第15話
妹が自分のチーズケーキをいくつかに分け、その姿ををまじまじと観察しつつ、呟く。
「でさ、夜の探検の後ってどうなったの? 大変だったんじゃない?」
対する私はコーヒーカップを眺めている。そして、言った。
「うん。まあ...その...」
「なによ、歯切れが悪いわね?」
「翌日に怒られて、白い目で見られたんだけどね」
「うんうん」
「その次の日にさ、私大熱だしちゃったんだよ」
「あらまあ、都合の良い事に?」
「都合よくないやい」
目を丸くした妹の顔が、言いたい事を伝える。『おぬしってば、ひっどい迷惑さんねえっ』て感じだ。実際、当時は情けなくて頭がグルグル回っていたが不調はどうしても身体と精神を蝕むようだ。
「うん私ってば...最悪だったよ」
「どういう風に?」
「ふっちょさんは、まあ良いんだけどね、他の方々にほら見た事か! が4割、何でこう、迷惑ばっかり!? が6割的なね...」
「だって、はっきり迷惑さんだもんね」
「これに関してはね...もう言葉もないよ」
こういった経験から、自分の身体は自由にはならないって事を思い知ったのだが、弱った時しか思い出さない類の物らしく、以後私は頻繁に忘れ、恥の上塗りをやらかしている。
「んでんで?」
「えーっとね、あの時は...」
**―――――
探検の翌々日、ちょっと色々気が張ったり体を冷やしてしまったりで、私は夜に高熱が出て唸っていた。
「うう、ぅう」
耳の中で音がして、全身のあちこちが酷く寒い。震えていたと思う。夢だったような気もするのだが、誰かが声を掛けた気がしてそちらを向いても暗いだけ。何もない。信じれなくなって、目を閉じると目の奥で光が見える。
「さむい、さむい、さむい...」
ずっとそう呟いていた。携帯電話とストラップを取り出し、なぜか握りしめる。少しは辛さがまぎれるかなとも思ったのだが、あまり効果はないらしい。
「なあ、なあ!」
遠くから声が聞こえた。そんな気がして返事をしたのだが、震えが大きくて声になっていない。奥歯の方からカチカチと音がして、多分それが聞こえたのだろう。少し低いトーンで声が聞こえた。
「だいじょぶなん?」
額に暖かくて小さな手が触れた。
「ぅんー、さむい、さむい、さむい、さむい...」
「あっつ!?」
その手と声の温かさを感じとる余裕は無い。震えが大きくなっている。耳の奥でキーンと鳴り響く。その音が気持ち悪かった。
「ふっちょさん、すぐくるからな、だいじょぶ、だいじょぶや!」
閉じた目の奥、遠くの方でナースコールを押した感じがあり、その後握った両手の上からすっと手が触れられる。温かく感じる掌であった。暗い闇の奥で、自分の状態が解らなくて頭の中で問答している。
『どうしました?』
天井から声がした。
「なんかな、さむいんやって! めっちゃ熱いねん! はよきてぇ!はよな!」
目を閉じたままだったが、どうも注目を集めている様な感じが鬱陶しく思ってしまう。しかし言葉になるのは同じであった。
「さむい、さむい、さむいぃ」
『すぐ行きます』
コールが切られ、ふっちょさんが本当にすぐ来てくれた。何か道具も色々持ってきていた。私の方は何か色々といじくりまわされて、肘にはいつもと違う点滴が付いていた。
「つらかったね。うん、すぐよくなるからね」
針が刺さったの、痛いんですけど。今であれば気の利いたことが言えたかもしれないが、当時はそれ所でない状態だった。
「さむい、さむいぃ、さむい...」
「ゆっくりおやすみ。大丈夫。もうちょっと我慢よ」
ひんやりした手が額に触れる。点滴の刺さった方には携帯とストラップが、刺さってない手には小さな掌が握っている。ん? 掌?
「だいじょぶ、だいじょぶや。今日はずっと手にぎったげるからな」
「んー? んうー...さむい」
私の手なんぞ握る事で何か変わるのかいな?などと、失礼なことをぼんやり思いながら、そのまま目を閉じた。
「つらいとき、おかんがな、こうしてくれるんや。楽になるんやで」
遠くから聞こえてくる声に、そうなのかしらん? なんてつぶやいた様な、声にならなかったような気がして、すとんと意識が落ちた。
「...うー」
熱の出ている時には嫌な夢を見る。
何か吸い込まれるような音が小さく小さく響いて、ふと気づいた瞬間大きくなって近づいてきて、私は悲鳴を上げる。
「あああ!」
自分の声で目が覚めた。
「ゆめ...」
病室は闇の中である。手の感触からいまだ、握ってくれているようだが、あやつはうつらうつらしている様に見える。
「...りちぎだなぁ」
そう思って、少しだけ落ち着きが戻り再び眠りにつく。発熱で、ふわふわした感じが頭の奥にあって、口の中がにゅぐにゅぐして、握られている手が結構熱く感じる。少し私は考えて、やはり握ったままで目を閉じた。握った手が少し動く。
「だいじょぶ?」
ひそひそと声が掛かる。答えを返さずに私はきゅっと握り返した。
「うん、だいじょぶや。すぐによくなるわ。だいじょぶ。だいじょぶや」
手の奥に伝わる熱が、心地よかったと言うべきか、嬉しかったと言うべきか、今でもよくわかんないや。
「...まぶしい」
そして翌日、熱が引いた。顔は少し赤く、息苦しさがあるのだが、まあ何とかなるみたいだ。
「おはよう。昨日は、ありがとね」
「ああ、おはよー。気にせんとき。おかんの教えやから。今度会ったら礼いっときな」
「いやいや、とにかくありがとう」
「どういたしまして。からだはどうなん?」
「うーん、おまもりあるし、だいじょぶだいじょぶ」
「ん、おまもりって?」
あれー、説明しなかったかな?
