その4
使用人の意見も含めた大会議の末、マリはついにオペラを見に行くことを決意した。ただの本当の気晴らしの誘いだったら、おそらく叔父も絡んでいるはずだ。もし子爵が無罪だったときは、叔父にも子爵にも大変な失礼を働いてしまったことになる。可能性は低いと踏んでいるが。そして、もしも火の粉が降りかかるならば自分で振り払えばいい。もう守ってくれる人はいない。マリも、力のない少女ではないのだ。
「奥様~ドレスをお仕立てしますが、どうします?」
侍女のミションが流行のドレスのカタログを持ってきた。都の婦人淑女たちは皆このカタログを見て流行を勉強している。どこかの夫人の格好が大変素晴らしかったと噂されれば、すぐさまカタログは更新されてゆく。先日の舞踏会は時間がなかったので昔の型紙を使って大急ぎで仕上げたが、今回はまだ時間がある。目立つのは嫌だが、あまり野暮ったいのを着るのも嫌だ。マリはしばらくご無沙汰にしていたカタログを開き、絶句した。
「こ、これが今の流行りなの…!?」
「そうですよ~。こないだの舞踏会でも多かったんじゃないですか?」
「あの時は仮面舞踏会だったから…皆奇抜なものを着ているのだと思っていたわ…こんな、こんな…」
馬鹿みたいな恰好。マリはやっとのところで言葉を飲み込んだ。
カタログには、肩部分が直角に伸びた袖・バッスル部分がまるで開いたセンスを縦にしたかのようなドレスの婦人が描かれていた。舞踏会の時には「皆浮かれてんな」くらいにしか思っていなかったのだが、『これが流行りです』と言われると、の世の中を疑いたくなる。今の社会、特に貴族の社交界は「お洒落戦争」だ。最先端を行ったものが注目され、皆がこぞって真似をする。我先にと流行とされるものを追い続ける。いくら人目を惹きたいといっても、これは行き過ぎなのでは。マリは葛藤の末、自分の今までの感性に従ってドレスの形を指示した。
ざわめく劇場のエントランス。併設するバーでブランデー入りのコーヒーを片手に、ジーゼルは彼女を待っていた。きっと来る、という確信があった。あたりを観察すると、あの流行のドレスを身にまとった夫人たちが今夜の劇、あるいは社交の場としての劇場に胸を弾ませ、艶やかに笑っていた。流行を作るのも、ステータスのうちらしい。各サロンの婦人が競ってデザイナーを雇っている。やけに攻撃的な流行のデザインをさらに誇張させた、もはや戦闘服(ある意味戦闘服なのだが)といっていいようなドレスの、豊満な夫人がエントランスに入ってきた。あれは、金満家のカレードニ男爵夫人。数人の男性がこぞって夫人の美しさを褒めるために近寄った。周りの婦人たちも、自分たちのドレスよりもはるかに派手なそれに、驚きと妬み、侮蔑、それぞれ視線を送っていた。
ジーゼルは空になったコーヒーのカップをギャルソンに渡し、エントランスの隅の陰になっている、窓の縁に腰を掛けた。
(くだらない)
無表情で窓を眺めた。いつも通り、後ろに固めた髪。整えた眉。不備はない。誰かに見られること、良くも悪くも、社交界は視線の戦場だ。取り繕えなければ生きていけない。しかし、視線を集めるために何でもする、という風潮が強くなってきているように思える。体裁と見栄を気にする貴族たちの姿に、ジーゼルは冷たい視線を送った。
さて、そろそろ開演の時間が近づいてきた。足を組み替え、入り口をのぞく。無意識にジーゼルは目を見開いた。大変控えめな、黒のドレスに身を包んだマリがいた。細い首となだらかな肩が際立ち、それでいて下品に見えないデコルテの造り。その上から刺繍の入った薄いショールがかけられ、透ける肌がさらに美しく見えた。キリリと前を見て、優雅に歩いてくる。堂々とした登場だった。ジーゼルはすぐに立ち上がり、速足でマリの方へ向かった。
コツリとエントランスに足を踏み入れる。変わらない建物の造りに懐かしさを覚える。そして、この騒がしさも、変わらない。周りに目をやると、本当に皆は流行りのドレスばかりだった。3年間で流行はどんどん変わる。人の感性も考え方も。マリはタイムスリップしたかのような気持ちになった。ああ、あまり見られる前にここを出たい。遮ることのできない視線が煩わしかった。ジーゼルはどこだろうか。
「こちらです」
そっと背中に手を添えられ、誘導される。誰だろうか、と考えるまでもない。桟敷席に続く階段に向かう。マリは不要な挨拶や美辞麗句を省き、エントランスから逃がす方を優先してくれたことに感謝した。
青い顔で二人の姿を見つめる女性たちの視線に気が付くことなく。