その17
話は分かった。マリに社交界での地位を築かせる。マリはダールの名を世の中に示し続けることができ、ジーゼルは野望のためにマリの後ろ盾を得る。互いの利害関係を一致させ、世間に対して共闘しようということだ。
マリは、ジーゼルの告白がどんなに危険なものか承知していた。己の本心を語るなど、どこでどう攻撃の対象にされるか分からない。ましてや夫人を利用して国家を動かそうと言うのだ。あからさまな下心である。しかし、悔しいことにマリにとってもこの提案は簡単に撥ねつけられるものではなかった。真意を問うように、マリはジーゼルの瞳を見つめる。
「…もし、私が裏切ったらどうするおつもりですか」
「その際は…自分の目が節穴だったと諦めます」
それだけ?と尋ねようとしたマリに、ジーゼルは至って真剣に言葉を継いだ。
「そして、思い付く限り、出来得る限りの損害をあなたに与えて、死にます」
「……」
言葉が出なかった。この男が、綺麗ごとだけで終わらせるわけがない。脅すような言葉は、返って誠実味が増す。ぎゅうぎゅうに詰まっていた胸に、鋭く穴が開けられたようだった。新しい空気が吹き込む。マリはジーゼルにそろりと手を差し出した。
「あなたが裏切ったら…同じことをします。私は死にませんけど」
ジーゼルはマリを見つめ、ゆっくりとその手を取ると、白くてきめ細かい甲に口づけた。手を取ったまま立ち上がると、マリの目に溜まっていた涙を優しくぬぐい取った。
(燃えるような目…あのときのままだ)
「奥様~ジーゼル子爵がお見えですよ」
「通していいわよ」
ひょこっと現れた侍女のミションが「は~い」と再び去っていく。執事のオネットは主人から新聞を回収しながら尋ねる。
「作戦会議ですか」
「随分と色気のない呼び方をされているな」
喉でクックッと笑いながら、かの人は慣れた様子でやってきた。
「その通りじゃない。オネット、紅茶をお持ちして。あ、ブランデーの方が良かったかしら?」
よっこらせ、とマリは安楽椅子から身を起こし作戦室(客間)へと足を進めた。
「なんでも結構」
ジーゼルは簡単に答えると、マリの後に続いた。
「畏まりました」
オネットは折り目正しく一礼して歩き去った。あれから。マリとジーゼルは手を組んだ。もし、彼らと同じことを企むとしたら、世間では当人たちでさえ互いに「恋人」を装って接するものだが…。彼らはビジネスライクな関係を続けている。割り切っているにしても、目を見張る明け透けさだ…とオネットは心の隅で思っているが、もはや彼らのことは度外視することとした。
二人は作戦室で向かい合って座った。もはや客室として機能できなくなった一室には、社交界の人間のあらゆる情報、今の政情に対する様々な草案が机に積み上げられていた。当座、彼らの目標は「マリが社交界での正式な再デビューの鮮烈な一歩目を踏み出す」、ということに落ち着いた。巻き込まれるまま、誘われるままだったマリが、自身主体で何か催したことがなかったことに目を付けたのだった。今日は「誰を招くか」ということを話し合う予定だ。
「で?どうですか?決まりそうですか?」
「この人たちは絶対、というのは絞ったわ」
「あなたの正式な一発目の舞踏会ですからね。リストを」
マリは机に頬杖をつき、せっせと夜なべして作った来賓リストを手渡した。ジーゼルは長い足を組み、悠々とリストを眺める。言葉遣いからも態度からも、お互いに慣れてきたことが伺い知れる。
「ああ、ミション。そっちのカップにはすこーし薄めーに、コニャックを垂らしておいて」
「忘れてた。ジーゼル仕様ね」
「まさか僕があの人の好みまで把握することになるなんて」
「今じゃユシッド様を凌ぐ頻度で来てるもの…」
「本当だよ。…でも、よかった。僕は憎らしいけれど感謝しているんだ」
「そんなの皆同じよ。はい。持って行って」
「…うん」
オネットはカップが二つ乗ったトレイを持って客間へ向かった。
「なんでその人を呼ばないといけないのよ」
「ユシッド伯爵の陰口を言っていましたが」
「呼ぶわ。やり返してやるわ」
「……」
聞こえてきた会話に、オネットは戸口でしょっぱい顔になった。何て私情に満ちた作戦会議だ。いや、思惑あってのことだろうが…。と信じたいが…。気を取り直して彼らの脇のテーブルにトレイを静かに置く。気づいたマリが「ありがとう」とにっこりと笑う。
新たな生きる目的を見つけ、生き生きとした顔だった。呆れもする、驚きもする、それでも大事な主だ。オネットは自分も大概だな、と思いながら柔らかく笑い返した。
社交界に電撃的に登場したマリがサロンを築き、最たる花形として名を轟かせることになるのはまだ先の話。
―堂々とした女主人の傍らには、伯爵となったジーゼルがいつも穏やかに佇んでいる。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
すごくどうでもいいですが書いている間に親不知を抜きました。歯を食いしばってキーボードを叩いていました。
二人を取り巻く世界がまた書けたらいいなと思っています。
もしお気に召したら評価くださると幸いです。
ありがとうございました!




