外伝 新たなる船出 SIDE-A
エウラシア大陸、超大陸である同大陸の北西部、その一帯の地域はエウローパと呼ばれていた。
そんなエウローパの一角に存在する大国の一つ、"アリガ王国"。
人間のみならず、様々な部族の亜人が共に暮らすこのアリガ王国の北西部に、港湾都市として名高い"ロマンサ"と呼ばれる街が存在していた。
王国の貿易拠点の一つである為、堅牢な城壁により周囲を囲まれたロマンサの街は、城郭都市の側面も有しており。
堅牢な城壁の内側には、石造りやレンガ造りなどの美しい建物が建ち並び、通りには多くの町民たちがにこやかな表情と共に生活を送っている。
そして、港には貿易船としては一般的なキャラック船や、一回り小型なキャラベル船、更には漁船等、数多くの帆船が停泊している。
そんな船舶から陸揚げされた木箱や樽の数々が、船員たちの手により港近くの市場に届けられ、市場の店先には、新鮮な魚介類や果物などが並び、訪れた多くの人々の視線をくぎ付けにしていた。
この様に活気あるロマンサの街、その一角に、他の建物とは雰囲気の異なる建物が一つ、存在していた。
立派な三階建ての、石の壁にレンガ屋根、それに所々にほどこされた装飾が目を引くその建物は、"ギルド"と呼ばれる組合組織が所有している建物であった。
ギルドとは、冒険者と呼ばれる者達に対して仕事の斡旋の他、登録している冒険者の等級の選定や管理、宿泊や食事等のサービスの提供等々、一種の人材斡旋派遣業者である。
そんなギルドに登録している冒険者たちは、単独で活動している者もいれば、複数で集まり"クラン"と呼ばれる集団で活動している者達もいた。
「ねぇ、プリシラさん」
「あら、どうしたのヒルデちゃん?」
「何か実入りの良い依頼、ありませんか?」
そのギルドの建物内、今日も仕事や仕事終わりの癒しなどを求めて、様々な武器を携え思い思いの格好をした冒険者達が、思い思いに過ごしている中。
鞘に納めた剣を携え、鎧を着込み、整った顔立ちに綺麗な赤い髪を靡かせた一人の女性冒険家、名をヒルデ・ヴァルミオンという。
彼女は受付窓口が並ぶ一角で、とある受付にもたれ掛かりながら、顔見知りの受付嬢、ふわふわな紫の髪に尖った耳を持つ、エルフのプリシラ・ヴィオレという名のギルドの女性職員と依頼について話をしていた。
「うーん、そうねぇ……」
ヒルデからの頼みを聞いたプリシラは、顎に指を当てて暫し考えに耽ると。
程なく、何かを思い出したかのように喋り始めた。
「そうだわ。丁度いい依頼がきてたのを思い出した」
「え!? どんな依頼なんです!?」
「えーっとね。……あ、あったあった、これよ」
そしてプリシラは、受付裏に収納されている幾つかの紙の束の中から目当ての紙を一枚引き抜くと、それをヒルデに手渡す。
ヒルデは受け取った一枚の紙、依頼書の写しに目を通しながら、プリシラの言ういい依頼の内容を確認していく。
「何々……。内容は、"霧の海域"へ派遣される王国調査隊に対する護衛の依頼か。霧の海域って、確か三日前に大々的にニュースになったあれですよね」
「そうよ」
霧の海域、それはアリガ王国に住む者ならば一度は聞いた事のある有名な海域。
アリガ王国の北西、大海を進んだ先にあると言われる海域の事を指し。
その特徴は、何といっても、名前の由来ともなった、常時謎の霧に覆われている事だ。
アリガ王国の建国以前より存在していると言い伝えられている霧の海域には、これまで幾人もの著名な学者や魔術師、更には冒険家等がメカニズムの解明や、或いは突破を試みたものの、現在に至るまで誰一人として霧の向こう側を見た者は現れていない。
その為、未だ調査の及ばぬ霧の向こう側については幾つかの憶測が噂として広まっており、冥府の世界への入口だとも桃源郷があるだとも言われており。
まさに、人々の探求心を湧き立たせる不思議な魅力を持った海域なのである。
そんな霧の海域に関して、今から三日ほど前に衝撃的な情報がもたらされた。
情報源は、航海の途中に嵐に遭遇して航路から外れ、霧の海域へと流された一隻の貿易船の船員たち。
そこで彼らは、本来覆われている筈の霧が晴れている事に気がつき、彼らは急ぎ目的地であるロマンサの港へと急行。
