第四十六話 蒼空の欠片
第二海兵師団によるリポナへの強襲上陸、及び同都市陥落の報は、その日の夕刻に帝国軍上層部へと届けられた。
そして、開戦以降最早何度となく行われた緊急の対策会議は、大いに紛糾していた。
「敵は、ヴァノジェを次の攻撃目標にしていたのではなかったのか!?」
「いや、敵軍は未だにヴァノジェ近郊に部隊を展開させているぞ! 次にヴァノジェへと攻撃を仕掛ける可能性だって残されている!」
「ヴァノジェとリポナ、どちらがこのロマーンに近いかなど一目瞭然だろう! 北の軍は囮だ! 敵は直ぐにでも南からこのリポナに迫ってくるぞ!」
「だが、報告ではリポナに上陸した敵の兵力は、北に展開している兵力よりも少ない筈だが?」
「そもそも、リポナに駐留していた兵力を増援として北部に送らなければ、撃退できたのではないか!?」
「数だけで敵の実力を測れない事は、これまでの戦闘でもう十二分に判明しているだろう!」
予想に反する大和皇国のリポナ制圧に、軍上層部は狼狽する。
元々リポナには、南部を代表する都市と言う事で、駐留していた兵力も相応の数を誇っていた。
所が、北部への増援の為、同都市に駐留していた兵力は、半数近くが抽出されていたのだ。
だが、出席者の一人が言う様に、仮に兵力が定数通り存在していたとしても、第二海兵師団を撃退する事は難しかったであろう。
「兎に角、今すぐにでも北部に送った兵力を、ロマーン防衛の為に呼び戻すべきだ!」
「待て! それこそ敵の狙いかも知れんぞ! ヴァノジェ防衛の為の戦力が低下した所で、一気に畳みかけるのでは!?」
「だが現有兵力では、ロマーンの防衛は完璧とは言えんぞ!」
リポナを制圧された事により、一気にロマーンへの攻撃が現実味を帯び、継戦派の出席者達の顔にも、焦りの色が色濃く表れている。
「ロトエ国防参謀長、いかがなさいますか?」
そんな中、制服組のトップを務めるロトエ国防参謀長は、一見すると平静を保っているように見えたものの。
充血した目に、目の下のクマ等、顔の各所には疲労している様が表れていた。
「敵の進軍速度からして、おそらく北部から兵力を呼び戻したとしても、間に合わない可能性が高い」
「ですが、現有の兵力では──」
「だからこそ、態勢を立て直す為の時間を稼ぐべく、北部に展開している敵軍に攻撃を仕掛け、多大な損害を与える事により、敵の進軍の出端を挫く」
ロトエ国防参謀長が考え出したのは、ヴァノジェに集結させた兵力を用いて攻撃を行い、大和皇国軍に対して無視できない程の被害を与え。
これにより、皇国側に精神的圧力を与え、皇国軍の進軍速度を一時的に停滞させる。
こうして膠着状態を作り出し時間を稼いでいる間に、ロマーン防衛の為の兵力を整えると共に、南北の防衛線の再編も行う。というものであった。
「ですがロトエ国防参謀長。万が一、その会戦に敗北すれば……」
「分かっている。だが、この状況を打開するには、この会戦に賭ける他ない。温存していたワイバーン・エリートを投入してもだ」
だが、北部に集結させた兵力は、まだ一部が移動を完了していないとはいえ、中部や南部から増援として抽出した兵力も含まれる。
もし、この会戦に負ければ、帝国軍は防衛の為の兵力を失うも同然で。
まさに、アリタイ帝国の存亡を左右する、最後の賭けと言えた。
そして、他の出席者から、この策以外に具体的な対策なども出てこなかった為。
帝国軍は、ロトエ国防参謀長の提唱した策に則り、最期の会戦に向けて行動を開始した。
三日後。
