第8話
「そうだ、入院生活はどんな感じだったの?」
ケーキの減り具合を眉をしかめて眺めつつ、妹が言った。
「んー、そうだなあ...。あの病院ってさ、昔っからごちゃごちゃしてるでしょ?」
妹に習い、私も目の前のケーキをどこから切り崩すか?どう崩せば満足感を得られつつ、味を堪能できるかを計算しながら答える。
「ああ、そういやあそこって地図見ても迷うわね」
そう。私が入院していた病院は、初期のころから訪れる人の大多数を迷わせる構造をしていたのだ。まあ私は迷わないけどね。
「ちょっと前にさ、知り合いのお見舞いに行ったんだけどね改築だかなんだかあって、本当に面倒だったよ」
「方向音痴だもんね」
え、違うよ? 私は目的地に着くのに時間が掛かるだけだよ?言葉にすると何かとても切れ味の良い、悪夢の言葉が返ってくるので、私は無難に聞き逃す。
「いやいや、そんなん関係なくね余計に迷う感じになってるよ?」
「そうなの?」
「あの当時も大概だったけどさ、けっこう増設に増設が続いたらしくね。入ったらもう帰れない感じになってるのだよ」
「その言い方だと、なんか怖いわ」
恐怖の病院って感じに仕立て上げてしまったけど、私は謝らない。
「だから私も開き直ってね。あの当時は院内を探検してたんだよ」
「探検?」
何故かいぶかしげな眼差しが飛んでくる。
「そそ、目的も無しにう...いや、目的はあった筈だけどね。ただ、もう覚えてないから。まあ、適当にね、ふらふらうろうろして、挨拶したり、お話聞いたりしたもんだよ」
「ふむふむ」
**―――――
当時の私は体調もあり、入院中は軽快に走り回れなかった筈だ。そう。思い出してみたら当時の私は一番か二番くらい動けない人っだったな。究極だるまに関しても、私が逃げ惑う事が出来ないから芸術点遊びにしてもらった部分もある。
しかし、周りを巻き込んだ感じではあるが、実際は皆が優しい人達だったのだと気が付いた。よくよく考えると私には『足手まといさん筆頭』の称号がふさわしい。
このあたりは、妹に内緒にしておきますね。ちなみに、お隣さんはへらへらしながら身体能力が抜群に高かったです。
「ねえねえ、なんでそんなに動けるの?」
「んー? だって、鍛えとるもん」
「じゃあなんで入院してるの?」
「検査やで」
「むう...いずれ痛い目見せるから、覚悟しておくようにね」
「いや、なんでやねん」
そんなわけで、一時期私はあいつをやっつけようとも考えたのだが特にいい案も思いつかず、仕方なくアイデア求め、病院内をふらふらしていた。ああ、そうだ、やっつける秘策を練っていたんだね。ただ、この時の放浪は中々いい経験が出きたと思う。当時の私は人への当りがよかったのだろうか? 大人の皆さまに可愛がられる事が多く、いろんな方とお話しができたもんだ。
**―――――
「ねね、どんな人がいたの?」
話の途中で妹が聞いてきた。
「んーひなたぼっこしているおばあちゃんとか、売店のおねえさんとか、受付のお姉さんとか、屋上のベンチで景色見ながらうつらうつらしているおじさんとかだね」
「ふーん」
「さすがに点滴持って何とか歩いている人には話しかけなかったけど、向こうからは声が掛かったりしたなぁ」
「あぶないよーとか?」
え、危なっかしい感じするんかいな?この話で?私、どんな風にみられるんだろう?
「んー? まあ、ふらふらっていっても比喩表現だからね。適当に歩いていただけだよ」
「挙動不審だったんでしょ」
「さあね」
「実は本当に迷ってたりとか?」
「失敬だな。まあ地図なんか見ても分かんなかったし、時間かければ部屋には戻れたから、迷ってはないよ」
「本当、方向音痴だもんね」
違います。ただ、行き来に人より時間が掛かるだけです。私は妹の横槍を押しやってから話を続ける。
「ま、実際は新たな世界の発見を求め、突き進んでいたんじゃないかな?」
「適当にうろついてたと言いますわ。それ」
た、確かに妹の言うとおりですわね。しかし肯定はしないでおく。
「そういや、あやつも気になったのか、聞いてきたなあ」
「ほうほう?」
**―――――
「なあなあ、今日なにしてたん?」
未来へ向けた放浪が楽しくなってきたある日の事、あやつが声をかけてきた。
「んー...探検? 調査?」
「え? 探検て!? なんでそんな楽しい事一人でしてるん?」
「楽しいかどうかの調査だからね。楽しくない可能性も考えているのだよ」
私のりくつに、あやつは少しむくれ顔をみせる。
「むむー、じゃあ調査に参加するわ」
「おーいいねえ、なんかいい所あったら教えてよ」
「うん。お互いに比べっこや!」
「よし、そんじゃ皆でそれぞれ行ってみよう!」
こんな感じで、私は探検調査遊びの参加者を増やしていった。
ある探検中、ちょっと暖かくて日の光が入ってくる広間があって、ベンチに座ってうつらうつらしているおばあちゃんと出会った。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
