第20話
「あ、もう...こんな時間」
ふとスマホを眺めた妹がぽつりとこぼす。まだまだ話したいことはあるのだが、意外と時間が経っていたらしい。目の前のコーヒーもケーキもきれいになっている。
「ねね、メダリオンがなんでここにあるのかって話してないんじゃない?」
「そうだったね...やっぱ、言わなきゃダメかな?」
「ダメ」
静かに言った様だが、実際は怒気を隠しきれていない。『言わずが花』を押し通しても面白そうだが、やはりそうもいかないだろう。
「まあ、簡単な話だよ。これはね、先に退院するからってね記念にもらったんだよ」
「へえ?」
「たしか、朝焼けが見える時間だったかな?」
「ふうん、すごく早起きだったのね?」
「起こされたんだよ。まあ、あいつも退院の日で目がさえちゃったのか、朝から忙しかったのかしんないけどさ、つっつかれて起こされたんだよ」
「ふむ」
**―――――
朝焼けが世界を染めている。
私たちは屋上へ上がった。体調はいまいち優れない。微熱が少し残っている。眠れたのか良く解らない。今もぽやんとした顔の私だったが、あいつが切に頼んだので、しぶしぶと頷いた。
「んー、ねむい」
「悪いなぁ。ちょっとお願いや」
「うん、前のお礼もあるからさ、付き合うよ」
ただ、何もこんな時間にとか、ちょっと前に夜出歩いて怒られたじゃんとか、額の傷の事もあるしーとか、膝と肩で怒られたトラウマも治ってないのにぃとか、ネガティブなあれこれを思いだしながらパジャマ姿で、携帯を持ったまま手を引かれる。トイレに行くのとその付き添いという体を繕い、トイレすぐそばのエレベータに駆け込む。
今日がお別れである事を、私は知っていた。あいつは昼には退院してしまうらしい。
「あーもうもう! な気分」
「なんやその気分?」
もやもやする胸の内を幾分か、ぶちぶちこぼす私。前をおそらくはにこにこしながら進むあいつ。屋上に付くと、また手を引かれて、前に私が落ちた場所近くまで来た。あまりおもしろくない記憶が蘇るが、私は伝えるつもりはない。ただ、言葉に棘を生やしていた。
「ねえ、なんなの?」
「あんな、これ」
私に何かを押し付ける。そう。銅のメダリオンであった。メダリオンの中心にはお日様をモチーフにしたデザインがあって、朝焼けをはじき、鈍く輝いている。
「え...これって?」
「あげるわ」
風が吹いて、身体を冷やした。熱が少し上がったような気がした。頭がふわふわしているが、こんな大切な物を貰う訳にいかないなぁと、ぽんやり思った。
「こ、これは、もらえないよ!?」
「いや、なんでや?」
「これ、手作りのおまもりでしょ? 本人の為にあってさ、私が貰っても効果ないよ?」
無理をして平静を保ってみたのだが、私は表情が変わっている。
「そ、そんな事ないやろ」
「そんな事あるよ! あの野太い手でさ、手間ひまかけて、頑張って作ってくれたんだよ。もらうく訳にいかないって」
押し返すようにあいつに握らせた私に、あいつが少し慌てて言った。
「いやいや、正直自分、危なっかしいんや。持っときや。実は結構効果有るんよ」
「むぅ...」
あぶなっかしいのは認める。ただ、私はそういう問題じゃないと言っているのだ。
「入院しとんのにさ、あんだけ怪我した人おらんで。これくらい気合の入ったもんもっとかんと、困るわ」
「うーむ」
実際、本人の目の前でケガをしているので、否定しにくいのが悔しい。ただ、手作りであるという事がとても重要である。これをびやだるさんがどんな気持ちで贈ったかくらい、どなたでも想像できるだろう。とりあえず、貰わない方針で何というべきか考える。うん。そうだ、別の方向からいってみよう。
「そうだよ、ねえ、これ、何製? メダルなの?」
「ん? 銅細工やねん。自慢のメダリオンや!」
自慢の物なら人にあげようとしないでほしい。しかし銅ときいて、私は息を吐く。
「ふむ...私、金のが良い」
「え?」
「だから、いらない」
「はあっ!?」
握らされたメダルを押し返した。あいつはとても悲しい顔をしている。いや、普通こんな風に言われたら怒りとか沸き立ちませんかね?私の予測では確かこんな感じ。
『銅がみっともない言うんか!?』
『いやいや、金の方が好きだって言ってるんだよ』
