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その15

老紳士は、ヒューゲル・ド・ダール侯爵と名乗った。知らぬ者などいないその名前にマリは仰天し、狼狽した。ダール侯爵は、狼狽えるマリに優しい言葉をかけ、家へ案内するよう頼んだ。マリは乗ったことも無い立派な馬車に乗せられ、借りてきた猫のようにおとなしくなった。どうして、何が目的で、と頭の中では疑問が氾濫を起こしていた。ダール侯爵はマリの好きなものや、趣味について色々質問した。歌劇が好きだと答えると、とても嬉しそうな顔をした。


ミニエルの屋敷へ着くと、案の定マリの両親は目をむいた。大慌てで部屋の用意と、茶の支度を指示した。疲弊している我が家も、一応は客室を使える状態にしてあったがダール侯爵となると、話は違う。ダール侯爵はお気遣いなくと遠慮したが、さらにミニエル家の者を恐縮させてしまったので、大人しくしていることにした。整えている間はマリが話相手となった。にこにこした老紳士は、一体何を考えているのか。若く、経験の少ないマリでは、その意図を読み取ることはできなかった。懐疑心が強くなっている今、どうも何かを企んでいるのではと思ってしまう。



「ダール侯爵、こちらへどうぞ」


支度ができたところで、侯爵は案内を受けた。マリはお役御免かと思い退出しようとしたが、一緒にいらっしゃいと言われてそのまま侯爵と共に客室へ赴いた。緊張した両親を向かいに、ダール侯爵の隣に座らされた。侯爵以外は「何がなんやら」という表情だった。



「突然の訪問をお許しください」


老紳士は深々と頭を下げた。ミニエル家一同は慌てて頭を上げさせた。ただただ恐縮する一家に、侯爵は困ったように笑った。



「実は、差し出がましいことですが。私はお嬢さんに結婚を申し込みたいと思っております」



―今何と?マリは耳を疑った。両親も、部屋の隅に控えている使用人も「良く聞こえなかったからもう一回」と言いたげな顔をしていた。ダール候は気を悪くもせず、親切にもう一度言葉を繰り返した。


「えーーー!!!!???」


よりにもよって一番大声を上げたのはオネット少年だった。一斉に両側の使用人たちから口を塞がれ、強制退出させられた。しかし叫びたかったのは皆同じである。



「…!!!…!!…?!」


「ええ、と、?ダール侯爵!!?そ、そそそれは」


いつも落ち着いている両親はあからさまに動揺していた。母は突然過呼吸気味になり、父はどもりまくっている。マリははしたなくも、開いた口が塞がらない状態だった。一同を落ち着かせるように、ダール候は両手でどうどうと合図し、ゆっくり丁寧に事情を話し始めた。


「世間では悲しいことに、あなた方ご一家に心無い言葉を向ける方が大勢いるようです。しかし、私はミニエル殿のご立派な行いには共感いたしておりました。ですので、自ずと皆様ご理解されるだろうと甘く見ていたのが私のお恥ずかしいところでございます。あっという間にあなた方の家は、社交界から締め出されてしまいました。率先してお味方していれば、このようなことにならなかったのかもしれません。どうしたものかと思案しておりましたら、こちらのお嬢さんを公園や劇場でお見掛けするようになりました。結婚相手を選ぶご年齢であるとお見受けし、心が痛くなりました。彼女の姿に心打たれる若者が、名乗り出ることを祈っておりましたが…。残念なことにそのような方も現れず…一層ご批判の的になるばかり…」


マリの両親の目には熱い涙が浮かんでいた。胸がつまり、何か言いたそうだったが言葉は出なかった。ダール侯爵は、彼らの姿を見て申し訳なさそうに眉を下げ、隣に座るマリを一瞥した。マリは姿勢を正して、口を結び、瞬きも忘れるほど侯爵をまっすぐに見つめていた。


「私はこの年齢です。お嬢さんとは親子程も離れているでしょう。私ではあまりに可哀そうだと思い、ご遠慮いたしておりましたが…。上流階級に名を置く皆々の非礼へのお詫びと、私の身勝手な申し出をどうかお受けいただけますなら、この上ない幸せでございます」


「あ、あなたのようなご立派な方に娘を貰っていただけるなら…」


「こちらこそ願ってもないことでございます」


「お嬢さんのご意見もお聞きしなければなりません」


ダール侯爵と両親の視線が集まる。両親からは「はい」と返事をしてくれという懇願が聴こえるようだった。ここですぐに了承してよいものか。何か隠しているのでは。マリの心臓は大きく脈打っていた。迷うように目を瞬かせているマリに、ダール侯爵は「決してご無理を強いるつもりはございません」と落ち着いた声で言った。


マリは喉を震わせながら「どうして、今までご結婚なさらなかったのですか」と尋ねた。引っかかっていたことだった。引く手数多であろう御仁に、奥方がいない。ダール侯爵家は今の当主であるヒューゲル候が全てを掌握していたはずだ。後継ぎのためにも、妻を迎えていてしかるべきである。マリの質問に、ダール侯爵は難しい顔をした。両親は「マリ!!」と声を上げたが、ダール侯爵自身に制され、ハラハラと現状をただ見守ることしかできなかった。


「お話しておくべきでしょう。…私には持病がありまして。医者によると、いつ倒れてもおかしくないそうですから、結婚相手を選ぶのが非常に難しく…。私の後を任せられそうな方でなければなりません。若いころはそれこそ疑い深かったものですから、余計にお相手を見つけることができず。はは、最近は相手の選定と並行して養子を迎えることも考えていたところでした」


かつては宮廷で名を馳せていた名士だ。様々な人間と交流があった中でも相手を見つけていないというのに…。


「わ、わたくし、そんな大役…」


「あなたのお強くて、気高い心があれば、大丈夫だと確信しております。失礼ながら、遠くからよく拝見しておりましたので。……お話した通り、持病持ちの老人が結婚を申し込んでいるのです。若いあなたには酷なことと承知しております。よくお考えになってください」


どうして優しく、控えめな申し出だろう。家のためには元より結婚するべきだと分かっていたが、マリは肩書だけでなく、この侯爵自身に尊敬を抱き始めていた。


「いいえ。侯爵様。わたくし―」

(何があっても、この結婚を「正しい」ものにできるかどうかは、私次第だわ)





数日後、ダール侯爵がマリ・ド・ミニエル嬢と結婚するという話が社交界に知れ渡った。マリの家も思ってもみなかったことだが、持参金無しでの結婚に加え、ダール侯爵からミニエル家に甚だしい資金の援助がなされた。こうしてミニエル家は1日にして持ち直してしまったのである。


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