表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

その6

わざとらしい微笑みを湛えた婦人は、マリとジーゼルの前に歩み出た。婦人はマリと目が合うと、一層分かりやすく「にこり」とした。マリは「おやおや」と思い、ほんのわずかな会釈を返した。すぐに夫人はジーゼルに向き合い、「いらしているとは思わなかった」や、「先日の会ではお会いできなくてつまらなかった」と親し気に話し始めた。

 

無意識であろう、ときおりチラチラとマリの方に視線が移る。婦人がジーゼルに気があることは明白だった。自分をどこぞの恋敵かと気にしながら、挨拶もさて置き、見せつけるように想い人に必死に話しかける。世の中は不愉快な奴が多いと常々思っていたマリだが、久々に外に出たらこれか。本気で恋をした乙女を相手にするほど厄介なものはない。マリはうんざりした。この婦人は社交に向かない。否、この男のせいなのかもしれないが。


マリはもう劇は観たし、あとは帰るだけだ。ここにいても無意味なだけだから帰ってもいいだろうか。一歩出てマリはジーゼルに帰宅する意を表そうとした。ジーゼルの表情はほとんど無表情に近く、ほんの申し訳程度、口角を上げているだけだった。人のことは言えないが、マリでさえ「もっと愛想よくした方がいいよ」と注意したくなる態度だ。この処世術に長けた男がここまで最低限にしか応対していない様子から、彼にとってのこの婦人の地位が伺えてしまう。マリは「ひどい男だ」とあきれ、少々婦人が気の毒になった。


一方、ジーゼルの氷の表情に気づいていない婦人は、マリの前進を対抗と解した。マリが口を開く前に


「ジーゼル様、こちらのお嬢さんは?ご紹介してくださいませ」


と会話の主導権を握ろうとした。ジーゼルはマリに視線を移した。喪に服すと宣言しておきながら、こそこそと男と観劇に来たと思われては居心地が悪い。マリは自身で名乗ることにした。


「失礼。私、ヒューゲル・ド・ダール侯爵の妻のマリと申します」


ジーゼルはそれを聞き、満足そうに眼を細めた。ダールという名を聞き、婦人は目を見張りたじろいだ。そしてすぐに失態を犯したことに気が付き青くなった。マリは二人の正反対な反応にげんなりした。なんで子爵は嬉しそうにしているのか。そしてこちらの夫人もそんなにビビるならどこの誰とも分からない人に不用意に突っかかるものではない。お門違いに喧嘩を売られたのも気に入らないが、マリはジーゼルの恋人ではない。この点について婦人に妙な疑惑を与えたまま去ることはできない。とは言え、こんなことで腹を立てたと思われるのもマリのプライドが許さなかった。マリはふわりと上品な微笑みを作った。


「ジーゼル子爵様は叔父のお知り合いですの。私の慰みにと叔父が頼んでくださいまして、本日連れてきていただいた次第です。あなたの大事なお方をお借りしてごめんなさいね。もう私は帰るだけですから、お返しいたしますわ」


婦人はひどく慌てて固辞し、すばやく挨拶をして退出をした。「あら、いらないのかしら」マリがぽつりと呟く。隣ではジーゼルが「モノのように扱われたのは初めてです」と呟いた。




帰ると使用人全員が屋敷のエントランスに待機していた。歩きながらショールや手袋を手渡す。使用人たちは口々に質問を飛ばしてきた。バラバラに話されるので何が何やら分からない。マリがビシッと皆を見据えると、全員パタッと口を閉じた。やれやれとため息をつき、居間まで来ると執事のオネットが整えた椅子に腰を下ろした。


「劇はとっても良かったわ。一等桟敷でストレスも無し」


一斉に「そこじゃない」という視線の抗議がマリに集中した。


「奥様。我々がどんな気持ちでお待ちしていたか」


オネットに窘められる。


「変な噂にならないとよろしいのですが」


「一人、ご婦人に声をかけられたわね。でもきちんと釘は刺したわ。それにしても、3年も離れると顔も忘れられてしまうものかしら。全然声をかけられたりしなかったの」


「まあ、頑なに引きこもっておいでの方がおいでになっているとは思わないでしょうね」


たかが3年、されど3年。世間が自分の姿を忘れても。今はまだ「ダール」の名が消えていないことは分かった。しかし、このままではその名も威光も、世間という早い川にどんどん流されてしまうだろう。マリの心の底には重たいものがずっと沈んでいる。