『ふざけんなや!もうええわ!』
一応、頭で書いていたシナリオなのだが、実際は...。
「そか...」
落ち込んで下を向いたあいつの反応に、ちょっと後悔し始めている。
「お、おお、おしかったね。金のメダルだったらダンスしながらもらってたけど銅だもん...」
「銅だから...か」
「そもそもさ、餞別って送る方の私があげるんだよ? 貰ってくれなきゃ」
「むう何を?」
「えっと...」
ああしまった、起き抜けで引っ張られてきて用意していた餞別は持っていない。
「今持ってなかった。後であげるよ。というかさ、こんな貴重な物にお返しできる程のもの、私持ってないって」
その言葉で、あいつは無理やり笑顔を作った。
「そんなんええって」
「そんなんあるって、こっちにばかり借り背負わしちゃダメだよ! 雪だるま式に増えちゃうじゃない!」
「なにいうとんねん」
「だから、貰えないって事だよ」
「そか、じゃあ預かっといてや!」
預かってと言われてもなぁ...私は眉を上げる。
「預かるって...」
「そうや! うん。あんな、将来、絶対金で出来たメダル持ってくるから! それと引き換えにするんや。これな、決意の証なんや!」
自分の言葉に勢い込んであいつが言う。その言葉、そう。『金』という言葉に私は少し興味が移った。
「金...てか、決意...なんの?」
返そうとするメダリオンを、あいつは無理に握らせてくる。ここまで強くにぎらされると丸くなってるギザギザでも、そこまで強くされるとちくちくしてて痛いのだが、温かい手のわりにあいつは気付いていないらしい。
「あんな、必ず金をもってきて、交換するから!その為の決意や!」
「いやぁ、なんで金持ってくるのか意味が良く解んないけどさ...」
私は少し息を吐いたあとに、重要な事に気が付いた。
「かくにんだけど、金を、そう金で、このおっきな感じなのを、持ってきてくれるの!?」
そうだ。金という言葉に私は大きく心が動いてしまう。
「そや。とにかく、その間、あずかってほしいねん。取り戻すために、めっちゃがんばるつもりや!」
聞いてても良く解らない主張だった。だが、私も心を金に捕らわれている。結局は、いまこのメダリオンを受け取っておけばあいつも心置きなく頑張れて、自分の所には金で出きたメダリオンを持って来る。その間だけ、貰うんじゃなくて、お借りするのであれば、良いんじゃないか? そのように妥協したくなってきた。
「んー...まあ、あずかるだけなら...」
「ええか!?」
「......良い...よ。いずれ金が貰えるなら、お得感増量だもんっ!」
これは、お互いの妥協点。私はしばらくあずかる。あいつはやる気をだせる。うんうん。良いんじゃないかな?思い出している自分でも、とってもアサマシイと思う。ただし、いますぐ同じこと言われたでも、嬉々として同じ答えを返すだろう。妹がこちらに対して飛ばす視線が痛い。
「絶対や! 約束したからな!!」
興奮して少し熱が上がっていたんだろうか?私は自分がふらふらしだしたのを自覚し、握らされたそのメダリオンを胸ポケットに突っ込み。言っておく。
「そんじゃ、あんま長い事またさんといてなー」
あやつの口調の真似をして、その場から戻ろうと考え出す。そろそろふっちょさんたちを怒らせるのも迷惑だろうし、怒られるのはもっと嫌だなとも思った。しかし、あいつは神妙なトーンで言う。
「うん...やっぱ、そういう所...やなあ」
「んー?」
「あんな、金メダル渡すときにやけどさ、相方になってほしいんや」
「むう? やっぱり金は惜しいのかえ?」
頭の中で相方ってなに? 漫才だっけ? 結局は何を目指してるのこの人? 等グルグルと回っていたが、金、そう手のひらサイズの金という魅力に、私は勝てなかった。
「ま、それくらいなら良いよ。金、金が貰えるならね!」
「あっははは! 約束やで!」
**―――――
あ、駄目だ、思い出した。当時の私って酷過ぎないか? 確か、あいつは、笑っていても真剣な目をしていたのだ。頭ぼんやりしているし、視線をそらすように適当な事を言っていた。発言の意味考えてみて、思い出してしまったらちょっと恥ずかしくなってきたな。
「んー? どうしたの?」