そして三日前にロマンサの港へと到着した彼らは、この事実を他の船員や街の住人達にも伝え、やがてその情報はワイバーン等の飛竜を使った竜便によって、王国の中枢である王都"リパ"の王国政府にも伝わる所となった。
こうして霧の海域の霧が晴れた事を知った王国政府は、調査隊の派遣を決定し、その為の準備を進めていた。
「それで、肝心の成功報酬は──、っ!? は、白金貨三枚! ぷ、プリシラさん! これって本物ですか!?」
「えぇ、その依頼は王国政府からの正式な依頼よ」
「でも、この成功報酬の白金貨三枚って。……以前、王国の生態系調査を行う調査隊の護衛の依頼を受けた事がありましたけど、その時の成功報酬は確か金貨三枚。幾ら場所や調査の内容が違うと言っても、こんなにも高額な成功報酬って……」
成功報酬の項目に書かれた内容を目にして動揺を隠せないヒルデ。
因みに白金貨とは、通貨の一つであり、その価値は地球で例えると一枚約百万円程。
その他、鉄硬貨は一枚約一円。銅貨は一枚約百円。大銅貨一枚約五百円。銀貨一枚約千円。大銀貨一枚約五千円。金貨一枚約一万円。大金貨一枚約十万円。そしてミスリル貨一枚約一千万円という価値を持っており。
今回の依頼の成功報酬は、地球の価値で例えれば約三百万円もの値が付けられている事になる。
「でも、幾ら何でもこの報酬額っておかしくないですか?」
「そうよね。……でね、私、ちょっと気になったから調べてみたの、そうしたらね」
と、プリシラは周囲を気にするような素振りを見せると、手招きを行う、どうやら他の者には聞かれたくないようだ。
それを察したヒルデは、彼女の顔に自身の耳を近づける。
「そうしたらね、何とこの調査隊に"ペルル"様が同行するみたいなの」
「な!?」
耳打ちにて聞かされた高額な成功報酬の要因に、ヒルデは口を大きく開けずにはいられなかった。
プリシラが口にしたペルル様とは、誰であろう現アリガ王国国王であるルイス・スチュート国王の娘の一人、即ち王女殿下なのである。
本名をペルル・スチュートと言い、正確にはアリガ王国第二王女殿下となる。
「まさかペルル様が……。という事は、今回の調査隊の指揮はペルル様が?」
「それがどうも、ペルル様は調査隊に同行はするけど、実際に調査隊を指揮するのは別の人みたいなの」
「成程。確かにペルル様は、昔から考えるよりも先に行動するお人だったからな……」
どこか懐かしさを感じているかのように、ヒルデはぽつりと呟くと、今回の依頼の高額な成功報酬に納得するのであった。
「納得した。確かにペルル様が同行されるのならば、この額でも、……いやむしろ、この額じゃ少ない位だわ」
「あら? それじゃこの依頼、受けるの辞めちゃうの?」
「意地悪言わないでくださいよ、プリシラさーん」
「うふふ、ごめんね。それじゃ、早速手続きしておくわね」
「ありがとうございます」
こうしてヒルデは、霧の海域調査隊の護衛の依頼を受ける事となり。
その二日後、準備の整った調査隊とヒルデを含む冒険者達は、今回の調査隊の足となる船団に乗船。
旗艦である大型ガレオン船のララ・クローン号を含む、護衛のガリオット二隻の合計三隻からなる調査船団は、ロマンサの港を出港。
一路霧の海域を目指して、帆を張り、北西を目指して船首を進めた。
ロマンサの港を出港した翌日。
調査船団は順調な航海を進めていた。
「よぉ、ヒルデも参加してたんだ」
「えぇ、当たり前でしょ」
戦闘要員故に、海洋モンスター等と遭遇しなければ特にする事もなく手持ち無沙汰の為、多くの冒険者たちはのどかな船旅を満喫していた。
ヒルデもまた、ララ・クローン号の甲板上で大海原を眺めながら、知り合いの冒険者と雑談を交わしていた。
「にしても……。お前もそうだが、今回依頼を受けた連中、流石にSランクの奴はいないが、AランクやBランクの奴がちらほらといるな」
「あの成功報酬の額よ、参加できるのなら予定を取り消しても参加したいと思うのが当たり前でしょ」
「ははは、だな」
こうして雑談に興じていると、知り合いの冒険者が他の知り合いを見つけたのか、そちらに声をかけるべくその場を後にする。
そして一人になったヒルデは、何をするでもなく、穏やかな海を眺め始めた。
