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1、死

 豊川四郎とよかわしろうは猫神市を訪れた。


 この地を訪れた理由――それは死ぬため。


 四郎は特にいま問題を抱えているわけではない。

 自分がいま死ななければならない理由などなかった。

 逆に言うと、生きなければならない理由もなかった。


 四郎は神奈川の建設会社に勤めている。

 高校を卒業してすぐに勤め始め、かれこれ30年ほど月日が流れた。


 年収は400万円ほど。平均的なサラリーマンの平均年収だった。

 生活に困窮しているわけではない。

 しかし、楽しい生活を送っているわけでもない。


 結婚はしなかった。縁がないまま気が付くと五十路の身になっていた。


 いま困っていることはない。

 いまやりたいことはない。


 生きていても何も変わらないし、死んでも何か変わる気がしない。

 四郎はいまそんな気分だった。


 それならば、惰性でこれからも生きていけばいいのではないか。

 四郎はそうも考えたが、今日も明日もいつもと同じように会社に行き、やり慣れた仕事をするのかと思うと、体から力が抜けてしまった。

 日が経つにつれ、体は衰えていく。最近は腰の痛みが慢性化していた。


 同じことが繰り返されるのに、自らの体は衰えていくばかり。


 寝たきりになったらどうするのか。

 老後は。

 孤独死後はどうなる。


 色々考えていると、すべてが面倒くさくなった。


 自殺を考え始めたのは4年前のことだった。その年に母親が亡くなった。

 母親の葬儀を終えると、自分の生きている意味がなくなったのを悟った。

 自分の親を見送った後、自分がここにいる意味はあるのかと深く考えるようになった。


 色々ぐだぐだと考えた。

 別に決心めいたものにたどり着いたわけでもないが、気が付くと死に場所を探してここにいた。


 日本史によると、かつて、日本のため、家族のために特攻に出たご先祖様がいた。

 彼らは生きたくても生きることをあきらめるしかなかったと。


 四郎はもし彼らが生き延び、自分と同じ境遇に立たされる人生を歩んだとき、彼らは何を思うのだろうかと考えた。

 生きるのをあきらめるしかなかった人たちは辛かったろう。

 しかし、彼らは死を決意することに大きな意味があった。カミカゼ特攻隊は歴史に残り、後世に語り継がれている。今でも多くの温かい情を受け続けている。


 自分が今日ここで死ぬ場合、何もない。誰も気づかない。誰かが気づいても事務的に自殺と処理され、忘れ去られる。


 四郎は吹き抜ける風に冷たさを覚えた。真夏なのに、どうしてこんなに風が冷たいのだろうと思った。

 これが現代のカミカゼなのかと思った。冷たい風だった。誰にも知られずただ消えて行く、これ以上に悲しい死があるのだろうかと思った。

 しかし、もう生きる気力は残されていなかった。


 ◇◇◇


 猫神市は5年前に消滅した。人口減少のあおりを受け、自治体が隣の市と合併したことでその名称も消え去った。

 いまは「猫神村」として、一応地名だけ充てられている。


 人は住んでいない。消滅したときは話題性もあって観光客がたくさんやってきたが、ブームが去ると誰も寄り付かなくなった。

 林業業者や測量業者がたまに出入りしている程度で、それ以外に足を踏み入れる者はいない。


 四郎は自分の死に場所にふさわしい場所だと思った。

 猫神市はなんとなく消えて行った地。ちょうど自分の命のたどった歴史と同じ気がした。


 四郎は猫神市を歩き回った。

 森の中に1つの神社を見つけた。


「こんなところに神社があったのですね」


 四郎は鳥居を抜けて、荘園を見て回った。

 すべてが古びている。もはや人の手がまったく入っていなかった。

 取り壊すにもお金がかかるから、自然に風化するのを待っているのだろうか。

 神様を置き去りにしたまま、誰にも看取られずに消えて行くのかと思うと悲しい気持ちになった。


 四郎の足元を叩くものがあった。

 見下ろすと、野良の子猫が餌をねだるように四郎のすねに爪を当てていた。

 四郎は腰を下ろすと、食べかけだった代用食のかけらを子猫に与えた。


 子猫は一生懸命、そのかけらを頬張った。


「君たちを世話する人もいないのか」

「にゃー」

「ごめんよ、僕にはどうすることもできないよ。僕も今日いなくなるんだ」


 四郎は立ち上がった。

 神社のさい銭箱に「猫神神社」と書いてあった。

 猫の神様が祀られているのだろうか。四郎には知識がなかった。それに興味もなかった。


「神様、どうかあの子の世話をしてあげてください」


 四郎は子猫の世話を神様に祈ると、その場所を離れた。


 四郎は森の中にちょうどいい木を見つけたので、首を吊るための準備を始めた。

 ため息がもれた。

 これからこんな寂しい場所で死ぬのかと思うと悲しかった。同時に、こうして静かな場所で死ねるのかと思うと恵まれているとも思った。

 四郎にとって、いまや死も生もあまり変わらなかった。


 最後の瞬間がやってきた。


 四郎にためらいはなかった。


 四郎は首を吊った。


 頸動脈洞が圧迫され、意識が遠のいていった。


 最後に聞いたのは鈴の音。

 最後に見たのは真紅の猫。


 四郎は2つの神秘に看取られ、この世から消えた。

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