連絡がありました」
「ああ、何やる気のないこと言ってんだ、取材のためなら命をかけて核ミサイル飛び交う戦地にも赴くのがジャーナリストというものだろが。NHKはいつから腰抜けばかりになったんだ?」
犬沢は荒れていた。
彼は今回の大雨災害をネタに支持率をあげようと画策していたが、マスコミの取材が来ないことには彼の作戦は不発に終わってしまう。
「犬沢先生、猫神市南部のほうはかなり土砂災害の危険が高まっているようです。すぐに避難所を開設して、避難を進めたほうがよろしいのではないですか?」
若手市議の一人が言った。
「なにバカなこと言ってやがんだ、てめえ、それでも政治家か?」
「……?」
犬沢の部下の若手市議は犬沢の言葉の意味を理解できなかった。
「現場で頑張っても支持率は上がらねえんだよ。昼寝してようが、テレビの前で一言「災害対策に全力を尽くしてまいります」と勇ましく言えば支持率は大幅に上がるんだよ。マスコミの前で頑張り、マスコミがいないところでさぼる。政治の基本だろうが」
犬沢はふんぞりかえってそう言った。
「しけた顔してんなよ、てめえら。おれがなんで5期連続小選挙区で当選しているかわかってねえみてえだな。おい、お前」
「はい」
今年当選したばかりの若手の市議が、犬沢に声をかけられて返事をした。
「お前はおれのおかげで当選したんだろ?」
「はっ、犬沢先生のおかげです」
「おれがテレビと新聞の前で、お前をほめてやったからだぞ。長野大学卒なんていう低学歴のお前なんざ、おれがいなけりゃ100票も入りゃしねえんだからな」
「はっ」
若手市議は頭を下げた。
「いいか、政治家なんてのはなマスコミの前の態度ですべてが決まる。よーく覚えとけ。マスコミが来ないんじゃ、災害の仕事なんざパシリの公務員に任せとけばいいんだよ。解散解散。おれが雨に濡れて風邪をひくほうが損失だろが」
犬沢は政治の世界の基本を若い市議たちに説いた。
その中に、熱血派の若手が一人いて、異議を申し立てるように立ち上がった。
「犬沢先生、僕は猫神市の住民たちを幸せにしたくて政治家を志しました。住民のために仕事をさせてください」
すると、犬沢は真顔になった。
「てめえ名前は?」
「はい、猫沢竹道と申します」
「けっ、むかつく名前してやがんな。てめえ、なにとち狂ったこと言ってやがんだ?」
「避難所を開設して出せる車全部出して、災害救助に向かいましょう。川が氾濫してから、ダムが切れてからでは手遅れです」
「てめえ、なめてんのか? おれがこれからキャバクラに行くための送迎の車だ。勝手に横取りしてんじゃねえぞ」
「……」
「おい、マスコミ来たら教えろ。それまで、おれはバーで飲んでるからよ。おら、お前、送迎だ。さっさと車を出せ」
犬沢は不機嫌に使いの者にそう命じた。そのとき、猫沢が割り込んだ。
「やめてください、犬沢先生、市の車はすべて救助に使うべきです」
「おいこら、てめえ。いい加減にしねえとバラバラにすっぞ。おれのバックボーンに何がついているか知らねえわけじゃねえだろ?」
「……」
途中まで頑張っていた猫沢だったが、犬沢の圧力に負けてしまった。
結局、犬沢は5台の車を持っていってしまった。
圧倒的な得票率を持つ犬沢に逆らえるものは誰にもいなかった。
「民意だよ、民意。けけけけ。住民がおれのキャバクラ遊びを支持したんだからすべて正しいんだよ。くやしかったら自力で小選挙区当選するんだな。けけけけ」
犬沢はそう言って、何の後ろめたさもなく遊びに出て行った。




