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 伯母様の指導は厳しかった。

 わたしは礼儀作法もろくに身についていない子猿だったので、そこからビシバシと鍛え上げられた。

 わたしは末っ子の一人娘であり、兄が四人もいたため、両親と兄たちから甘やかされて育ってきたのだということを、そのときになってようやく思い知った。

 伯母様は、わたしに、何よりも立ち振る舞いの美しさを身につけなさいと教えた。


「顔は造れますからね」

「造る……」

「幸いなことに、あなたは食事の好き嫌いはありませんし、運動量も申し分ありません。規則正しい生活のおかげで、お肌はとてもきれいです。ライラ、顔に吹き出物一つないのは、素晴らしいことなのよ」

「はあ……」

「ですから、顔はどうにでもなります。さすがに、ヘレンフォード卿に釣り合うほどというのは不可能ですけどね」

「そんな……! 伯母様は美の魔法使いだと伺っておりましたのに……!!」

「何を甘いことを。美の魔法なんてものは存在しません。日々のたゆまぬ努力が美を造るのですよ」

「セシル様は!?」

「ヘレンフォード卿の美貌は神の御手によるもの。あの方を目指すのはおやめなさい。人の手で到達できる領域ではありませんからね」

「ですが伯母様、わたしはセシル様の隣に並んで馬鹿にされない美女になりたいのです……!」

「わかっています。ほかでもない可愛い姪の頼みです。わたしの全力をもって、美しい娘に仕上げてみせましょう。ですが、ライラ。立ち振る舞いの美しさこそは、自分以外の誰にも、造ることはできないのですよ」


 指先まで注意を払いなさい。どんなときも焦りを見せてはなりません。歩くときは軽やかに、決して身体の軸をぶれさせないように。頭からつま先まで、一本の軸を持ちなさい。何をいわれようとも背筋をまっすぐにのばしていなさい。微笑みは優雅に、上品に。鏡の前で何度も練習しなさい。言葉を発するときは一呼吸置きなさい。言葉は慎重に選ぶのですよ。喋りすぎてはいけません。多くを語りたいときでも、その半分で収めなさい。多弁でない人物のほうが、かえって重んじられるものです。


 伯母様はそう、わたしに淑女としての振る舞いを叩きこんでくださった。

 おかげで、その翌年のパーティーでは、だれにも馬鹿にされず……とは、残念ながら、ならなかった。

 これはもう仕方ない。わたしの婚約者は絶世の美形であり、莫大な財産を持つ公爵閣下なのだ。

 これで妬まれなかったら嘘だろう。セシル様に不釣り合いだといわれてしまうのも仕方ない。

 けれど、わたしには、前回とはちがって自信があった。

 美の魔法使いの手でほどこされたお化粧は、わたしを美しい令嬢へと変身させていたし、ドレスも髪飾りも、この日のためにお母様と選び抜いた代物だった。今夜のわたしは、剣と盾を持って戦場に乗り込んでいるのだという自負があった。

 だから、これ見よがしな悪口をいわれようとも、ふふんと鼻で笑い飛ばしてやったし、嫌味な挨拶には嫌味なお返事をきっちりと返して差し上げた。

 パーティーの後で、セシル様はやっぱりわたしに謝ったけれど、そのお顔は前回ほど辛そうではなかったし、わたしの堂々とした立ち振る舞いを褒めてもくださった。

 セシル様が、零れるような笑みを浮かべて「君は立派な女主人だったよ」といってくださったときには、わたしの心臓はぎゅうっとなったし、足に羽根が生えたような心地にもなった。


 あれ以来、わたしは、公の場では完全武装で臨むと決めているのだ。

 今ではわたしも自分でお化粧をするようになったけれども、やっぱり伯母様のように上手くはいかない。美の魔法使いと呼ばれる伯母様は、まさに『美人を造る』化粧技術をお持ちだ。

 だからわたしは毎回、菓子折りと謝礼をもって伯母様の元を訪れて、魔法を施してくださいとお願いしている。

 もっとも、まだ学生のわたしが、公の場に出なければならない場面というのはそう多くない。

 セシル様は王家に次ぐ高位の貴族なので、婚約者を伴わずに一人で出席しても、みっともないと笑われることもなければ、主催の顔に泥を塗るということもない。むしろ、わたしがいないほうが、みんな喜ぶらしい。自分の娘をセシル様にアピールしやすいからだ。