「これだよ...目貫。ストラップにしてくれたんだってさ」
見せた携帯のストラップは、ひいお爺さんの何からしい。巡り巡って私のストラップというのも結構おかしな話ではある。ちなみに黒っぽい銀で出きた花? の細かい細工なのである。
「ほーほー」
「金と銀だよ! 本当かどうかわかんないけど、良品だってさ」
「そかそか、でも、元気になってよかったわ」
「まあ...誰かが手握っててくれたからね。義務感で良くなった感じ?」
ちょっと恥ずかしい事言ってるなあと照れる私、あいつも少し上ずった言い方をする。
「んー、何か、はっずいなぁ! でもおかんの教えやから! 守らんとって事やねん」
「...ありがとね」
私は、ほんと小さく礼を言った。あいつは私の逆向いて頷いた。確かそんな感じだったと思う。
**―――――
懐かしい記憶をあらかた話した。当時の感覚も追体験して、少し恥ずかしいと思ってしまう。話としては熱を強調して言ったのだがね。
「あの時出た熱が、一番高かったんじゃないかなあ?」
「辛かった?」
「ずっとね、さむいさむいしか言えなくなっちゃったみたいだね」
「でもさ、寒かったの?」
ん!? 気になる部分って、そこなんですか?注目点に違和感を感じ、私は答える。
「え、うん、寒かった。というか、風邪ひいた事ないのけ?」
やっぱり、何とかは風邪ひかない...と心の中のメモ帳開き『妹は風邪ひかない...あれだから』と深く刻み込んでおいた。
「あたし熱出た事、普通にあるけど?寒かった事...んーあったかな」
「無かったっけ...?」
「どうだったかな?思い出せないわ。あたしの場合、頭痛くなって、で節々痛くなって、熱くてしょうがなくなる」
「ふむ。まあ痛いほうが思い出に残るから嫌かなあ?」
むむ、寒くなった事ないのかな? あれ、でも昔看病した時震えてなかったけ。そんな事を考えていると、妹がにやにやしながら言った。
「まあ、辛い記憶は良いからさ...それよりもぉ、手はどうだったの?」
促されて私は、少し首をひねる。
「手、んー、私と同じくらい...って感じ?」
「えー、でも、ドキドキしたんじゃないの?」
何言ってるんだろう?妹め、私を動揺させようとしてるのかいな?
「どうだろうね? 熱出てる時だしね」
「いやいや、熱下がってからも顔合わせてるでしょうに」
「さてね、連れまわした罪悪感じゃないかなぁと思ってたからね、私」
これ以上は言わないよんとの意思表示に、妹が眉を片方上げる。
「あれ、黙秘すんのぉ?」
「あいつの行動はね、どうも、家訓見たいな感じだよ。分け隔てなく手を握ってるんじゃないかな?」
「それ、見たの?」
「まあ、想像?」
「風評被害がひどいわ」
「でも、分け隔てなく情が深いってのは、見てて思ったんだよ」
「そかそか、ありがたいことだね」
感心した様に言った妹に、私は軽くうなずいた。
「そそ」
「はりがねさんも背中さすってくれたり、あのこも手握ってくれたり優しいね」
「あの家族は本当、みんな優しいね」
「いいなあ」
優しい表情浮かべたその後、妹は目を細める。
「でも...ねえ、よく騙したもんだと思うわ」
え、勝手に色々面倒みてくれた事を、だましたと言うんですか妹さん?私は口をとがらせる。
「だましてはないよ? あっちが勝手に理解しただけだよ?」
「うん、当時は天然で誤解するようにしたって事でしょ?今は計算も入ってさ、本当タチが悪いわー」
「なぬっ!?」
何か言い返そうと私は思考を巡らすが、今回は口が回らない。仕方なく私はうそぶく。
「ま、天然でもなんでもさ、人を傷つけるよりはいいかな?」
暗に私を物理的に傷つける妹への当てつけなのだが、あまり効果はない様だった。
「まあ、それはあたしも同意見だけど、天然で迷惑かけてるじゃない」
畳みかけた妹の言葉は、いや、うん、ぐうの音も出ない。
「...当時の人達、本当にすみませんでした」
あの時あいつに言ったお礼の様に、小さく呟く私をみて妹が下を向いた。
「あっはははははは!」
そのままはじけた大笑い。今に見ておれ...。
つづく




