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その3

「ご報告します」

 ダール家の執事、オネットはゴホン、と咳ばらいをした。

「ねえ、オネット、それ今でなきゃだめ?」

 女主人の髪を結っていた侍女のミションはあからさまに顔をしかめた。マリが頭を動かしたからである。オネットは一瞬「ああん?」という顔をしたが、マリの正面に移動した。

「ありがとう。オネット、頼むわ」

「では。先日調べるように仰せつかった、ジーゼル・ド・セニャック子爵について。セニャック伯爵のご嫡男で、現在27歳。爵位をまだ継いでいらっしゃらないので、ご自身で今のところ子爵を名乗っているようです。眉目秀麗で、どちらかというと物静かな方のようですが、口を開けばよく弁が立つと。花形のご夫人のサロンや、名のある貴族の社交界で有名になってきているようです。セニャック家は古い貴族ですが、傑出した方はあまりいらっしゃらず、ジーゼル子爵の登場で皆が目を向け始めたところですかね。まあ、今まで続いているので、栄え過ぎず、落ちぶれず。堅実に生き残ってきた家というのが皆さまのご認識かと思いますが」

「その堅実なお家のご子息が、野心に目覚めたというところかしら」

「おそらく。世渡りがお上手のようで。サロンでもゲームをすれば勝ち続け、相手の機嫌を損ねない絶妙なタイミングで負ける。色んな家のお嬢さんとも面識が多いようです。ううん、優良株とみなされて、自分の娘を紹介している流れだと思います」

「なるほど。これは黒ね」

「ひゃあー怖いですね。そんな方が家の奥様にどうして近づこうとしているのでしょう。だって今や社交界から遠ざかっておいでなのに」

「「……」」

 ミションの思い描いていた「素敵な貴族」像がガラガラと音を立てて崩れていったらしい。主と同僚の執事はちょっぴり申し訳ない気持ちになった。


「奥様!大変です!」

不意に侍女のダリアが駆け込んできた。いつにない慌てようである。

「どうしました」

「お、表に…ジーゼル子爵がお見えです…」

マリの額に青筋が浮かぶ。親しい間柄でもない人間が、招待さえなしに訪問するとはいったいどういうことか。しかも未亡人の屋敷に。礼儀に欠けている。

「体調不良だからお会いできないって言って帰っていただいて」



 門の前に馬車をとめ、ジーゼルは屋敷の使用人を待っていた。広大な敷地、豪奢な屋敷を眺める。かつての主が存命だったころは、人があふれ、賑わっていたことだろう。手入れこそされているが、今や他者の侵入を許さない要塞、あるいは牢獄のようだった。屋敷の入り口から使用人が駆けてくる。様子から察するに芳しくない結果だと推測できた。

「あのう、奥様は体調がよろしくなくて…」

「そうですか、わかりました」

ダリアはすぐに了承されたことにホッとした。使用人たちの間ではこの人物は奥様の「ストーカーでは?」と審議されている最中なのである。しかし、馬車の持ち主は帰るどころか、馬車から降りてきた。

「さて。仕方ない。このまま待たせていただきます、と伝言を」

ダリアは眩暈がした。



「うわうわうわ本当にあそこに立ってますよ」

「あれ?馬車は?ないんですけど。まさか帰しちゃったんじゃ?」

「えええ迷惑…目立つ…」

「あ、やばいやばい。通りがかる人が不思議そうに見てる」

「……」

門の方に面した小窓を覗きながら、使用人たちがざわめいている。マリは本当に体調が悪くなりそうだった。他所の人に見られたら何と思われるだろう。家の前に立派な身なりの紳士が立っている。どう見てもこの屋敷に用事だ。門の前で立ち尽くしている事情はいったい何だろう。しかもここは閉じこもっているマリ・ド・ダール侯爵夫人の屋敷だ。この紳士はどういう関係だろう。などなど。

「まずいですね。誰かに見られたら何と思われるか。変な噂が立ちかねません」

恥と外聞を気にする貴族を代弁するオネット。それを聞いたマリは苦渋の決断で表の無礼者を早急に家に隠しなさい、と命令した。



「ご体調は割と早く良くなられたようで。安心しました」

ぐるりとダール家の使用人に囲まれたまま、招かれざる客は平然としていた。マリと執事はいけしゃあしゃあとした様子に殺意を覚えた。本当に人気を得ている若者なのかと疑いたくなる。

「それで?なんの御用です?私すぐにもまた気分が悪くなりそうなのですけど」

「長居はしません。こちらをどうぞ」

 ジーゼルから手渡されたのはオペラのチラシだった。

「?」

「一緒にいかがですか」

「なぜ」

 お前と行かなくてはならないのか、マリは喉元まで出かかった言葉をぐっとこらえた。

「気晴らしに。それだけです。いかがですか」

 あまりにもシンプルな回答に、マリは面食らった。まるで、企みなど何もないように、本当にそれだけのために誘うかのように。

「―か、考えておくわ」

「結構」

「い、行かないかもしれないわよ!」

男は喉でクッと笑うと、お待ちしています、と残してスタスタと去って行った。門前で待っていた時間、90分。滞在時間、2分。家に入ってくるまでの大騒動からは想像できなくらいに、あっさりとした退場だった。使用人たちはみんなポカンとしている。大騒ぎしたこちらが恥ずかしくなりそうだった。マリは手元に残されたオペラのチラシを見つめた。亡きダール候と見に行ったことを思い出し、目元が熱くなった。


(あの方、これだけのために待っていたの…?)

(どうやって帰るんだろう。馬車帰しちゃったのに…)


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