ヴァノジェの東に整備された、仮設ながら規模の大きなワイバーン用飛行場では、間もなくに迫った会戦に向けての、最後の準備に追われていた。
出撃に備え、飛行場の一角に並べられた竜房では、竜騎士達が相棒のワイバーンの機嫌や体調確認を行っている。
「キュー、キュゥゥ」
「よーし、よし。調子はよさそうだな」
そして、この竜房内でも、革製の鎧を身にまとった一人の竜騎士が、帝国軍内では最早貴重となった、相棒のワイバーン・エリートの頭を撫でながら、機嫌や体調確認を行っていた。
「今日は、仲間の弔い合戦だ。頼むぞ、相棒」
「キュー!」
その見た目通りの、力強い返事をする相棒に、端正な顔立ちの竜騎士の男性ことルッジェーニは、満足そうな笑みを浮かべる。
そして、相棒の頭を再び優しく撫でながら、彼は自身の過去に思いを馳せた。
駅馬車職員の子供として生を受けたルッジェーニは、物心ついた頃から、空に憧れを抱いていた。
そして彼が十歳の時、両親に連れられ、ロマーンで行われた帝国軍の軍事パレードを見学した時であった。
屈強な肉体を堅牢な装備で固めた重装歩兵や、優美さを感じられる騎兵隊の行進、力強さと優美さ、その両方を兼ね備えた鋼鉄の巨人ことラッポチ達の力強い行進。
見学者の多くが陸上を進行する部隊に視線を釘付けにされる中。ルッジェーニは、そんな部隊の上空を、相棒のワイバーンを操り、見事な編隊を組みながら飛行する、竜騎士達の姿に釘付けとなっていた。
物語の中に登場する、ドラゴンを使徒する勇者。幼き頃のルッジェーニには、竜騎士達がまさにその様に見えていた。
そして同時に、彼はこの時、自分も、必ず竜騎士になるのだと、誓いを立てた。
だが、その誓いを果たすべく待ち構えていたのは、決して楽ではない道のりであった。
大人しくて従順な様に育成されているとはいえ、相手も同じ生物である以上、乗り手が自身よりも格下と判断すれば、言う事を聞かなくなる事もある他。
最高時速一八〇キロメートル毎時を誇るワイバーンに乗り大空を翔る為、強靭な精神と屈強な肉体が要求され。
更には、瞬時に状況を判断する判断力や、飛行には欠かせない地理や気象に関する深い知識等も必要となる。
竜騎士になるには、それら能力を身に付けた上で、更に試験を突破して、初めて候補生として、竜騎士への第一歩を踏み出す事が出来る。
この様に、厳しい道のりながらも、ルッジェーニは誓いを果たすべく、努力を続けた。
学生時代も、学友達が気になる異性をデートに誘う際の決め台詞の話題で盛り上がるのを他所に、黙々と知識を深め、体作りに精を出し。
そんな努力が実を結び、試験を突破し候補生となった後、教育期間を経て、遂に、正式な竜騎士の肩書を得る事が出来た。
だが、ルッジェーニは、それで満足はしなかった。
彼は、文字通り選ばれし竜騎士のみが操縦する事を許された、ワイバーン・エリートへの竜騎士を目指し、更なる努力を続け。
二度の挫折を味わいながらも、三度目にして遂に、ワイバーン・エリートの竜騎士となる事が出来た。
その時の感動は、生涯忘れられないものであった。
こうして、ワイバーン・エリートの竜騎士となったルッジェーニは、相棒と共に任務に励んでいく中。
ドラゴンにこそ敵わないものの、ワイバーン・エリートは、間違いなくエウローパ最強の航空戦力であると。そして、そんなワイバーン・エリートを擁するアリタイ帝国空軍は、無敵であり、自身はその栄誉ある一員。
その誇りと自尊心を高めていった。
だが、そんな誇りと自尊心を、傷つけられる出来事が起こる。
