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妹・私のざつだん日誌  作者: 夏夜やもり
第一章 朝焼けメダリオン
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第5話

「ふっちょさん...ふっちょさんなあ...」


 さきほど浮かんだ記憶を押し込め、コーヒーカップを両手で覆って記憶を辿る私に対して、妹が眉をひそめて訪ねてくる。


「思い出せないの?」

「思い出しているのだよ」

「そう?」


 妹はチーズケーキを丁寧に切り取って、にっこにこしながら口へ運んで暫く味を楽しみ、こちらを見るとにやりと笑う。


「当たり障りのない言い方を探していると見た」

「いやあ、聞いたら食あたりする様な話が多くてねえ」

「本当、なにをやらかしてきたのか気になっちゃうわね...」


 むう、そう思われると衝撃を与えてみたい気もするが、丁度いいエピソードを思い出してしまった。


「そうだね。あの時の事がある」

「うんうん」




**―――――

 ふっちょさん関連で思い出そうとして思い出したのは、何というべきか...私がずるっこをやろうとして、注意を受けた話である。


「ほら、起きなさい」

「んー、むー、おは、よう...」

「はい、おはよう。調子悪そうね」


 喉の奥から鉄の様な匂いがして、身体に重怠さがある。


「のど痛い...」


 昨夜もあまり眠れなかった。こんな時はだいたい微熱が出て、体温計を見せると少しだけ甘やかしてもらえる事が多い。当時の私はそのことに味を占め、たまにずるをしようと体温計にごそごそする。ここではどうだろうかなあ?体温計を脇に挟んだままそんな事を考える。べつにやる意味がないよなぁなどと思っていた時に、こちらを見ているふっちょさんと目が合った。その目に少し鋭さがある。


「なあに?」


 その視線が痛くて、私はばつが悪そうに言った。


「んーそうねえ」


 珍しくはっきり言わない。


「どうしたの?」

「わかってるんじゃない?」


 どきんとした。いや、そんなはずはない、あれは私の秘密の筈だ。


「甘えたいのも仕方ないけど、ここではやめてね」


 苦笑に近いその姿が、『解っているよ』と言っている様だった。


「...熱っぽいんだけどなぁ」

「昨日眠れなかったの?」

「うん」

「あのね、お熱は正確に測ってもらえないと困るし、早く帰りたいでしょう?」

「うー...うん」


 目の奥が熱っぽくなっていて、けだるさがあり、あまりいい状態じゃないのは間違いない。


「こらっ!」


 後ろで何かしでかした子に振り向き、注意をしている。今ならずるっこも出来るかもしれないが、見抜かれてしまうんだろうなと思った。仕方なく、そのまま体温計が音をたてるののを待つ。肩の力を強める程度は許容範囲だと思った。


「うん、36.7度ね。そんな力入れても変わらないわよ」

「えっ?」


 再びドキリとする。このひとに隠し事できないんだろうなぁと思った瞬間だった。


「朝ご飯、取りに来れるね」

「あんまり食べたくない」

「食べれるだけでいいから、取りにおいで」

「うん」

「今日は良い天気だねえ、ちょっと日に当たれば元気になるわ」

「そうかなあ?」

「わたしの経験でもあるのよ。ねえ、いつもの元気はどうしたのよ?」

「...今日はお休み」


 ふっちょさんは軽く息を吐いた。


「いつも休んでてくれると、あたしも楽なんだけどなぁ」

「んー、それだと心配されちゃうからね」

「うん、そうね。まあ、でも、ちょっとマシになってきたんじゃない?」

「...うん」


 ふっちょさんの深くて温かい声を聴いていると、不思議なことにさっきよりも元気になっている気がした。外を見ると今日の陽射しもあったかそうだ。少し無理して体を起こす。身体にはけだるさが残っていて、喉の奥の引っかかりもあった。


「うん、ちょっと起きてみようかな」


 呟いてよろよろと起き上がる。たぶん、何とかなりそうだ。見抜かれた居心地の悪さが付きまとってくるのは、仕方のない事だろうな。




**―――――

「まあ、ごまかしの多い人生だもんね」

「そうだね、生きていくためには汚れる事も必要なのだよ」


 妹の減らず口をうけ、私は平静を装ってコーヒーを口に運んだ。『ごまかせなかったんだい!』と言いだしそうになるのを口に広がる苦みによって、止めている。


「ふーん、あー、そーですかー」


 (あお)るように目を細め、こちらをのぞき込むのがうっとうしい。私は少しだけ息を吐いた。


「実際は、違うんだけどなぁあ」

「何が?」


 あの時の『見抜かれた!?』という体験は、色々とめぐって、私がごまかしを行えば必ずばれてしまうのだという強迫観念が育っているのだ。


「んー、まあ、ひみつ」

「もう、また!」


 この類の発見を、誰かに言うのは恥ずかしい。ここだけの話だが、私は結構損な役回りが多い。『楽』はするけど『ずる』はしないという、二律背反(にりつはいはん)をモットーにしているからだ。どうやって真っ当な『楽』があるのか?このテーマを心に決めたのは、この時期にふっちょさんに指摘された『私がずるをすると必ず見抜かれてしまう!』体験が強く根付いているのだ。


