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「君からの誕生日祝いが欲しい」
と、セシル様が憂いに満ちた顔でおっしゃったので、わたしは小さく首をかしげた。
「セシル様のお誕生日は、まだ半年は先ですよね?」
「おや、そうだったかな?」
「そうですとも」
おどけた口調で頷いてみせる。
セシル様だって、わかっていて言い出したに決まっているのだ。
わたしはライラ。
わたしの前に座り、長い足を組んで微笑んでいるのが、婚約者のセシル・ヘレンフォード公爵閣下だ。
闇の精霊のいとし子であり、圧倒的な美貌の持ち主でもある。
わたしはこれでも、セシル様との婚約は6年目に突入したのだけど、未だにその端整な容姿に見慣れるということがない。セシル様がふっと甘く微笑まれたりすると、それだけで心臓が高鳴って、顔がほてってきて、あたふたと動揺してしまう。
でも、わたしの侍女たちなんて、セシル様の流し目だけで嬌声を上げて倒れていたので、わたしはまだ耐性がついているほうだと思う。普通に過ごしている分には大丈夫だしね。たまに、セシル様が、背筋がぞくりとするような雰囲気を醸し出すこともあるけれど、そういうときは逃げるか、セシル様の頬を引っ張るかだ。だいたいそれでいつものセシル様に戻る。
さて、少しばかり昔の話をすると、以前のセシル様は、自分の誕生日などどうでもいいと思っている方だった。
公爵家では毎年誕生日パーティーが開かれていたけれど、子供の頃にご両親を喪い、公爵家の財産に群がるハゲタカのような親類縁者に囲まれて育ってきたセシル様は、完璧な笑みを顔に貼りつけたまま、その日をやり過ごすばかりだった。
それをぶち壊したのが、当時、婚約者になったばかりのお子様 ── つまりわたしである。
わたしとセシル様の婚約は、政略的なものではなかった。
わたしの家は伯爵家で、家の格でいうならセシル様とはまったく釣り合っていない。それなのになぜ、セシル様がお子様のわたしを婚約者にしたかといえば、わたしがヘレンフォード公爵家のお家騒動に飛び込んでいったからだ。
……この点については、「君は巻き込まれただけだ」というセシル様と、「いえ、だれがどう考えても、自ら突進していったとしかいえません」と反論するわたしで、未だに意見が分かれるのだけど、事実だけを上げればこうだ。
その頃、セシル様は、身内に命を狙われていた。
セシル様は敵の黒幕を探るために、わざと一人になり、街はずれのさびれた教会で祈りをささげていた。そしてセシル様の狙い通り、武器を持った覆面の男たちが教会へ乗り込んできて、敵をおびき出すという作戦は成功した。
そこまではよかったのだけど……、オマケで迷子の女の子もついてきたのだ。
迷子の女の子は、悪者たちに囲まれている美しい少年を見て、助けなきゃ! と意気込み、覚えたての風魔法で突撃していった。結果として、偶然の産物により、迷子は覆面の男たちのリーダーの顔を見た。ほかはすべてセシル様の足を引っ張るばかりだったけれど、それでも迷子は目撃者となった。黒幕へつながる唯一の手がかりだった。
セシル様は、迷子を、伯爵家に送り届けて終わりにするわけにはいかなかった。黒幕を見つけるためだけじゃない。目撃者は消されるとわかっていて、見捨てることはできなかったのだ。
だからセシル様は、婚約という建前をもって、迷子を公爵家で預かることにした。
いうまでもなく、その迷子とはわたしのことである。
お子様だったわたしは、セシル様から事情の説明を受けたにもかかわらず、ことの重大さをろくに理解できていなかったし、公爵家でも野生の猿のように元気いっぱいに過ごしていた。
(ちなみにこれは、様子を見に来たわたしのお母様のお言葉だ。あんまりな例えだと文句をいったら「あら、お母様とのお買い物中だというのに、隙あらば脱走していた子猿が何か喋ったかしら?」とまるで笑っていない瞳で微笑まれた)
そして、公爵家で過ごす内に、セシル様の誕生日を知った子猿は、一切の空気を読まずにかりそめの婚約者へ突撃した。温和な微笑みを浮かべるセシル様に、欲しいものを教えてくださいと纏わりついた。お誕生日はお願いごとがなんでも叶う日なんです、と主張し続けた。
結果的に、セシル様は根負けして、わたしにいった。
─── では、君がこの先もずっと元気でいてくれるかい? それが私の願いだよ。
そう微笑んだセシル様は、わたしが初めて見る顔をしていた。いたずらっ子のような瞳だった。
わたしはそんなセシル様を見たことがなかった。
セシル様はいつも落ち着いていて、穏やかで、 ─── そして本心を見せない方だった。
初めて見るセシル様の素顔に、わたしの心臓はきゅうっとなって……、そのまま、恋に落ちたのだ。
わたしの報われない初恋の始まりだった。
あれ以来、セシル様は、毎年わたしに誕生日祝いをねだっている。
もちろん、物品じゃない。ヘレンフォード卿であるセシル様に手に入らない品物はそうそうないし、あったとしても我が家の財力では手に入らないだろう。
わたしの家は、家柄でいうなら伯爵家の中では低く、財産でいうなら真ん中あたりだ。わたしとしては、十分裕福な家に生まれたと思っている。
ただ、比較対象がヘレンフォード卿となると……、裕福という言葉の意味がわからなくなるというか、遠い目になってしまう部分は未だにある。
セシル様は、過去のもろもろもあって、わたしにたいそう甘いので、わたしはセシル様の前でうっかり何かを褒めることもできない。素敵ですね、なんて気軽にいった翌日には、それが購入されているからだ。
いつだったか、わたしのお兄様が旅先で滞在した素敵なお城の話をしてくださり、わたしがそれをいそいそとセシル様にもお話して、わたしも一度そんなお城に住んでみたいです……と、うっとりと、あくまで憧れだとか乙女の夢として語ったところ、セシル様はぱちぱちと二度瞬かれた後に、微笑んで「では、君の城を建てよう」といいだしたことがある。
え……っ? たてる? たてるとはどういう意味でしょうか……?