と、そんなヒルデに人影が近づいていく。
「ここにいらしたのね」
人影の主は、ヒルデに近づくなり徐に声をかける。
すると、その声を聞いた瞬間、ヒルデは瞬時に声の方へと振り向いた。
そこにいたのは、鎧を着込んでいるものの、何処か気品ある雰囲気を漂わせた、美しい顔を更に引き立たせる美しい白銀の髪を持った女性であった。
「ぺ、ペルル王女殿下!」
次の瞬間、ヒルデは瞬時に女性。誰であろう、アリガ王国第二王女殿下であるペルル王女に対して膝をつくと深々と頭を下げる。
「お久しぶりです、ペルル王女殿下。この度は、ペルル王女殿下の同行する調査隊の護衛という使命を賜り──」
「ヒルデ、そんな堅苦しい挨拶は止めて頂戴。ねぇ、昔のように……」
「いえ、今の私は一介の冒険者に過ぎません。そんな私が王女殿下に対して砕けた物言いなど、その様なご無礼、行えません」
「……はぁ、相変わらず変な所で頑固なのね、ヒルデは。もう、分かったわ」
どうやらヒルデとペルル王女は面識があるようで、ペルル王女は気軽に接して欲しい様だが、ヒルデの方は頑なにそれを拒む。
結局、頑ななヒルデの様子に、ペルル王女は渋々引き下がるのであった。
「では冒険者ヒルデ、面を上げて、少しわたくしとお話して下さらないかしら?」
「ペルル王女殿下のお願いとあれば喜んで」
「ありがとう」
そして、並んで海を眺めながら、二人は会話を始める。
「いいお天気ね、潮風が気持ちいいわ」
「はい」
「霧の海域に到着するまで、このお天気が続くといいわね」
「そうですね」
「んもう、これじゃお話が楽しくないわ! ねぇヒルデ、やっぱり他人行儀な振る舞いは止めて頂戴!」
「ですが……」
「王女の絶対命令よ! いいわね!」
「はぁ、ペルル様も相変わらず頑固ですね」
「あら、貴女がそんな事言うの?」
「ぷ、あははは!」
「うふふ……」
お互い笑い合い、気がつけば、二人とも他人行儀な振る舞いを止め、気軽に接し始めるのであった。
「ねぇヒルデ、あの霧の向う側には何があると思う?」
「んー、隔絶され、独自の進化を遂げた魔物の楽園、でしょうか?」
「んもう、それじゃ浪漫がないじゃない!」
「ではペルル様は何がおありになると?」
「わたくしはね、あの霧の向こう側には、まだ誰も見た事がない素晴らしい世界が広がっていると思うの!」
「漠然とし過ぎてはいませんか?」
「いいのよ! こういうのは浪漫が大事なの!」
その後二人は、暫し会話を楽しむのだった。
それから数日後。
調査船団は特に海洋モンスターとも遭遇する事もなく、穏やかな航海を続けていた。
そしてその日、ヒルデは冒険者たちに宛がわれた、プライベートなど取り付けられたハンモック分しかない大部屋の一角で、自身のハンモックに寝転びながら持参した小説を読んでいた。
暇つぶしの方法が限られる船内での生活。
初日などは景色を眺める事も暇つぶしになっていたが、流石に替わり映えしない景色が続くと、景色を眺めるのも飽きてくる。
それに、話をするにも日が経つ毎に話題が尽きてくるので、気付けばヒルデのように持参した書物を読む者や、同じく持参した綺麗な形の小石を使ったボードゲームで遊ぶなどして、暇をつぶす者が多くみられた。
「ふぅ……」
大部屋で暇をつぶす他の冒険者達の雑音にかき消される程の、そんな吐息を吐くと、ヒルデは区切りがいい所まで読み終えた小説を脇に置いた。
「白馬の王子様……」
そして、恍惚とした表情で、不意にそんな言葉を零したのだが。
どうやら無意識に零してしまっていたようで、零した直後、はっと我に返ると恥ずかしさから顔が赤くなるのであった。
ただ、幸いと言うべきか、ヒルデの独り言は、大部屋に響き渡る雑音にかき消され、他の冒険者たちには聞かれていなかった様だ。
「ほ、よかった」
と、ヒルダが安堵した、刹那。
不意に、爆発音の様な音が聞こえたと共に、大部屋を激しい衝撃が襲った。
「な、何!?」
この突然の出来事に、他の冒険者たちも色めき立つ。
だが、何人かは直ぐに冷静さを取り戻すと、武器を手に取ると急いで大部屋を出て、状況を確かめるべく甲板を目指す。
その中には、ヒルデの姿もあった。
