プロローグ 告白をOKしただけなのに
「須藤君。好きです」
北海道のS市に位置する春園学院。
そこに通う須藤春人は、高校二年生を迎えて数日、一人の女子生徒――草壁美晴に告白されている真っ最中だった。
ふわふわの栗色の髪は砂糖菓子を連想させるほどに甘く、顔立ちも野に咲く清楚な一凛の花を思わせるほどに可愛らしい。身長は推定150cmそこそこ。170を超える春人を見上げてくるその上目遣いも抜群に愛らしい。外見だけ見たら満点中の満点で、実際彼女は入学当日から男女に騒がれている人気者だった。
一年生の時はクラスが違ったので、二年生で同じクラスになった時には「へえ、彼女が」と心持ち興味を持ったものだ。
そんな彼女は今、何故か片膝を突いて右手を差し出し、目にしたが最後、誰もがうっとりと心奪われる甘い眼差しで春人を見上げてきていた。
放課後、空き教室の一つに呼び出され、「あー、告白かな」と適当に思った春人の推測は当たった。実際、「好きです」と何とも良い声で告白された。
ただし、告白のポーズが予想の斜め上過ぎた。
最初に「須藤君」と名前を呼ばれたその段階で、既に男顔負けの魅惑ボイスだった。
距離はきちんと離れているはずなのに、直接耳元で囁かれたかの様に彼女の声が春人の脳内を揺らしたのだ。しかも、その声が木霊の様に耳から何度も注がれて、ぞくぞくと抗いきれない快楽が背筋を駆け抜けた。プロの声優か、と本気で思うほどの凄まじいイケメンボイスで、一瞬赤面したほどである。
窓から差し込む夕日がこれまた良い感じに彼女を背後から照らしており、漫画やゲームだったら、いかにもイベントが起こりますと胸が高鳴るシチュエーションである。
その後、何故か流れる様に膝を折り、片膝を立てて左胸に手を当て、右手を差し出してきた。そして、「好きです」と囁く様に、けれど教室の隅々まで通る様に告白をしてきたのだ。
絵本や物語で言えば絶対にお姫様の位置にいるはずの容姿の彼女は、何故か凛々しい王子然として、王女に跪く様な格好をしている。背筋もぴんとして姿勢がまた綺麗だ。この人は茶道とかやってもサマになるだろうなと馬鹿なことを考えてしまった。
目を細め、きらきらしい笑顔で見上げて来る彼女は、背中に光を大量に背負っているのではないかというくらいに眩しかった。眩し過ぎて、正直目が潰れた。
何故、女性の告白の仕方がここまで王子様なのだろうか。むしろ、告白されている春人が実は女なんじゃないかと錯覚してしまうほどにときめいてしまった。いや、ときめく方がおかしいのか。春人の常識はこの数分で木っ端微塵になった。
それはともかく。
――付き合ってみるのも、面白いかもしれない。
彼女とは同じクラスになっても、挨拶をする程度にしか言葉を交わしたことはなかった。
あまり深く関わってこなかったのは、少し住む世界が違う様な気がしていたからだ。春人もそれなりに友人達と楽しく過ごしてはいるが、いつも誰かと笑って、明るく弾けている彼女は、毎日がとても輝いて見えたからだ。
そんな彼女に好意を持ってもらえていた。光栄だ。断る方がおかしいだろう。例え告白の仕方が予想外だったとしても、別に何ら問題はない。
春人が彼女をそういう対象で好きなわけではないが、付き合っていけば気持ちも変わることもあるかもしれない。
〝一度、付き合ってみてくれませんか?〟
――あの時だって、少しは気持ちが変わったのだから。
「うん、ありがとう。……じゃあ」
付き合おっか。
彼女の右手に己の右手を乗せ、そんな風に続けようとした。
その時。
「――何故OKするんだい!」
ばしいっ! と、振れる直前の右手を思い切り叩かれた。
どれだけ深い眠りでも瞬時に叩き起こされそうなほどの痺れる痛みが手の平に走り、思わず春人は手を撫でた。
「いっ⁉ な、なに……!」
「何? じゃないよ! 何故、私の告白を受け入れるんだい! ありえないよ! 君は頭がおかしいんじゃないのかい⁉」
「はあっ⁉」
しかも馬鹿にされた。
告白をされたからOKしたのに、何故その告白された相手に手を叩かれ、罵倒されなければならないのか。
思ってもみなかった反応に混乱して、春人がぱくぱくと金魚の様に無意味に口を開閉させている合間にも、無情に時は流れていく。
「見損なったよ、須藤君! 君は、今! 私を完璧に、それは木っ端微塵に、それこそ叩き潰す様に振るべきだった!」
――はあっ⁉
しかも、見損なったとか勝手に株を下げられた。本気で意味が分からない。
すっくと立ち上がった彼女は、びしいっと右の人差し指を春人に突き付ける。
そのまま、心底憤慨した表情で宣言した。
「須藤春人君! 私はここに宣言しよう! ――君が私の告白に答えるまで、私は君に告白をし続けると!」
――いや、答えたじゃん⁉
告白を承諾したのに拒否され、そして何故か告白をし続ける宣言をされた。
その勇ましさはまさに戦場に向かう勇士の様で、男である春人も一瞬見惚れるほどのイケメン顔だった。――いや、おかしい。彼女の顔は完璧に童顔でふわふわで甘々なお姫様顔なのに、何故イケメンに映るのか。
目をごしごしとこすったが、春人は全く現状についていけない。
それなのに、時間は無情にも彼女の思うままに流れていく。
「明日から覚悟したまえ、須藤君! もし私が恋人に相応しいと認めたら、春人君と呼んであげよう!」
――意味わからん!
「では、また明日! 今日は今日で有意義な時間だったよ! 明日からが楽しみだね!」
じゃあね、と颯爽と片手を上げて去って行くその背中は、まさしくきらりと歯が輝く様な爽やかな青年を思わせた。いや、青年ではない、少女だ。春人と同じ高校二年生である。
嵐が去った。
よく小説や漫画でこんな表現が使われているが、なるほど。確かに嵐だ。嵐が去った。まさか、春人自身が主人公の様な体験をするなんてと、現実逃避をする。
告白をされた。OKをした。否定された。馬鹿にされた。
しかもその後、告白をし続けると宣言された。
おまけに、告白してきた方が「恋人に相応しいと認めたら」とはどういう了見なのか。告白って、何だっけ? と根本から疑問を持ってしまう。
何故、彼女は怒ったのだろう。
一世一代の告白に、あまり考えずに答えてしまったからだろうか。
つまり、傷付けたのかもしれない。ならば、明日謝って断るべきか。
しかし。
「……何か、断っても怒られそうだ」
そして、「告白をし続ける!」と宣言されてループに陥る気がする。
つい先程までの平凡ながらも穏やかな日常が、がらがらと音を立てて崩れていく錯覚に、春人は錯覚ではないかもしれないと寒気と共に己を抱き締めるのだった。