 それを聞いたときは、ひどく苛立った気持ちになってしまったけれど、偽物の婚約者にセシル様の出会いを邪魔する権利なんてないのだ。

 いずれ、セシル様はわたしとの婚約を破棄して、ふさわしい女性と結婚される予定なのだから。


 ……何だか気分が暗くなってしまったけれど、とにかく、わたしは伯母様の魔法にかかっていない状態で、肖像画を描かれるなんて、断固としてお断りなのである。

 今のわたしは素顔だ。服装だって、学園指定の制服だ。

 学園は生徒たちを平等に扱うことを掲げていて、『学園内では魔法以外の一切を捨てよ』という教育方針なのだ。それでもみんな、多少のおしゃれはしてくるものだけど、お化粧はすぐに注意される。おかげで今のわたしは、完全武装どころか紙の盾だ。


 そういう事情ですので、申し訳ありませんけれど、本日この場での肖像画はお断りさせていただきますわ。


 わたしはそう口を開こうとして、セシル様と目があった。

 セシル様は、ひどく悲しげな瞳をされていた。

 ……演技だ。絶対に演技だ。

 わたしは知っている。セシル様が、わたしの良心に訴えかけるような表情をされるときは、たいていわざとだ。

 こんな風に、悲しげな瞳を向けられて、嘆くような吐息を零されたら、わたしが拒否できないと知っていて、この手のお芝居をされるのだ。大変に卑怯である。

 ほだされては駄目と、自分に言い聞かせる。

 さあ、心を強く持って、今日はお断りしますわというのだ ─── !


「ライラ」

「……はい」

「誕生日は何でも願いが叶う日だと教えてくれたのは、君だったじゃないか」

 セシル様が、少し拗ねた顔でいった。


 ああ、もう、ずるいです。

 だってわたしは知っている。セシル様がこんな顔をされるのは、わたしの前だけだって。

 その特別扱いが、どれほどわたしを泣きたくさせるか、セシル様は知らないんでしょう。


 わたしは、折れた。

 絶対に何か企んでらっしゃるけども、いいでしょう、腹をくくって差し上げます……!

 ただし、画家の方には、わたしの容姿を盛って描くようにおっしゃってくださいね!


 ※


 セシル様に紹介された画家の方は、やはり初めて見る方だった。

 前回とちがって、今回は二人とも長椅子に腰かけている構図がいいとのことで、わたしとセシル様はそろって座って紅茶を飲んでいた。

 前回のときは、動かないで下さいと何度も注意されたものだけど、今回は、楽になさってくださいといわれた。自然な表情を見たいので、描かれていることは気にしないでくださいとも。

 あまりにもモデル側に都合のいい条件に、わたしは却って不安になったのだけど、セシル様が悠然としていたので、ひとまずは呑み込むことにした。

 セシル様はこの画家の作品をご覧になった上で依頼したのだから、セシル様の期待を裏切るようなできあがりにはならないだろう。多分だけども。


「学園生活はどうだい、ライラ?」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくださいましたわ、セシル様。わたし、ついにお友達ができましたの……!」

「おお、それは素晴らしいね。最高の知らせだよ」

「そうでしょう? あれは先週のことでした……。わたしが一人テラス席で昼食を取っていると、同じく一人でいらっしゃったオールバニ伯爵令嬢が、ごろつきのような男子生徒たちに囲まれてしまったのです」

「ごろつき……? 学園内の話だよね?」

「ええ。ごろつきのリーダー格は、ウォートン伯爵家嫡男だとわめいておりましたね」

「名門じゃないか」

「伯爵家の中では、ですけどね。ですが、あの態度や言葉遣いといったら、ただのごろつきでした。ウォートン家の威光を笠に着て、オールバニ伯爵令嬢の肩を馴れ馴れしく抱き寄せたのですよ! 彼女は、怯えて声も出せない様子でした。彼女はまさに水の乙女、はかなげなレディなのです……」

「ライラ、昔からいっているけど、魔法属性占いなんて当たらないからね」

「でも、オールバニ伯爵令嬢は、水魔法の使い手なんですよ。そして、わたしはまさに風属性だと、家族中からいわれています。思い立ったら即行動、無茶で無鉄砲、思慮の足りない風属性だと……!」

