17、雨の音
鈴夜の葬式は8月16日に行われることが決まった。
四郎は11日に実家に戻る予定なので、鈴夜の葬式には出席できなかった。
もともと、四郎はこの町の住民ではない。四郎が葬式に出席する道理はなかった。
しかし、四郎は自分の故郷以上に、この地に特別な思いを馳せていた。
このまま、この地を離れたくないという気持ちが強かった。
もし、このままこの地を離れてしまったら、かつての自分の人生に合流してしまうような気がした。
かつての自分の人生をもう一度なぞるのかと思うと、気持ちは落ち込むばかりだった。
鈴夜の死以降、町全体が消沈していた。
梅津もどこか上の空で、猫たちも元気をなくして座布団の上で丸くなっていた。
雨も落ち始めた。
四郎はぼんやりと落ちてくる雨粒を見ていた。
セミの声もご無沙汰になり、世界が静寂に包まれたかのようだった。
そんなとき、この世界の閉塞を打ち破るかのように、鈴の音が響いた。
四郎はその音に反応して、気持ちをあらたにした。
「ありゃ、誰か来たね。ちょっと待ってね。よっこらせっと」
梅津はインターホンの音を聞いて、重たい腰を上げた。
梅津の元気も消沈していた。腰を上げる動作がいつもよりずっと重く見えた。
梅津のもとを訪れたのは鈴音だった。
「鈴音ちゃん、いらっしゃい」
「来る時に雨が降ってきちゃって」
鈴音は雨に濡れた髪をほぐした。
「そりゃ風邪ひくよ。ちっと待っててな。タオルを持ってきてあげるよ」
梅津は四郎にも声をかけた。
「四郎君、鈴音ちゃん来てるよ」
「あ、はい」
四郎も重たい腰を上げた。腰がこれほど重たく感じたのは50年の人生にあって初めてのことだった。
「買い物行かんかったから、なんもないの。よわったよわった」
梅津は冷蔵庫を開いたが、中身は空っぽになっていた。鈴音がやってきたので茶菓子の1つも出したかったが、茶の葉も切らしているあんばいだった。
鈴夜の死の後、買い物に行く時間もなかった。今日の昼食のおかずも何もなかった。
「梅津さん、僕が買ってきますよ」
「そうけ? 悪いの。ほんじゃら、これ自由に使ってくんな」
「すみません」
四郎は梅津から財布を預かった。中には2万円が入っていた。
鈴音は玄関口に座って待っていた。
「おはようございます、鈴音さん」
「もう11時過ぎてるけど」
鈴音は服の雨水を絞っていた。ここに来る途中、かなり強く雨に打たれたようだった。
「鈴音ちゃん、タオル、これ使って」
「どうもありがとう」
鈴音は梅津からタオルを受け取った。すぐに使用せず、それを首にかけた。
「あかんな。朝から腰が痛うなってな」
梅津は腰の痛みを訴えた。見るからにいつもと様子が違っていた。
ここ数日の間に急速に歳を取ったふうに見えた。
「大丈夫ですか? 少し横になったほうがいいかもしれませんね」
四郎は居間に臨時の布団を用意した。
「どうぞ、ここに横になってください」
「すまんの。少し休ませてもらうけぇ」
梅津の動きはぎこちなかった。鈴夜の後を追いかけるように衰弱しているのか、見ていて不安になった。
鈴音も後ろのほうからその様子を心配そうに見ていた。
「どうしましょう。松田さんに来てもらいましょうか?」
「ええよ、あんまり迷惑かけたらあかんしな。みな、疲れてるし。ちょっと寝たら元気になるて。ちょっと腰が痛いぐらい昔からいくらでもあったけぇ」
「……」
梅津の空元気は明らかだった。
四郎だけでなく、猫たちも梅津を囲って心配そうにしていた。
「大丈夫やて。そない心配せんでも。お腹も空いて来たし、食べられるうちは心配いらん」
「何か買ってきます。それまで安静にしていてください」
「ありがとな。任せるわ」
梅津は四郎を頼もしく見ていた。
◇◇◇
四郎は鈴音と共に買い物に出た。
このあたりの買い物は不便で、徒歩で30分は歩いていかなければ、スーパーの1つもない。
市役所に申請書を出せば、宅配サービスを無償で受けることもできるが、梅津はそれを利用せず、いつも30分の道のりを元気に歩いていた。
それが元気の源だったが、今日はそれもうまくいかなかった。
四郎が傘をさすと、その隣に鈴音が入った。
「鈴音さん、傘、もう1つありますよ」
「いいよ、相合傘一度やってみたかったから」
「そうですか」
四郎は鈴音が濡れないように傘をさした。
田舎の道は車もほとんど通らない。
雨が地面や傘を叩き、カエルがそれに共演した。
その自然のオーケストラには自然と聞き入ってしまう魅力があった。
四郎はその音に集中していた。
オーケストラにふと、鈴音のつぶやきが一つ入った。
四郎は聞き取れなかったから、尋ね返した。
「すみません。聞こえませんでした。もう一度お願いします」
「君、歳いくつだったっけ?」
「18歳ですけど」
「30年ぐらいサバ読んでない?」
鈴音がそう問いかけると、四郎はハッとなった。
鈴音は細い目で四郎の顔をうかがっていた。
四郎が30年後からやってきた事実は鈴夜にしか口外していない。
鈴夜から聞いたのだろうかと思った。
「どうしてそう思ったのですか?」
「何となくそんな感じがしただけ」
鈴音はそう言って前を向いた。
それから、しばらくの沈黙の後に立ち止まった。
ちょうどそこは神社に向かう道と商店街のほうに下る道の境目だった。
「四郎君、私としよっか?」
「……?」
鈴音は四郎の傘を握る手に自分の手を重ねると、商店街のほうではなく、神社のあるほうに足先を変えた。
「鈴音さん、いったいどこへ?」
「いいから、ついてきて」
鈴音の身に着けていた鈴の音が鳴った。
鈴の導きはどこまでも絶対的な権限があり、四郎はそれに導かれるままに足を前に出した。