「その、ジーゼル子爵は結局どんな方でしたの?」


堪え切れずに侍女の一人が声を上げた。マリは先のやりとりを思い出した。婦人が頬を赤くして話しかけているにも関わらず、びくともしない目元、冷たい微笑。何か渋いものを口にしたような顔で


「多分割と最低野郎よ」

と答えた。ちなみに、同じことをしない自信は一切無い。




一等地のレストランの個室で3人の紳士が食事をしていた。一人は癖のない金髪でグレーの瞳、社交界一番の麗しさを誇るリュミエ・ド・カルミエ子爵。名門カルミエ家の長子で、正式に家を継いだときには侯爵となることが決まっている。微笑めば男女問わずに頬を染めるほどの美形は、本人の自覚するところである。野心家で無いことがこの国の救いだ。その気になれば、あっという間に宮廷に上がり、国を掌握してしまうだろう。


もうひとりはクルクルとしたカールが美しい髪を持ち、青い大きな目をした青年、フィー・ド・ジベルダン卿。祖父母は公爵であり、実家は伯爵を授かっている。将来的に公爵になる可能性をもつ恵まれた生まれでありながら、本人はあまり自覚がない。その天使のような愛らしさを最大限に発揮して、数多の娘と愛しあっているため、祖父母両親は頭を痛めている。


3人目は黒髪にダークブルーの瞳、病的な白さの肌をしたジーゼル・ド・セニャック子爵。血行の悪そうな顔、切れ長の目、厳格そうな黒い髪という見た目に、ジーゼルは相手に恐怖を与えることも多い。にも関わらず社交界で高い評判を得ているのは話せば否応なく相手に感じ取らせてしまう理知、見た目に反する柔らかい物腰、そして相手に響く落ち着いた声を武器にしているからだ。


3人は古くからの知り合いであり、お互いが友と認知する希少な人間だ。全てを理解し合い、全てを隠す。背中にナイフを隠しながら、もう片方の手で抱擁する。誰よりも互いを愛し合い、評価し合う、奇妙な仲だった。


テーブルには上等なワイン、上質な料理が並べられ、他のテーブルよりも圧倒的に贅沢な様相を呈していた。個室でなかったら、客たちの視線を集中させ、耳をそばだたせていただろう。リュミエは他愛のない話が一区切りつくと、興味深い噂についてジーゼに問うた。


「それで?聞いたよ?ダール候の奥方と劇場にいたそうじゃないか」


「ふ、耳が早いな」


「マリ夫人でしょ?ああいいなあ、僕興味があるよ。金髪のかわいらしい人だよね」


「フィーの言うかわいらしさは広義過ぎて僕よく分からないんだよね」


「私もだ」


え~?と首を傾げる天使ににっこりと笑いかけ、リュミエは楽しそうにワインを手に取った。ゆらりとグラスを掲げ、向かいに座るジーゼルを液体越しに見つめる。


「ジーゼルがユシッド伯爵とどうして仲良くなっているのかと思っていたんだよね。目的は忘れかけられていたその姪だったわけだ。納得がいったよ」


リュミエは友の働きを満足そうに讃えた。


「彼女に目をつけるのはいい手だよね。ほぼ情勢の固まった今の社交界の布陣に一石投じるにはかなりいい。それにしても、人前に姿を見せたとなれば放っておかない輩がわんさかいるんじゃないかい?何せ、あのダール候の全財産を相続しているんだ。再婚相手の立候補者や」


「もちろん、サロンの奥方もね」


リュミエの言葉の続きを捕らえ、フィーが懐から一通の手紙を取り出した。頬杖をついて茶目っ気たっぷりに笑う彼に、ジーゼルとリュクスはさもおかしそうに笑った。



ジベルダン公爵家への招待状。誰もが喉から手が出るほど欲しい、超貴重な一通である。ジーゼルはフィーの白魚のような手からスッと封筒を抜き取った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