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13、猫神の声

 昼前に、鈴音が梅津の家にやってきた。

 梅津はしばらく前にピアノ教室に出ており、家には四郎と猫しかいなかった。


 鈴音はいつもの私服姿だった。

 昨日の今日なので、四郎にも意識するところがあったが、もしかしたら昨日の出来事は夢だったのかもしれない。

 四郎はいつもどおりの様子に徹した。


「鈴音さん、どうもこんにちは」


 鈴音のほうにも特別なそぶりはなかった。やはり昨日の出来事は夢だったのかもしれない。


「梅津さんは先ほどピアノ教室のほうに行かれました。申し訳ありません」

「いいよ、君に用があって来たんだから」

「そうでしたか」

「これから神社に行くの。だから一緒に連れてってあげようと思って」


 鈴音は照れ臭そうにすることもなく言った。

 四郎を同世代の異性と見ているところがなかったのかもしれない。

 四郎の心はまもなく50歳という老年。その様子は言葉だけでなく、立ち振る舞いさらには、オーラとも呼べるものにも現れていたのかもしれない。


「それはありがとうございます。ですが、僕のようなよそ者が神社に足を踏み入れてもよいのでしょうか?」


 昨日、神社を訪れたときは鈴夜の厳しい洗礼を受けた。


「別にいいと思うけど。そんな決まり聞いたことないし」

「実は昨日、鈴夜先生に叱られてしまいまして。勝手に入るなと」

「おばあちゃんはいつもそんな感じだから気にしなくてもいいよ。行こ」


 鈴音は笑みを浮かべた。それに合わせて、彼女の鈴の音が響いた。

 その笑みと音色はとても美しいものだった。


 ◇◇◇


 梅津の家から徒歩30分ぐらいのところに猫神神社はある。

 都会の人なら、そんな距離は歩けないという距離だが、鈴音は近所を訪れるような感覚だった。

 都会と田舎では、時間の流れ方が違っていた。

 都会というのは田舎に比べてずっとせっかちだった。時間を有効に活用しようという意識がずっと高かった。

 しかし、皮肉なことに都会の人々がその時間と引き換えに得るものは触れると消えてしまう粉雪のようなものばかりだった。過去を振り返ったとき、そこには伝統も歴史も刻まれていない。

 そんなもののために、大切な人生を浪費していた。


 鈴音は普段は見せない表情を四郎の前では見せた。

 昨日のことは夢ではなかったようだった。鈴音の女の子らしい一面は昨日の出来事を受けて開花したものだった。


「都会に出たらディズニーランドに行きたいと思ってるの」


 鈴音は楽しそうに未来の予定を話した。


「ディズニーランドには大きなネズミがいると聞いたから、一度見てみたいわ。クッキーって言うんでしょ?」

「ミッキーですね。見たことがないのですか?」

「話で聞いたことしかない。うち、テレビもないのよ」


 鈴音は四郎が想像した以上に箱入りの田舎娘だった。この時代でも、一家に一台テレビがあるものだと思っていたがそうではなかった。

 そういえば、梅津の家にもテレビはなく、ラジオが1つあるだけだった。それも天気予報のためだけに置かれている音質の悪いものだった。

 