わたしは内心でそう盛大に疑問符を散らしたものの、そのときは冗談だと思って流してしまった。
しかし、セシル様は、その翌日には、数種類の城の設計図と候補地の資料を用意していて「どれがいいかな、ライラ?」と尋ねてきた。
わたしが凍りついたのはいうまでもない。
「セシル様、お気持ちはありがたく頂いておきますけれども、どれもいりません……!!」
「あぁ、すまない、ライラ。私が先走ってしまったね」
「いえ……、わかってくださったならいいんです」
「設計士を呼んで一から君の希望を聞くべきだった。許しておくれ。今すぐ手配するから」
「しないで! しないでください!! 城を建てて欲しいなんてお願いしてません!」
「そうか、気に入った城がすでにあるんだね? どの城を買ってほしいんだい?」
「話がかみ合っておりませんわァ!! セシル様! 城は! いりませんから!!」
「ふふっ、遠慮しなくていいんだよ、可愛い子だね」
「してませんわァ!! よろしいですか、よく考えてくださいませ、セシル様。お城を維持できる財力が、このわたしにあると思います!?」
「金のことなど心配しなくていいよ。もちろん、私がすべて持つからね」
「……百万歩譲って、セシル様のおっしゃるとおりにするとしても、わたしたちが婚約を破棄した後まで、セシル様が金銭面を負担していたら、世間にどう思われることか……。おわかりでしょう? 到底無理なお話です」
あくまで、公爵家の一連のお家騒動によって始まった婚約だ。
いずれ婚約破棄に至ることは、最初から決まっていた。そのときには、セシル様がほかの令嬢に心変わりしたという筋書きにすることも。
それが最も安全な婚約破棄だと、セシル様はおっしゃった。わたしもそう思う。最初から不釣り合いな家柄だけど、だからこそ、伯爵家から破棄を願い出たなんて思われてはまずいのだ。高貴な方々の顰蹙を買ってしまう。
だけど、セシル様がわたしを捨てたのなら、だれもが納得する。最初から釣り合わないと思っていた、ヘレンフォード卿も罪作りな真似をする……と、捨てられた令嬢への憐れみさえ浮かぶだろう。
……胸の痛みを隠して、わたしはセシル様にビシッといった。無理です。将来を考えればお城は無理です。まあ将来を考えなくても無理ですけども!
セシル様は、思案顔になって、目を伏せた。
けれど、すぐに眼を上げて、わたしを見つめて、にっこりと微笑んだ。
「そのときは、私から君への慰謝料ということにすればいいじゃないか」
「だめですううう!!!」
※
……話がずれてしまったけれども、セシル様は大変に裕福な方であり、わたしに恐ろしい贈り物をしようとすることはあっても、わたしからの贈り物を欲しがることはない。
それでもわたしは、自分が渡したいので、毎年お誕生日のお祝いは何かしら贈っている。
でも、セシル様がわたしにねだるのは、いつも物以外の何かだ。
去年は『君がこの先もずっと幸せであること』だった。
難しいことをおっしゃいますねとぼやいたら、セシル様はやっぱり悪戯な瞳でわたしを見て、誕生日は何でも願いが叶うんだろう?と微笑まれた。
ちなみに一昨年は酷くて『君がこの先二度と燃え盛る屋敷の中へ飛び込んでいかないこと』だった。
その数ヶ月前に、セシル様の命を狙った連中が屋敷に火をつけた事件があったのだ。そこは公爵家の別宅の一つで、わたしは屋敷の中にまだセシル様がいると思って助けに飛び込んだ。
実際にはセシル様はおらず、わたしのほうが駆けつけたセシル様に助け出されるありさまだったけれど……。
そこまで思い出して、わたしは、はてさてと首をかしげた。
最近は、セシル様にお説教されるような無茶はしていない、はずだ。
セシル様になにか願われるようなことがあっただろうかと思いながら、わたしは聞いてみた。
「お誕生日祝いに、何が欲しいんですか?」
「君との肖像画が欲しい」
即答だった。