それが、今回のアリガ王国への侵攻作戦において、緒戦で発生したマントーンの町を巡る戦闘。そこで行われた空戦であった。
最強と思っていたワイバーン・エリートが、奇妙なワイバーンを前に敗北を喫した、しかも、圧倒的な数の差がありながら。
この事実を聞いたルッジェーニは衝撃を受け、聞いた当初は、その事実を受け入れられないでいた。
だが、時が経つにつれ、徐々に事実を受け入れると同時に、その奇妙なワイバーンが、大和皇国の保有するものであるとの情報を耳にすると、彼は心の中で新たな誓いを立てた。
必ず、地に墜とされた仲間たちの仇を空で討つ、と。
そして、その矛先を向けたのが、マントーンの町の空戦で数多くの仲間を墜としていたという、青いチューリップが描かれた機体であった。
「よし、行くぞ、相棒!」
鞍や腹帯、更には頭絡等。
ワイバーン搭乗の際に必要となる竜具と呼ばれる道具の最終確認を終えたルッジェーニは、掛け声とともに、手綱を引きながら、相棒を竜房の外へと連れ出す。
合戦には絶好の空模様の下、既に他の竜房からも、数少ないワイバーン・エリートや従来種であるワイバーンが、竜騎士と共に竜房の外へと姿を現している。
そして、既に一部のワイバーン達は、滑走路から離陸を始めていた。
「俺達も続くぞ!」
そんなワイバーン達に続くように、相棒に取り付けた鞍にまたがったルッジェーニは、手綱で相棒を滑走路へと向かわせる。
やがて、滑走路の端へと到着した相棒は、ルッジェーニの指示に従い、翼を広げて、助走を開始した。
最後に、滑走路の地面を思いっきり蹴り飛ばすと、揚力を得たその体がふわりと空中へと浮かび。
力強く動かす翼によって、瞬く間に相棒共々大空へと舞い上がった。
相棒と共に待機高度に到達したルッジェーニは、相棒を旋回させつつ後続の発進を見守る。
やがて、各部隊ごとに編隊を整えたワイバーンの群れ。
ワイバーン・エリート二十騎、ワイバーン二五〇騎、合計二七〇騎の壮観たる群れが、一路決戦の地である西を目指して翼を向けた。
決戦の地に到着した頃には、既に戦闘が開始されていた。
だが、それは最早戦闘と言うには、あまりに一方的な展開であった。
敵陣に突撃を仕掛ける歩兵や銃士、更には騎兵達は、敵陣から放たれる弾幕に貫かれ、次々と己の血を大地にぶちまけると、その上に倒れていく。
重装歩兵やラッポチも、戦車や装甲車からの砲撃を受けて、次々と吹き飛び、或いは四散し。
弓兵や砲兵、それに戦闘魔導師達も、圧倒的に長い敵の有効射程を前に、何もできずに次々と大地に没していく。
そんな惨憺たる戦況を打開すべく、ワイバーン部隊の五十騎程が、敵陣へ撹乱を仕掛けるべく突撃を行う。
だが、そんな五十騎の前に、突如空を切り裂く火箭の数々が出現し、瞬く間に血と肉の雨を作り出した。
それは、防空用に展開していた三式半装軌装甲兵車三四型や三式半装軌装甲兵車一六型による対空砲火によるものであった。
大和皇国の防空兵器の性能に、ルッジェーニを含め、残った竜騎士達は愕然とし、同時に、動揺が広がり始める。
それを感じ取った隊長格の竜騎士達が、動揺を払拭させるべく、鼓舞激励の言葉を放った、刹那。
「敵のワイバーンだ!!」
竜騎士の誰かが発見したその報告を受けて、残りの竜騎士達が発見した方角に視線を向ける。
するとそこには、頭部に謎の羽根車を持ち、翼が上下反転している、文字通り奇妙なワイバーン達が、信じられない速度で自分達の方へと向かってきていた。
(あれは、なんだ? 異形のワイバーンだとでもいうのか!?)