優しそうな眼がとても印象的な方で、小さな私に対しても敬語を使ってくれて、すごく嬉しかったように思う。
「あのね、うちは昔高台にあったんです...」
急な話ですこし目を丸めながら、私は相槌をうつ。
「うんうん」
このおばあちゃんは初めて会った日から、昔の事をお話をしてくれたのだ。ただ、いくつかは意味が解らずに聞き流して忘れてしまったが、印象の強い話は覚えている。
あるとき、おばあちゃんが言った。
「三毛がね、産んだんです」
「みけちゃん?」
「子をね、こたつに入ったりで可愛かったんですがね、いつの間にか納屋に入って暫く出てこなかったら、似たようなのが3つと、灰色が2つね」
三つ二つという表現に子供心ながら面白いなぁと思っていた。私はミャーミャー鳴いている猫さんの中で困ったおばあちゃんの情景を思い浮かべて、微笑んだ。
「かわいかったんでしょう?」
「ええ。特に次女がね、学校帰りにかいがいしく面倒見ててねえ。ちっちゃい三毛が特になついちゃって、かわいがっていたんです」
「かいがいしく?」
「ええ。学校行く前に抱いたりあっためたり、ご飯あげたりでこまごまと世話してました」
言葉一つ一つの響きが好きだった。だからかもしれないが、私にも影響がでていた気がする。たしか、初対面で敬語が使えるお子様として、結構かわいがられたこともあるのだ。
「ふぅん、その猫さんはどうなったんですか?」
「それがねえ、生まれたっていったら、欲しいって人が居たんです。で、電話してみたら翌日引き取りに来てね」
「へえ?」
少し目を細めて、おばあさんは続ける。
「結構奥の方から、バスを乗り継いできましたってね。てぬぐいで汗拭きながらね。見るなり、おおこれは可愛い猫ちゃんだって。三毛を二つ箱に入れてね、何度もお辞儀してました」
多分いなかの方という事だろうなぁ。夏だったんだなと話の中から今想像している。
「箱にですか?」
「はい。ぬのっきれとかタオルとか敷き詰めてね、暑いってのに風邪ひかない様にしないとってねえ」
自分でくすくす笑った後、少し考える様なしぐさをする。
「後で聞いたらね、箱を抱えてバス停降りて、坂道をえっちら登って、森の入り口で弁当食べて、竹林を通ったらばあさんの家でねぇ。大きく呼びかけたんです」
その話の中で、竹林の笹が揺れるような情景を思い浮かべた。うすぐらい山道を歩いて行ったのだろうと思う。
「そしたらね、おばあさんたらね『まあ可愛い!』って中風で寝込んでたってのに、いそいそと立ち上がってね、牛乳をあげたって喜んでたんです」
当時は中風なんてわからなかったが、今は脳の病気というのはわかる。それってすごい事なんじゃないかと思ったり、違う病気だったのでは? と思ったりしている。
「その後大変だったのはうちなんです。次女が返ってくるなり、何も私がいない時にあげなくても良いじゃない! ってねぇ、涙目でへそ曲げちゃって、困りました」
「可愛いですねえ」
「まあねえ」
くりくりと動く目が印象的なおばあちゃんで、本当に困っている様子が可愛いと思ってしまったのだ。お別れするときに声をかけた。
「また色々教えてね」
「はい、またね」
手を振って別れる。懐かしいやり取りだった。
「なあ、今日は何処いっとたん?」
つい話を込んでしまった私が部屋へ戻ると、あいつが声をかけてきた。少しふくれつらである。
「ふふふ、猫さんの話を聞いてたよ」
「なにそれ、おしえて!」
「駄目」
別に意地悪したいわけじゃない。ただ、聞いたばかりの話を大切にしたいと思ったのだ。
「なんでや」
「今日はひみつだから」
「じゃあ明日教えて」
「いいよー。でも忘れるつもりだからね」
「一日くらい、忘れるなや」
そう。ひみつ。あ、れ? あれれ、でも、私、このあたりから色んな事をひみつとかのたまう遊びを思いついたんじゃなかったのかな?思い返してみると、きっかけぽく無いですか? あれ? あ、この部分は妹には言わないでおこうかな。
**―――――
「ふーん、おばあさん素敵だったのねぇ」
「うん、こういっちゃ失礼かもしれないけど可愛かったなぁ。誰に対しても敬語なんだからね。他の大人達も丁寧にお話聞いてたよ」
「でもさ、なんでお隣さんに教えてあげなかったの?習性のせい」
「失敬な。そういうんじゃなくてね。んー、まあ、その時はなんか言葉にしにくい感情があってね。何か、独り占めしたい的な勿体ぶりだったよ」
「ん、悔しいけどあたしも時々あるわね」
「そっか。でね、一日引き延ばしてから、よし覚えてたからとお隣さん引き連れてお話聞きに行こうってなったんだよ」
「へえ!」
妹は目を丸くする。
「おばあちゃんお話聞かせてーって?」
「そうそう。でもさ、聞きに行った日の朝に退院しちゃったんだってさ」
「あらら、残念だったね」
「うん...当時でもかなりお年寄りの方だったし、何回か話しただけの方だからね。もう会えないんだろうと思うな...」
少し視線を下ろして、私は息を吐いた。
つづく