第3話
「そんでさ...」
妹がカップに口をつけてみて、舌を出して眉をしかめるまでの一連の動作を取った後、涙目でこちらに聞いてきた。
「結局はそのお隣さん、どんな子だったの?」
カップの熱見が済んでいるので、安心してカップの香りを楽しんでいる風を装った私は、優雅なしぐさでカップを戻し、ケーキに目を向けながら言った。
「えっと、あいつは...なにかの大会にでるんだとか、入院前はどこかの施設でトレーニングしてたとか。結構広かったんだよーとか、話しかけてきてうるさかったなぁ」
「うるさかったの?」
「私、寝込んでたんだよ?」
妹は苦笑を浮かべる。
「空気読めなかったのね」
「まあ、仕方ないんだとは思うけどね、気付くまでに少し時間かかるんだけど、気付いたらそれはそれでうっとうしいのだよ」
「え、なんで?」
「私、気を使われるの苦手」
「まあ、昔っからそうだよね」
少しケーキの角を崩して小さくしてから口に運ぶ。ああ、このほろ苦さが良いのだ。少し微笑、私は話を続ける。
「よく聞いたら検査入院らしいからね」
「何が悪かったのかしら?」
「さあ? ま、こっちは点滴眺めて苦しんでるってのに、お構いなしで話しかけて来るんだよ?第一印象は悪かったのだよ」
「あらあらまあ」
再び、妹をみやると涼しい顔でカップを傾けている。うん? 実はもう適温かいな? 思って私もそれに続き...あっつぃ。カップから口を話してそちらをみやる。
「どぉーしたのぉ?」
目を細めて、こちらを見ている悪魔の微笑み。ブラフとはなかなかやるな。
「いやあ、私が猫舌だと忘れていた」
「人を使って毒見させないでね」
見抜かれていたか、ここで引き下がるのも悔しいので、軽く手を振る。
「毒は入ってないから熱見が正しい」
「入れてないと思ってるの?」
「ははっ、私に毒はきかないからね」
「存在が毒だもんね」
「毒はためずに吐くものだよん」
「撒かれるほうはうっとうしいわね」
「むう、会話の中に一つまみの毒、それがエスプリってやつなのさ」
「コーヒーの中に入れたらどうなるかしらん?」
私は少し眉を顰める。こういうのって言葉を止めた方が負けなのである。
「考えてしまった私の負けだね」
「いつのまに勝負になったのよ?」
実際、私のお腹は敏感なので痛んだものを頂いたり、毒を盛られたりするとすぐ酷い目に合ったりする。勝利の微笑みみせる妹に、いずれこの件は仕返しせねばなるまいと心に誓った。
「んでもさ、結局はいい子だったのよね?」
考えている様子をみせた私に、妹は話題を戻す。舌を出して被害を軽減しながらも、ぼんやりと思い出す。
「ん~何が楽しいのか、いつも笑っていたなぁ」
「笑うって、にっこにこしてるの?」
「ううん、面白い事を言う訳でもないのにねぇ、あっはははとかいった笑い方が耳に付いたよ」
「んー、それ耳障りだったって聞こえるんだけど?」
「うーん、まあ、印象的だったと言うべきなんだろうね」
**―――――
あいつの事を聞かれ、一番に思い出したのはある程度仲良くなった朝の事だ。
「あっはははは、カラスの大群がおるで!?」
声に引かれて少し寝ぼけ眼をこすりつつ、廊下へ出ると目が一気に覚めた。
「おおー!?」
その光景は私も初めてみた。病院外の電線という電線に、カラスさんの大群がとまっている。皆さん何か雑談でもしているかの如く『かあー』だとか、『あほー』だとか、がやがや鳴いている。
「おー、カラスさんってば、いっぱい~♪」
廊下へ出てその光景からか、変な鼻歌歌いはじめた私に対して、あいつが横から声を掛けてくる。
「お、おはよう。すごいやろ?」
なんで自慢げなんだろう?そんなことを思いながら私も挨拶を返す。
「うん、おはよう。ほんと、いっぱいだねえ」
この珍しい光景を上機嫌で眺めている私達。ふと通りがかりに不穏そうな呟きが耳に入った。
「お迎えでも来たのかしら...?」
振り向くと、忙しそうにどこかへ向かうナースさん。特殊な景色と病院という場所で、普通なら不吉を予想するのだろう。だが、私は当時からカラスさんが好きな鳥だったので、あさっての受け取り方をした。
「んー? お迎えって退院する人を?じゃあカラスさんってば、よかったねえって言ってるのかな?」
私がつぶやくと、何がおかしいのか、あいつが大きく笑いだした。
「あっははは、ほんまやな! たっくさん迎えに来てくれて。あんな多くのお迎えならよっぽど大物やろ!」
「だね! カラスさん一同の祝福って、ちょっとすごくない?」
胸を張る私の自慢顔。思い出だとしても、こういう勘違いって、後でとっても恥ずかしくなるなあ。ここに妹がいなければ、部屋の隅っこでのたうち回っているかもしれない。
**―――――
「んー、どうしたの?」
私の恥じらいで話が止まったからなのか、妹から声が掛かる。相変わらずコーヒーカップとにらめっこしている。猫舌なんだからぬるくして淹れればいいのにとも思うが、ご相伴にあずかっている以上、私は口に出さない。
「いやいや、何というか...私って、変わったもの好きだったんだなぁってね」
「変わったって? なにが好きなの?」
「カラスさんかな?」
「え、変わってるの? あたしカラスさん、嫌いじゃないわよ?」
おや、妹も変な所で似ているのだな。
「そうだったの?」
「まあね。でも今の話みたいな光景は見た事無いなぁ」
「んー、私もあの日以降で見たのって、一度くらいだね」