ルッジェーニを含め、竜騎士達が初めて目にする四四式戦闘爆撃機二型の姿に、意表を突かれた次の瞬間。
四門の20mm機銃が閃光を放つと共に、火箭が、ワイバーンの群れを貫き、竜騎士や相棒のワイバーン達の命を刈り取っていく。
「うぉ!?」
運よく火箭を逃れていたルッジェーニは、すれ違った瞬間に感じた、嵐の様な非常に激しい風に度肝を抜かれる。
同時に、一瞬だけ目にした、操縦席から見せつけるかのように片腕を上げた敵操縦士の行動に、侮辱を感じずにはいられなかった。
だが、ルッジェーニは冷静であった。
四四式戦闘爆撃機二型と正面から戦うのは得策ではないと判断し、虚を突くべく、ルッジェーニは相棒を低空へと降下させ、その時が訪れるのを待ち始める。
一方他の竜騎士達も、態勢を立て直すと、各々散開し、空戦を開始。
この頃には、遅れて飛来した三式艦上戦闘機と三式戦闘機一型の飛行隊も加わり、空域では、大規模な空戦が繰り広げられる事となった。
「く! こうも、圧倒的なのか……」
低空から、上空で繰り広げられる空戦の様子を目にしたルッジェーニは、そう呟いた。
伝え聞いていた以上に、大和皇国の戦闘機は、帝国軍のワイバーンを圧倒していた。
圧倒的な機動性をもって、軽々と背後や上方を位置取ると、機銃の射撃と共に簡単にワイバーンを墜としていく。
勿論、竜騎士も座している訳ではなく、何とか一撃を与えようと、必死に背後を取ろうとするものの。軽々と振り切られたり、或いは僚機の射撃にやられる等。
どれだけワイバーンが頑張ろうとも、戦闘機は軽々とその上を進み。
それは、ルッジェーニが最強と信じて疑っていなかった、仲間のワイバーン・エリートをもってしても、同様であった。
しかも、程なく一部の戦闘機が空域から降下していくと、陸上部隊支援の為に、機銃掃射を行い始めた。
「くそう!!」
その光景を目にした時、ルッジェーニはこれまで覚えた事のない屈辱を覚えた。
ワイバーン・エリートこそ、最早自身の相棒を除いていなくなってしまったが、まだワイバーンはそれなりの数が残っている。
にもかかわらず、そんなワイバーンに目もくれずに、陸上部隊の支援に動いた。
ルッジェーニにはそれが、もはやワイバーン等何の脅威でもないと暗に示されたようで、奥歯を食いしばった。
「っ! あれは!?」
だが次の瞬間、ルッジェーニはそんな戦闘機の中に、自身が仇としていた、青いチューリップが描かれた機体を見つける。
一瞬目を見開くと、次の瞬間には、手綱を引いて相棒に指示を与えていた。
「見つけた! 行くぞ相棒! こうなったら、あの仇だけでも!」
戦場の各所から立ち込め始める土煙や黒煙、それに紛れる様に、ルッジェーニと相棒は大地のスレスレを飛行していく。
少しでも操縦を誤れば、途端に大地と強烈なキスをする事になる程の低空飛行だ。
だが、ルッジェーニと相棒は、衝突の恐怖を克服し、仇を目指して低空飛行を続けた。
低空より、自機に接近するワイバーン・エリートがいるとは気づいていない晴翔曹長は、土煙や黒煙の切れ目に現れた敵陸上部隊へ機銃掃射を行うべく、機首を向け。
そして、覗き込んだ照準器内に、敵陸上部隊を収めようとした、その時であった。
──危ない!
不意に、セリーヌ軍曹の声が聞こえ、晴翔曹長は驚きのあまり照準器から視線を外す。
その時、晴翔曹長は、立ち上る黒煙を突き破り、その大きな口を開いて自機に迫るワイバーン・エリートの姿を確認し、反射的に操縦桿を傾けた。
「っ!」
刹那、機体に衝撃が走ると共に、金属が拉げる不快な音が耳を突いた。
次の瞬間、晴翔曹長は音のする方へと視線を向ける。
するとそこで目にしたのは、先ほど目にしたワイバーン・エリートが、自機の右翼の三分の一程を、その強靭な咀嚼力で嚙み千切っている光景であった。
同時に、晴翔曹長は、そのワイバーン・エリートを操る竜騎士の姿を捉える。
