第16話
「そういえばさ、お隣さんてスポーツしてたんだよね? どんな感じだった?」
ひとしきり笑った後、妹が上機嫌で聞いてくる。
「んー? どんな感じって、あいつの事で何か気になるの?」
それに対して不機嫌そうにうつむき、なおざりな答えを返す私であった。妹は顎に指当て考える振りをしながら聞いてくる。
「なんかね、話の中でちょいちょい言ってるけどさ、なんか決定的にすごい! って事あったの?」
私も少し首をひねってみせた。んー、そうだなあ...印象に残ってるのは、あれか...ちょっと、抵抗があるけど...まあいいか。
「うんあるよ。というか、あれがあったから余計に仲良くなったし、んーなんというか、うーん...」
「忘れたの?」
「いや、色々とね。暴走を止めたと言うか? まあ、私が更に怒られる羽目になって...うーん、説明しにくいな...」
「何よ?貸しでも作っちゃたの!? ていうかその子正気!?」
何故か真っ青な顔して言う妹に、私は目でとがめるふりした後に唇を尖らせる。
「正気だったよ。というか、私をどんな目で見ているのかね?」
「適正な判断だと思うけど?」
適正じゃないやい! 私は借りる事の方が多いんだい! とは口に出さずに留めておくことにする。どんな判断か追究したい気持ちもついでに押しとどめておく。そして私は、当時の記憶を手繰っていった。
**―――――
あの日、たまたま二人で探索していて、物干し台が並んだ広場へ入った事から話は始まる。
「おー、ここって広いな」
「んーそうだねえ」
病院が洗濯する日なのか、物干し台全部にはシーツがたくさん掛かっていた。
「こんなんあったんやなぁ?」
ここは中庭にある見つかりにくい扉から入れたのだ。当時は理解していなかったが、おそらくリネンで使われている広場で、入ってはいけない場所になっていたらしい。しかし、立ち入り禁止となっておらず、扉にカギも掛かってなかったので私たちは疑問を抱かず入ったのだ。
「まあ、広いっちゃ広いかもね」
あいつの言葉に少し考え、まわりを適当に見回すと、うんうんと頷く。
「そや。最近ちょっとなまっててなぁ、相手してくれん?」
相手というのが良く解らなかったのだが、今日はそこそこ調子も良い。私は軽く答えた。
「うん良いよー。何するの?」
「あんな...」
あいつが言うには、物干し台の間を抜けてダッシュするから、シーツの間で気配を感じたら捕まえてほしいとの事だった。
「んー、いつもそんな訓練やるの?」
「いんや、ただの遊びや」
「そうか、解った」
訓練と言ったらやっぱりめんどいと断わる気の私だったが、遊びというなら仕方ない。
「そんじゃ、いっくで!」
「あいよー」
「気ぃ抜けるなぁ...」
そんな訳で始まる変則式鬼ごっこだったのだが、これが結構楽しい。
向こうはコース決めてざかざか走る。私はシーツに隠れた気になって、タイミング見て飛び掛かる。
「うらー!」
「あまいわっ!」
捕まえたと思ったら急に速度を上げおる。何回かやって、普通じゃ捕まらんと悟った私は、いやがらせを考える。あいつのルートを鑑みるに、ジグザグで走り抜けようとしていた。で、シーツを干した物干し台は4×4で16台。始まりが解れば、概ね通る場所も限られてくるはずだ。
「むむー」
中心に陣取って捕まえに走るか、走り出しから予測して待ち伏せするかで、選ぶべきは楽な方。待ち伏せである。
「そんじゃ、いっくでー!」
私が中心に立った時に声が掛かる。あいつは左端!なら、左二列のどちらか! なるべく早くに私は移動し、シーツに隠れた。気配っ!
「おりゃ!」
突き出した私の手はシーツだけがあって空振りだった。
「ざんねんー」
あいつ、直前で止まるフェイント掛けおった。
「途中で止まるのずるいー」
これは運動能力はどうしようもないと思った私は、あいつの良識を刺激することで行動を制限し、勝利を奪う方針と決める。
「いやいや、これくらいは普通やるわ」
「じゃあハンデ。止まっちゃダメ」
「なんでや!?」
「それくらいでも、ようやく8:2で私が不利なんだよ」
「そうかあ?」
「そうなのだよ」
「しゃあない、じゃ、止まらずいっくで!」
「負っけないよ!」
気合を入れた言った私は心の奥でほくそ笑んでいる。掛かったな愚か者。これでフェイントブレーキはしないだろう。私は再び中心へ歩いて待つ。
「じゃ、いっくで!」
「あいよー」
右端からスタート。私はこそこそと一つ右のシーツに隠れた気になっている。
「スタート!」
あいつが走り出す。
「おりゃっ!」
タイミングも良い。あいつも止まらない。私がシーツごとあいつを捕まえた筈...が、大きな塊がぶつかるような感触が胸から体全体を襲って!
