約束は忘れた頃にやってくる
「リン・ライザー、君との婚約は破棄だ!!」
私の婚約者の声が響いたのは、第四皇子生誕記念日の舞踏会の序盤だった。
王家の挨拶と婚姻式を一年後に迎える第一皇子と婚約者のファーストダンスが終わり、和やかな雰囲気の中で次々と各家の代表がホールに向かい、一斉に踊り出すのを待つそんなタイミングでの発言。
驚いた楽団の指揮者が出鼻を挫かれて指揮棒をカクンと振り下ろしてしまった為にギーガープーパーといった弦楽器や木管楽器の不揃いな音が鳴り、初手のリズムを崩した何組かの令嬢が体勢を崩してダンス相手に抱きつくといった、例年にない破廉恥なハプニングまで起きた。
と言うのに、目の前の婚約者はそんな周囲の喧騒が見えていないかの様にしれっとした顔で、婚約破棄を繰り返す。
「婚約破棄だ、リン・ライザー。私は君を愛せない。彼女を愛してるからだ!」
そう言うと、背後から一人の令嬢を隣に立たせた。
その令嬢は半年前に王立学園へ編入してきたカーリー・ハルク嬢で、あまり良い噂を聞かない相手であった。
噂、それは男子生徒に対し貴族とは思えない態度と距離感で甘え、高額な贈物を貢がせていると言うものである。
今も噂に違わず、私の婚約者の腕に胸を押しつける様にしなだれかかっていた。
そんな私達を周囲は冷たい視線で見ているのだが、自分の言葉に酔っている婚約者には全く通じない様だった。
「その様な発言、今この場で言うべき事でしょうか。それに、ハルク嬢の招待状は何処から?」
今夜の舞踏会は高位の貴族のみが招待されている。ハルク家は準男爵なので高位の令嬢の付き添いだとしても、侍女部屋までしか入室は許されない筈である。
「私の愛するカーリーに対して何と酷い言葉を!そんな女だとは思わなかったよ。こちらに対する侮辱発言、よってそちらの有責で婚約を破棄とする」
一気にそう言うと、婚約者はまるで私から守るかの様にハルク嬢を腕に隠したのだ。どう見ても抱きあっている二人に私が呆れ、迷惑を掛けてしまっている王族の方を伺うと、なぜか王様にそっとサムズアップされた。
私の母が現王の姉であり、王家には皇子しか居ないため昔から娘の様に可愛がられていたとは言え、反応が軽すぎる。娘でもないのに『リンは嫁にはやらん』と言っていただけあって、婚約破棄された事をどう見ても喜んでいる。
一瞬だけ見せた王様のお茶目な態度に気付かない周囲の貴族達は、ホストである王家の面目を潰した私達の動向を探りながらヒソヒソと囁く。主に婚約者の身勝手な発言と二人のあり得ない距離に対して、辛辣な言葉が飛び交っている様だ。
この場をどうするか、私が考え始めた時だった。
『ふーん。ならライザーの娘は結婚しないと言うことだな』
その声は、ホールにある全員の頭の中に降ってきた。
『現王よ、約束の時は来た。ライザーの娘は我が連れて行くぞ』
一瞬風が巻き上がったかと思うと、私の目の前に一人の黒髪の美少年が立っていた。創世記を描いたといわれる壁画の人物の様に肩から足先まで真っ直ぐ垂れ落ちたシルクの長着を着た少年は金色の瞳で、ジッと私を見つめ続ける。
『我が名はカイル。この国の聖女の守り主である竜王だ』
その言葉に乗せられた人外の力に皆が畏怖と共に平伏す。婚約者に至ってはハルク嬢に縋り付いて腰を抜かし座り込んでいた。
私は皆と同じ様に平伏を表す為に姿勢を下げながらも、チラと王様に竜王と名乗る少年の真偽を問う視線を送る。そこにはカクカクと音がしそうなほど首を上下に振り肯定する王様の姿があった。サムズアップしていた先程までの軽い雰囲気とはまるで違い、相手に対する焦りが見えた。
目の前の少年は本物の竜王らしい。
『ライザーの娘よ、約束通り共に行くぞ』
竜王は美少年には不釣り合いなニヒルな表情で、私に向けて言い放つ。
が、私はキッパリと断った。
「初めまして竜王様。そして、一昨日来やがれ」
「「「え?」」」
ホールを埋め尽くす者達は全員が凍りついた。王様はアチャーと言った表情で天を見つめ、婚約者など白目を剥いている様だが、どうでもいい。
「ふふふ、嫌と申しましたの。なぜ私が貴方と一緒に行くと思っていますの?」
私がニッコリと微笑むと、慌てたのは竜王だった。
『え?何でって、約束‥』
「もう400年ですのよ。貴方が私の祖先であるナーナ・ライザーを残して王国を去ってから。なので、その話は無効ですわ」
そう、竜王の話は最早伝説とされていた。
この国が産声を上げる時の立役者だったライザー家の祖先で聖女と謳われたナーナ・ライザーは、聖女の力によって卵から一匹の竜を孵化させた。その竜はこの世界の全ての竜を束ねる力を持つ竜王種の現存する最後の一匹で、母の様に慕っていたナーナに降り掛かる災いを引き付けてこの国を去ったとされている。『直ぐに戻る』と言い残して。
しかし王家とライザー家に残されたナーナの手記に寄ると[一緒に竜王の国へ行くのを楽しみにしていたカイルに『子供が産まれて少し大きくなったら、一緒にピクニックに行きましょう』と約束した。渋々ながらも『分かった』と納得した様に思えたが、ある日ふらっと何処かに行ってしまった]とあった。
それから400年、全く音沙汰が無かったのだ。
竜王の言う約束とは『竜王の国までのピクニック』の事であるが、竜王の国は遥か遠方の空に突き刺さるとされる険しい山を越えた先にあるとされ、普通の人間は近寄ることもできない為、竜の聖域とされている。
つまり、聖女の力が無ければピクニックに行くことは不可能なのだ。
ナーナの次男で後継不在のライザー家を継いだナイトは、男性ながら聖女の力を引き継いでいたと言うから、竜王が約束通り戻っていたならばナーナとナイトと一緒に遊びに行けたと思われる。
聖女の力は血と共に薄まって今やそれ自体もが伝説となっていて、名残すら微塵もない私は過酷なピクニックなんて耐えられないだろう。
400年が過ぎていた事に呆然とする少年の姿は可哀想ではあるが、竜王は遅すぎたのだ。
『ちょっとふて寝してただけなのに』
シュンとする竜王に絆された私が、その後本体に合わせて青年の姿となった竜王の猛アタックに負けて妻となり、実は私の奥深くに眠っていた聖女の力が竜王の愛により誘発され発現し、400年越しの約束が守られるのはわずか数年後の話である。
ちなみに‥
竜王が少年の姿で現れたのは[ナーナの母性本能を刺激する為に少年の姿を取っていたのが癖になっていたからだと言う痛い事実]は私の心の中にだけ記しておこうと思う。