自身と同年代、あるいは二つほど上か。何れにせよ、然程年の離れていない男性竜騎士。
ふと、ゴーグル越しにその男性竜騎士と視線が合った。と思ったのも束の間。
次の瞬間には、機首を上げて、バランスを崩した自機を上昇させる事に意識を集中させる晴翔曹長。
「晴翔! おい大丈夫か!?」
「あぁ、何とか。……だが油断した」
「待ってろ、今すぐ援護に、……ちっ、くそ!」
右翼の三分の一程を失い、姿勢制御を行いながらも何とか飛行を続ける晴翔曹長。
そんな晴翔曹長を心配し、岩代曹長が援護に駆け付けようとしたものの、どうやら残っていたワイバーンに針路を塞がれた様だ。
その機会を生かすかのように、先ほど右翼を噛み千切ったワイバーン・エリートが、自機の背後につけた。
右翼の三分の一程を失った状態では、加速もままならず、振り切る事は難しい。
また僚機も、今はワイバーンの相手で助けられない。
晴翔曹長の脳裏に、死への恐怖がちらりと顔をのぞかせる。
「頼むぞ相棒、踏ん張ってくれよ!」
そんな恐怖を振り払うように、晴翔曹長は覚悟を決めると、操縦桿を握る手に力を籠め、上昇しながらの旋回を開始した。
すると、背後のワイバーン・エリートも、逃すまいとぴったりと背後に食らいついてくる。
(付いてくるか、いい腕だ)
気づけば、晴翔曹長は酸素マスクの下の口角を、嬉しそうに吊り上げていた。
それはまるで、命を懸けて空を飛ぶ、その際の緊張感を思い出させてくれた、そんな好敵手と対峙できた、その喜びが滲み出たかのように。
「さぁ、勝負だ!!」
高度計や速度計の数値を確認すると、晴翔曹長は方向舵を操作する為のフットバー、その右フットバーを踏み込んだ。
刹那、上昇旋回からの宙返りを行い、宙返りの頂点にさしかかろうとしていた晴翔曹長の三式艦上戦闘機が、本来の旋回半径を大幅に縮め急速旋回を行う。
それはまるで、空中を横滑りしているかの様であった。
見た事のないその軌道に、男性竜騎士の顔が驚きに満ちる。
だが、それも一瞬の事。
男性竜騎士は、宙返りを終えて、それまで追いかけていた筈の三式艦上戦闘機を見失っている事に気がつき、慌てて周囲を見渡した。
刹那、背後から殺気を感じ取り、振り返った彼が目にしたのは。
自身の背後に位置取った、三式艦上戦闘機の姿であった。
いつの間に追い越してしまったのか、そんな疑問を抱く間もなく、彼は手綱を引いて振り切ろうと相棒に指示を与えるも。
それを許すまいと、晴翔曹長は照準器内に彼の乗るワイバーン・エリートを捉えると、操縦桿の発射ボタンを押した。
刹那、機首の20mm機銃が火を噴き、放たれた火箭が次々とワイバーン・エリートを貫いた。
血しぶきを上げながら墜ちていくワイバーン・エリートを他所に、晴翔曹長は機体の姿勢を立て直すと、周囲に他のワイバーンがいない事を確認する。
すると、そんな晴翔曹長の機に翼を並べる様に、一機の三式艦上戦闘機が接近してきた。
「晴翔! 大丈夫か!?」
「あぁ、何とかな」
「ならよかった。……にしても、全く無茶するよな、お前。"捻り込み"をくり出すのはいいが、捻り込みは失速寸前で行う事に加えて、右翼がそんな状態だろ、下手すりゃフラットスピンから墜落する事だってあったぞ。それに、捻り込みの最中に空中分解してたかもしれないしな」
一連の空戦の様子を目撃していた岩代曹長からの無線を聞き、晴翔曹長は、自身がかなりの無茶を行っていた事を改めて理解し、苦笑いを浮かべた。
「だが、流石は隊一番のエース様だな。そんな状態でも、勝っちまうんだからな」
「よせよ、何だか背中がむず痒くなる」
「何だよ、褒めてるんだぞ、素直に受け取れ──。いや、そうだな。俺に褒められるよりも、もっと褒めてほしい人が、晴翔にはいるよな」
「え?」
「よし、それじゃ。その人が待ってるヨ―リン空軍基地まで、俺がお前の事をしっかりエスコートしてやるよ」