「それでいったら私なんて、変人奇人で名高い闇属性じゃないか」

「闇属性は天才が多いというでしょう? セシル様はそちらですわ」

「なら、君だって勇敢で誇り高い風属性だよ」

「……わたしが無茶をすると、セシル様が一番お怒りになるくせに……」

「それとこれとは話が別だ。……それで? 君のことだから、オールバニ伯爵令嬢を助けに入ったのかい?」

「ええ。わたしもレディですからね。紳士的な振る舞いではないことを、遠回しにお伝えしました。許しを得ずに女性の身体に触れるなど、あなたはウォートン家の恥ですわ、とも」

「率直すぎる」

「すると、そのウォートン家のごろつきが激高しまして」

「そうなるだろうねえ。まぁ、君は私の婚約者だから、ウォートン家程度では手出しはできないだろうけど。でもライラ、無謀な行動を取るのは」

「ところが、ウォートン家嫡男はわたしのことを知らなかったようなのです」

「……なんだって?」

「どこの家の者だと尋ねられたので、コノート伯爵家の長女ライラですわ、とお答えしたのですが、コノート伯爵家など聞いたこともないと馬鹿にされまして」

「……君の名前を知らないなんて、本当にごろつきだったんだね、その男は。君になかなか友人ができなかったのは、私のせいだろう? ヘレンフォード卿の婚約者という肩書きが重すぎたからだろうに」

「さあ? どうでしょう? 実際にウォートン家の嫡男が知らなかったわけですし、案外皆知らないのかもしれませんよ。セシル様がお気になさる必要はありません。それに、もうお友達はできましたからね!」

「まったく君は、私を甘やかすのがうまいね……。友人は、オールバニ伯爵令嬢かい?」

「ええ。クリスティと名前で呼んでいるのです。クリスティもわたしのことをライラと。ライラはとっても勇敢で格好良いわと、褒めてくれるんですよ!」

「待った。とっても勇敢? 格好良い? 君、なにをした」

「あら、ごろつきを追い払っただけですわ、ホホ」

「どうやって」

「ですから、その……。ウォートン伯爵家嫡男は、わたしのことを知らなかったので、わたしへの侮辱をやめず、クリスティから離れなかったんですよ。そこでわたしは、あの男に、一対一の魔法試合を申し込みました」

「なんでそうなるかな、君は……! 私の名前を出せばよかっただろう! ヘレンフォードの婚約者だといえば、そんな男、尻尾を巻いて逃げていっただろうに、どうして黙っていたんだ!?」

「まあ、セシル様。そういった真似をするのは、虎の威を借る狐というんですよ?」

「君は一度でも私の威を借りてくれたことがあったかな……!?」

「それに、安心してください。学園では、一対一の試合は許されているんです。わたしは、きっちりと、あのごろつきを叩きのめしてやりました」

「ちっとも安心できない」

「わたしだって、ちゃんと、相手の力量は測りますよ? ウォートン家嫡男は、ろくな使い手ではないとわかっていたから試合を挑んだんです。もしも、相手がセシル様のような偉大な魔法使いだったら、そんな無謀な真似はしませんでした」

「そういうことではなくてね……。だいたい、君を止める者は誰もいなかったのか……」

「いえ、自分が戦うと名乗り出てくれた男子生徒はおりましたよ」

「 ─── へえ、そうか。それは……、勇敢なことだね。もしかしたら ─── 、君に、好意があるのかな」

「まさか。クリスティの婚約者ですよ。騒ぎを聞いて駆けつけてきたんです」

「ああ ─── 、なんだ、そうか、そういうことか……。オールバニ伯爵令嬢のね。そうか……」

「ですが、お断りしました。わたしが買った喧嘩ですからね。この手で決着をつけてさしあげました」

「まったく君は。次からは、喧嘩を買う前に、ヘレンフォードの名前を出すんだよ、ライラ」

「考えておきますわ」


 ホホホと笑ってみせると、セシル様がまるで信じていない顔をした。


 でも、セシル様。

 わたしをそんなふうに甘やかすのは、よくないことでしょうに。

 だって、わたしがヘレンフォードの一員になる日は、決して来ないのだから。



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