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その14

まだマリが若く、マリ・ド・ミニエルであった頃。世辞をそれなりに受けとり、恥じらいながら頬を染めていた在りし日。幸せになる未来を想像し、婚約者を選定する父と母に、呆れながらも微笑んでいた時代。


マリは家族思いで、頭の良い、他の子女と変わらぬ人生を歩んでいる少女だった。中流とは言え、貴族は貴族。都からは離れてはいるが、領地もあり、それなりに世間とも付き合いのある家柄だった。マリが適齢期になると、婚約者を名乗り出る者もそれなりに集まった。



事態が一転したのは、日照り続きで作物が取れず、国民が飢饉に苦しむことになってからである。もちろんミニエル領も例外ではなかった。不作にかこつけ、作物の買い占めが行われた。高騰する食糧に、民は苦しんだ。どう対処するかは領主の判断である。


領民に対して救済をする者もいれば、自分たちも窮地なのだからと手が回せない者、領民は領民でどうにかすればいいという放任主義者。ミニエル家の当主、マリの父親は善人だった。領民に対して、家の財産を削って施しを行った。例え自分たちの家が傾こうとも。家族は承知の上での判断である。


―しかし、世間は善行に対して厳しい目を向けた。ミニエル家に関係のないものは「立派ですねえ」と他人事を貫き、関わりのある者は巻き添えと食らわないようにと距離を置いた。マリの婚約者に名乗り出ていた青年たちも、持参金も見込めず、財産もほとんどないと見ると、蜘蛛の子を散らすように去って行った。


ミニエル家は社交界から孤立したのである。領地に救済を行ったのはミニエル家だけではなかったのだが、もっと裕福で、余裕のある家ばかりだったため、ミニエル家はより一層浅はかに映った。身の程知らずが、身上を潰して何になる、というのが社交界の大部分の意見であった。事実、領地まで手が回らない家が多くあった。「家を犠牲にして領民を救った貴族」が横行しては、貴族への暗黙の義務となり、やむなくそこに加われなかったものは悪とされかねない、と恥と外聞を気にする貴族たちは一番に考えたのである。



マリは世間に対して絶望した。父親の立派な行いを讃えるどころか、あざ笑い、けなすような人間の集まりだということが分かった。去っていった婚約者たちも同じだ。声を殺して自室で泣き、怒りで気が狂いそうだった。


そうしてしばらく過ごしていると、フッと冷静になる瞬間が増えてきた。―今後を考えなければ。我が家は今自他ともに認める火の車だ。領地が立ち直るまでまだ数年かかるだろう。それまでに、家が生き残っていられるだろうか。財産も無く、誇りも尊厳も傷つけられた家が、この世界でどれだけ生き永らえることができるだろう。


―自分にできることは。



マリは精一杯、あるだけのものを着飾って、社交の場に出かけるようになった。手っ取り早く、地位と名誉を復活させるためには。自分が地位と名誉のあるところに嫁げばいい。それだけで、「高名なあの方が認めた娘」として扱われ、実家もその娘の生家として世間の目は塗りつぶされる。なりふり構っていられなかった。恥も外聞も捨てて、昼間の公園、劇場のエントランス等、貴族が大勢訪れる場に赴き、マリは会話に努めた。決して怒りを気取られないようにと、自分を押し殺しながら。


しかし。人々はそんなマリを軽蔑した。落ちぶれた貴族の娘が結婚相手を探しにやってきているという噂は、瞬く間に広まった。何度も目にしたドレスは財政苦の証、躊躇いもせずに貴族の紳士に話しかける姿は人々の目には酷く厚顔に映った。陰口が広まり、ついには金目当ての売春婦だとまで噂されるようになった。


だが、マリは諦めなかった。そもそも人間性になど期待していないのだ。お前たちのことは着飾っている人形としか思っていない。負けるな。ここで挫けたら本当の負けだ。


マリは遠くから燃えるような目で人々を睨みつけた。





「ごきげんよう。今日は気持ちの良い天気ですわね」


「……」


とうとう、話しかけても無視されるようになった。否、存在さえ空気なのだ。そこに居てもいないように扱われ、視線すら寄越されない。ああ、こんなところに縋りついて得る生活など、何になろう。人前に出られなくなった父も母も、泣きながら「もういいよ」と言ってくれる。領地に引っ込んで、領民を手伝えばいい。都である程度の地位を築いたご先祖様には申し訳ないけれど。人として、恥ずかしくない生き方をしたのだから、逃げてもいいのだろうか。



こんなに美しい街に住むのは、魔物ばかり。マリは無機質な目で、花の都を見つめた。


背後で、ジャリ、と石畳に靴を鳴らす音がした。誰だろう、とぼんやりと振り返った。

そこには一人の老紳士が立っていた。


「マリ・ド・ミニエル嬢でお間違いはありませんか」


白髪が勝る髪、優しさをたたえる皺が目立つ顔、そして細められた目。柔らかな日差しに照らされて、老紳士の輪郭がキラキラと輝いていた。



マリは呆然としながら「はい」と答えた。

この数か月、マリに話しかけてくる人間など皆無だったのだから。


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