 未来を語る鈴音は楽しそうだった。

 四郎にとってはありふれたものでも、彼女にとっては未知のものだった。

 逆に、この地の猫神伝説などは、鈴音にとってはありふれたものだったが、四郎にとっては未知のものだった。

 環境が違っても、自分の知らないものを追い求めたくなるのが人間なのかもしれない。


 ◇◇◇


 猫神神社の前には、鈴夜が待ち構えていた。

 鈴夜は仁王立ちをして、やってきた鈴音と四郎を見下ろしていた。その姿は仁王そのものだった。


「おばあちゃん、四郎君も連れて来た。人が多いほうが早く済むでしょ」

「よそ者を勝手に連れてくるな」

「いいでしょ、どうせそのうち廃家になるんだし。あんまり古いことばかり言ってると時代遅れになるんだから」

「……」


 鈴夜の頑固に鈴音はあきれたように言った。


「四郎君、いいよ。来なよ」

「すみません、失礼します」


 四郎は鈴夜の隣を横切った。どこか悪いことをしたような気持ちになった。

 四郎は鈴音とは違い、鈴夜の言い分を理解していた。


 たしかに鈴音が言うように、非友好的で世間ずれしたことをしていると誰も来なくなる。

 ビジネスと考えれば、世間の求めることに応えていかなければならない。

 そういう意味で、この神社は世間の求めることとは真逆のありようだった。


 観光客を呼び込む工夫もないし、宣伝もしない、あまつさえ地図にもその名前を載せなかった。


 しかし、四郎はもしこの地が観光地のように賑わってしまったら、この場所から神がいなくなってしまうのではないかと思った。

 伝説や伝統に疎い世間の声に合わせてすべてを変えてしまったら、神はこの地から去ってしまう。


 四郎はこの地をそのままの形で継承したいと思った。

 しかし、それを継承する者がいない。鈴音もいずれこの地を去ってしまう。

 鈴夜がいつまで生きられるかわからないが、四郎が知っている未来に猫神市は存在しなかった。


 この場所は消えてなくなってしまう運命。


 日本人の数も減少している。

 遠くない将来、日本人はいなくなり、日本の歴史を知らない外国人が住むようになる。

 日本の歴史的遺産が破壊され、リゾートホテルが立ち並ぶ日もそう遠くないのだろう。


 この地で起こっていることはちょうど日本国全体に起こっていることの縮図だった。

 日本は世界標準からずれているから淘汰され、その言語も歴史もすべて消え去り、世界標準のものがこの地のすべてを支配することになっていく。


 四郎はそうした時の流れというものに虚しさを覚えた。

 それは繁栄なのか、滅亡なのか。結論は出せなかった。


 ◇◇◇


 神の社には木彫りの猫神の像が祀られている。

 非常に精巧に作られた像だった。

 原初の猫神像は紀元前のころからあるとされている。

 この像は室町時代に造られたと推定されている。

 誰が造ったのかは不明。少なくとも、歴史的な著名人が関わっているわけではなさそうだった。


 鈴音と鈴夜はその猫神の像の前に座って小一時間念仏を唱えた。

 四郎は後ろでそれを見学していた。


 現代人ならば途中でスマホを触りたくなるような念仏だけの1時間だった。

 しかし、四郎はそれをしみじみと聞いていた。時折聞こえてくる鈴の音が心地よかった。


 儀式が終わると、神社の掃除が始まった。四郎も手伝った。

 神社にはたくさんの猫がいて、猫の世話も鈴夜たちの仕事だった。


 鈴音が猫にキャットフードを与えた。約20匹の猫が集まって来た。

 四郎はその様子を見ていた。


「この子はペル、こっちはパップ、こっちはルナ、こっちはモモ。覚えた?」

「見分けるにはもう少し修業が必要になりそうです」


 四郎は同じような猫をただ見ているだけだった。鈴音のように判別することはできなかった。


「しかし、この神社がなくなると、この子たちの世話をする人もいなくなってしまいますね」

「しょうがないよ。それに保健所の人が世話してくれるって話もあるから何とかなるよ」


 鈴音は猫の頭をなでながらそう言った。

 彼女の都会に出たいという気持ちは強い。しかし、それでもこの猫たちと離れること、ついてはこの地を離れることにそれなりの惜別の念は感じているように見えた。


 その様子を見て、四郎は即席にある決心をした。

 四郎はその決心をそのまま鈴夜に話すことにした。


 鈴夜は黙々と庭掃除をしていた。

 四郎はその鈴夜の後ろに立った。


 鈴夜は振り向くこともなくほうきを動かしていた。

 しかし、ふいに目が後ろについているかのように尋ねて来た。


「何の用だ?」


 鈴夜は一度も振り返らず、規則的にほうきを動かした。


「もし許されるならば……」


 四郎は拳を握り締めた。

 先ほどついた決心をそのまま言葉にした。


「僕にこの神社を継がせてもらえないでしょうか?」


 四郎がそう言っても、ほうきの音は途絶えなかった。

 鈴音はそのまま落ち葉の多いところに進んでいき、同じペースで掃除を続けた。

 強い風が吹いた。

 四郎は宙を舞う落ち葉を見つめた。秋が近いのか、緑の葉に枯れ葉が混じり始めていた。


 どこかで鈴の音が響いた。


「四郎君、そろそろ帰ろっか。ついでに私の家に来なよ。スイカ一緒に食べよ」

「はい」


 四郎は返事に力を込めることができなかった。

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