「見た事あるんだ?」
「うん。山に行った時だね。夕日にいっぱい飛んでたんだよ」
「何か、あたしも見てみたい感じ」
「まあ、余裕ある時に行ってみても良いかもね」
「そうね。その景色が見えるかどうかは別としてね」
妹がケーキを崩して口へ運んだ。こういう所が似ていると血がつながっているのだと思ってしまう。
「でさ、それからどうなったの?」
「あいつがね、ふっちょさんに話しかけたんだよ」
「ふむふむ」
**―――――
あいつが尋ねた相手、それはたまたま通りがかったふっちょさんだった。
「なな、今日誰か退院するん?」
あだ名だと勘違いしてしまうが、かなり痩せていてとても動き回る働き者で、時折見せるにやりとした笑顔が印象的に残っている。確か、その時もしっかりと見せてくれた筈だ。
「え?え、っとまあ、そうね。退院する人は、いるでしょうね」
「その人、カラスさんに好かれてる?」
「は?」
私の問いかけに、ふっちょさんも目を丸くしている。話の流れが解らないだろう。そんな顔させてしまって、我ながら同情する。
「いやね、あれだけのカラスさんが集まってお迎えしてるからさ。大物だよね、その人!」
少し興奮気味に、恥ずかしげもなくあんぽんたんを振りまく私。
「そやね。たぶんでっかいんやろ」
私の話に乗っかってくれるあいつ。
「んー? お迎え? 大物? でっかい?」
ぐるりと視線を巡らせ、考えているふっちょさん。そして、どうやら遊んでいる状況なのだと飲み込めたのか、再びにやりと笑顔を見せた。
「んー、あー、大物っていえば、確かにその通り...だけどね」
「その通りって?」
笑顔に少し温かいものが混じっている。
「あのね。実は今日、お相撲さんが退院するのよ」
どうやら、めったにないことが重なっていたらしい。お相撲さんがこの病院へ入院していたというのも偶然、その退院日も偶然。そしてカラスさんの大群も偶然なのだが、よくよく考えるとすごい事である。
「それだ! あのカラスさん達の狙いはそれだよ!」
「え、狙うんか?」
「力比べしたいんだよ! それか、あのお腹にどれだけ埋もれるか試したいのかも?」
「そ、それは意味が解らないけど、どうかしらね?」
「うーん。あの数でぶつかり稽古は、ちょっと違う感じにならへん?」
「そうね。わたしもむかーしの恐い映画思い出したわ」
ふっちょさんは眉間にしわを寄せている。お相撲さんにたかる大群カラスの図って、今考えてみたらかなり恐ろしいものだ。
「あっははは、でもお相撲さんの方がつよいから大丈夫だって!」
「だから数を集めたんやろ?」
「いやいや...お相撲さんにはたからないって。たぶん」
私たちの怖い妄想を止めるため、ふっちょさんが言った。
「あのねえ、もしかしたらあのカラス達、同窓会かもしれないわよ?」
「同窓会って何なん?」
「学校を卒業した後に、みんなで集まってご飯食べながら、今の状況を話したり、昔を懐かしんだりする会よ」
「え? この病院がカラスさんの学校なの?」
「何で病院が?」
ふっちょさんはにやりと笑う。
「実はこの辺りってね、昔は山だったのよ?」
「そうなん!?」
「本当!?」
「そそ、あたしが小さい時だけどね」
多くのカラスさんを眺めて、ふっちょさんは目を細める。
「本当小ちゃい時にね、おばあちゃんちがここらにあってね。見たのよ...。夕日にカラスがいっぱい飛んでく景色、懐かしいなあ」
「ふーん。じゃあ、カラスさん達も懐かしんでたんだね」
「せやね」
このやりとりで私は思いつく。
「よし、じゃあ今日は同窓会しよっか?」
「は? また急に何言うん?」
「カラスさんに負けてちゃだめだよ。私たちもやってみよう!」
「何を卒業したんや?」
「ふ。昨日という日を卒業した、新たな私達の同窓会だよ!」
「いやいやいや、昨日は皆卒業しとる」
「だから昔を懐かしまなきゃね」
「んー...ええかげんにしとき」
「おっと、そこまでね。そろそろあたしのお仕事、させてほしいわ」
ふっちょさんの一言で、私達は病室へと戻る事となった。今思い出すとちょっとどうかなと思う勘違いからよくも話が飛んだものだ。
**―――――
「結局お相撲さんはどんなだったの? カラスにたかられてた?それともお腹に埋め込まれてたの?」
妹までが変な所に食いついてきた。ちょっと目の付け所、違ってません?
「んー、どうだろうね? 私は見てないなあ」
「むぅ、残念」
「まあ、カラスさんがお相撲さんを襲ったらニュースになってるんじゃないかな?」
「よし、調べてみようかな?」
「ご、ご自由に」
調べても、何も出てこないと思うよ、私。妹の前途などを少し心配しつつ、今度はカップの温度を舌先で確かめた後、適温になっていたコーヒーを一口頂く。インスタントでも結構おいしい。
「でもさ、でもさ、あのお腹には埋もれてみたいよね」
え、ん? えっと、何とお答えしようかしらん? 妹の考えが良くわかんない。
「まあ、ね。」
無難に頷いてお茶を濁す。飲んでいるのはコーヒーだけど。
「で、そんな光景見たいの?」
「うーん...」
私に聞かれて妹は首を傾げる。
「よく考えると、カラスの大群とお相撲さんのぶつかり稽古は見たくないわ」
結局はそういう結論が出たようである。その言葉にほっとして、私はコーヒーをもう一口頂く。
「同感。想像したら結構ホラーだったね。昔は考えなしに言ったもんだよ」
二人頷いて、私達は少し息を吐いた。
つづく