話の途中で言葉を続けるのをためらい、ぼかし方を考えている私に、妹が先を促してきた。私は、少し上を向いた。
「まあ、ちょっとうん。私も大概だったのだなぁと思ってね」
「なんて言われたの?」
「まあ、金細工の物と交換にだね。ついでに漫才コンビ結成しようって約束をね、取り付けられてしまっんだよ」
「はあ?今の話の流れで? いや、それはおかしいでしょうに?」
「おかしくないよ? あいつは金と銅の交換だと損するから、漫才の相方になってくれたらええよってな感じだった」
「...意味が解らないわ?」
「まあ、言われた私も良く解んない」
言って妹がにやりと笑う。
「でも、いまの百面相見てたら何となく察しちゃった」
「な、何がですかね?別に察する要因ないんじゃないかな!?」
「いやあ、うん、テレカクシと見た。ってことはー、うん、そうねーそうねー漫才、相方、あーそーねー」
「ちょっとまって、別に照れてないですよ?」
「皆まで言うなという奴よ。知り合い皆に拡散しとくわ」
「さすがにそれは、迷惑すぎじゃないかな?」
しばらく煽ってから、妹が言った。
「それで? お別れしたの?」
「うん、朝焼けをちょっとみてたね。そんでね」
**―――――
世界が赤に染まっていて、鼠色の雲が切れ切れに浮かんでいる景色を眺めている。風が強い。
「この景色好きやねん」
「私はあんまり...」
ついあまのじゃくが出てしまう。本音を言えば嫌いじゃないのだ。ただ、別れのイメージが重なってしまい、好きとは言いにくい。
「ああ、そうか、調子悪いんや?」
「うん、朝焼け見てて微熱出た事もあるし」
「そうなんか? んじゃあ戻ろうや」
「いやあ、今日で最後だし、もうちょっと見てても良いよ」
「熱出して見送りできんかったら事や」
「大丈夫。昼にはお見送りするからね」
太陽が昇って空の色が戻ってきた。屋上でその様を見てから、私たちは病室へと帰って行く。廊下にはもうふっちょさんが出てて、朝の用意をしていた。めずらしく上機嫌の様である。
「あら、おはよう。お二人さん何してたの?」
「おっはよう。将来の約束や」
「おはよー。んー、まあ、将来?金と銅を交換で、漫才するんだって」
「なんの話?」
「まま、ええやん。まずは、金とってからや!」
こんな感じで朝ご飯を食べ、お昼になって、びやだるさんが来ると同時に、私をやっぱりお腹へ埋めて、あいつがぶーたれて、はりがねさんがぺこぺこして、それが最後のお別れとなったのだ。
「いままでありがとう!」
「こちらこそ! ありがとっ!」
**―――――
「うーん、ロマンス? なのかなあ?」
「いやあ、友情パワーの方だと思うよ」
妹が、メダリオンをゆらす。丁度夕日が差し込んできて、鈍く輝いていた。
「でもさ、大切なもの預かっちゃったね」
「そうだね。お返ししとけばよかったよ」
「貰いっぱなしだったの?」
「いんや。えっと、何かあげた気がするなぁ...」
「ふうん?」
「ああ、そうだストラップ、あげたんだと思う」
「へー? それ、本当に良い物だったの?」
「え? ひいお爺さんの物だかっていうけどね。よくわかんない」
「そっか...」
「...」
「...」
急な沈黙が間を占めた。
「ああ、これ...」
妹が不在者票をひらひらさせる。
「ちゃんと、へそくりからだしてね」
「...はい」
さすがに私も神妙に頷く。
「...えっと」
妹がなにか言いかけた所で鳩時計が鳴った。買った時に『気まぐれ三郎』と名付けようとして、時計が信用できなくなるからやめてと言われているのだ。
「ああ、もうこんな時間だね。今から買い物行ったら間に合わない?」
「大丈夫よ。今日はあたしがご飯の日だし、買い物行ってくるね!」
「いってらっしゃ~い」
残ったケーキの欠片をつつきながら手を振る私。妹は眉をひそめた。
「あー! 片付けおねがいするわね。いってきまーす!」
「あいあい、いってらっしゃい」
「そうだ、好きやねんって聞けた?」
今の話から何か推察しおったのか?妹はにやりとわらった後に、ばたばたと駆け出す。私は少し驚いた表情で、やかましい姿を見送った後、息を吐いた。
「片付けしなきゃな」
飲み終えたカップとお皿を二組分、まとめて流し台へもっていった。私は皿洗いが嫌いじゃないのだ。
つづく




