幕開け
なし
ある日。俺の住んでいた街は、海の底に沈んだ。
その日はなんてことは無い一日で、だから街の多くの住民は、まさかそんなことになるなんては思わなくて、故に、逃げ遅れた。
沈みゆく街。消えゆく明かり。迫り来る絶望。少しずつ減る、悲鳴。
「早く早く早く!!!」
そんな中で、俺は妹の手を引きながら逃げていた。
「おにい!!やばい!!」
迫り来る海を前に、俺達兄妹は限りなく肉薄されていた。
「痛った!!」
その時だった。妹の短い悲鳴が聞こえた。彼女の一歩前にいた俺は、その声に振り向く。
「あかり!!」
「おにい!たすけ」
振り向きざまに伸ばされた手は、伸ばされた彼女の手に届くことなく、空を切った。
一秒前まで、いや、あるいはそれすら経つ前まで。足を押さえ、こちらに手を伸ばしていた少女の姿は。
波の間に掻き消えた。
「……だ。嘘だ!!嘘だァァァァァ!!」
届かなかった?間に合わなかった?どうして?どうして?どうして?
「くそ!!くそくそくそ!!クソッタレがァァァァ!!」
俺は空を切った手をきつく握り締め、先程とは逆へと走り出した。荒れ狂う、波の中へ。
まだだ。まだ諦めてやるものか。流されたのはついさっき。もしかしたら、まだ救えるかもしれない。
そう思った刹那だった。俺の身体が、急に動かなくなった。
「……マジかよ」
俺の身体は、大きな鉄板によって胴体が2つに分かれていた。鉄板は、おそらくは元は何かの看板だったのか、俺の身体を漫画のように両断し、近くの地面に刺さっていた。
俺は絶望した。そして憎悪した。彼女を、妹を攫った波を。彼女を殺した世界を。そして、朱里を救えなかった、この俺を。
何故、彼女がこんな目にあった。どうして死ななくてはならなかった。理不尽だ。理解不能だ。あってはならない。だってそうだろう?彼女は何一つ罪を犯して等おらず、ただ日々を生きていただけなのに。間違っている。この世界は間違っている。
こんな世界は、滅んでしまえ。消え去ってしまえ。潰えてしまえ。壊れてしまえ。
ぐちゃぐちゃに、めちゃめちゃに、どうしようもないほどに。全て破滅してしまえ。
もう、こんな世界は終わってしまえ。
ぶつ切りの思考の中で、死にゆく俺の思ったことはそんな事だった。
「……もし?もしもし?」
誰かが、俺の身体を揺すっていた。身体のあちこちが痛い。そして何より。
「……うるせぇ」
甲高い女性の声は、随分とよく俺の脳に響いた。
「よかった。目が覚めたのですね?」
彼女は岩にもたれ掛かった俺の顔を覗き込むようにして見ていた。吐き出される吐息からはうっすらと甘い香りがした。
「……ある」
俺は、どうなったのだろう。記憶はある。俺の身体は確かに真っ二つになった。上半身と下半身をすっぱりと両断された。けれど、本来なら失われたはずの足が、ある。
「何か、無くされていたのですか?」
少女は不思議そうな顔でこちらを見た。
「……いや、何も」
無愛想にそう答えると、俺は彼女を押しのけて立ち上がろうとした。しかし、彼女の肩に手を置いた瞬間、俺の腹部に激痛が走った。
「ッ……」
思わぬ痛みに口からは僅かな呻きが漏れる。よく見ると、真っ白だったシャツの腹部から下が赤茶に染っていた。
「無理を、なさらないで。怪我をしていますから。今に人を呼んできますから。動かないでくださいね?」
彼女は呻いた俺の肩を掴むと、もう一度しっかりと岩にもたれさせ、肩に置かれた俺の手に、そっと自分の手を添えるとそう言った。
「わかった、わかったよ」
脳に響く声と、頭蓋をかけまわる痛みに耐えつつも、俺は彼女にそう答えた。
「よかった。では私は誰か人を……」
「……ねぇ、それ、貸してくんない?」
こちらに背を向けた彼女に対し、 俺は彼女の背負っていた銃を指さしてそう言った。
気に入ったら次も呼んでくれると嬉しい