「でもさ、ふっちょさんも良く解ったわね」

「んー?何が?」

「ずるっこさんが、何か企んでいるじゃないかってさ?」

「そりゃ、あれだけお子さん見てたからだよ。そういったことが解っちゃうんじゃないかな?」

「そういうもんかいねえ?」


 少し息を吐いてから、私は伝えておいた方が良いなと思い、少し神妙な顔で話を続ける。


「あのね、見抜かれるとね、私は...というか子供の頃はね、『しまった!?』てな感じで反省するんだよ」

「本当?」

「あれれ、覚えてないの?私知ってるよ。自分だって注意されて縮こまってたじゃん」


 少し目を細めて指摘すると、妹も少し嫌そうに表情を崩す。


「むう...あたしのあれは、ぐうの音も出なかったから、だもん」


 妹も本音では解るのだろう。そこで私は話を切り出す。


「逆の受け取り方した子も見たから、言えるんだけどね」


 私は少し、目をひそめる。


「どういう事?」


 あのころ、私にずるの指摘を拒否した姿を見せてくれた子がいた。


「えっと、まあ印象が悪かったひとの話になっちゃうから、あんまり言いたくないんだけどね」

「うん」


 あの子はさまざまな見せ方で苦しそうに訴えている。

 しかし、私の感じている苦しさと、その子の訴えが、どうも違っていて、ちょっと近寄りがたく思っていたのだ。

 もうね、私の個人的な感情だから、妹に言うのもどうかと思うんだけど、なんというか、ふっちょさんがめいわくしてたって、わだかまりが、ずっと残っているんですよね。


「ねね、その子、寂しかったんじゃない?」

「うん。そのとおりだと思う」

「ふっちょさんは甘やかさなかったってことでしょ?」

「そうだね。というか、大人だから解かるんだけどさ、その子には良くないと判断したんだと思う」

「でもねぇ...ちょっと、むずかしいよね」

「まあ...。私がふっちょさん好きだったからさ、その子に良い印象もてなかったんだよ」

「担当変わるととかできなかったの?」

「そんなんできないよ。常時人手不足っぽかったし、なんかずっといる感じの人だったからね」


 妹は少し唇を尖らせる。


「んー、でもでも相性あると思うけどね」

「...相性で済めば終われば良かったのさ。でも、その子はふっちょさんに恥かかされたと思っちゃったらしくて、親御さんが出てきちゃってね」

「どんなふうに?」

「んー、ある事を大げさに、無い事をあるかのようにと言えば、伝わるかな?」

「具体的には?」


 問われて、私は少し考え頷き、言った。


「んーふっちょさんって、『大丈夫?』ってのが口癖でさ、私たちをいつも心配してくれてたんだよね」

「うんうん」

「でも、『大丈夫!』が口癖って伝える感じ? わかるかな?」

「えっと? 『ヘイキヘイキ、ダイジョブ』って感じ?」

「そんなかんじ。言葉は同じだけどさ、意味が真逆になるよね?」


 私の言葉に、妹の眉間にしわが寄る。おそらく自分の経験を思い出したのだろう。


「むう、それ。嫌だわ」


 こういう好悪をすぐに出す姿は妹らしいと思う。そういえば、最近酷い目に遭ったって言ってたっけなぁ...たしか、ちょっとした被害が出たんじゃなかったっけかな?少し(おもんばか)りながらも、今は本人が言いたがらないので私は話を続ける事とする。