「おおっ!?」
人の塊に跳ね飛ばされて、シーツひっ捕まえたままごろんごろんと2回転して、その勢いに自分から回転を足して転がってみた。びっくりしたのはその上に物干しが落ちてきたのだ!
「ちょ、あっぶな!?」
とっさにあいつが私に覆いかぶさって、物干し竿が幾本か大きな音を立てる。結構な数の物干しざおは明後日に転がっていて、物干しざおも私達には当たらなかった。シーツにくるまった私とあいつ。目が合った瞬間、心配そうなあいつを気にせず私は大笑いした。
「あっははははは、すっごいねえ、あははははははっ!」
なんだか解らなかったのだが、楽しかった。びっくりもあったのだが、何かのスイッチが入ったらしく暫くは大笑いであった。
「だ、だいじょうぶか!?」
「あははははは、ぐるんってすっごい回って、あ、あそこからこんな所まできてるじゃん。あーびっくりした」
しかし、あいつは青い顔で私を確かめる。
「怪我あらへんか? ごめんな」
「何で謝るの? もっかいもっかい!」
「ば、いや、そんなん言っとらんで、腕みしてみ、擦りむいてるやん」
「いやいや、だいじょぶだってば」
そんな感じで言いあっていたら、背中に気配を感じた。
「...何してるの!?」
そこにはなんか大きな袋かかえてたふっちょさんが、鬼の形相をしていた。
「え...」
「あのねえ、あんた達はこの病院に何しに来てるの!? そもそもここは立ち入り禁止! しかもシーツ洗濯し直しじゃない!あんた達がお洗濯できるの!?」
「あ...」
周りを見回すと、洗濯台が4台くらいひっくり返っている。よくよく見ると、シーツが結構汚れていた。
「って、腕すりむいてるじゃない! これ、あ、打ち身まで...今夜熱でも出たらどうするの! 見せなさいな。ああ、ここも! もう、処置するからすぐついてきなさい!」
「あ、はい」
私たちは冗談を言える様子もなく、素直に従う。
「あなた、怪我無い!?」
あいつはすごく不機嫌そうに答える。
「ないわ」
ふっちょさんが駆け寄って、あいつの状態を見ようとするが、その手をあいつは強く払う。
「だいじょうぶやって!」
「おやまあ、その元気があるなら物干し台おこして!」
その言葉で、私は実は間一髪じゃないのかな?倒れてこなくてよかったなあと気が付いて、遅まきに背筋が寒くなってきた。
「ああ、わかったわ」
「あなたはこっち!」
強く私を引っ張られる。そのとたんさっきまでなかった痛みがずきりと走る!
「うあっ!? いったぁ!?」
「ちょ、怪我しとんやで!」
「怪我させたのは誰!?」
「っ!」
強く言われて、あいつは一瞬凄い形相をした。
「...後でちゃんと見に来るからね。ったく、何で仕事増やすのかしら?」
**―――――
「まあ、ふっちょさん怒るよね」
「うん。あれは申し訳なかった。私も暫く落ち込んでしまったよ」
「あら珍しい」
「珍しくはないんだよ」
「そう?」
妹が顔だけで笑いおった。何となくイラっと来たので、私はチョコレートケーキの欠片を妹の残り少ないコーヒーに入れようと牽制してやる。
「ちょっと、何してんのよ!?」
「なんか、その顔にイラっとしただけだよ」
「もー、いつまでもお子様ねえ」
「ふん。まあ、いつまでも純真だという誉め言葉だと思っておくよ」
「成長してないって言ってるの」
「おし、テーブルソルトの刑だね」
「食べ物で遊ぶの禁止」
「むー」
妹に言われるまでもなく、冗談である。少し唇を尖らせ、私はその後の事を思い返していた。
つづく