こうして、岩代曹長の機に護衛されながら、晴翔曹長は機首を北西へと向けると、一路ヨ―リン空軍基地を目指し、飛行を始めた。
それから数十分後。
先に連絡を受けていたヨ―リン空軍基地では、万が一に備えて、滑走路の近くに消防車や救急車等が待機している他。
整備隊の隊員達も、持ち場を離れ、駐機場等から晴翔曹長の帰還を待っていた。
「……」
「大丈夫だ、セリーヌ軍曹。彼なら、無事に帰ってくるさ」
そんな中、晴翔曹長の機が損傷したとの連絡を聞いたセリーヌ軍曹は、不安でいてもたってもいられず、外に出て晴翔曹長の帰還を待っていた。
部下の不安を和らげるべく、ムーショット大尉が声をかけた、直後。
「来たぞ! 恵利曹長の三式艦上戦闘機だ!」
誰かが告げた報告を聞き、セリーヌ軍曹は慌てて手にしていた双眼鏡を、飛来した方角へと向ける。
やや遅れて、ムーショット大尉も双眼鏡を同じ方角へと向ける。
すると、映し出されたのは、安定した飛行を見せる岩代曹長の機の横で、傷ついた翼でふらふらと機体を揺らしながら飛行する晴翔曹長の機の姿であった。
「むぅ、あんな状態でも、飛行できるものなのか……」
機体の状態を確認し、更に不安な表情を見せるセリーヌ軍曹を他所に。
ムーショット大尉は、右翼の三分の一程を失った状態ながら、ヴァノジェ近郊からヨ―リン空軍基地まで飛行させた、晴翔曹長の操縦技術に舌を巻いた。
やがて、セリーヌ軍曹を始め、地上にいる誰もが固唾を呑んで見守る中、晴翔曹長の機は滑走路への着陸態勢に移行する。
幸い、右翼の降着装置は問題なく展開でき、無事に両方の降着装置を展開させると、姿勢を整え、最終進入を試みる。
周囲の緊張が最高潮に達する中、晴翔曹長の機は、まるで右翼が三分の一程失われている事など感じさせない、見事な着陸を果たした。
無事に着陸を果たし、見守っていた者達が安堵の表情を浮かべる中。
駐機場へと誘導された晴翔曹長の機に向かって、セリーヌ軍曹は駆け出した。
そして、操縦席から駐機場へと降り立った晴翔曹長に、セリーヌ軍曹は周囲の視線も憚らず、駆け寄ると抱き着いた。
「え!? えぇ!?」
「バカ! バカバカッ! 貴方の機体が損傷したと聞いて、私が、どれ程心配したか、分かっているんですの!」
「……ごめん、心配かけた」
不意の出来事に困惑した晴翔曹長だったが、涙を浮かべて心配したと訴えかけるセリーヌ軍曹の言葉を聞き、晴翔曹長は漸く状況を理解した。
そして、彼女の不安を取り除くように、彼女の頭を優しく撫でると、笑顔を浮かべながら再び話を始める。
「初めて会った日の夜の事、覚えてるか?」
「え? 何ですの、突然?」
「君の言った通り、相手がワイバーンだと油断して、不意を突かれて翼をワイバーン・エリートに噛み千切られた」
「え!?」
「でも、相手が不意に飛び出してくる直前に、君の声が聞こえたんだ。……もし、あの声が無かったら、反応が遅れて、右翼は殆ど噛み千切られていたかもしれない」
そして一拍置くと、晴翔曹長は自身の飛行服の胸ポケットから、セリーヌ軍曹から手渡されたお守りのペンダントを取り出し、言葉を続けた。
「もしかしたら、このペンダントが、俺を守ってくれたのかもしれない。ありがとう、クステル軍曹」
見つめ合う晴翔曹長とセリーヌ軍曹。
すっかり二人だけの世界に入り込み、そのまま互いの唇を重ね合わせてしまいそうになった、刹那。
「ごほん! あー、いい雰囲気の所、水を差す様で悪いんだが。そういうのは、出来ればもう少し人目のない所でやってほしいもんだがな」
わざとらしい咳払いと共に、いつの間にか着陸していた岩代曹長の声を聞き、現実に引き戻された晴翔曹長とセリーヌ軍曹。
改めて周囲を見回すと、岩代曹長の他、整備隊の隊員や消防員、更には衛生兵やキャラクテェ飛行隊の他の隊員達等。
二人は、多くの者達に囲まれている事に漸く気がつき、互いに顔を真っ赤に染め上げるのであった。
一方、同じ頃。
