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はじまらない、いまはまだ

作者: 鈴木叶緒

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回し者じゃないよ!

 上に優秀な兄と姉がいたから、何も期待はされなかった。

 部活でレギュラーに選ばれても、キャプテンに就いた兄だけが褒められた。読書感想文のコンクールでクラス代表に選ばれても、弁論大会に出場した姉だけが褒められた。

 幸いだったのは、家庭で兄や姉と比べられなかった事だろう。比較対象にすらならないと、両親は思っていたのかも知れない。出来の悪い妹は脅威にも切磋琢磨しあえるような好敵手にもならず、たまにしか会話がなくとも兄と姉はいつも優しかった。

 そこには、ただ疎外感だけがあった。




(劣化版の私を育ててくれて、本当にありがとう)


 兄の結婚と姉の就職の陰に隠れるように、私は家を出た。

 中学時代から所属していたソフトボール部は、練習中の些細な違和感を放置した結果の故障により退部せざるを得なくなった。短期留学する姉の準備と見送りに行く両親の後、痛む肩を擦りながらひとり病院へと向かった。

 唯一の誇れる戦歴もこれでおしまい。残された学生時代をつぎ込んだバイト代を初期投資に、専門学校への進学を許された。


 資格取得のための進学なんて、本当はしなくても良かった。地元での就職を選んでも、同じ家で暮らすだけの家族との生活には何もなかったから。

 引っ越し業者に挨拶し、ひとりで駅に向かう私を見送ってくれるだけで家族としては充分だった。兄の支払うローンで建て直す実家に、もう入る事はないだろう。


 何となく勉強しても卒業できる学生生活のモラトリアムには、常に虚しさが付き纏う。それ自体にモチベーションなどないのだから当然だ。

 持て余す時間を埋めるように趣味を楽しんだ。部活を辞めてからハマった漫画。イラスト、手芸。化粧は元より映える顔面ではなかったから、清潔感を重視して程々に。

 時は就職氷河期。高就職率を謳っていても、学校は仕事の斡旋所ではない。誰にでも取れる資格しか持たない私は、正規雇用にあぶれ再びバイト生活を始めたのだった。




 メディアの発達した、いい時代になったと思う。消しゴムの誤発注でクビを切られても、職を選ばなければキーワード検索で就職先などいくらでも見つかる。時給に釣られて入ったガールズバーでは、客とのやり取りで見識を広げながらも、持ち前の顔面により特にトラブルに遭う事もなく働けた。ちなみにそこも割材の誤発注で辞める事になった。


 ワードといらすとやの素材で作られた募集要項に電話を掛ければ、とんとん拍子に話は進む。くたびれたリクルートスーツで多少なりとも心象を良くしようと画策しなくても、杞憂だったと思えるほど気安い地元チェーンのスーパー。

 長年接客業をしてきたお陰か、それとも暇を持て余した結果朝から晩までスーパーにいるせいか、案外と重宝されているようだ。友達がおらず恋愛経験も乏しいフリーターは、平日の週休二日と賃金さえ貰えれば何も言う事はない。やはり人間、暗くなったら労働を止めて寝るべきなのだ。




 休日、溜まったアーカイブを作業用BGMとしてネイルに勤しむ。生鮮品を扱わないレジスタッフは、爪が短く派手でなければネイルは許可されている。割と遊びのある職場だ。

 百均は便利で、とても安い。三百円商品のタッカーは針が短すぎて余り使わなくなったが、棚を見て材料を探すだけで半日は潰せる。

 高めの解像度で動くフェイスリグ。ほとんど通常のラジオと変わらないと知りながらも、画面に何らかの変化があるのではないかと逐一確認してしまう。


 楽しい掛け合い。好みのビジュアルとボイス。思わずときめいてしまうバイノーラル。

 イメージカラーとワンポイントをものすごくオブラートに包んだデザインを爪に乗せ、奮発して買ったUVライトを当てる。自分の事は好きではないけれど、自分のために何か行動する時間は有意義だと思う。

 コメントをした事はない。メンバーシップ特典はコンテンツを提供してくれる事へのささやかな感謝の表れ。

 だって私が何もしなくとも、他の誰かがスーパーチャットを投げてくれる。あくまで、コンテンツを享受するだけの人間。


 画面の向こうで笑う推しは、誰よりも遠い神様みたいな存在だ。




「誤発注だけは勘弁してねー」


 今までの辞職の理由を自虐ネタが定着し、職場での人間関係は良好だ。経験上クレーム対応に定評がある私は、発注業務から逃れられてほっとしている。


 本当は、どちらの職場でも大した発注数ではなかった。

 ただある日、ほんの小さな失敗で、ぽきりと何かが折れてしまうのだ。

 同僚のPOPの出来が良かった。失敗をフォローさせてしまった。後から入ってきたキャストの方が評判が良い。売り上げが下から数えた方が早かった。

 そんな羨望と挫折が降り積もり、努力すれど停滞している時にそれは起こる。些細な失敗をきっかけに過去の記憶が蘇り、いたたまれなくなってしまう。


 自信が無い訳ではない。その場での達成感もある。でもきっと、すでに私は機能不全だったのだ。

 所詮私は毒にも薬にもならない、この世界の誰かの下位互換。


 私に出来る事は、誰にだって当たり前に出来る事だった。そんな当たり前を毎日こなしているだけの私でも、誰か見付けてくれないだろうか。受動的な生き様でも、諦めずに生きている人間がいるのだと。

 何かあるようで何もない、自己満足と自己完結で構成された世界でも、ここで呼吸をしてきたんだと。




「あ」


 気分が落ち込んでいるような時は、客の小さな呟きにも過敏になっている気がする。


「どうかされましたか」

「あ、いや、その」


 どうやら、何か不手際があった訳ではないらしい。密かに安心し、レジ袋の有無を確認すると一枚所望された。

 キャッシュレス決済でスマホをかざす手の反対には、大きめのカバンが下がっていた。カゴの中身は決して多くはなかったが、閉店の迫る来客の少ない時間帯でもあり、一声掛けてからサッカー台までカゴを運んだ。


「ここに置いておきますね」

「あ、ありがとうございます。あの、それ」


 再び声をかけられて、緊張が走る。先程の続きだろうか。何もなさそうだと安堵するのは早まったかも知れないが、客の言う「それ」が何なのか分からない。


「あの、何か」

「その爪、素敵ですね」


 尋ねた言葉に若干かぶってしまい、その瞬間では何を言われたのか分からなかった。改めて客から「ネイルが」と指摘され、思わず手を見る。


「あ、ああ。これですか。えっと、趣味で」

「すみません、急に」

「いえいえ、ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」


 咄嗟の返事に窮するも、最後は店員として対応できたと思う。職場では割と会話する方だが、仕事としての対応とは違う会話に反応が遅れるとは、いよいよぼっちをこじらせている。

 上がった心拍数はなかなか治まらない。退勤して帰路に着く時、ふと思い出して笑っては、誰か見ていやしないかと必死に無表情を取り繕う。


 次はもっと凝ったデザインにしてみようか。たった一つのきっかけで気分が上向きにもなるのだから、打たれ弱いというよりは性格が単純なのかも知れない。

 それでも、気付いてくれる人がいた。自分だけの世界で、静かに息づいていた私にも。


(でも、モチーフが誰なのかまでは、どうせ分からないだろな)






配信者からしたら身バレの危機である。

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