「でね、私はその姿がね、みっともないなと思っちゃったのだよ」


 茶化(ちゃか)していっても妹の眉は曲がったままだ。どうやら誰かと重ねているらしい。


「んー、でもさ、親御さんに言いつけたって事は、何かあったんでしょ?」

「私は理由なんか知らないよ? もしかしたら別の何かがあったかもだけどさ、でも、抗議の姿を見ちゃったのだよ」


 人の悪い私が推察するに、あの子の親御さん達もお子様をだしに使って何らかの要求をしたかったのだと思っている。しかし確証はないので、これは妹には言わない。


「で、ふっちょさんがいない時を狙ってさ、ない事ない事を大声でやって...たぶんわざとだね」

「あらあらまぁ」


 妹が眉を吊り上げて、ケーキの一欠けを口に運んだ。




**―――――

「...くるしい」

「どこが?」

「ここ」

「...どうにもなってないわね。お熱はもっかい測ってね。いまのは無しよ」

「あったじゃん、熱」

「うん、もう一回ね」

「んー、ここが痛いの!」

「...みせて、さっきと違うけど、いたいの?」

「どっちも痛い」

「ふーむ、まあ。今日は大丈夫そうよ。お日様に当たるくらいはできるんじゃないかな?」

「...いい」

「そう?まあ、ごはんとっておいで」

「持ってきて」

「それくらいはできるはずよ。うん、お熱はないわね」

「もってきて」

「取りにおいで」

「...苦しいの」

「あらまあ」


 たしか、こんなやりとりが多かった。

 いつも忙しそうなふっちょさんであるのだが、中々先に進まない様子である。ほぼ毎日だったんじゃないかな? ふっちょさんの声にとげはなかった筈だった。

 まあ、私たちもね、別の意味で迷惑かけてたから、その、えっと...すみませんとしか言えないのだがね...。


 あの日、騒がしさに釣られて私はその姿を見る。


 あの時、抗議の声を聴いていたのは本人ではなく、話を聞いていたのはしかめっ面の白衣のおじさんだった。

 ふっちょさんがいない時だったんだよね、たしか。白衣のおじさんは一回だけ頭を下げて、その後何か言っていた。親御さんはなんか狼狽えていたと思う。発言は一言二言だけだったが、その白衣おじさん眼鏡がきらりと光って、隠れてみていた私たちに向いた気がして、ちょっと怖かった。


「...」


 口数が少なそうだが、視線に強い感情が生まれている。その子の親御さんは腕を組んで胸を張って、白衣おじさんの顔を見ないようにし、さらに言葉をぶつけている。ふっちょさんがいたらなぁ、本人がいればやり返すのに!と私はとても悔しく思って見ていた。




**―――――

「私はね、親御さん達の物言いがねえ、残念に映ったんだよ」

「嫌だよね。うん。あたしはそういうの嫌い」


 妹がめずらしく私への同意の言葉。ふと、妙な事に気がつく。


「...?」


 そうだ。これって私のトラウマになってたんじゃないかな? あまり人には言わないが、私は昔から腕を組んでいるひとの姿が苦手なのだ。自分は努めてやらないし。

 あと、いつのころだったか、大人のマナー講習を受けた際に講師のお姉さまが『これってガードポジションですよ』と教えてくれたのが、とっても腑に落ちた記憶もあるのだ。


「どうしたの?」

「うん、ちょっとね...」


 話の中から自分のトラウマの元を見つけて驚いていた私に、妹から言葉が掛かる。


「ねね、ふっちょさんは大丈夫だったの?」


 少し首をひねる。何をもって大丈夫というのだろうか?


「ん、どうだろう?」

「音沙汰無し?」

「まあ、今はあの病院にはいないんだけどね」

「ちょっと!? 大丈夫だったの!?」


 そう。退院から結構時間が経った後に行く機会があり、私は懐かしい方々を尋ねたのだ。しかし、ふっちょさんはいなくなっていた。聞いた時は妹同じように思って、何か良くないことがおきたんじゃないかと焦ったものだが...よくよく聞くと実際には良い形での退職だったらしい。


「ま、大丈夫だよ。なんと、話に出てきた白衣おじさんが個人で開業したらしくてね。そこで働いてるってさ!」


 妹は目を丸くする。


「え、そうなの? 威圧感がすごい人だって言ってたじゃない?」


 あれ、そこまで言ったっけな?


「んんー? たぶん、それは私の印象だよ。たぶん優しい人なんじゃない?」


 白衣おじさんのお話は、伝え聞いたことはいくつかあるのだが、シャツがいつも片方出てるとか、寝癖治すの下手だとか、けっこう雑然としていて私も話すことができない。


「ふっちょさんにとっては良いことそうなの?」

「...さあねえ? 多分、いまは生き生きしてるんじゃないかな?」

「本当?」

「たぶんね。だってさ、去った後の職場の人が、とっても嬉しそうに教えてくれたんだよ」


 小さく笑って私は言った。


「うん、ふっちょさんは大丈夫」

「...そっか、よかった」


 二人して軽く息を吐き、同じような動作でぬるくなったコーヒーを一口頂いた。



                            つづく

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