その7
「ああああもう!」
ダール家の一室。女主人は激昂していた。使用人たちは皆何を言っても焼け石に水、触らぬ神に祟りなし、というスタンスで部屋の外でマリの様子を伺っていた。
原因は、テーブルの上にある5通の手紙だった。どれも貴族の奥方が催しているサロンの招待状である。社交界を生きる婦人たちの中には、特定の客を定期的に招いて語らい合うサロンを開催しているものがいる。この催しは、ある程度の人望と権力がなければ成り立たず、招待する側と招待される側には政治・権力的な思惑が当然のように隠されている。花形と名高い、地位も権力もある夫人のサロンに呼ばれることは大変な名誉であり、社会的な評価を受けたことと同等の意味を成す。よって招待する側は、自分のサロンに入れるものを厳しく選別し、いかに素晴らしい人間と交流しているかを示し、またそういった人間を招くことができる力が自分にはあるのだということ社会に知らせなければならない。ということでマリの手元にある招待状の送り主も、世間的には名の知れた婦人たちなのだが。
「オネット!!」
「はい奥様」
「どうしてドアの外にずっと立っているの。こちらにいらっしゃい」
なぜ分かったのだろう。執事のオネットは心の中で呟き、背筋を正して入室した。
「失礼いたします」
「このご婦人たちは、どういうつもりだと思う?」
「ええと…皆さま、その、サロンが最近落ち目ですね」
「私を話題作りに呼ぶなんて無礼にも程があるわ!皆、社交界で少し顔を合わせたことがあるだけよ!?」
もちろん、招待状に『話のタネになるから来てください』とは書かれていない。しかし、優秀な執事の社会リサーチで既にこの5人のサロンの評判は知っている。いまいち盛り上がらず、ぱっとせず。花形の仲間に入りたくて、必死にあらゆる画策をしている中に『ダール夫人が人前に出てきた』というニュースにいち早く飛びついた、というところだろう。
「ヒューゲル様の喪に服すと宣言した後、最後までしぶとく誘ってくれたのもこういう方たちだったわね」
「左様でございますね」
マリは大きなため息をついた。コンコン、と不意に戸がノックされ、侍女がおずおずと顔を出した。
「あの…奥様」
「どうしたの」
「お客様がお見えですが…」
マリとオネットは顔を見合わせた。
「ダール夫人。先日はありがとうございました。ご機嫌はいかがですか」
((やっぱり…))
もはや世間に知り合いと公言した間柄だ。ジーゼルは今回何の悶着もなく屋敷の中に通された。
「こちらこそ。ありがとうございました。気分はそう良くなくってよ」
社交辞令の機械的な挨拶にジーゼルは愉快そうに喉で笑った。そしてテーブルの上に置いてある手紙に目をやった。
「ククッ。皆仕事が早い」
ひどく楽しそうだ。
「あなたのせいですわ…」
面白がっているジーゼルにマリは悪態をついた。
「私が噂を広めたのではありませんよ」
「そもそもです。あなたが叔父様を唆して私を舞踏会に引きずり出したのが大元ですわ」
眉間にしわを寄せて凄まれても、男は全く気にしていない態度で「確かに」などと言っている。マリの眉間は一層寄せられた。
「それにしても…」とジーゼルは手紙の送り主を見て鼻で笑った。
「ご存じとは思いますが、あなたが行っても特にいいことはありませんから、やんわりと断ればよろしいかと」
マリは間髪入れずに「考えるまでもなくお断りです」と返した。明らかにご機嫌斜めな様子だが、ジーゼルは遠慮も躊躇もせず、どちらかと言えば愉快そうに懐から手紙を取り出した。
「実は私も一通預かっておりまして」
オネットは全く主人を恐れないジーゼルに目をむいた。この流れでもう一通出すか。不機嫌を通り越して呆れる域に入ったマリは素直に手紙を受け取った。
そして、送り主の名を見て固まった。目の前の男は、闇のような瞳を光らせて口を歪めた。
「奥様、コルセットの具合はいかがでしょうか」
「少し苦しいけれどいいわ」
「御髪はいかがでしょう」
「ここ、もう少しふわっとできない?」
マリは何名もの侍女たちと久しぶりの『お呼ばれ』の準備をしていた。オネットは今戦力外なので部屋の隅っこに立っておめかしのプロたちの仕事を観察していた。主人を支える役だと自負しているオネットは複雑な気持ちだった。
ここ数年のマリは、ダール家の奥方としては正すべきだっただろう。本来なら、家名を守り続けていくために世間と対峙していなければならなかった。しかし、オネットは役目よりも個人の情を優先してしまった。ダール侯爵を失ったマリに、世間は「慰める」という大義名分を背負って群がってきた。その目的は言わずもがな、マリの相続した財産である。いくら人並み以上に気が強かろうと、愛する夫を失ったばかり。もともと社交界を嫌っていたマリに限界が来てしまった。しかし、取り乱したり、感情的になったりするでもなく、マリは毅然とした態度で喪に服すことを宣言した。そして頑なに世間との繋がりを断ったのである。
堂々と撤退した主人をオネットは咎めることができなかった。それどころか無力な自身を呪い、歯がゆさを内に秘め、一番近くでマリを支えることを決意した。いつか、閉ざした扉をマリが開くまでは。そう思っていたのに。マリ自身も予期せぬ形で、世間に姿を現すことになってしまった。正門からではなく、裏口からそっと連れ出されたようなものだ。
オネットは上質で上品な深緑色のドレスに身を包んだ主人を眺めた。
しかし、オネットはマリを信じている。たとえ望まぬ形であっても、最終的にマリは自身で自分の道を拓くだろう。それが自分の仕える主であり、自分の故郷を守り続けてきた領主の令嬢である。少し休んでいただけ。そう言ってきっとあのきれいな顔でまた笑うはずだ。
マリはオネットの視線に気が付くと、「どう?」とにんまりほほ笑んだ。