大地に横たわった巨体の至る所に、真新しくも痛々しい弾痕が見られ、そこからとめどなく血が流れ出ている。
最早、助かる見込みのないワイバーン・エリート。
その傍らにいたのは、相棒の最後の力を振り絞った滑空のお陰で、大地に落下する事無く、更に奇跡的に一発も直撃する事が無かった為、ほぼ無傷であったルッジェーニ。
彼は、相棒の最期を看取るべく、相棒の頭を優しく撫でていた。
「ありがとう、相棒」
そして、ルッジェーニの言葉に応える様に、微かに鳴き声を上げたワイバーン・エリートは、静かにその瞳を閉じると、永遠の眠りにつく。
「……くそ! ちくしょう!!」
こうして相棒の最期を看取ったルッジェーニは、悔しさから握り拳を作ると、その握り拳を大地に叩きつける。
グローブをしているとはいえ、力強く大地を叩けば血が滲み出る程の痛みを感じるが。今のルッジェーニには、そんな痛みなど些細なことであった。
何故なら、不意を突き、翼を噛み千切るという、ルッジェーニの感覚からすれば致命傷を与えたも同然の、自身が絶対的優位な状態であったにも関わらず。
青いチューリップが描かれた機体は、見た事もない機動を行い、見事に逆転勝利してみせた。
そのあまりの不条理に、ルッジェーニは堪らず吠えた。
「何なんだ! 何なんだよ! 空の神様にでも愛されているっていうのか!!」
仲間の仇を討てず、大切な相棒も失い。
悔しさを拳に乗せて、大地に叩きつけていたルッジェーニだったが、ふと、その手を止めると、徐に立ち上がり、青いチューリップが描かれた機体が去った方角の空を睨みつけた。
「青いチューリップ。お前だけは、お前だけは必ず、俺がこの手で討つ!」
そして、心の中で新たに立てた誓いを口にした、刹那。
不意に、聞き覚えのない声が聞こえ、声の方へと視線を向けると、軍馬に乗った一人の騎兵が、声をかけながら近づいてくるのが見えた。
「相棒のワイバーンが滑空しながら降下していく姿が見えたんで、大丈夫かと思ってたが、何とか無事だったんだな。あぁ、その相棒の方は、駄目なようだが」
格好からして友軍の騎兵である男性は、馬から降りて近づき、ルッジェーニの無事を確認すると、更に話を続けた。
「それで、お互い運よく生き残った者同士、物は相談なんだが。どうだ、ここから逃げ出しちまわねぇか?」
「逃げ出す?」
「そうさ。もっと言えば、帝国軍からも足を洗ってな。聞こえるだろ、あの降伏勧告の声を。決戦と位置付けてた会戦に帝国軍は負けたんだ、もう、この先帝国が勝利する可能性は限りなく低い。なら、部隊に復帰したって、国自体長くないんだから、復帰するのも無意味ってもんだろ?」
一拍置くと、騎兵は話を続ける。
「だったら、ここで帝国に見切りをつけて、別の国に逃げて、一からやり直した方がいいとは思わないか?」
騎兵の誘いを聞き、ルッジェーニは暫し考えに耽る。
戦死や捕虜は言わずもがな、ここで帝国軍に再び戻っても、青いチューリップが描かれた機体と再び戦える機会が巡ってくる可能性は低い。
だが、他国に亡命すれば、その機会が巡ってくる可能性は高くなる。
勿論、それは脱走兵として、故郷の土を踏むことは叶わなくなる事を同時に意味している。
ルッジェーニは考えた末、下した決断を騎兵に伝え始める。
「いいだろう、一緒に行こう」
「そうか、そりゃよかった! なら、他の連中に見つかる前に、直ぐに出発するぞ」
こうしてルッジェーニは、騎兵と共に、彼の操る軍馬に乗り込むと、皇国軍や友軍に見つかる前にその場を後にする。
離れる最中、ふと、故郷に残す家族や友人の事を想う様に、一度振り返ったルッジェーニ。
そして、心の中で別れを告げた彼は、これからは、復讐の鬼として生きていく事を覚悟したかのように、その後、再び振り返る事はなかった。
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