程なく、甲板に出た冒険者たちが目にしたのは、ララ・クローン号の左舷にて激しい炎と黒煙を立ち上らせる、護衛のガリオットの姿であった。
「何だよ、どうなってんだ!?」
「おい、ありゃ海賊船だぞ!」
「海賊の襲撃だと、見張の連中は何してたんだよ!」
そして彼らは、燃え盛る護衛のガリオットの向こう側に、一隻の帆船の姿を捉えた。
三本マストに張られた黒い帆には、見紛う事なき髑髏と骨が描かれ、マストの頭頂部にも、同様の構図で描かれた、海賊旗がなびいていた。
「おい、これはどういう状況だ!?」
「どうって、見りゃ分かるでしょ! 海賊の襲撃ですよ!」
「何故あの距離まで気がつかなかった!?」
「連中近くの島陰に隠れてたんです! それで不意を突かれて」
「もう一隻の護衛のガリオットは!?」
「それが海賊の奴ら二隻いて、ガリオットはもう一隻の対処で」
ヒルデは近くにいた船員を捕まえると、彼からこの状況の経緯を聞き出す。
そして、船員から経緯を聞いたヒルデは軽く舌打ちする。
状況を打破すべく手を打ちたいが、生憎と船の上ではできる事もなく、何もできない歯痒さも、その舌打ちには込められていた。
「冒険者諸君は万が一に備えて待機! 艦長、直ちに"竜の息吹"を使用して振り切ります。伝令! 僚艦にも直ちに竜の息吹の使用を伝えよ!」
「アイ・アイ・サーッ! 魔導員は直ちに竜の息吹の準備にかかれ!! 掌砲員は直ちに砲撃準備だ!」
と、そんなヒルデを他所に、後甲板上では調査船団の司令官を務めるアリガ王国海軍の提督が声を張り指示を飛ばし始める。
だが直後、そんな提督の声をかき消すかのように、再び大きな爆発音が響き渡った。
「何事だ!?」
「護衛のガリオットがやられました!」
「何だと!」
「ですが相手をしていた海賊船も仕留めた模様!」
「相打ちか……。く、彼らの死を無駄にするな! 作業急げ!」
ララ・クローン号の右舷後方から立ち上る二つの黒煙。
身を挺して任を全うした護衛のガリオット、その死を無駄にせぬ様に、船員たちの動きも素早さを増す。
そして、その時は訪れる。
「竜の息吹の準備完了!」
「よし、直ちに振り切るぞ!」
刹那、不思議な事に、風は向かい風の筈が、ララ・クローン号の張られた帆は、追い風を受けているかのように膨らみ始め、ララ・クローン号の船体が加速を始める。
この不思議な現象の正体、それは、竜の息吹と呼ばれる、人工的に風を生み出す事の出来る魔石だ。
この魔石を用いる事により、無風状態などでも帆船を自由に航行させる事が可能となる。
そんな便利な魔石だが、その能力故に管理は厳重になされ、一般には出回っていない品物であった。
それ故に、海賊側が竜の息吹を所有しておらず、尚且つ向かい風の状態では竜の息吹の恩恵を受けたララ・クローン号に追いつけない。
と提督は踏んでいた。
「提督! 海賊船、本船を追走しています!」
「何だと!?」
だが実際には、提督の考えとは裏腹に、海賊船も向かい風の中を関係ないかの如く、白波を立ててララ・クローン号に迫って来ていた。
「くそ! まさか連中も竜の息吹を所有しているというのか、あり得ない! 一体何処で……」
「海賊船発砲!」
「く、艦長、こちらも撃ち返せ!」
「アイ・アイ・サーッ!」
そして、水面に幾つもの水柱を作り出す激しい砲撃が始まった。
だが、事態は程なく更に急変する。
「メインマストが!?」
不意に飛来した砲弾の一発が、三本ある内の中央のマスト、メインマストを貫く。
そして、損傷したメインマストは、手前のフォアマスト目掛けて倒れると、フォアマストの帆を切り裂いていく。
「速度低下!」
「くそ、追い付かれるぞ!」
幾ら人工的に風を生み出せる竜の息吹を使おうとも、風を受ける為の帆が無ければその恩恵は受けられない。
こうして速度が低下したララ・クローン号に、無情にも海賊船は接近していく。
「総員戦闘準備! くるぞ!」
「野郎ども! いくぞぉーっ!」
そして遂に、海賊船からララ・クローン号目掛けてロープがかけられると、海賊船から海賊達が大挙してララ・クローン号に乗り移り。
甲板上で激しい戦闘が開始される。
この度は、ご愛読いただき、本当にありがとうございます。
そして今後とも、引き続きご愛読いただければ幸いです。