その10
―近頃、マリ・ド・ダール侯爵夫人がまた社交界に顔を出し始めた。隠居宣言をしてから姿を見せなかったのに、どうして突然。しかもジーゼル・ド・セニャック子爵とよく話していると耳にするし、家への出入りも許しているとか。ジーゼル子爵がどうして40歳も年上の老人と政略結婚した女に良くする理由があるだろう。決まっている。その名が大きすぎるからだ。頭のいいあの方のことだから、お相手をしていた方が良いとご判断していらっしゃるのでしょう。
侯爵夫人はサロンを開いていない。身分の高いものの招待に顔を出すだけだ。数多の者が招待していると聞くが、明らかに付き合う相手を選りすぐっている。身分の高い貴族たちとの付き合いがありながら、自身でサロンや夜会を開かないのは?こちらも何か理由があるはず。
何にせよ、突然現れた未亡人に大きな顔をされては。今までの努力が消えてしまう。
少女は暗闇の中、蝋燭の明りを頼りに真剣な面持ちで手紙に封をした。
―ベルエール・ド・マシュー嬢。
「オネット、ご存じ?」
「はい奥様。少々お待ちを」
マリのところに届いた一通の招待状。普段知らない者からの招待状は一瞥して『お断り』ボックスに入れてしまうところなのだが。なぜだか気になった。繊細で丁寧な文字。マシュー家の紋章は見覚えがある。確か、ここも古くから宮廷に仕えている貴族だったはずだ。マリは中の手紙に目を通し始めた。
『突然のお誘い、ご無礼をお許しください。』
『この度のご招待は、私のサロンにて皆の見聞を広めるのに是非お力をお借りできないかと考えたからでございます。』
オネットはペラペラとメモをめくり、求められた情報を探す。オネットが独自に収集している社会情報を記した手帳である。素早く動いていた手が止まると該当者の情報を読み上げる。
「ベルエール嬢。今年で17歳になる容姿端麗なお嬢さんです。マシュー家の一人娘ですね。愛想が大変よく評判のよろしい方です」
『まだ未熟なわたくし共が少しでも社会について勉強し、共に高め合うために開いている会でございます』
「サロンには同年代の令嬢たちが集まっておられ、思想家や芸術家を呼んでは講義のようなことをさせているみたいですね」
「私に何をさせようというのよ…。皆の見聞を広めてほしいって。自分はどういうご立場なんでしょうね。それにこれだけ面識のない方を断っていると知れている中、堂々と送ってくるあたり、気が強いんだか天然なんだか」
マリは冷たく笑った。
「気が強くて送ってきているのであれば僕は同情しますね。ちなみにそのサロンは若い令嬢たちが意欲的に啓蒙活動を行っているということで社交界でも上々の評判です。一応若いご令嬢の中では抜きんでていると言って過言ではないかと」
マリはつまらなさそうにフーンと聞いている。
「ええと…あ、そしてこの方…」
オネットがもたらした情報にマリは前のめりになって食いついた。そして一言「行くわ」と言ってオネットに手紙を預け、衣装を整えるために侍女のミションを呼んだ。マリの覇気をまとった好戦的な表情に、オネットは久々に心からの畏怖の念を抱いた。
「畏まりました」
そして背を向けた主に深々と一礼した。
「ごきげんよう」
「いらっしゃいませ。来てくださって嬉しいわ」
「私ここで皆さまとお話するの、とってもためになりますの。父も母も喜んでくださっています」
「まあ、なんて嬉しいのでしょう」
良家の娘の馬車が次々とマシュー家に到着する。5台の馬車は整然と並び、それぞれ自分の仕える家が一番だという気概で、御者が番をしていた。そこにひと際立派な馬車が並ぶ。ピン、と御者も門番もさらに背筋を伸ばした。
優雅に降り立った紳士は、出迎えた使用人に帽子を預け、案内されるに従い、白い壁と金で飾られた梁の巡る室内を進んだ。途中にある繊細な作りの調度品が、この家の者の趣味、性格を表している。
目的の部屋に到着すると、すでに人は集まっていた。お決まりの淑女が5人、彼女たちが「先生」と呼ぶところの駆け出しの思想家、そこそこ名の売れた学者と批評家がいつもの面子だ。彼らに囲まれるような位置で最奥の窓際に座っていた主催の令嬢が、部屋に新たに現れた紳士を見つけて立ち上がり、顔を綻ばせた。白い肌にバラ色の頬、あどけない少女の面影が残っている。花も恥じらうような乙女と噂されるには十分な資質があった。
「ジーゼル子爵様。ようこそお越しくださいました。本日もよろしくお願いいたします」
ジーゼルはスタスタと周りに会釈をして定位置に用意された椅子を目指した。このサロンの主、ベルエール嬢の隣である。
「私が最後でしたか。お待たせしてしまったようで申し訳ありません」
「いいえ!お忙しい中来ていただいてありがとうございます」
ジーゼルは穏やかな笑顔を作り、ベルエール嬢の隣に座った。招かれているサロンの常連たちは、美しい二人が並ぶのを見てため息をついた。知的で端正な顔立ちで、長身故の長い足を組み、穏やかに落ち着いてベルエール嬢に微笑みかけるジーゼル。恥じらいながらも決して目を背けずにサロンの主催者らしく、凛とした態度に努めるベルエール嬢。集まった令嬢たちは皆、ジーゼルの視線を独占できる令嬢を羨みながらも、それも当然として認めざるを得ない彼女の淑やかさ・優雅さ・才を尊敬していた。
「ジーゼル様、ご安心なさってください。最後ではありませんのよ」
令嬢は屈託のない笑顔で嬉しそうに話しかけた。
「ここにはいつもの皆さまはお揃いのようですが。新たにどなたかお招きに?」
「はい!私たち、先生方やジーゼル子爵様に色々と教えていただいてはおりますが、ご婦人から直接ご指導いただけることってあまりないでしょう?お母様たちは皆ご自分のことでお忙しいし。皆ある程度の年まで修道院におりましたから、本当に世間での女性としての在り方をお伺いすることはできなくて。ものを知らないまま社交界に出て、結婚することが大半だと思うのです」
「なるほど」
ジーゼルは軽く頷いた。常連たちも深く頷く。
「本来ならそんなことをご婦人にお聞きするのははしたないことだと思いますが、私のサロンは言わば『おままごと』のようなものです。こっそりとやるお勉強会であれば皆さまに目を瞑っていただけるかと思い、私の一存でお招きいたしました」
「ベルエール嬢、あなたはやはり先進的だ。積極的に学び、身に着けようとするそのお考え、共感いたします」
にこにこと、できる生徒を持つ教師の顔で駆け出しの思想家はベルエール嬢を讃えた。それに応えるように、はにかみながらベルエール嬢は笑い、そして入り口に見えた人影に気が付いた。
「あ、お見えになりました」
一同は入り口の方へ振り返り、来訪者への礼儀として立ち上がった。淑女たちは誰も面識がなく、誰なのか分からないまま曖昧な会釈をし、思想家・学者・批評家はそれぞれ脳裏によぎるものがあり「まさか」と驚きの面持ちになった。そして、ジーゼルは。
一瞬目を見開いた後、ゆっくりと薄い笑いを浮かべた。優し気にベルエール嬢へ視線をやると、彼女はジーゼルに向かって無垢な微笑みを向けた。
「皆さま、私の突然のわがままに応えてくださった、マリ・ド・ダール侯爵夫人様ですわ」




